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2006年12月18日
恋愛結婚は何をもたらしたか
■ 書籍情報
加藤 秀一
価格: ¥756 (税込)
筑摩書房(2004/8/6)
本書は、人々が、「<恋愛結婚>に何を求めてきたのか、それはどのような<幸福>だったのか」という問いをきっかけに、日本の「恋愛観」を性道徳と優生思想の歴史の中に掘り下げていったものです。
序章「<恋愛結婚>の時代」では、「私たちは、『恋愛結婚の時代』を生きている」と述べ、「もはや現代では、ただ単に結婚といえば恋愛結婚のことなのだ」とした上で、「昔ながらの『恋愛・お見合いという二項対立』そのものが急速に意味を失」い、「出会いのきっかけは何であれ、人はそれを恋愛結婚と呼ぶことができ」、「何らかの客観的に観察できる行動が増えた」のではなく、「人々が自分の結婚を『恋愛』という観念に結び付けたがるようになったということである」と述べています。
第1章「制度としてのロマンチック・ラブ」では、「徳川時代の日本社会には『恋』はあっても『恋愛』はなかった。『恋愛』とは明治期になって西欧から輸入された新しい観念である」という言説が多いことを挙げた上で、日本において恋愛概念を思想言語として定着させ、自らの生活においても具現しようと苦闘した、「日本近代における『恋愛至上主義』の先駆者」として北村透谷を取り上げています。
そして、日本における結婚に特有の問題として、「日本と、日本にそれを押しつけられた諸国にしか存在しない」、「家制度を引きずった人身管理システム」である「戸籍」という制度に縛られていることを指摘し、「その呪縛は、戦前の国家主義の名残りであるどころか、むしろ最近になればなるほど強まっている」と述べています。そして、「日本においてもはや『戸籍』とは単なる公的書類ではなく、いわば道徳の源泉として、日本人の精神を呪縛する何ものかになってしまった」という諌山陽太郎の言葉を紹介しています。
第2章「『一夫一婦制』への遡行」では、日本社会に強固な根を生やした一夫一婦制が、「実はそれが確立したのはそれほど古いこと」ではなく、明治初期には、「一人の男性が妻と妾という複数の女性を抱え込む『蓄妾制』がはびこっていた」として、欧米並みの婚姻制度の整備が、開明派知識人たちにとっての緊急課題であったことを述べています。
その後、法制度の整備と共に、蓄妾制は表舞台から後退していきますが、明治の元勲たちの多くは妾を抱えていて、黒岩涙香の『万朝報』では各界名士の蓄妾を暴くスキャンダル記事で有名になったことなどを紹介した上で、法制度の変化に対応して、「明治後期以降の『一夫一婦制』という言葉は、文字通りの婚姻法制を指すよりも、むしろ性道徳を焦点化する方向へシフト」していったことが指摘されています。
第3章「一夫一婦制という科学」では、福沢諭吉が、『日本婦人論』の中で、「男女の体質を改良して完全なる子孫を求むるの法」を論じ、晩年の『福翁百話』の「人種改良」というエッセイで、「人間の能力は遺伝で決まるから、『人間の婚姻法を家畜改良法に則り、良父母を選択して良児を産ましむるの新工夫』を行わなければならない。具体的には、まず第一に『強弱智愚雑婚の道』を絶ち、精神的・肉体的に劣る者には結婚を禁じて『子孫の繁殖を防ぐ』と同時に、優秀な者どうしを『精選』して結婚させればよい」と語っていることを紹介し、「これこそが、日本で最初の科学的な遺伝観にもとづく『優生結婚』の展望だった」と述べています。
その後、明治末には、「恋愛・結婚・生殖の優生学的な改革を国家的課題として論じる言説」として、海野幸徳『日本人種改造論』や澤田順次郎『民種改善模範夫婦』などがあらわれてくるとして、これらを解説しています。澤田は、「結婚の幸福。それは一夫一婦が仲むつまじく、『善良な子孫』に恵まれた家庭をつくることである。しかしそれは誰にでも可能というわけではない。遺伝的に優良な体質を持ち、それを子孫に伝えられる男女だけが、『幸福』を得ることができるのである」と説き、そのような『幸福』が「日本という国家の生産的な基盤となることにつながっている」と主張していることが解説されています。
第4章「人類のために恋愛を!」では、大正期に、「家庭」が、「雑誌や新聞の中のイメージから抜け出て現実に定着し始め」、その最初の担い手は、「産業化の進展を背景に農村から大都市へ流入した人々の中で、第一次世界大戦後の好景気によって相対的な豊かさを手に入れた階層」であり、とりわけ官公吏・教員・会社員といったホワイトカラー男性とその妻たちにとって、妻が「主婦」となることは、「家計の豊かさを安定ぶりを示すステータス・シンボルであった」ことが述べられています。
また、<恋愛・結婚・優生思想>の三位一体を最も豊饒に具現化した著作として、戸塚松子『恋愛教育の基本的研究』を挙げ、「『恋愛』と『一夫一婦』とを理性そして科学の名の下に語ることは、必然的に、『我国』の未来を担うべき子孫の人種的改良について語ることでしかありえなかった」と指摘しています。
第5章「恋愛から戦争へ」では、昭和初期に日本医師会が、「『民族衛生』政策の必要を答申し、『悪疾遺伝のおそれある遺伝病者、低能者、変質者および常習犯罪者』の増殖を防止するために『制産または断種』を奨励すべき」と提言したことについて、このニュースを伝える新聞の、「けふの醫師總會で人間濫造を防げと内務大臣へ勸説(旧字)」という見出しを紹介し、「このような雰囲気の中で、『結婚=家庭』が担う<国家の生殖装置>としての意味づけが赤裸々にされつつあった」と指摘しています。
また、昭和14年に厚生省で開催された「優生結婚座談会」での議論を受け、「結婚十訓」として、
一、父兄長上の指導をうけよ
二、自己一生の伴侶として信頼できる人を選べ
三、健康な人を選べ
四、悪い遺伝の無い人を選べ
五、盲目的な結婚を避けよ
六、近親結婚はなるべく避けよ
七、晩婚を避けよ
八、迷信や因習にはとらわれるな
九、式の当日結婚届を
十、産めよ増やせよ国のため
が定められたことが紹介されています。
終章「<恋愛結婚>の方へ」では、1966年に兵庫県公衆衛生部が「不幸な子どもの生まれない運動」を開始したことを、発行された『幸福への科学』という冊子における、
(1)生まれてくること自体が不幸である子ども。たとえば遺伝性精神病の宿命を担った子ども。
(2)生まれてくることを、誰からも希望されない子ども。たとえば妊娠中絶を行って、いわゆる日の目を見ない子ども。
(3)胎芽期、胎児期に母親の病気や、あるいは無知のために起こってくる、各種の障害をもった子ども。
(4)出生直前に治療を怠ったため生涯不幸な運命を背負って人生を過ごす子ども。
(5)乳幼児期に早く治療すれば救いうるものを放置したための不幸な子ども。
の5点が定義されていることを紹介し、「一体ある人の幸不幸を他人が決めることができるのか」という疑問を示しています。
著者は、「健康である義務と、家庭という夢」という「これからの日本の『国民』たちが担う2つのテーマが交わるところに何が生じるのか、私たちは慎重に見極めていく必要がある」と指摘しています。
本書は、私たちが自明のものだと信じ込んでいる「結婚」「幸福」「家庭」が、近代以降にさまざまな経緯を経て形作られたものであることを教えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
現在の少子化対策に連なる家族行政における「1940年体制」(1939年体制でしょうか?)とも呼べるものがあるのかもしれません。
「産めよ増やせよ国のため」ばかりが取り上げられることが多い「十訓」ですが、他の9訓の方が結構差し障りがあるような気がするのは気のせいでしょうか?
■ どんな人にオススメ?
・「恋愛」を所与のものと考えてしまう人。
■ 関連しそうな本
赤川 学 『子どもが減って何が悪いか!』 2006年10月19日
山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日
宮本 みち子 『若者が『社会的弱者』に転落する』 2005年05月04日
山田 昌弘 『パラサイト・シングルの時代』
白波瀬 佐和子 『少子高齢社会のみえない格差―ジェンダー・世代・階層のゆくえ』 2006年03月10日
目黒 依子, 西岡 八郎 (編集) 『少子化のジェンダー分析』 2006年06月23日
■ 百夜百マンガ
信用金庫に勤めるプロボクサーという二足のわらじを描いた作品。ボクシングのシーンよりも、それをめぐる生活や仕事の方が心に沁みます。
投稿者 tozaki : 2006年12月18日 07:00
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