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2006年09月25日
大臣
■ 書籍情報
菅 直人
価格: ¥672 (税込)
岩波書店(1998/06)
本書は、1996年1月から11月まで、自社さ連立政権において橋本内閣の厚生大臣を務めた著者が、「大臣とは何か」を、自らの在任300日を振り返りながら自問しているものです。著者は、多くの大臣が、「大臣は国民に選ばれた」という意識が薄く、「あくまで直接の任命者である『総理大臣』という意識」にあることを指摘し、市長や県知事には「市民の代表なのだ」という意識が強く、その意思が比較的とおりやすいのに対し、「国の行政機関のトップである各大臣と官僚の関係では、官僚のほうに政策意思決定権がいつのまにか移行している」ことを述べています。そして、その端的な理由として1年足らずで交替するという在任期間の短さを挙げ、本書では丸々1章を割いてこの問題を論じています。
第1章「議院内閣制における大臣」では、国会は単なる「立法府」ではなく、「同時に内閣総理大臣を決める機関」でもあり、「主権者である国民を代表する機関で、国民に代わって総理大臣を決める権限を与えられており、その意味で、国会は国の最高機関なのである」と主張しています。そして、この論点に関して、当時の橋本総理から、「憲法第41条において、国会は国権の最高機関である、そう規定されております。国会が、主権者である国民によって直接選挙をされたその議員から成っております国民の代表機関、こうした位置づけでありますから、国家機関の中で、なんといいましても一番主権者に近い、しかも最も高い地位にあるにふさわしい、そういう趣旨を当然のことながらこれはあらわしていると思います」という答弁を引き出したことを紹介し、これが、「三権分立の立場から国会は行政に一定以上口を出すべきでないとする、霞が関の長年の主張が崩れたことを意味する」と述べています。
また、現状認識として、現行憲法の内閣が"国会内閣制"であるにもかかわらず、実質的には"補佐役"である官僚にコントロールされる"官僚内閣制"になっていることを指摘しています。著者はこの理由を歴史に求め、「明治以来の伝統的な官僚法学」が、「まず最初に『国家観念』をつく」り、「国家に主権があり、その下で、この部分は議会に権限を、この部分は裁判所の権限だ、と権限を分け与えてある」と主張し、「国家作用のうちから立法作用と司法作用を除いた残りの作用」が「行政権」であると考えることで、官僚が自分を守っていること、「まず国家があって国家が国民を統治するという前提」に立っていることを指摘しています。
そして、内閣の事務実務が、各省庁から出向した霞が関に官僚らによって取り仕切られており、「首相官邸もまた霞が関官僚の植民地になっている」ことを指摘し、閣議が実質上「サイン会」と化している現状を、「閣議決定をするには、その案件ごとに、総理以下の大臣が署名しなければならない。そのために書類が回ってくるので、それに署名するのに忙しいのだ。多い日は何十という案件がある」ので、「いちいち中身をチェックすることもできない。ましてや、その内容をしっかり読んで確認するなど、とても不可能だ」と述べています。
第2章「大臣の任期から考える」では、自民党が、「衆議院議員の選挙で6回当選しさえすれば、誰でも大臣になれる」という慣例を作り上げたとして、この「誰でも」の例外は、浜田幸一氏くらいしか近年例がないことが述べられています。また、過去の政治経歴において、「一貫して非自民政権を作らなければと主張」してきた自分が、田中派の流れを汲む橋本内閣に入閣することに対する迷いがあったことを述べています。
また著者は、大臣になった直後に、部下になる官僚から「このたびは、おめでとうございます」と挨拶されたことに対して違和感を述べています。さらに、組閣当日の就任記者会見では、まだ何も分からない状況で官僚の用意したペーパーを読まされ、官僚に言質をとられることになるので、就任直後の記者会見は廃止すべきであると主張しています。
第3章「大臣三百日で見えたもの」では、就任後に行われる「大臣レク」について、「一般の企業で、新しく就任した社長が役員や管理職を呼んで最初の会議をするとなれば、まず社長のほうから、どういう方針で会社を経営していくのか、その方針が提示され、それに対して、他の役員なり管理職から質問や意見が出されるのが普通だと思うが、役所はその逆なのである」と、官僚が決めている方針を説明されることへの違和感を示しています。そして、薬害エイズ問題について、著者が自ら作成した調査の基本方針をまとめた文書を官僚に示したところ、「過去に、彼らが大臣から文書の形で指示を受けたことはなかった」ために、大変驚いていたという逸話が紹介されています。
また、薬害エイズ事件で、著者が厚生大臣として謝罪したことに関しては、著者個人ではなく、政治家による連立与党内のワーキングチームが、「薬害エイズ問題の全面和解に向けて」という文書をまとめ、行政を動かしたことが述べられています。著者は、政治家によるトップダウンという考え方について、「民主主義というのは『交替可能な独裁』だと考えている」と述べるとともに、民主的だと思われているボトムアップのシステムが、「誰がどこで決めているのか」が実に曖昧な「誰も責任を負わないシステム」であり、「本当の政策判断をしているのは、大臣でもなければ事務次官でもなく、局長でも課長でもない。課長補佐かその下の官僚が、実質的には決めているといって過言でもないのだ」と述べています。
第4章「大臣の仕事」では、制度的には、大臣には人事権も予算の執行権もあるが、「その権力はほとんど行使されることがない」として、「大臣が官僚の意向に反した強行な人事をした場合」には、マスコミから「大臣の行政への介入」という批判を受けることについて、「大臣にはもともと人事権があるのだから、介入と言うのはおかしいのではないか」と述べ、「大臣が人事権を発動することが、まさにニュースになるくらい珍しいという現状のほうがおかしいのだ」と述べています。そして、権限を持つ官僚に政治責任も持たせるために、政治任用(ポリティカル・アポインティー)の導入を主張しています。
また、国会中の「質問取り」から大臣レクまでの流れについて、
・質問通告
・質問取り
・質問予定事項の整理
・質問予定事項の各局への配分
・質問予定事項の各課への配分
・各課、答弁資料案を作成
・総務課法令係長、総括補佐閲覧
・総務課長閲覧
・審議官閲覧
・局長閲覧
・官房文書課長閲覧
・官房長閲覧
・答弁資料確定
・各課、答弁資料清書
・答弁資料印刷、綴合せ
・総務課、答弁資料の取纏め
・答弁資料官房文書課へ提出
・大臣レクチャー
という流れを、約3時間で行うことを紹介し、それでも「出来上がる答弁書が大臣の元に届くのは」、「委員会の前日の夜遅くや当日の朝7時頃」となり、著者は、その答弁書に納得できない内容があれば、「これではだめだ。検討しなおしてくれ」とつき返していると述べ、「国会の委員会が野党との戦場だとしたら、その前の大臣室での答弁づくりは官僚との『戦場』だった」と述べています。
著者は、自身が厚生大臣である間、「大臣は根源的には国民によって選ばれ、各役所を国民に代わって監督する者」と考え行動していたのに対し、一般には大臣自身にも国民にもその意識が薄く、「大臣は役所の代表であり、その役所の利益を主張するのが自分の役目と思っている」という「官庁にコントロールされた大臣」を批判しています。
第5章「<座談>行政権とは何か」では、松下圭一法政大学教授、五十嵐敬喜法政大学教授との座談会が収録されています。
本書は、自らの経験を元に、大臣のあり方を論じた稀有な一冊ではないかと思います。
■ 個人的な視点から
本書はもともと8年前に妻がもらった本だったのですが、8月31日に行われたイベント「e- デモクラシーで政治は変わるか?」にパネリストとして参加されていた著者に重ねてサインをいただくことができました。
菅さん、ありがとうございます。

■ どんな人にオススメ?
・大臣が何をする人なのかを知りたい人。
■ 関連しそうな本
菅 直人 『総理大臣の器―「菅」対「小泉」マニフェスト対決』
小沢 一郎, 菅 直人 『政権交代のシナリオ―「新しい日本」をつくるために』
松下 圭一 『市民自治の憲法理論』
松下 圭一 『政治・行政の考え方』
■ 百夜百マンガ
人吉が生んだ奇才、ことミッキー鳥越先生が『くるくるくりん』でブレイクする前の作品。後の不条理ギャグにつながる展開の速さとギャップは、当時はマニア受けしかしなかったものと思われます。
投稿者 tozaki : 2006年09月25日 07:00
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