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2006年12月26日

首相支配-日本政治の変貌

■ 書籍情報

首相支配-日本政治の変貌   【首相支配-日本政治の変貌】

  竹中 治堅
  価格: ¥882 (税込)
  中央公論新社(2006/5/24)

 本書は、「1990年代以降に、日本の政治の仕組みがさまざまな形で変わっていく過程を解き明か」し、「そのもっとも顕著な効果として、首相の権力が大幅に強まったことを示す」ことを目的としたものです。
 著者は、「劇場政治」「ポピュリズム」「テレポリティクス」と表される小泉純一郎の政治手法を、
(1)政策を実現しようとする際に、政策に反対する勢力との対立関係を作ることを重視する。→ex.「抵抗勢力」
(2)改革を妨害する勢力に立ち向かう首相のイメージを作り出し、世論の支持を獲得し、政策を実現する原動力とする。
(3)メディアを積極的に活用し、対立に脚光を当て、その構図を国民にわかりやすい言葉で説明し、支持を喚起する。
の3点でまとめたうえで、小泉が首相として大きな力を振舞うことができた「より重要な理由」として、1990年代以降、「日本の政治の仕組みが大きく変わった結果、首相という地位そのものが、首相に就任する政治家に大きな権力を保障するものとなった」ことを指摘しています。
 著者は、本書の目的を、1994年以降、政治改革に続いて、
(1)政党の間で競争が行われる枠組みが定まり、主要な政党として、自民党と民主党が競い合うようになった。
(2)首相の地位を獲得・維持する条件が変わり、世論から支持を獲得することが何にもまして重要な条件となった。
(3)首相の権力が強まった。
(4)行政改革が行われ、国の行政機構が1府12省庁に再編された
(5)政治過程における参議院議員の影響力が高まった。
の5つの変化が起きたことを論じることであると述べています。そして、この中でもとくに首相の権力が強化されたことに着目し、首相の権力が、
(1)自民党総裁が保持する権限――公認権、政治資金配分権
(2)法律によって首相が与えられている権限――経済財政諮問会議の新設
(3)世論
の3つによって支えられていることを指摘しています。
 第1章「自民党の政権復帰と新進党の結成」では、「1994年1月29日に政治改革の実現が確実になってからの約1年間の政治過程」が持つ意味を、「正当性が大きく変化し、当面の政党間の競争の枠組みが固まった」ことにあると指摘しています。
 第2章「橋本内閣と行政改革」では、1995年9月22日に行われ、橋本龍太郎の当選が決定した自民党総裁選の持つ意義を、
(1)総裁を選ぶ上で派閥の力が低下したことを明らかにした。
(2)「選挙の顔」として国民から支持を獲得できることが、派閥からの支持以上に重要な条件になり始めたこと。
の2点を挙げています。
 また、橋本が、党の看板政策として行政改革を打ち出した背景として、
(1)新進党に対抗する必要
(2)政治家としての橋本自身にとってのライフワークであったこと
の2点を挙げています。
 そして、1996年11月21日総理府に設置された「行政改革会議」にとっての課題が、
(1)内閣機能の強化をいかに行うか。
(2)1府21省庁あった行政機構をいかに再編するか。
の2点であったことを解説しています。さらに、これら2点とともに重要な意味を持ったものとして、「大蔵省の機能改革」を挙げ、
・日本銀行に対する権限の縮小
・金融部門・監督部門の分離
等の改革の結果、「他の省庁と比して巨大な権限を持っていた大蔵省=財務省の機能が縮小された」ことを指摘しています。
 著者は、橋本が取り組んだ行政改革の結果、「終戦直後以来の抜本的な行政機構の改編」が行われ、
・内閣官房の役割が拡大され、内閣府とその下に経済財政諮問会議が置かれた。
・重要政策について、首相が閣議で発議する権限が認められた。
ことなど、「以前に比べ首相は大きな権限を法律によって与えられることになり、政策立案過程において指導力を発揮しやすく」なるとともに、「省庁のなかの省庁」として君臨していた大蔵省の機能を4分割することで、「首相の権力を相対的に高める」ことになったと述べています。
 第3章「新進党の崩壊と民主党の台頭」では、新進党が短期間で崩壊した理由として、一般に言われる「小沢一郎という存在のために内紛が起こった」という原因の他に、民主党の成立を傍観し、1996年10月の総選挙で新進党が敗北したことを指摘しています。
 第4章「小渕恵三・森喜朗内閣」では、新進党の崩壊によって、大政党に有利な小選挙区・比例代表並立制を前提にすれば、政権を奪取される可能性が低くなり、危機感を欠いた自民党が登場させた2人の派閥領袖について論じています。1998年7月30日に首相に就任した小渕は、「かなり自由に閣僚人事を行い、首相の権力が徐々に強化されつつあったこと」を示しています。そして、国民の支持を獲得するために、「これから全国を回って、国民と同じ目線で話し合って行きたい。そうすれば、私の人間的な考え方への理解が深まるのではないか」と考え、「忙しい合間をぬって、国民に自らの姿を見せようと努力」したことが述べられています。そして、「ブッチホン」の名で知られる、秘書を通さず時の最高権力者からの電話を多用したことについて、「これは端倪(たんげい)すべからざる人心収攬(しゅうらん)術だな、と思った」というジャーナリストの佐野眞一氏の発言を紹介しています。しかし、首相の激務に加え、心臓に持病があった小渕が、休みなく働き、「おびただしい書類、書籍、新聞の切抜きに目を通し、徹夜で録画ビデオを見る」ことを常とし、数々のブッチホンを書け、「総理になってから夜はお風呂に入らなく」なったという生活を送ったことで、2000年4月1日に脳梗塞を発症し、5月14日に帰らぬ人となったことが述べられています。
 小渕が急病で倒れた後、自民党主要派閥の幹部の話し合いによって、「ここにいる森さんでいいじゃないか」という提案に異論が出なかったことで、後継首相に決まった森喜朗については、この首相就任過程が不透明であったことが、「森内閣の正統性を大きく損なう」ことになり、翌年の総裁選での予備選導入の原動力となったことが述べられています。
 著者は、「小渕・森内閣は自民党の派閥が最後の輝きを見せた時代であった」が、「森内閣の退陣とともに派閥政治は完全に終焉を迎えようとしていた」と述べています。
 第5章「小泉純一郎と首相権力の確立」では、2001年4月24日の自民党総裁選での小泉純一郎の勝利を、
(1)国民からの直接の支持を原動力として、総裁選に勝利を収めた。
(2)1978年の大平総裁選出以来、つねに支持する人物を総裁選で勝利させてきた橋本派が初めて敗北した。
の2つの意味で歴史的であったと解説しています。
 また、この総裁選と、従来の総裁選との大きな違いが、
(1)都道府県連が持つ票の数が1から3に増えたこと
(2)都道府県連が両院議員総会に先立って予備選を実施し、その結果に基づいて、両院議員総会で投票を行うことにしたこと
の2点であったことを挙げ、このシステム変更の背景には、「もう自民党はだめだ」「今の自民党を見ると、まったく支持できない状況にある」という有権者の批判を直接浴びていた地方組織の怒りがあったことを指摘しています。
 そして、4月26日に首相に就任した小泉が手にした、
(1)自民党総裁として保持する権限
 ・選挙:小選挙区制の下では首相が持つ「公認権」は、個々の政治家にとっての生殺与奪権となった。
 ・カネ:政治資金規正法の改正と政党への公的助成制度の導入によって、政治資金が集めにくくなり、総裁への依存度が強くなった。
 ・ポスト:首相=総裁の党内及び閣内における人事権が完全に確立された。
(2)法律によって首相に与えられている権限
 ・経済財政諮問会議の活用――聖域なき構造改革、骨太の方針
(3)世論の支持
の3つの権力について解説しています。なかでも、小泉が「骨太の方針」を取りまとめることができた理由については、
(1)首相の権力が強まっていた。
(2)就任後、圧倒的人気を誇っていた。
(3)自民党も各省庁ともこの方針の持つ意味を把握しかねていた。
の3点を挙げています。また、経済財政諮問会議については、2002年以降、「二重構造化し、二つの政策決定過程が生まれた」と述べ、
(1)第1過程:首相、閣僚、さらに民間議員の関心のある政策が扱われる
(2)第2過程:各省庁が重視する政策が扱われる――「骨太の方針」の策定が予算編成作業の一部として確立された。
の二重構造を解説しています。
 第6章「参議院という存在」では、1989年以降、自民党の参議院議員が影響力を増した事情として、
(1)1989年の参議院選挙以来、自民党が参議院で過半数割れし、法案成立の鍵を握った。
(2)1992年の竹下は分裂をきっかけに、小渕=橋本派の中で参議院議員の存在感が増した。
の2点を挙げています。
 著者は、参議院議員の影響力を示すものとして、「参院は首相の解散権も及ばない。内閣はしっかり支えるが、言いたいことは言うというのが基本線だ」という青木幹雄の発言を紹介しています。
 第7章「郵政民営化と権力の行使」では、2003年9月21日に幹事長に就任した安倍晋三の人事が、1980年以来守られてきた「総幹分離」(総裁とは別の派閥から幹事長を起用する慣行)が破られた異例の人事であったことが解説されています。また、2004年9月27日に、自称「偉大なるイエスマン」武部勤の幹事長への抜擢の理由を、「小泉がすでに、郵政民営化法案が通常国会で成立しない場合には、衆議院を解散する決意を固めていたから」であり、小泉の意向に従って総選挙の一切を実務を取り仕切る幹事長が必要であったからと解説しています。
 さらに、2005年の衆議院総選挙において、「刺客」候補の擁立が可能になった理由として、中選挙区制では、「刺客」候補を放っても、対象とされた候補も当選できる可能性があるのに対し、「基本的には一人しか当選者が出ない小選挙区制であればこそ党の方針に従わなかった政治家に、対立候補を擁立することが意味を持つ」と述べています。
 終章「権力の一元化と2001年体制の成立」では、2001年体制の最大の特徴として、「首相がはるかに強い権力を行使できる」ことを挙げ、「2001年体制は集権的な体制」であることを指摘し、「首相は他の政治家や政治組織に対し、非常に強い地位を獲得し、『首相支配』と呼べる状態がつくり出されている」ことを指摘してます。そして、「2001年体制が成立した歴史的意義」を、「以前の55年体制に対し、責任の所在と権力の所在が一致するようになったこと」を挙げ、「責任を取らされる以上、政策を立案する上で、必要十分な権力を与えられることは道理にかなったこと」と述べ、「権力を保持している政治家に責任を問う」という「民主主義の基本」がようやく実現し、「日本の民主主義の室は確実に高まった」と評しています。
 本書は、首相の権力を切り口に日本の民主主義の質を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 小泉政権については、その特異なキャラクター、属人的な要素や「ワンフレーズ・ポリティクス」と呼ばれる面ばかりが取りざたされることが多いですが、その底流には橋本~小渕~小泉と徐々に制度が整備されて強化されてきた首相の権限と、森政権の支持率の低さゆえに高められた自民党地方組織の声があったことを本書は指摘してくれています。
 また、「抵抗勢力」として悪役に仕立てた橋本派のトップであった橋本元首相が築き上げた首相集権体制の果実を得ることができたという点も大事なところです。


■ どんな人にオススメ?

・小泉政権の強さの制度的な裏づけを知りたい人。


■ 関連しそうな本

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 読売新聞政治部 『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』 2006年03月14日
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 世耕 弘成 『自民党改造プロジェクト650日』 2006年12月19日


■ 百夜百マンガ

終戦のローレライ【終戦のローレライ 】

 映画→マンガのパターンはよく見かけますが、小説のコミカライズは最近見かけないような気がします。昔は「アフリカの爆弾」とか面白かったです。

投稿者 tozaki : 2006年12月26日 23:00

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