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2006年09月18日
数学は科学の女王にして奴隷 1
■ 書籍情報
E・T・ベル
価格: ¥840 (税込)
早川書房(2004/9/23)
本書は、純粋数学と応用数学について、「数学者でない多数の読者」に対して、彼らが昔教わった初等数学の、「その先はどうなっているのかと好奇心をもち、数学の総体を解剖せずその精神を求めたい」という欲求に答えてくれるものです。著者は、「数学の巨大な蓄積から話題を選んでお話しする」ことで、「少なくとも数学が生き生きとした生命をもち、成長の過程にあるということ、また科学・技術のある部門の理解に不可欠であることを感じ取っていただけることと信ずる」と述べています。そして本書は、「純粋数学であれ応用数学であれ、その主題についての教科書や論文の代用品を意図したものでは」なく、「本書を読んで数学づいた学生」がデカルトが23歳のとき夢を見た後でしたように「どの生き方に従おうか?」と自問することもあるのではないかと期待すると述べています。
第1章「さまざまな観点」の冒頭には、本書のタイトルの由来にもなっているガウスの言葉、
「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である。女王はしばしばへり下って天文学や他の自然科学に奉仕するが、最上席は常にこの女王のものである」
を引用しています。そして、リーマンの幾何学、ケイリー、シルベスターらの不変式論、ストゥルム、リウーヴィルによる境界値問題などの、現代物理学に影響を与えた数学者たちが、「科学への稔り豊かな応用を期待して純粋数学を追及したのでは」なく、「対象性、単純性、一般性に対する感覚と、うまく表現できないが、事物の合目的性とでもいうべき状態に意識だけに導かれ、科学・技術に直接役立つというよりも、数学そのものの美に霊感を受ける場合が多い」ことを述べています。
また、数学が19世紀初めから黄金時代に入り、それ以来「数学的知識は多いに増加し」、「現代数学の四主要分科のうち二つ以上についてアマチュアの域を脱した知識をもつと自負する人は、意でもごくわずかであろう」ことが述べられています。著者は、「もし数理物理学を、数学の王国の一県に加えるならば、近代数学の全領域を詳細に専門家の水準で理解するためには、20人以上の才能豊かな人々が一生涯勉強しなければならないだろう」と述べています。そして、「受けた数学教育が高校止まりまたは大学1年止まりの人々にとって、この点だけがわずかな慰めで」あり、「相対的に見てこの人々は、最新号の数学雑誌のページを繰ったり、学会に出席したりする大多数の数学者に比べてそれほど劣ってはいない」と読者に対するフォローを入れています。
著者は、「米国の一流高校に学ぶ生徒が授業科目を全部とった場合に、彼が習得する数学がどの種類のものか」について、
・幾何:実際にはユークリッド幾何学であり、ある種の技師たちには十分だが、現代物理学のおもな関心事ではなく、数学者の宇宙像はこれをはるかに超えたところまで行っている。
・代数:幾何よりもいくらかましで、高水準な生徒はパスカルが発見した指数が正整数の場合の二項定理を習得するが、代数が本当におもしろくなる部分は、パスカル没後150年以上後に発見された部分である。
・整数論:優秀校の卒業生でもまったく何も教わっていないが、整数論の分野の最も驚くべき結果の中には、高校で1年間も訓練すれば誰でも理解できるものが多い。
・解析幾何学と微積分学:高水準の数学過程を習得した生徒でさえこれを教わったものは一人もいない。
とそれぞれ解説しています。そして、「標準的な四年生大学課程の数学科の普通の卒業生が、一般に現代数学精神を把握しそこなっている一つの理由」として、古今未曾有の数学的天才アーベルが、6、7年の研究生活の間に、「アーベルは数学者に、優に500年分の研究の種を残してくれた」と言われるほどの成果を挙げられた理由として、「大家の仕事を研究したからだ。亜流にはかまわなかったからだ」と答えていることを挙げ、「数学のひからびた骨よりも、その生きた精神を理解するためには、大家の著作に直接当たってみなければならない。教科書や解説は必要悪なのである」と述べています。
著者は、19世紀半ば以降の数学的精神を「一般性の拡大と自己批判の深化」であると要約し、数学者が「知識の巨大な統一的体系の建設者となり、個々の定理は壮大な理論構造に組み込まれるようになった」ことが、「現在行われている数学と17世紀初めまでの大数学者のなした仕事との根本的な相違点」であると述べています。
第2章「数学的真理」では、ラッセルによる数学の定義、「数学とは、対象そのものを知らずに論じ、論じていることが真かどうかわからない学問であると定義できよう」について、
(1)常識の「うぬぼれ」を叩き壊すこと。
(2)数学の完全な抽象性を強調していること。
(3)このわずかな言葉によって、科学全体を公理的形式に帰着させ、問題の論点を透明に認識できるようにする、という1890年代この方の数学の主要な狙いの一つを端的に示していること。
(4)数学は数と量と測定の科学であるという思想をさす、という、ぐらつきつつある伝統に、轟きわたる弔砲を放ったこと。
の4つの利点があることを述べています。
第3章「束縛を破る」では、ユークリッド幾何学が、ロバチェフスキー幾何学やリーマン幾何学より好んで選ばれる理由を、2300年もの間学校で教えられているように、「この幾何学が3つの中でもっとも学びやすい」ことであると述べています。また、数学の理論(代数学、幾何学、その他)を構成する公準的方法が、19世紀末から20世紀所期までの数学へのおもな寄与の一つであったことが述べられています。
第6章「大樹も一個の種子から」では、「数学における、深遠な発見のもっとも豊かな源泉」が、「古いことがらを新しい立場から見直すこと」であり、何世紀も前から知られていたある特殊な事実を、新しい角度から一瞥し、この最初の直感の閃きから、次から次へと発見、展開が行われた例として、「群と不変式の概念」が解説されています。
第7章「絵で考える」では、1900年代の初めごろには、市況報告などの一見して理解できるグラフが、「高等教育を受けた人にとってさえ、ありふれたものではなく」、ウェルズが立てた「全初等教育にグラフの読み方の教育を義務づける」という社会教育計画によって、「無邪気な子供たちは誰でも、算数の本を開くとかならずひょいひょいと上り下りする降雨量の季節グラフや、くねくねとした潮の満干グラフにお目にかかることになった」ことが述べられています。
本書は、純粋数学の教科書として期待する人には、まったく役に立たないものではないかと思いますが、読み物として、数学の深遠な世界に触れたい、という人にとっては好奇心を大変刺激する一冊ではないかと思います。
■ 個人的な視点から
本書の第8章には、その当時の未解決の問題として、整数論におけるフェルマーの最終定理と、位相幾何学における四色問題が取り上げられています。本書が出版されたのが1951年、著者が亡くなったのが1960年、アッペルとハーケンによって四色問題が証明されたのが1976年、ワイルズによってフェルマーの最終定理が証明されたのが1994年です。その意味では相当古臭い本なのですが、知己的好奇心をくすぐるという意味では、まったく新奇な読み物として読むことができると思います。
■ どんな人にオススメ?
・高校までの数学の先にあるものを覗いてみたい人
■ 関連しそうな本
E・T・ベル 『数学は科学の女王にして奴隷〈2〉科学の下働きもまた楽しからずや』
ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
ブライアン バターワース (著), 藤井 留美 (翻訳) 『なぜ数学が「得意な人」と「苦手な人」がいるのか』 2005年11月13日
グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日
ロビン・ウィルソン 『四色問題』 2006年07月18日
■ 百夜百音
【AWAKE】 L'Arc~en~Ciel オリジナル盤発売: 2005
数字と言えば、Wikipediaに書いてはいけない数字というのがあるらしく、156うわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp
というのがあるそうです。
『李博士(イ・パクサ)のポンチャックで身長が5cm伸びた!』
投稿者 tozaki : 2006年09月18日 19:00
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