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2006年07月13日

「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う

■ 書籍情報

「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う   【「学級」の歴史学―自明視された空間を疑う】

  柳 治男
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2005/03)

 本書は、「自明視されてまったく問われることがなくなってしまった学級制が、どのように現代の学校の中に入り込んできたのかを明らかにする」ために、「そもそも学校とはどのような組織としてできあがったのか」を問うことを課題とし、この作業を通じて、「学校にとっての学級制、されには児童・生徒にとっての『学級』の意味を明らかに」することを目的としたものです。著者は、不登校や「学級崩壊」などの問題の議論の中で、「そもそも学級はなぜ存在するのか」、「学級の秩序はなぜ保たれているのか」、そして「学級がどのような場であるか」という疑問が議論されていないことを指摘し、この問題提起の理由として、「中世までの学校に『学級』が存在しない」ことを挙げ、「明らかに『学級』とは近代の学校に特有の組織である」と指摘しています。
 著者は、学級と類似した集団として、パックツアーを挙げ、その共通点として、制御工学的に、「フィードフォワード・コントロール(事前制御)」という同じ仕組みからなる集団であることを指摘しています。また、日本の「学級」がもつ特異性として、
(1)一斉教授方式が中心である。
(2)単に教授活動の場ではなく、班活動、委員会活動が組み込まれた生活共同体的性格を持つ。
(3)教師と生徒の間に「一生続くような情的な絆に結ばれた師弟関係」が生まれることがある。
の3点を挙げています。
 著者は、教育史を紐解いて、中世の学校には「学級」が存在せず、「もともと生徒を年齢や能力で分けるという発想がなかった」と述べています。そして、学級の萌芽として、19世紀初頭の英国でJ.ランカスターによって作られた学校で採用された、モニターと呼ばれる生徒が、他の生徒に3R's(reading, writing, arithmetic)という「読み書き計算」を教えるモニトリアル・システムを紹介しています。このシステムは、後に「内外学校協会」という組織に発展し、学校運営の基本方針やマニュアルが作成され、イギリス全土に同一のシステムとして駆動する学校網を張り巡らせましたが、このシステムの限界として、
(1)次々に取り込まれた3R's以外の多様な教科や宗教教育・道徳教育を教えることはモニターでは無理であった。
(2)一つの教場内に多くのクラスが存在し、同時並行的に授業が行われることから生じる騒音問題。
(3)規律と権威のみによる秩序の下では、生徒の授業への関心を維持することが困難であった。
の3つの問題が生じたことが述べられています。
 この当時、就労で乳児を育てる暇のない母親のために作られた「幼児学校(infant school)」において、ギャラリー方式という新たな教授法が開発されるとともに、今日の階段教室に似た新たな教場編成原理が登場します。この方式によって、「一人の教師が多くの生徒と向かい合う、対面方式の教授場面」が初めて成立します。この一斉教授は、生徒の相互作用が強調され、集団編成原理としての年齢的均質化が促したことが述べられています。
 この後、1862年の「改正教育令」によって制定された「スタンダード」で教育内容が3R'sに絞り込まれるとともに、6段階からなるカリキュラムと6年間の修学期間が設定され、今日の学年学級制が誕生します。教育史家のサイモンは、このことについて、「基礎学校はその組織について限定的な形式をおしつけられた。可能なところでは、その子どもたちがすべて毎年進級することをねらって、学級が余儀なく標準に合わせて編成され、そこで学級は標準一、標準にというように示された」と述べています。
 著者はこの一方で、19世紀に存在した、地域に開かれた労働者階級のための零細経営の私設学校が、「デーム・スクール」、「インフェリオー・スクール」、「コモン・デイスクール」、「アドベンチャー・スクール」等の蔑称で呼ばれていたことを紹介し、「現代の義務教育制度として教育を独占してしまった学級の背後には、弾圧され、排除された『地域に根ざす学校』、あるいは『生活に根ざす学校』が存在していることを、忘れてはならない」と述べています。
 著者は、こうして完成した「学級」を、「生徒にとっては、疎外に満ち満ちた世界である」として、
(1)多面的・全体的存在である子どもが、ひたすら学習活動をすることのみに自己の行動を限定され、他の多くの活動を制限される。
(2)彼らの意思を無視して、機械的リズムで動く装置である。
(3)学校という組織のリズムに従うことは、学校の権威的秩序に従うこと、生徒が教師の命令に服従することを意味する。
の3点を挙げています。
 そして、このようにできた学校が、
(1)チェーン・システムを作り上げる(脆弱ではあるが)需要供給関係が存在する。
(2)この脆弱性を補うべく、利他的に教師が生徒の幸福のために自己抑制を強化する司牧関係(宗教的関係)が存在する。
の2つの原理が貫いた特異な組織であることを指摘しています。
 この他本書では、日本の学校制度の成立過程を追い、「学級が共同体的な感覚で受容され、そしてまた二項対立的な教育言説によって、『良い教育』と『悪い教育』という論争が過熱してしまった結果、学校ができることとできないことの峻別がまったくなされなくなって」しまい、「ハードウェアとしての学校の特性なり限界なりを冷静に見る目は完全に閉ざされてしまった」ことを指摘しています。
 著者は、これらを踏まえ、
(1)学校問題を簡単に教育問題ということはできず、むしろ、合理化に関連して生じた問題であり、大量の人間を働かせたり、顧客として組み込んでいる組織において生じた問題である。
(2)学校で生じる問題は、「心の問題」ではなく、事前制御という自己抑制作用に求められていかなければならない。
という点を指摘した上で、「学級制は多様な学習形態の中の一つに過ぎない」という基本的な姿勢を明確にすべきことを主張しています。


■ 個人的な視点から

 これまでまったく疑問に感じていなかった、年齢別に編成した「学年」、一人の教師が多人数にいっせいに教授する方式、そして効率のために区切られた「学級」など、現在私たちが「学校」としてイメージするものが、国家財政危機の中でやむなく取り入れられた間に合わせの結果であることを知って衝撃を受けました。
 埼玉県の志木市等で進められている少人数学級なども、あくまで既存の「学級」からの改善なのですが、「教育の原点に立ち返る」という言葉が、人によって様々であることを教えてくれる一冊です。
 現在の「学級」のルーツを知ってしまうと、学級崩壊が起きるようになったのは子どもたちがおかしくなったからではなく、効率のために人工的に作られた「学級」が壊れやすいトランプ・タワーだったからなのではないかと考えてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・「学級」を当たり前のものだと考えている人。


■ 関連しそうな本

 苅谷 剛彦, 志水 宏吉 (編集) 『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』 2006年07月04日
 苅谷 剛彦, 西 研 『考えあう技術』 2006年06月30日
 広田 照幸 『教育不信と教育依存の時代』
 穂坂 邦夫 『教育委員会廃止論』 2006年01月26日
 穂坂 邦夫 『どの子も一番になれる―本当の学力とは何か』
 藤田 英典 『義務教育を問いなおす』


■ 百夜百マンガ

春美120%【春美120% 】

 有名な武道家兄弟の末っ子にしてこれといった取りえ無しの主人公が120%を発揮するのは何だったのか・・・?
 ドカベンでいえば柔道編で終わってしまったようなものです。

投稿者 tozaki : 2006年07月13日 07:00

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