2009年06月26日
政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて
■ 書籍情報
【政治記者―「一寸先は闇」の世界をみつめて】(#1618)
野上 浩太郎
価格: ¥693 (税込)
中央公論新社(1999/04)
本書は、四半世紀前に現場の政治記者をしていた著者が、「政治記者の仕事の魅力」を語ったものです。著者は、最大の魅力は、「政局の『生き物のような展開』にある」としています。
第1章「田中角栄とリアリズム」では、「政治記者にとって、最も面白くてしかも難しいのが政局の取材だ」とした上で、その理由は、「生々しい権力闘争を繰り広げる人間ドラマだから」だと述べています。
また、首相番を卒業して政党担当になった政治記者が直面するジレンマとして、「特定の政治家や派閥に『食い込む』努力と、つねにそれらから距離を置いて『冷たく、突き放して』判断する精神との『二律背反』」を挙げています。
第2章「田中の挫折と悲劇」では、「政局取材は面白いと同時に『落とし穴』を伴う」として、「政局展開の生き物のような面白さを夢中で追いかけているうちに、まったく性質の違う側面を見落としてしまう危険性」を挙げ、「その典型が政治家のカネにまつわる話」だと述べています。
そして、田中の金脈疑惑を徹底的に暴いた評論家、立花隆の論文にちうて、「土地ころがしを基本にした田中の裏金づくりの実態については、それ以降いまだに、これを上回る内容の記事や論文は出ていないだろう」と述べ、「立花論文を読んで『やられた』と感じたことも否定できない」と述べています。
さらに、「フリーで無名の立花隆が『金脈』のからくりを執拗に取材した結果、その実態がわれわれにも明らかになった」ことについて、「立花論文はひたすら驚きの連続だった」と述べています。
第3章「ワシントン取材」では、ワシントン特派員だった著者が、1年も過ぎると、「メモ帳に要点を書きとめ、日本の新聞の締め切り間際に『勧進帳で』草稿できるようになった」として、「記事に書いていないメモだけの状態で電話に向かい、メモを基に頭の中で記事に構成しながら受け手に読み込む手法」を解説しています。
第4章「サムライ外交官群像」では、著者が外務省担当だった当時、条約局参事官だった高島益郎(後の事務次官)について、「まだ50歳前後だというのに頭髪は薄く昔のサムライのような風格」であったため、「この人は出世コースからちょっと外れているのかな」と内心感じていたと語っています。
また、当時の中国課長、橋本恕について、「ギョロリとむいた鋭い目に分厚い唇、浅黒い顔。どこから見ても外交官らしいスマートさとは縁遠い風貌で、やはりサムライだった」と述べています。
そして、「敗戦で生まれた戦後処理問題を乗り切るためにはサムライ外交官が必要だった」が、「北方領土返還を除いて大きな戦後処理問題が解決された後は、どちらかと言えば、スマートな秀才型外交官が主流になった」と述べています。
第6章「特ダネと記者クラブ」では、「これから政治記者を目指す人たちへのメッセージのつもりで、体験に基づく助言をまとめてみたい」として、「フットワークや『カン』と並んで必要となるのが『勉強』である」ことなどを語っています。
本書は、古きよき時代の「政治記者」の姿と心意気を今に伝える一冊です。
■ 個人的な視点から
政治記者というと、大学出たてで政治家と付き合い、社旗つきのハイヤーを乗り回し、ということがあって世間の常識から乖離した人たちという先入観があるのですが、四半世紀前の政治記者となれば相当世間離れしてたのではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・昔の政治記者を知りたい人。
■ 関連しそうな本
河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
高瀬 淳一 『情報と政治』 2005年06月23日
川上 和久 『情報操作のトリック―その歴史と方法』 2007年10月12日
大井 浩一 『メディアは知識人をどう使ったか―戦後「論壇」の出発』 2008年03月22日
■ 百夜百マンガ
かわいいキャラクターにもかかわらず、どんどん死んじゃうシリアスな展開についていけない人もいるのではと思います。
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2009年06月25日
ギャンブルフィーヴァー―依存症と合法化論争
■ 書籍情報
【ギャンブルフィーヴァー―依存症と合法化論争】(#1617)
谷岡 一郎
価格: ¥693 (税込)
中央公論社(1996/10)
本書は、「ギャンブル中毒にはまりやすい性格と、そのはまりゆくプロセスをパターン化することにより予防の可能性を論じ、そしてギャンブル中毒者の治療方法として、アメリカで長い間培われてきたノウハウを紹介」しているものです。
第1章「ギャンブルの役割」では、ギャンブルが、「神意の伝達の手段として発展し、そしてそれはやがて『どちらが正しいか判らないときに、神に尋ねる』という役割を持つようになる」として、
(1)分配
(2)裁判
(3)戦争
の3つの例を取り上げています。
そして、本書が、「ギャンブルと人間社会とが、現代においてどう関わっているのかを開設することと、現在多くの国々で進行しつつあるギャンブル(カジノ)合法化の問題を、もし日本に当てはめるとすればどうなるであろうか」を議論するとしています。
第2章「ギャンブルホーリック」では、「社会規範ですべきでないとされる行為は『逸脱行為(Deviant Behavior)』と呼ばれ、逸脱行動を行うものは犯罪者、不道徳者、愚か者、怠け者などの烙印を押される」として、歴史上多くの社会では、「ギャンブルで身を持ち崩す者などは単なる『人間のくず』とされていた」と述べています。
そして、「いつも賭けていないと禁断症状を起こすという病気」である「ギャンブルホーリック」について、WHO(世界保健機関)が1977年に依存症の一つとしてあげていることを紹介しています。
また、なぜギャンブルをするのかという内面的動機として、
(1)つきあい
(2)ひまつぶし
(3)遊び
(4)ストレス解消
(5)挑戦
(6)スリルを求めて
(7)一攫千金
(8)現実逃避
(9)自我を求めて
の9点を挙げ、これ以外の潜在的な動機として、「負けたい」と思ってギャンブルをしている人がいるという説を紹介しています。
第3章「はまりゆくパターンとはまる性格」では、「単なるギャンブルファンがギャンブルホーリックの患者となっていくプロセス」として、
(1)冒険または勝ち
(2)負けつづけ
(3)破滅
の3段階を解説しています。
そして、ギャンブルホーリックにはまりやすい代表的な性格として、
(1)自己暗示にかかりやすい人
(2)プライドの高い人
(3)意志の弱い人
(4)まじめだがうだつのあがらない人
(5)(自分勝手で)理屈っぽい人
(6)わりと数字に強いが認識の甘い人
の6種類を挙げています。
第4章「ギャンブルホーリックの治療」では、アメリカやカナダ、ヨーロッパなどで「ギャンブルホーリックの治療や相談を、無料で行っている施設もしくはそのプログラムの名称」である、「ギャンブラーズ・アノニマス(GA)」について、その治療プロセスには、
(1)匿名性
(2)無宗教性
(3)どんな小さな賭けもしない
の3段階があると述べています。
そして、「ひとつの依存症に罹りやすい人は、他の依存症にも罹りやすい傾向にある」としたうえで、「耽溺行為・依存症というのは、ある行為がやめられなくなる精神状態を指す」として、「ジョギングや読書といった、一般的に好ましいとされている行為ですら、やめられない精神状態に陥り、結局やりすぎて健康を損ねたり、他の重要なことをさぼりがちになることはありうる」と述べています。
第5章「ギャンブル(カジノ)に反対する人々」では、「歴史上ギャンブルは禁止されたり認められたりを繰り返している」と述べた上で、カジノ反対派の論拠について、
(1)犯罪が増える。
(2)暴力団が関与する。
(3)風紀が乱れる。特に失業者が増え、街がスラム化する。
(4)ギャンブル中毒患者が増え、家庭崩壊に繋がる。
(5)勤労意欲が低下する。
の5点に整理し、「ここでは、ギャンブル自体がインモラルな行為であるとの主張は、表面上の論点ではない」と述べています。
第6章「ギャンブル解禁論」では、「『飲む・打つ・買う』総量バランス理論」として、
(1)ストレスエネルギー発散機能はすべての社会に必要であり、この機能がうまく働かなかったり、不十分であったりする社会では、他の、より大きなひずみを生ずる。
(2)ストレス発散に必要な、「飲む・打つ・買う」またはその他の行為の総量は、その社会のストレスエネルギーの量に比例する。
(3)「飲む・打つ・買う」という三要素のうち、一つ、または二つが強制的に制限される社会においては、制限を設けないほかの要素に比重がかかる。
の3点を挙げています。
また、「歴史上、ギャンブルが広まるプロセスとして重要なのは、戦争と移民である」と述べています。
本書は、ギャンブルとの付き合い方のヒントを与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
ギャンブルが嫌いな人はとことん嫌いな人が多いですが、日本ほど泥酔する酔っ払いとギャンブル中毒者に甘い国はないような気もしますので要は節度とか程度とかの問題なのかとも思います。
■ どんな人にオススメ?
・ギャンブルが嫌いな人、好きな人。
■ 関連しそうな本
田辺 等 『ギャンブル依存症』
伊波 真理雄 『病的ギャンブラー救出マニュアル』
谷岡 一郎 『ツキの法則―「賭け方」と「勝敗」の科学』
谷岡 一郎 『確率・統計であばくギャンブルのからくり―「絶対儲かる必勝法」のウソ』
■ 百夜百マンガ
猫がラーメン屋だったり、ザリガニが課長だったりと設定そのものが飛びぬけて面白いわけではないはずなのですが、徹底的に設定を生かすとたいしたものになるみたいです。
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0) 【その他科学】
2009年06月24日
感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか
■ 書籍情報
【感性の起源―ヒトはなぜ苦いものが好きになったか】(#1616)
都甲 潔
価格: ¥777 (税込)
中央公論新社(2004/11)
本書は、「感性を38億年前の生命誕生の日までさかのぼってみた」ものです。
第1章「『感性』とは何か」では、「私たちが普段意識している『感性』は、視覚情報や音声情報に基づく感性である」として、これら「物理感性」に対し、「生物本来の感性」として「化学感性」を挙げています。
そして、本書では、「単細胞生物も感性を持つこと」を示すとして、「『おいしい』と感じる化学感性は、進化的に古い脳を積極的に使う。そこに私たちは生物としてのヒトの名残を見ることができる」と述べています。
第2章「単細胞生物の知恵」では、「粘菌」の変形体の特徴として、「巨大かつ不定形の単細胞生物」であることを挙げた上で、粘菌の「感性」について、「粘菌は暖かい刺激へ近づいたり、苦い物質からは遠ざかったりする」として、「その行動からは『好き嫌い』という感情、感性のようなものが見て取れる」と述べています。
第3章「生物の自己組織化と『場』」では、「実験室レベルで、パターンやリズムといったダイナミックな動きを再現できる」として、
(1)平衡系:要素間の相互作用に由来する内部エネルギーと多数の要素の熱運動に起因するエントロピーが拮抗し、両者の兼ね合いで、構造体か一様な常態かが決まる。
(2)外部からエネルギーや物質がどんどん流れ込み、構造体が発現する。
の2つの自己組織化を挙げています。
第4章「『おいしさ』が脳に認知されるまで」では、「古くから味をいくつかの基本的な成分(基本味)に分解しようという試みが、行われてきた」と述べ、「味覚には、5つの味に生理的意味があった。苦味や酸味は、毒なので本来摂ってはいけないことを示す味であった」と述べ、一方、匂いは「経験と学習、状況によって快・不快が決まってくる」と述べています。
第5章「味覚を表現する」では、「これまで暗黙知の世界であった味覚を言葉で表現するための方法を探るその試み」について解説しています。
エピローグ「ミクロとグローバルの狭間で」では、「味覚と嗅覚が化学物質を摂る、探るための感覚であることを鑑みると、この2つの感覚は全ての感覚の元祖である」と述べています。
そして、「私たちは、味覚や嗅覚という生物古来の感性と、進化したホモサピエンスの持つ客観的要素の大きい視覚由来の感性、これら2種類の感性が同時に現れる舞台、つまり食感性を表現できる時代にいる」とした上で、「21世紀は失われた化学感性の復権の世紀」だと述べています。
本書は、ヒトが本来持っている感性を解き明かそうとした一冊です。
■ 個人的な視点から
「感性」という言葉は色々な場でたいていは好ましく使われることが多いですが、よくよく考えてみると結構あいまいな言葉だということに考えさせられます。
■ どんな人にオススメ?
・「感性」を信じるヒト。
■ 関連しそうな本
ニコラス ハンフリー (著), 柴田 裕之 (翻訳) 『赤を見る―感覚の進化と意識の存在理由』 2009年02月27日
池田 光男, 芦沢 昌子 『どうして色は見えるのか―色彩の科学と色覚』 2008年01月05日
内川 恵二 『色覚のメカニズム―色を見る仕組み』
大田 登 『色彩工学』
オリヴァー サックス (著), 吉田 利子 (翻訳) 『火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者』 2006年03月26日
ベンジャミン・リベット (著), 下條 信輔 (翻訳) 『マインド・タイム 脳と意識の時間』 2006年11月11日
■ 百夜百マンガ
ホームレス漫画家を売りにしてはいますが、ほとんど色物系のタレントといって差し支えない状態ではないかと思います。
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2009年06月23日
スナップ写真のルールとマナー
■ 書籍情報
【スナップ写真のルールとマナー】(#1615)
日本写真家協会
価格: ¥756 (税込)
朝日新聞社(2007/8/10)
本書は、「人物が入った写真には肖像権が絡んでくる」という問題に対し、「そんな悩みを解決し、楽しく写真が撮れるよう(社)日本写真家協会の著作権委員ら3人と協会顧問弁護士の北村行夫氏によって実例をあげながら指導する」ものです。
「『肖像権』とはなにか」では、「最近はやたらと『個人情報』とか『肖像権』『プライバシー』といった言葉が広まって、人物の入った光景を捉えた写真がかなり少なくなっている」ことについて、「なかには人物を入れないようにと、過剰反応かと思える自己規制を指導する人までいる」ことについて、「こうした問題が当たり前になってしまうと、写真から生気がなくなり、時代を記録する写真の魅力が失われてしまう恐れがある」と指摘しています。
また、「肖像権」に関する判例から、人には、
(1)みだりに顔(肖像)を撮影されない権利、撮影拒絶権がある。
(2)撮影された肖像写真、作成された肖像の利用拒絶権がある。
(3)肖像の利用に対して、肖像本人の有する財産的利益を得ることができる財産権がある。
の3点を挙げています。
そして、(社)日本写真家協会では、「『肖像権』問題を真摯に受け止め、『撮ることができない』のではなく、どうすればすすんで『撮れるようになるか』、どんなことに配慮して『撮ったものを発表するか』ということについて、じっさいに即した回答をQ&A方式でまとめてみた」としています。
第1章「こんな場所で撮っていいの?」では、「歩行者天国や公の道路・公園などといった、誰もが自由に出入りできる場所で、しかも多くの人を対象に無料で見せているような大道芸人やパレード、イベントなどに参加している人、出演者などの撮影は自由」であることなどを解説しています。
また、「公務中の人に肖像権は働きません」としたうえで、「公務中の方であっても、撮った写真を商業目的のチラシや印刷物に使うこと」は、パブリシティー権が働くため、使用できないと述べています。
第2章「撮った写真を公表したい」では、写真家が肝に銘じておくべきこととして、「撮る行為、発表する行為、すべてにおいて自分自身に責任がある」ことを挙げ、「この『責任がある』ということを念頭において、撮ったり発表したりすれば、問題はおきないはず」だと述べています。
また、スナップ写真を撮るケースで撮影者が頭を悩ます点として、「撮影前に挨拶して許諾を取ると、相手がカメラを意識して自然な表情や情景が消えてしまう」ことを挙げ、「撮影後、写真を撮らせてもらったこと、使用目的などを説明し、了解を取り付けるようにしましょう」と述べています。
第3章「パブリシティーがらみの写真」では、個人の庭の中にあり、そこの地主が「桜の肖像権」を主張している枝垂桜について、「枝垂桜の所有者として、所有地内に立ち入っての撮影は禁止できても、所有地外から撮影した写真について、所有権の効力は主張」できないと述べています。
第4章「写真を撮ってトラブルに」では、ラッシュ時のプラットホームや祭りの様子の写真を撮っていて、「俺を撮ったな」と文句を言われるケースを取り上げています。
鼎談「スナップ写真はこう撮ろう」では、「肖像権について取り上げた本や雑誌の記事の中には、肖像権に対する正しい認識を伝えるよりも、むりそ『肖像権があるのだから写真を撮らせるな!』などという否定的なメッセージだけを強調するものも、少なくないというのが実状」だと指摘した上で、基本的には「写される人の気持ちになって、配慮しながら撮る」ことが基本だと述べています。
本書は、写真家はもちろん、人物写真に関わる仕事をしている人にぜひ読んでいただきたい一冊です。
■ 個人的な視点から
本書でも少し触れられていますが、人権系の主張をする言説の中には、過剰に配慮をしたものが少なくないような気がします。その点で、本書があることはバランス的に、また実務的に大きな意味があります。
■ どんな人にオススメ?
・人物写真に関した仕事に携わっている人。
■ 関連しそうな本
大西 みつぐ 『デジカメ時代のスナップショット写真術』
横木 安良夫 『横木安良夫流スナップショット』
日本写真家ユニオン, 日本写真家協会, JPS= 『写真著作権〈2005改訂版〉―写真家・著作権継承者・海外写真家団体一覧』
飯沢 耕太郎 『写真を愉しむ』
■ 百夜百マンガ
たしかに、麻雀の世界はオカルト的な言説があふれているように思われます。
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0) 【文化面】
2009年06月21日
災害都市江戸と地下室
■ 書籍情報
【災害都市江戸と地下室】(#1613)
小沢 詠美子
価格: ¥1785 (税込)
吉川弘文館(1998/01)
本書は、江戸の町で「おもに地下に設けられた倉庫」である「穴蔵」を狂言回しに、「江戸時代とは、江戸の町とは、江戸の人々とは、東京の近代化とは、そして現代とは何か」を論じたものです。
第1章「災害都市江戸と穴蔵」では、江戸で火災が頻発し、あくまで「華」でありえた原因として、
(1)江戸では大火を喜ぶ住民がかなり多く存在していたらしいこと。
(2)大都市としての統一的政治体制が欠けていたこと。
(3)江戸で暮らしていく以上火事は当然のことで、類焼もしかたのないことと甘んじて受け入れ、せめて自火でなかったことを喜ぶ、という考え方が江戸の住民の中に深く浸透していたこと。
の3点を挙げています。
そして、穴蔵の機能として、
(1)防火施設としての役割
(2)金庫としての役割
(3)収納施設としての役割
等の点を挙げ、「江戸の人々はさかんに地下を利用し、生活の一部として取り入れていた」として、中でも穴蔵は「職業に関わらず、武士にも町人にも、商人にも職人にも活用されている」と述べ、「明治維新以降、いち早く東京の地下開発が進んだ背景には、こうした状況が影響していたのかもしれない」と解説しています。
第23章「土蔵と穴蔵」では、「江戸では武家屋敷や一部の富商を除いて、住宅の多くが『焼家』といわれる耐火性の全くない家屋であった」が、江戸中期以降、土蔵が普及したと述べた上で、「けっして穴蔵が廃れてしまったわけではない。多くの場合は両者を併用し、用途によってうまく使い分けていた」と述べています。
そして、「江戸で生活する人々が、土蔵を持つのは無理だから仕方なく穴蔵で間に合わせよう、という消極的かつ否定的な態度で穴蔵を使用していたとは、考えにくい」として、「むしろ火災という観点から見た限りでは、三井家のように多くの人々が、用途によってはどうしても穴蔵でなければダメだ、と考えていたのではないだろうか」と述べています。
第3章「穴蔵経済事情」では、穴蔵の弱点として、「江戸の低地部分の地価は、水分を多量に含んでいる」ため、「油断をすると地下水が漏れたり、材木が水ぐさりしてすぐに使い物にならなくなってしまう」ことを挙げ、また、「少なくとも半世紀を持ちこたえるだけの耐久性はなかった」と述べています。
第4章「穴蔵大工の正体」では、鯰絵の中に「多くの職人と共に穴蔵大工が描かれていた」ことについて、
(1)安政大地震後の江戸において、穴蔵と穴蔵大工がいろいろな意味で注目されていた。
(2)穴蔵大工は、あくまでも穴蔵本体の材木部分を製造することを主な業務としていた。
の2点を指摘しています。
第5章「消えた穴蔵」では、明治維新後、「江戸が東京と名前を変えてもまだ、穴蔵は使われていた」とした上で、銀行の登場によって、「明治初期の人々は、穴蔵がなくても代わりに財産を守ってくれる機関のあることを知り、しかもただ預けるだけでいくらかでも利息を手にすることができるといううまみを覚えてしまった」とともに、火災保険の登場により、「どうせ燃えてしまうのなら、維持・管理に手間ヒマと大金がかかり、場合によっては焼けてしまうこともある穴蔵よりも、確実に保証されて面倒のない火災保険に走るのも無理からぬこと」だと述べています。
本書は、江戸の町の陰の主役であった穴蔵について教えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
よく「穴蔵に隠れる」とか言葉としては「穴蔵」は御馴染みですが、実際のところどういうものなのか知っている人は、まして見たことがある人はほとんどいないのではないかと思うのです。
■ どんな人にオススメ?
・「穴蔵」とは何かを知りたい人。
■ 関連しそうな本
岡崎 哲二 『江戸の市場経済―歴史制度分析からみた株仲間』 2006年01月19日
岡崎 哲二, 奥野 正寛 (編集) 『現代日本経済システムの源流』7
大久保 洋子 『江戸のファーストフード―町人の食卓、将軍の食卓』 2007年11月18日
鈴木 理生 『江戸のみちはアーケード』 2007年12月03日
■ 百夜百音
【氷雨/待ちわびて】 日野美歌 オリジナル盤発売: 1982
当時、「競作ブーム」というのがあって、特に演歌では、同じ曲をいろいろな人が同時期に発売していましたが、そのうち飽きられたのか、同じような企画は「凶作」に終わったんじゃないかと思います。
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0) 【日本人】
裏日本―近代日本を問いなおす
■ 書籍情報
【裏日本―近代日本を問いなおす】(#1614)
古厩 忠夫
価格: ¥735 (税込)
岩波書店(1997/09)
本書は、「太平洋側に比して日本海側が差別され、格差があるという実態は、実はここ100年余りの日本の近代化の中で歴史的に醸成され、蓄積されてきたもの」であるとして、「社会的格差を表現する概念」としての「裏日本」について論じたものです。
そして、裏日本と「表日本」の間に、ヒト・カネ・モノの移動システムが形成されていたとして、
(1)このシステムの形成・展開過程の分析
(2)「裏日本」に住む人々がこれをどのように観念し、どのように克服しようとしたかをたどる。
ことをテーマとしています。
第1章「どのように形成されたか」では、「産業革命は資本・労働力・エネルギー資源など、いわゆる資本の本源的蓄積を前提とする。植民地をまだ獲得していなかった日本にとっては、国内農村地帯からの蓄積が必要不可欠になる」として、「太平洋ベルト地帯と脊梁山脈を挟んで位置する裏日本は絶好の後背地と目され、ヒト・モノ・カネの移転システムが、表と裏の明確な対象性を見せつつ形成されていった」と述べています。
そして、「日本海側における資本主義化・工業化の遅れを人口面から示すものとして、まず都市形成の遅れをあげることができる」としたうえで、モノの移動システムとしては、一番に米を取り上げています。
第2章「自己イメージと『県民性』」では、「明確な形で裏日本意識が出てくる」段階として、新潟県では、明治29(1896)~31年にかけての「三年連続の大洪水であった」として、「この大洪水は、ヒト・モノ・カネの移転システムを通じての諸価値の流出の結果を、様々な形で洗い出した」と指摘しています
そして、「天災は往々にして地域の病理をあらわにする」として、
(1)治水問題
(2)社会問題
の2点を挙げています。
また、「国策の恩恵を受け、社会資本が整備され、ひたひたと押し寄せる産業化の波の中にあった太平洋ベルト地帯と異なり、裏日本の先駆者が同じ技術を獲得するために費やさなければならない苦労は大変なものだあった。ただし、その努力は目の前にある在来産業に向けられた」と述べています。
第3章「脱裏日本の道」では、昭和6年の上越線上野~新潟間の全通を、「北陸とりわけ新潟にとって、上越線の開通は様々な意味で象徴的な意味を持っていた」として、
(1)裏日本と表日本を断絶させていた「なんととほうもない重量」の脊梁山脈の土手腹に穴を開けたこと。
(2)東京~新潟は4時間短縮され、新潟を「裏日本の玄関口」とするうえで、実際以上のイメージ効果を発揮したこと。
の2点を挙げています。
そして、昭和7年1月5日・6日の『大阪毎日新聞』『東京日日新聞』に「日本海の湖水化 今や好機至る」と題する社説が載ったことを紹介したうえで、「満州国」建国が、「裏日本の人々に、大陸を含む新たな日本の勢力圏の中心部としての日本海、すなわち日本海湖水化をイメージさせた」と述べています。
また、「高度成長期は日本の有史以来最も人口移動が激しい時代であった」として、「1955年以降には離れた故郷を思う歌があふれた」と述べ、「地方農村から大都市への流入が激しくなった時代であるとともに、都市世界と農村世界の乖離がもっとも著しかった時代であり、東京と地方の別世界性が歌い込められている」としています。
さらに、列島改造論について、「矛盾だらけの産物であった」として、
(1)1960年代の所得倍増計画によって生じた問題の多くは急激な高度成長政策によるものであった。
(2)太平洋ベルト地帯=表日本の高度成長は、裏日本を始めとする地域の労働力や資源・市場を前提として、はじめて可能になったものであった。列島の「総表日本化」=「裏日本なき表日本化」はありえない。
(3)「基幹資源型産業」建設とは、石油コンビナート・原発・火力発電・石油備蓄基地など迷惑施設の建設であり、「工業再配置」とは、太平洋ベルト地帯を頂点とした全国的な工業体系、すなわち高度成長型「分業」体系、いいかえれば格差システムの形成に他ならなかった。
の3点を挙げています。
本書は、日本を大きく分ける「脊梁山脈」を挟んだ表日本と裏日本の関係を近代化の過程の中で読み解いた一冊です。
■ 個人的な視点から
実際に「裏日本」に暮らしたことがないので、県民性というかメンタリティとかはよく分からないですが、「越中強盗、加賀物乞い、越前詐欺」とかの物言いは面白かったです。
■ どんな人にオススメ?
・「裏日本」とは何かを理解したい人。
■ 関連しそうな本
阿部 恒久 『「裏日本」はいかにつくられたか』 2007年07月31日
大石 嘉一郎 『近代日本地方自治の歩み』 2007年06月12日
勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日
竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
■ 百夜百マンガ
「百億の男」の系統の男のロマン系の話ですが、それにしても最近のこの人の絵はいよいよスゴイことになってきてます。
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2009年06月20日
昆虫の誕生―一千万種への進化と分化
■ 書籍情報
【昆虫の誕生―一千万種への進化と分化】(#1612)
石川 良輔
価格: ¥714 (税込)
中央公論社(1996/10)
本書は、「昆虫全体を理解するために、体系的に解説した書物が見当たらない」という問題意識の元、「せめて昆虫の全ての目の特徴とその系統関係程度は一通り見渡せないものだろうか」という目的で書かれた、「昆虫をより広く知り、そしてさらに深く楽しむため」の一冊です。
第1章「エントマから昆虫へ」では、節足動物の分化が、「一度完成した体節制を再編成し、それぞれの場所の付属肢を用途に応じて特殊化させた」結果、「合体節を形成させた」と述べています。
また、「昆虫と多足類は外見からは近縁であるとはとても想像できないほど、異なっている」が、「触覚や口器ばかりでなく、昆虫では著しく退化している腹部の付属肢も多足類との相同性が推定され、この二群は共通祖先から陸上で分化した姉妹群と考えられる」と述べています。
第2章「昆虫という生きもの」では、「日常の生活でわれわれが目にする昆虫は、現実に身のまわりにいるもののごく一部に過ぎない」として、「ほとんどの昆虫は意外に小さい」と述べています。
そして、「昆虫の翅は取りやコウモリの翼とはまったく違った構造の器官である」として、「中胸背板と後胸背板の横の部分の表皮が延長してできた膜質の袋状構造物で、その間に翅脈が挟まっている」と述べ、「その構造は羽の運動と深く関わって」いると述べています。
また、「もっとも高等な昆虫類」として、「内翅類(完全変態類)」を挙げ、「成虫とまったく異なった形の幼虫が接触しない蛹を経て成虫になる」という「完全変態」について、不完全変態との「もっとも大きな違いは幼虫と成虫の間に蛹という時期があること」だとして、「成熟した幼虫は脱皮をして蛹になるが、蛹は食物をとらないだけでなく、ほとんど動かない。だが、その体内では急速に幼虫の筋肉が分解されて成虫の筋肉が形成され、また機能していなかった幼虫の器官から成虫の器官が再形成される」と述べています。
さらに、「人を好むヒトノミはほとんど見られなくなり、ヒトノミに『食われた』経験のある人は老人になりつつある」として、「今ではイヌノミやネコノミなどペットにつくノミの被害にあうことが多いらしい」と述べています。
第3章「昆虫の多様化」では、「昆虫の多様化は翅と口器の変化、特殊化に非常に大きく関わっていることが分かる」として、「昆虫の、全動物の中でもずば抜けた繁栄は翅の発達から始まる」と述べ、「移動器官として発達した昆虫の翅は、その本来の機能によって行動範囲を広げ、分布を拡大し、また適当な生息環境を探すのに非常に効果的であった」と述べています。
そして、「全動物の主の3分の1以上を占める甲虫目は、体全体を硬い皮膚で覆い、前翅まで鎧の一部にしてしまった昆虫である」が、「運動の自由をいささかも失ってはいない。しかも、後翅は飛翔器官としての器官を損なわずに、折りたたんで硬い前翅の下に隠してしまった。加えて、基本的に咀嚼型の口器はあらゆる食性への適応を可能にした」と述べ、「こうしてできあがったコンパクトな体で、甲虫は南極以外の全ての陸地で繁栄を続けている」と述べています。
本書は、地球上で圧倒的な繁栄を続けている昆虫の全体像をつかむ手がかりを与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
子どものころは、クラスに一人は「昆虫博士」がいましたが、大人になっても昆虫好きな人はどういう活動をしてるのでしょうか。見かけないので気になります。
■ どんな人にオススメ?
・虫好きな人
■ 関連しそうな本
安富 和男 『虫たちの生き残り戦略』
水波 誠 『昆虫―驚異の微小脳』
■ 百夜百音
【シングルVクリップス】 ミニモニ。 オリジナル盤発売: 2004
今ではカリスマ主婦の人もいるのですが、それにしてもジャンケンピョンを作った人は天才です。
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0) 【その他科学】

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