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2006年08月28日
孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生
■ 書籍情報
ロバート・D. パットナム
価格: ¥7140 (税込)
柏書房(2006/04)
本書は、『哲学する民主主義』でイタリアにおける社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の蓄積を分析した著者が、「米国コミュニティにおける市民・社会生活に、続いて一体何が起こったのか」をテーマに、米国社会の変化を社会関係資本の観点から分析したものです。
著者は、「一般的互酬性によって特徴づけられた社会は、不振渦巻く社会よりも効率がよい。それは、貨幣の方が、物々交換よりも効果的であるのと同じ理由である」として、「人々の多用な集合の間で頻繁な相互作用が行われると、一般的互酬性の規範が形成される傾向がある」と述べ、市民参加と社会関係資本が相互義務と行為への責任を内包していることを指摘しています。また、社会関係資本の形式の次元の中で、最も重要なものとして、
・橋渡し(包含)型(ブリッジング):外部資源との連繋や、情報伝播において優れている。
・結束(排他)型(ボンディング):メンバーの選択・必要性によって、内向きの志向を持ち、排他的なアイデンティティと等質な集団を強化していくもの。
の2つを挙げ、「結束型社会資本が、社会学的な強力接着剤なら、橋渡し型社会関係資本は社会学的な潤滑在である」と述べています。
著者は、ローカルリーグのボウリングを通じて知り合うような「小さな部分においても――そしてもっと大きな部分においても――われわれ米国人は、互いを再び結び付けあわなければならない」と主張しています。
第2部「市民参加と社会関係資本における変化」では、「世代変化」が、
(1)多くの人々が自分の趣味や習慣を一つの方向に同時に変化させる。
(2)異なる世代が異なる趣味や習慣を持てば、生と死の社会生理により、個人が何の変化をせずとも結局は社会が変化する。
という2つのプロセスの組合せによって作り出されていることが述べられています。
市民的、政治的参加パターンの変化としては、「ほぼ全ての形態のコミュニティ関与は、最もありふれた陳情署名から最も希な議員立候補に至るまで大きく低下した」こと、「委員を務めるというような『協同』的な形をとる行動が、手紙を書くといった『表現』的な形の行動よりも急速に低下したことが述べられています。
市民参加に関しては、「この四半世紀の間に、自発的結社の数はおおよそ3倍になったが、平均会員数の数はおおよそ10分の1となっているように見える」こと、個人会員が所属し会費を納入するような郵送名簿組織のある巨大会員組織を、社会的なつながりという観点からは古典的な「二次集団」とは大きく異なる「三次手段」と名づける必要があること、1960年代初頭に18歳以下の子どもを持つ家庭100当たりの会員数が50近くにまで達した「父母と教師の会」(PTA)の会員数が20世紀の終わりには100当たり20以下にまで落ち込んだことなどが紹介されています。著者は、「多くの米国人が、自分はさまざまな組織の『メンバー』であると自称し続けているが、しかしほとんどの者はコミュニティ組織にもはや多くの時間を割かなくなっている」と指摘しています。
宗教参加に関しては、
(1)今日における宗教は、これまで伝統的にそうであったように、米国におけるコミュニティ生活とその健全性における中心の源泉であった。
(2)20世紀を通じた宗教参加の広範な変動は、世俗的な市民生活の傾向と鏡写しになっていて、世俗生活と同様に、強い形態の関与の方が近年の減少が大きい。
(3)この時期を通じた米国人の宗教生活は、動的で労力を要する宗派が、より世俗的な形態に取って代わろうと押し寄せるという歴史的にはよくあるドラマの再現であり、宗教生活におけるこの傾向は、世俗的コミュニティにおける社会的つながりに見られる不吉な現象を強化している。
の3点を指摘しています。
職場でのつながりに関しては、「現代米国社会の多くは、予測不可能な昇進と賃金の伸びに特徴づけられた、安定した雇用関係の上に築かれてきた。住宅所有や子どもの大学教育のような長期の個人投資、コミュニティの絆とそればもたらす安定性、職場外における生活の質といったものは全て、仕事のリスクと不確実性が減少されることによって拡大してきた」というピーター・キャペリの言葉を引用しながら、これら全てが仕事上の「新たな取り決め(ニューディール)」によって浸食されつつあると述べています。
インフォーマルな社会的なつながりについては、
・マッハー(macher、大立者・中心人物):フォーマルな組織に多くの時間を費やす男女。
・シュムーザー(schmoozer、おしゃべり・口達者):インフォーマルな会話や進行に多くの時間を使う者。
というイディッシュ語の2つの言葉を取り上げ、この区別が、「米国人の社会生活における重要なリアリティを反映している」と述べています。そして、米国人が、「以前と比べて友人や隣人と過ごす時間を大きく減らしている」ことを指摘しています。また、ボウリングが米国で最も人気のある競技スポーツである一方で、リーグボウリングが過去10~15年で急激に落ち込んだことに着目し、この長期傾向が、「すでに検討した他の形態の社会関係資本で見られた傾向と正確に対応している」ことを指摘しています。
社会関係資本の中心指標とも考えられる「他者を助けようとする対応態勢」である愛他主義、ボランティア、慈善活動に関しては、慈善活動の「加入者」は「非加入者」と比べて時間的、金銭的な寛大さが10倍近いこと、ボランティア活動はさらなるボランティア活動を促進することが述べられています。また、市民参加低下の潮流に逆らって増加している新たなボランティアのほとんど全部は60代以上の高齢者に集中していることを指摘し、その理由として、高齢者の健康と懐具合が過去数十年に顕著に改善され、退職後の生活をより長く積極的に送ることが可能になるとともに、1910年から1940年の間に生まれたこの年代が、「人生の中で市民的問題により深くかかわってきた」ことを挙げています。
互酬性、誠実性、信頼に関しては、「一般互酬性はコミュニティの資産であるが、一般的な騙されやすさはそうではない」ことを指摘し、単なる信頼ではなく、信頼性が鍵となる要因になっていることを述べています。
第2部の最終章では、全米国人の40%が、「定期的に会合を持ち、参加者へのサポートやケアを提供している小集団に現在関わっている」ことが紹介されています。また、社会運動と社会関係資本が非常に密接に結びついていて、社会的ネットワークが運動を組織するものにとって最中心となる資源である一方で、社会運動は新たなアイデンティティをもたらし社会的ネットワークを拡張することによって社会関係資本を創出することが述べられています。ただし、ダイレクトメールによってリクルートされた会員は組織的コミットメントが低く、1985年から1990年の間に会員数を3倍にしたグリーンピースが、続く8年間で85%の会員を失ったという事実が紹介されています。最後に、インターネットは、物理的に離れた人々の間における情報伝達ツールである反面、そういった情報の流れそれ自体が社会関係資本と、正真正銘のコミュニティを育みうるのか、という難問を抱えていることが指摘されています。
第3部「なぜ?」では、1960年代と70年代に始まり、80年代と90年代に加速化した、「米国のコミュニティの解きほぐし」がなぜ起こったのか、という謎が、米国民主主義の未来にとって一定の重要性を有していると述べています。
著者は、コミュニティ問題からのドロップアウト傾向の背後にいる、「最も明らかな容疑者」として、多忙さの拡大を挙げるとともに、問題の現況は、単純に過重労働ではないかとしています。ただし、余暇時間全体としては、「過去30年間には、市民参加の低下を説明するような自由時間の現象は一般に見られない」としながらも、この「自由時間」は、
(1)細切れの時間や、早期退職を余儀なくされた高齢者に対しての非自発的な固まりであること。
(2)教育水準の低い者が自由時間を得る一方で、大卒者の方はその大半がそれを失っていること。
(3)共働き家庭が一般化し、以前よりも労働に費やす時間が増加していること。
の3点の特徴を持つことを指摘しています。そして、「米国のコミュニティ参加を増加させる実践的な方法の一つ」として、「女性が(そして男性も)望んだ時にはパートタイムで働くことを容易にすること」を挙げています。
また、郊外に増加した「共有権益(コモン・インタレスト)開発」と「ゲート付きコミュニティ」においては、「コミュニティの社会的等質性が増加すると、政治的関与のレベルが低下する」ことを紹介するとともに、車と通勤によるコミュニティ生活への悪影響として、「通勤時間が1日当たり10分増加するごとに、コミュニティ問題への関与が10%失われる」ことを指摘しています。
テクノロジーとマスメディアによってもたらされた20世紀にわたる変容に関しては、
(1)ニュースと娯楽はますます個人化されていった。
(2)電子技術はこの、オーダーメイドで専用に誂えたような娯楽を、プライベートに消費することを可能にした。
の2つの問題点を挙げています。テレビに関しては、1965年から95年までの30年間に増加した週当たり6時間の余暇時間のほとんどがテレビ視聴に費やされたことを、「テレビは余暇時間の中の巨大な存在(800ポンドゴリラ)である」という言葉を紹介しています。そして、テレビが市民参加を減少させるプロセスとして、
・テレビが限られた時間を競い合う。
・テレビには、社会参加を抑制する心理的影響がある。
・特定のテレビ番組内容が、市民的動機付けを弱める。
の3つの仮説を立てて検討しています。
年齢の問題に関しては、「最近の世代に見られる社会的孤立と市民参加の低下という厳然たる構図」に対抗する重要な事実として、「過去10年間に、若者の間でボランティア活動とコミュニティ奉仕の増加が見られる」ことを挙げるとともに、世代的遷移は「われわれのストーリーにおける重大な要素」としながらも、「それが市民的、社会的参加の全ての形態に対して等しく協力に寄与しているわけではない」ことを指摘しています。そして、「20世紀後半の3分の1を通じた米国における市民参加の低下はその多くが、著しく市民的な世代が、コミュニティ生活への組み込まれ方の少ない数世代(その子や孫)によって置き換わったことに起因する」とまとめています。
第4部「それで?」では、社会関係資本が持つ、人々の願望を現実へ変換するのを助ける特性として、
(1)社会関係資本は、市民が集合的問題解決をより容易にすることを可能とする。
(2)社会関係資本は、コミュニティがスムーズに進むための潤滑油となる。
(3)自らの運命がたくさんのつながりを持っている、ということへの気づきを広げることで人々の取り分を増やす。
の3点を挙げています。
著者は、「社会関係資本が人々を賢く、健康で、安全、豊かにし、そして公正で安定した民主主義を可能にするという証拠」として、米国各州における社会関係資本を・コミュニティ組織生活の指標
・公的問題への参加の指標
・コミュニティボランティア活動の指標
・インフォーマルな社交性の指標
・社会的信頼の指標
の項目で測定しています。その結果は天気図のような形で地図化され、
・「高気圧」ゾーン:ミシシッピ、ミズーリ川の上流を中心として、東西にカナダ国境に沿って広がっている。
・「低気圧」エリア:ミシシッピデルタを中心とし、かつての南部連合を貫いて同心円状に広がっている。
と表されています。著者はこの図を眺めて浮かび上がってくる「このような違いはどこから来たのだろうか?」という疑問に関して、少なくとも部分的には入植のパターンが影響していることを理由に挙げ、さらに、19世紀前半における奴隷制との間の空間的相関として、「当時の奴隷制度が過酷なものであるほど、週における今日の市民性が低い」と指摘しています。
また、教育と児童福祉における社会関係資本の重要性については、東海岸のノースカロライナ州とコネチカット州とを比較しながら、「近隣、コミュニティレベルの社会関係資本は子どもの学びに明らかな影響を与える」とともに、「家族内の社会関係資本もまた若年期の発達に強く影響する」ことを解説しています。
治安に関しては、ロバート・J・サンプソンによる、「(a)匿名性が高く、住民同士での顔見知りのネットワークが希薄で、(b)ティーンエイジャーの仲間グループに目が行き届かず、公共空間のコントロールが弱体化しており、(c)組織的基盤が弱く、地域活動への社会参加が低い、といった特徴のあるコミュニティは、犯罪と暴力のリスク増加に直面する」という実証研究を紹介しています。
さらに、経済的繁栄に関して、社会的ネットワークの経済的価値が、持たざるもののために限られているわけではない例として、「ビジネス・エグゼクティブの回転式名刺入(ロールデックス)に収められた社会的、組織的つながりが、職業上の成功度合いの決定要因として、その教育水準や経験に劣らぬほど重要である」という研究を紹介しています。また、シリコンバレーの経済的奇跡の根本には、「この地区の創業間もない企業の間で発達した、インフォーマルな、そしてフォーマルな協力の水平的ネットワークにその多くを負っている」ことが述べられています。
健康と社会関係資本の関係に関しては、「社会的なつながりのない人々は、それに対応された人々で家族、友人、そしてコミュニティと密接なつながりのあるものと比べたときに、あらゆる原因について2~5倍の確率で死亡しやすい」という米国、スカンジナビア、日本で行われた研究を紹介しています。
民主主義に関しては、『哲学する民主主義』で取り扱ったイタリアの地方政府に関する研究が紹介されているほか、米国の各種を比較した結果として、「社会関係資本が納税遵守を予測することに成功した唯一の要因であった」ことが述べられています。
一方で、社会関係資本の「暗黒面(ダークサイド)」としては、組織的連帯の低下の裏には、個人的自由の上昇という「利得(ゲイン)」が存在していること、学校統合にともなう「強制バス通学」のようなケースは、橋渡し型と結束型の社会関係資本との間のトレードオフを提示していることなどが述べられています。
第5部「何がなされるべきか?」では、歴史からの教訓として、19世紀最後の数十年に、組織構築のブームが存在し、コレラの初期的な土台の上に、10世紀末から20世紀初頭にかけて、市民組織の巨大な新しい構造が構築されたこと、この時期の組織急増の最も顕著な例が友愛グループであること、そして、「社会関係資本への投資は、政治的動員と改革にとってその代替物ではなく、前提条件だということ」が述べられています。
最終章「社会関係資本主義者(ソーシャル・キャピタリスト)の課題に向けて」では、社会関係資本を生み出すことは容易いことではない、とした上で、「集合的、個人的主導の双方を通じて、21世紀に向けて米国コミュニティを再興させること」を課題に設定しています。そして、
・米国の親、教育者、ヤングアダルト
・米国の雇用者、労働組合のリーダー、政府関係者及び被雇用者自身
・国内の都市、地域プランナー、開発業者、コミュニティ組織者、住宅購入者
・米国の聖職者、世俗のリーダー、進学者、一般の信徒
・米国メディア界の重鎮、ジャーナリスト、インターネット上の指導者(グル)
・米国の芸術家、文化組織のリーダーや出資者
・米国の政府関係者、政治コンサルタント、政治家、同胞たる市民
のそれぞれに対し、社会関係資本の再興を訴えています。
本書は、社会関係資本の重要性を認識している人はもちろん、地域社会の変化に不安を感じている人にとってヒントを与えてくれる一冊ではないかと思います。
■ 個人的な視点から
本書の少し変わったタイトルは、著者の同僚のジャック・ドナヒューがつぶやいた「米国人は『孤独なボウリング』をしているようだ」という言葉にちなんでいます。『哲学する民主主義』を読んだ人にとっては待望の翻訳だと思いますが、本書が初めてという人にとっては、7140円という価格と、700ページ近い分厚さは相当の障壁になるのではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・コミュニティの弱体化を感じている人。
■ 関連しそうな本
ロバート・D. パットナム (著), 河田 潤一 (翻訳) 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』 2005年03月03日
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ドン コーエン (著), ローレンス プルサック (著), 沢崎 冬日 (翻訳) 『人と人の「つながり」に投資する企業―ソーシャル・キャピタルが信頼を育む』 38705
R. アクセルロッド (著), 松田 裕之 (翻訳) 『つきあい方の科学―バクテリアから国際関係まで』 38706
金子 郁容 『新版 コミュニティ・ソリューション―ボランタリーな問題解決に向けて』 38693
■ 百夜百マンガ
少年チャンピオン全盛期を支えた看板作品であると同時に、ギャグ漫画家のはかなさを教えてくれる作品です。コンスタントにギャグマンガを描き続けることの難しさは、アイドル歌手が生き残るのと同じくらいではないでしょうか。
投稿者 tozaki : 2006年08月28日 07:00
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