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2006年11月27日

ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争

■ 書籍情報

ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争   【ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争】

  高木 徹
  価格: ¥1890 (税込)
  講談社(2002/06)

 本書は、ボスニア紛争をめぐって、人々の血が流された「実」の戦いの裏で繰り広げられた、PRや情報戦という「虚」の戦いを描いたものです。この戦いの結果、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボには、「お金と人と資材」が「西側先進国をはじめとした国々から競うように流れこんで来る」のに対し、セルビア共和国の首都ベオグラードには、NATO空爆で破壊されたままの巨大ビルが放置され、「『虐殺者』『人道の敵』のレッテルを貼られ」、「国際社会から締め出され、見捨てられた姿のままである」ことが述べられています。著者は、「今、この瞬間も、国際紛争はもちろん、各国の政治の舞台で、あるいはビジネスの戦場で、その勝敗を左右する「陰の仕掛け人」たちが暗躍している」と述べています。
 第1章「国務省が与えたヒント」では、アメリカを単身訪れたボスニア・ヘルツェゴビナの外相ハリス・シライジッチが、ベーカー国務長官とタトワイラー報道官から、アドバイスを受け、「泣かない赤ちゃんは、ミルクをもらえない」というボスニア・ヘルツェゴビナの諺を思い出し、「国際社会に振り返ってもらうには、大きな声を出さなければならない。そして声の出し方にはさまざまなテクニックがあるらしい」ことを知ります。
 シライジッチは、「PR戦略の専門家が必要だ」という人権活動家フィリップスから、アメリカの大手PR企業であるルーダー・フィン社の幹部社員であり、各国政府をクライアントに持ち、貿易振興や観光誘致から紛争・戦争といった場面で政府に代わってPRを担当しているジム・ハーフを紹介されます。著者は、PRという言葉は「Public Relations」の略であり、「きわめてアメリカ的な概念であるために、未だにこれといった日本語の訳語はない。PR企業のビジネスとは、さまざまな手段を用いて人々にうったえ、顧客を支持する世論を作り上げることだ」と述べ、「CMや新聞広告を使うのはもちろん、メディアや、政界、官界の重要人物に狙いを絞って直接働きかける、あるいは、政治に影響力のある圧力団体を動かす」など、考えられる限りのあらゆる手段でクライアントの利益を図ると述べています。
 1991年まで、偉大な指導者チトーの下で40年余り存続してきた「ユーゴスラビア連邦」は、スロベニアとクロアチアの独立を契機に、連邦軍と各共和国軍との間で戦闘が始まり、「セルビア人中心で運営される『ユーゴスラビア』の版図を維持したいセルビア人と、そこからの脱却をはかる各民族との戦い」という構図になっていることが、解説されています。
 第2章「PRプロフェッショナル」では、ハーフがシライジッチを観察し、
・学生時代アメリカに留学して得た英語力。
・歴史学の大学教授として語彙が豊富で知的である。
・発言が短いセンテンスで構成され、国際ニュース等で数秒から十数秒に編集されてしまう「サウンドバイト」という発言の固まりに適している。
・聞く者に合わせて、その関心をひきつける表情を作る才能。
・ある程度以上の年齢の女性に大きな効果を持つ微笑みの仕方。
・数多くの記者の矢継ぎ早の質問とテレビカメラとマイクのプレッシャーにさらされるスポークスマンに必須の性格であるナルシストであること。
という長所を見出し、「ボスニア・ヘルツェゴビナ外相シライジッチというキャラクターそのものをニュースにする」ために会見を開催しています。
 また、ルーダー・フィン社の特徴として、アメリカ国内の政党をクライアントとすることを禁じていることを紹介し、ボスニア紛争に関しても社内外の委員からなる「倫理委員会」をパスしていることを述べ、フィンが倫理面での慎重さを採算強調する理由の一つとして、1990年に湾岸危機に関して起きた大手PR企業ヒル&ノートン社のスキャンダル(クウェートに侵攻したイラク兵が保育器の赤ん坊を床の上に投げ捨てて殺した、という作り話の証言を在米クウェート大使の娘を使ってでっち上げた)を解説しています。
 第3章「失敗」では、ハーフのテクニックの一つとして、「クライアントが他の国の政府や国際機関に出した公式書簡のコピーをそのまま会見で公開する」というものを解説し、メディアにとっては、「生の外交文書を入手できる」というメリットがある反面、注意すべき点として、「相手が読んだことを確認してから公開すること」を挙げています。
 第4章「情報の拡大再生産」では、ルーダー・フィン社が、クライアントであるボスニア・ヘルツェゴビナ政府が、正式の契約書の締結さえままならない混乱のきわみにあるにもかかわらず、「業界内での名声と地位を高めること」を目的に、採算を度外視して(支払われた金額はわずか9万ドル)バルカンでのPRビジネスに乗り出したことが述べられています。
 ハーフが定期的に行った活動としては、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府から直接入る最新情報をレターサイズ1枚にまとめた「ボスニアファクス通信」を1~3日に1回程度、メディアはもちろん、有力議員、官僚、国連の各国代表部、NGOなどに配信していたことが紹介されています。
 さらに、シライジッチと会見をしたジャーナリストには、すぐにお礼の手紙を書くなどのきめ細かい気遣いを重ねることで、ジャーナリストたちのPR企業に対する警戒感を弱め、「やがてはメディア全体を動かす大きな波を引き起こす」ことができたと述べられています。
 第5章「シライジッチ外相改造計画」では、アメリカの各テレビ局の報道番組の「トークショー」において、「欧州の外れの小国、ボスニア・ヘルツェゴビナから出てきたばかりのシライジッチ」を、「アメリカのニュースキャスターたちと互角に渡り合えるようにする」ために、「シライジッチの『改造』計画」に乗り出したことが述べられ、シライジッチの「致命的な欠点」として、
(1)セルビアを非難するときに、これまでの経緯を詳しく話したがるが、そんな話には視聴者は耳を貸さない。
(2)詩的な表現を使いたがったが、陳腐に聴こえてしまう。
等を挙げ、
(1)過去の話を一切止めるよう指示した。
(2)プロの政治家ではなく、「サラエボで市民が傷つく姿を目の当たりにした一人の人間」として演出するため、質問を受けてから、わざと沈黙してから回答するなどのテクニックを授けた。
ことを解説しています。
 第6章「民族浄化」では、テレビ露出が増え、飽きられ始めてきたシライジッチに代わる次の工夫が必要となったハーフが、「民族浄化(ethnic cleansing)」というキャッチコピーを作り出したことに関して、「私たちの仕事は、一言で言えば"メッセージのマーケティング"です。~セルビアのミロシェビッチ大統領がいかに残虐な行為に及んでいるのか、それがマーケティングすべきメッセージでした」というハーフの言葉を紹介しています。そして、「民族浄化」という言葉には、「『ホロコースト』と言わずに『ホロコースト』を思い起こさせる力があった」ことを解説しています。
 第7章「国務省の策謀」では、弁護士としての法廷での経験を積んだジョン・ボルトン国務次官補が、国連の人権委員会で行った立ち回りを引き合いに、「PRの技術を高めるためには役所の外でしのぎを削る体験が必要」であると述べています。
 第8章「大統領と大統領候補」では、レーガン政権の副大統領の座にあったものの、目立った実績も知名度もなかったジョージ・ブッシュが大統領になれた理由として、PR戦術を駆使したことを挙げ、対抗馬だったデュカキス候補に打撃を与えた有名な選挙キャンペーンCMを紹介しています。
 また、日本の外交当局のPRのセンスが極めて低いレベルにある理由を、「アメリカの高級官僚は、民間で活躍してから役所に入る、あるいは官僚になってからも、いったん外に出て経験を積む人が多い」のに対し、「日本のように大学を卒業してすぐ外務省に入り、一生その中で生きていく外交官が大半、というやり方では永遠に日本の国際的なイメージは高まらないだろう」と述べ、「現在の硬直しきった役所の人事制度を根本から変革しない限り、二十一世紀の日本の国際的地位が下がる一方になることは、はっきり予見できる」と指摘しています。
 第9章「逆襲」では、1992年にユーゴスラビア連邦の首相に、カリフォルニア在住でICN製薬という国際的大企業のCEOのアメリカ人、ミラン・パニッチが就任したことについて、かれが、「日ごとに悪化するセルビアのイメージを挽回し、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府とのPR戦争に逆転勝利を飾る」という使命を帯びていたと述べています。そして、その思惑通りパニッチは首相就任式での演説の最後を、「So, help me God」という英語で締めくくるという異例の演説を行います。この言葉は、「すぐに西側諸国の有力紙で紹介され」、ニュースで扱いやすい「サウンドバイト」に最適のセリフまわしだったと解説されています。著者はパニッチが、「セルビア側のシライジッチになろうと決心していた」と述べています。
 そしてパニッチは、シライジッチと同様に有力なPR会社との契約を模索しますが、その前には、ユーゴスラビア連邦との「あらゆる種類のサービスの輸出入も禁じ」た、アメリカ政府の経済制裁措置が立ちふさがります。
 第10章「強制収容所」では、「セルビア人がつくり、モスレム人を収容している『強制収容所』がボスニア・ヘルツェゴビナに存在するという情報」という荒波が、関係者を直撃し、「あるものはそれを巧みに利用し、あるものは飲み込まれた」ことが述べられています。「強制収容所」という言葉は、人々にアウシュビッツを想像させる、「Loaded」な言葉、「鉛の弾丸のように危険な力」を持つ言葉であると解説されています。
 この「強制収容所」を探して、ボスニア・ヘルツェゴビナ北部を取材したイギリスのテレビニュース制作会社、ITNの取材クルーが見たものは、「捕虜収容所」の概念に当てはまるものでしかありませんでした。取材クルーのカメラマンは、「真夏の暑い時期で、野外では上半身裸で過ごしている人も多かった」中にいた、ひどくやせ、あばら骨が浮いた男性にフォーカスをあわせ、有刺鉄線越しに撮影しています。それは囚人たちを閉じ込めるためのものではなく、たまたまそこにあったものでしたが、結果的に、「やせさらばえた男が有刺鉄線の向こうにいる」という構図になったこの映像は、すぐにイギリスで放送され、アメリカ中の放送局や新聞、雑誌社が先を争うように購入し、繰り返し流され、アメリカ世論を沸騰させています。この取材自体を行ったITNの記者は、きちんとした取材を行い、常に「捕虜収容所」という言葉を使っていますが、1枚の衝撃的な写真が、「受け手の側によってナチスと結び付けられ」、セルビア側に決定的なダメージを与えたと述べられています。
 第11章「凶弾」では、アメリカのセルビア人団体が、ユーゴスラビアへの経済制裁をかいくって契約したPR会社から契約の中止を言い渡されたことが述べられ、その理由として、「セルビア人は"ラジオアクティブ"な存在になってしまっていた」ことが指摘されています。「ラジオアクティブ」とは、「放射能を持っているという意味」で、「彼らに触れたり、近づいたりしたものまでも汚染し、世間の悪評の対象にしてしまう存在になっていた」と解説されています。
 このことが、一つの悲劇を招きます。1992年8月13日に、パニッチ首相による、サラエボ空港から市内への「電撃訪問」を取材していたABCのクルーは、国連の装甲車が不足するという計算違いのため、防弾設備を持たないバンをチャーターして、パニッチに同行し、報道プロデューサー、デビッド・カプランが狙撃によって命を落としています。著者は、この悲劇が、「パニッチ首相を助けるPRのプロがいない、ということに本質的な原因がある」と指摘し、「もし、ルーダー・フィン社がこのサラエボ訪問を仕切っていたら、カプランやABCクルーを危険にさらすことは絶対にしなかっただろう」と述べています。
 第12章「邪魔者の除去」では、ハーフの"障害物"となった人物は、それがカナダの英雄であろうと、「除去」されてしまうこと、「ハーフのようなPRのプロの"障害物"となることが、いかに危険なことか」が解説されています。カナダの国民的英雄であったマッケンジー将軍は、「強制収容所」について、「何も知らない、情報がない、見ていない」と繰り返し発言し、ハーフが進めていた「強制収容所」のキャンペーンに冷水をかけることになりました。著者は、「メディアをさばき、見方につけるための素養」として、
(1)メディア側の人間の心理を理解しようとしないタイプ――日本の政治家や官僚の多くが当てはまる。
(2)本能的にメディアを喜ばせるものの言い方や、行動のとり方を心得ているタイプ――マッケンジー将軍やシライジッチ外相、調子のよいときの田中真紀子元外相など。
(3)センスにもすぐれている上、戦略的なPRの思考もできるタイプ――PR企業などの助けなしに才能でカバーできるのはヒトラーくらいかもしれない。
と分類しています。
 このマッケンジー将軍の振る舞いはハーフにとって許しがたく、ハーフはカナダ政府やメディアに対しての攻勢をかけていきます。ハーフは、「私たちにできるクライアントへの貢献の中で、最も重要なのは、何か悪い事態が起きたとき、即座に反論し、逆によい情報を広めることです。タイミングを逃してしまえば、同じことを言ってもまったく効果がないこともあります」と語っています。のちに将軍は、著者のインタビューに対し、「自分は一人の軍人として取材に答え」、「単純な質問に単純に答えたまでのこと」と語り、「politically correct(政治的に正しい)」答えをしようとは思っていなかったと述べています。
 第13章「『シアター』」では、サラエボ電撃訪問に失敗したパニッチ首相が、「主要国の首脳が一堂に会してボスニア紛争の解決策を話し合う一大会議を開催する」という策を考え、ロンドン会議の開催にこぎつけたこと、そして、パニッチが、「セルビア、そしてユーゴスラビア連邦に対するアクのイメージをミロシェビッチ一人におわせ、すべては彼の責任である、ということにするPR戦略」を立て、自らがその後釜に座ろうという覚悟を決めていたことが述べられています。パニッチは、ミロエシェビッチと並んで座らされ、「同じ穴のむじな」と見られることを嫌い、係員の目を盗んで、名札の位置をすり替えて二人の席を離す、という思い切った手段まで使っています。そして、パニッチは会議の席上で、ミロシェビッチを「だまれ」と一喝するという思い切った勝負に出ます。
 この攻勢にハーフたちは、「つい最近ボスニアの強制収容所から奇跡的に逃れ、ロンドンにたどり着いた難民の親子」という隠し球を用意していました。そのインパクトは絶大で、この難民女性を撮影しようと各国カメラマンたちが殺到したために、即席のステージが音を立てて崩れてしまったほどであったことが述べられています。一方で、パニッチの記者会見は、「すべての面で準備不足」であり、会場も狭く、記者たちは床に座らされ、パニッチの前のテーブルには各社のマイクが一杯に立てられずり落ちるほどであり、この様子を偵察したハーフは、「アマチュアの仕事」と酷評しています。
 第14章「追放」では、ルーダー・フィン社のPR戦略の「第3段階」である、「国連総会に標的を絞った作戦計画」が解説されています。この総会で、ユーゴスラビア連邦は、史上初の追放処分に追い込まれることになります。そして、著者は、パニッチがボスニア政府のPR戦略に敗れたことで、「もはや賞味期限が切れた」と判断され、「ミロシェビッチとブッシュの両方から捨てられてしまった」と解説しています。
 ハーフは、ボスニア・ヘルツェゴビナの「イゼトベゴビッチ大統領はイスラム原理主義者である」という攻撃に、「どんな人間であっても、その人の評判を落とすのは簡単なんです。根拠があろうとなかろうと、悪い評判をひたすら繰り返せばよいのです。~たとえ事実でなくとも、詳しい事情を知らないテレビの視聴者や新聞の読者は信じてしまいますからね」と反論していますが、まさにそれを同じことを自らが得意としていることは、ボスニア紛争をめぐるキャンペーンから明らかなことと思われます。
 終章「決裂」では、シライジッチが、「支払いのことになるといつも気分を害し」、「国際的なビジネス慣行の基準から考えると奇行としか言いようのない行動をたびたびとった」ことを紹介し、ルーダー・フィン社とボスニア・ヘルツェゴビナ政府との実質的な関係が終了した状況を解説しています。
 ルーダー・フィン社にとって、大幅な「持ち出し」となったこのビジネスは、金に換えられない価値をもたらしています。全米PR協会の年間最優秀PR賞において、「危機管理コミュニケーション」部門最高位のシルヴァー・アンビル賞を受賞することで、業績が芳しくなかったルーダー・フィン社は大いに評価を高め、「ボスニア・ヘルツェゴビナの危機を救ったPR企業ルーダー・フィン、その凄腕PRマン、ジム・ハーフ」の評判は着実に広まり、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府への持ち出し分を補って余りある利益がもたらされたと述べられています。
 著者は、このPR戦争の勝敗を決したのは、「ハーフが他のPRのプロより優秀だったということより、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府がPR企業の助けを借りることができたのに、セルビア側はできなかったというアンバランスに原因がある」と指摘しています。著者は、銃弾の代わりにファックスや電話を使って紛争に介入するPR企業を「情報の死の商人」と呼ぶこともできるが、「最も大切なのは、情報のグローバル化が急速に進む現在、PRの『戦場』は地球規模で拡大している、という現実にしっかりと目を向けること」であると力説しています。
 本書は、たまたま国際紛争を取り上げていますが、私たちが目にするニュースの背後には、政治や経済のあらゆる分野で暗躍するPR企業の陰があり、そのことを見抜くこと、その存在を意識してニュースに触れる必要があることの重要性を教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書はシライジッチ自身の人格については、「目にしたくないシライジッチのパーソナリティをずいぶん見てしまいました」というハーフの言葉を紹介し、
・ボスニア・ヘルツェゴビナのサチルベイ国連大使に嫉妬し、口汚くののしっていたこと。
・有力メディア記者を含む女性に対するセクハラ
等を紹介していますが、ルーダー・フィン社は、クライアントであるシライジッチと、PR料の支払いをめぐってトラブルになり(トラベラーズチェックで支払った、ポンド建てのマレーシア銀行の小切手で支払われ、為替差損分の支払い時には、「これがお前らと仕事をする最後だ!」と罵声を浴びせられた)、そのことが響いているのではないかとも推測されます。


■ どんな人にオススメ?

・日々目にするニュースの向こう側にある見えないものを見たい人。


■ 関連しそうな本

 矢島 尚 『PR会社の時代―メディア活用のプロフェッショナル』 2006年11月13日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 ポール・A. アージェンティ, ジャニス フォーマン (著), 矢野 充彦 (翻訳) 『コーポレート・コミュニケーションの時代』 2006年10月23日
 石川 慶子 『マスコミ対応緊急マニュアル―広報活動のプロフェッショナル』 2006年10月26日
 世耕 弘成 『プロフェッショナル広報戦略』 2006年09月22日
 菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
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 高瀬 淳一 『武器としての「言葉政治」―不利益分配時代の政治手法』 2006年08月10日
 横江 公美 『判断力はどうすれば身につくのか―アメリカの有権者教育レポート』 2005年07月13日
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■ 百夜百マンガ

石の花【石の花 】

 ユーゴスラビアをテーマにするのであればこの作品を避けて通れません。地味ながら実力派の坂口作品をまだ読んだことのない人も引き込まれてしまうこと間違いありません。

投稿者 tozaki : 2006年11月27日 07:00

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