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2006年12月27日
金融工学者フィッシャー・ブラック
■ 書籍情報
ペリー・メーリング (著), 今野 浩, 村井 章子 (翻訳)
価格: ¥2940 (税込)
日経BP社(2006/4/20)
本書は、現代ファイナンス理論の誕生に大きく貢献し、「マクロ経済学と金融理論のさまざまな問題に生涯を通じて取り組み続けた研究者」でもあるフィッシャー・ブラックの生涯を扱った評伝です。そして、ブラックという独創的な人物に、CAPM(資本資産評価モデル)の扉を開き、ファイナンスに革命的な発想をもたらす道筋をつけたジャック・トレイナーに関する記述に多くを割いています。
トレイナーは、サミュエルソンによる「この世でただひとつ価値ある貨幣のために身を粉にする。その貨幣とは、経済学者からの賞賛である」という経済学者の定義には当てはまらない実務家であると述べられています。そして、トレイニーは、「現代のファイナンスを特徴づけるのはリスクと時間である」と述べ、ブラックの特異な才能が生み出したモデルについて、「どれも鋭い洞察から生まれたエレガントなモデルだ。これらのモデルによって、世界の見方が変わった」として、そのなかでも最も有名なブラック=ショールズ公式によって後のデリバティブ革命が可能になったと語り、ブラックが、「優秀な学生の前では老練な理論家、有能な数学者の前では数学の分かる物理学者、混乱から利益が生まれる現場では緻密な分析能力を持つ実務家」であったと回想しています。さらに、ブラックにとって、「本質的な発見をするためには、それまでの常識を疑ってかからなければならない」ことが魅力的であり、「地味な三揃えに身を固めてはいても、ブラックの本性は反逆者だった」、「彼の本能は既成価値の破壊へと向かわずにはおれない。それは、組織や制度にとっては脅威だったけれども、正当と認められた学説や理論に対する攻撃は、けっして否定のための否定ではなかった」と語っています。
また、ファイナンス分野における革命的な理論が、リスクに関するものであり、「資本資産評価モデル(CAPM)」が、「リスクの高い株式ポートフォリオについて、リスク・エクスポージャーを増やさずに期待リターンを高める方法」を教えてくれるものであることが述べられています。
著者は、「ファイナンスの分野で、ブラックのモデルは世界の見方を変え、それによって世界を変えた」と述べ、「リスクと時間の捉え方が変わったことは、単なる金融制度改革などよりもはるかに大きな意味を持つ」として、「リスクと時間にまつわる新しい知識を持つことによって、社会そのものについての理解が深まり、個人のみならず集団の生き方」も変わり、ブラックが、「個人と社会の両面でパイオニアであろうとし、両方を現代ファイナンス理論に沿って組み立てようとした」ことを述べています。著者は、ブラックが30歳近いときにCAPMに出会い、その後30年間に渡って、CAPMが「生涯かけて解くべき問題の最後のジャンプ台」となり、「そして彼は、それをやった」と語っています。
第1章「知的好奇心の芽生え」では、フィッシュ少年が「ごく小さな頃から抜きん出て賢かった」こと、「上の地位にいる専門家に疑問を提出するという終生の習慣」が高校時代には芽生えていたこと、大学3年生の時に最初の結婚をし、卒業後するに子供が生まれたこと、大学院では人工知能、とりわけ「それを使ってどうやって人間の能力を高めるか」に関心をもったこと等が語られています。
第2章「未完成のアイデア」では、ブラックの金融や経済に対する見方が、すべてジャック・トレイナーから始まり、「彼にとって最初にして最大の師」であったことが述べられています。また、トレイナーのCAPMが、「統計学から株価決定論にいたるまでのごく当たり前の考え方を応用したもの」であり、「サイコロの確率論を株式にも当てはめ、何はともあれ多数の銘柄で構成されたポートフォリオをもつ方が、単一銘柄だけを持つよりもはるかにリスクが小さい」ことを論じたものであることを述べています。
また、ブラックがシカゴ大学のマイケル・ジェンセンと出会い、シカゴ学派の「効率的市場仮説」に基づくCAPMの解釈を目の当たりにすることで、「ブラックはCAPMと効率的市場仮説の両方が成り立つ世界を解明したい」と思うようになったことが語られています。
第3章「経済学教育」では、ブラックはCAPMをトレイナーから直々に教わった、たった一人の人間であったため、経済学用語でなければ話すことができない他の研究者たちにはCAPM理論はポイントが理解できず、「CAPMという新しい理論が根を下ろし発展するためには、経済学者の手で改めて『発明』されなければならなかった」ことが述べられています。そして、1964年に「ほんもの」の経済学者であるウィリアム・シャープの手によって CAPMのアイデアが発表され、翌年にはジョン・リントナーが続いています。シャープとブラックは1967年3月に初めて会っていますが、そのときのブラックの印象は、「専門の教育を受けてきた同僚よりも」ファイナンスに詳しく、「生まれつきの能力」だと解釈され、「とにかくフィッシャーはものすごく頭がいい」というものであったことが述べられています。
ウッドストック・フェスティバルのあった1969年には、ブラックは「トレイナーの均衡理論を足がかりに自分なりの『反体制』理論を構築するのに忙しい夏」であり、彼が想像する「理想のCAPMの世界」は、「ジョン・レノンの『イマジン』に歌われるような兄弟愛の世界ではない。『誰もが分かち合い財産など持たない世界』とは正反対の世界」であったが、「ブラックにとっては、まごうこかたなきユートピア」であったことが述べられています。そしてブラックは、「論理が完璧で破綻がないと納得」できるという理由で、「CAPMと効率的市場仮説の両方を支持する立場」をとり、「CAPMも効率的市場も、世界をありのままに扱うことができない。だが、未来の世界を正確に予測している」と考え、「生涯の半分を興味のおもむくままに過ごしてきた若い頭脳が、とうとう飽くことを知らぬ知的好奇心を注ぎ込むに値する深くて広いテーマにめぐり合った」ことが語られています。
第4章「CAPMとともに」では、MITのマイロン・ショールズが、ジェンセンの紹介でブラックに会い、ともにファイナンス理論の応用に強い関心を持ち、「それぞれに得意とするところが違い、補い合い助け合うことができそう」な研究スタイル、すなわち「ブラックは理論に強く、ショールズはデータに強い。ブラックは何事にも疑問を抱く内気なタイプ。ショールズは気が強く外交的」であったため、二人のコンビが誕生したことが述べられています。そして、ブラックは、効率的市場に関する新しい理論を試す役回りでウェルズ・ファーゴ銀行のケースを引き受けるために、独立して自分でコンサルティングを始め、ウェルズ・ファーゴのスタッフを使い、「理論を使って実証研究を導く」仕事に取り組んだことが語られています。ウェルズ・ファーゴの社員から見たブラックの姿は、「ものすごい集中力で没頭し、次から次へと何時間でもぶっ続けで、しかも緻密に仕事をこなし、疲れたそぶりさえ見せない。唯一のエネルギー源は、何杯もお代わりする甘いアイスティーのだけ」というものであり、何よりも感嘆すべきは、「1ヵ月分の仕事をたった1日でチェックして次の指示を出してしまう」という「彼の有能ぶり」であったことが語られています。
著者は、「ブラックとショールズがウェルズ・ファーゴのために行った最大の貢献」は、「ステージコーチ(駅馬車)・ファンド」と名づけられた「二人が編み出した投資戦略」に基づく実際のファンドが売り出されたことだと述べていますが、ウェルズ・ファーゴの社内にはこのファンドの強硬に反対するビル・フォースがおり、「ある重要な会議でフォースが勝利を収め、ブラックが憤然として席を蹴った」日が、のちのちまで「アルファが死んだ日」と語り継がれ、ブラックが冷静さを失ったのはこのときぐらいのものであることが述べられています。
ブラックとショールズは、後の事後分析において、「イノベーションは高くつくし危険でもある」と総括し、「ステージコーチ・ファンドは最終的には頓挫したが、それは政府の規制が原因であると同時に、これまでにない新しい商品に投資を募るのが難しいせい」でもあッ他ことを認めています。そして、「いろいろ問題点はあるにしても、今後、レバレッジの有無を問わずさまざまなファンドや関連商品が次々に登場することはまちがいない。遅かれ早かれ、個人投資家のためのファンドも必ず売り出されるだろう」という二人の予言は数年のあいだに現実になり、世界最大のファンドに成長したことが語られています。
第5章「ブラック=ショールズの公式」では、ブラックが「オプション価格付けの問題に一意解を与える微分方程式を、ブラックが69年6月までに導き出した」が、それを解くことはできなかったこと、彼がもっと物理学に詳しければ、この式がおなじみの熱拡散方程式の一種であることに気づくことができ、もっと数学の造詣が深かったら、基本原理に基づいて方程式を解くことができたであろうことが述べられています。そして、ブラックは「式を解こうと何日も悪戦苦闘した挙句、ついに棚上げ」してしまいます。その後、ブラックとショールズ、さらにはマートンが加わってこの方程式の導出方法に検討が加えられ、「自分たちの研究成果に興奮した3人」は、「ブラック=ショールズ公式を使って割安なワラントを突き止め、せっせと取引に励む」ものの、「3人とも討ち死にという仕儀に終わった」ことが語られています。ブラックは、「ときに市場は公式よりも賢いこと」を認めざるを得なかったと述べられています。
当時の正統派経済学にとって、ファイナンスと名の付くものは「外様」であり、サミュエルソンは、「ファイナンスは私にとって日曜日に絵を描く趣味のようなものだった。日曜画家はプロには相手にされない。レフェリー付きの専門誌に論文を掲載してもらえないから、大勢の人に読んでもらうことすらできない」と語り、当時ファイナンスを専攻しようとした大学院生は、「ファイナンスなんて、経済学からみれば、医者からみた骨接ぎみたいなもの」だと警告されたことが紹介されています。しかし、ブラックが68年に研究に着手したときは学術界の異端だったオプション価格問題は、「いつのまにか時流に乗」り、シカゴ大学の経済学者たちが参入し、「他の大学や研究機関がブラックにようやく関心を抱き始めた頃、シカゴ大学がいち早くブラック獲得に乗り出した」こと、SECが新しいオプション取引所の創設を認め、73年4月26日にはシカゴ・オプション取引所がオープンし、直後にブラック=ショールズ公式が発表され、「ほとんど一夜にして、脇役は主役になっていた」ことが語られています。
第6章「マネー・ウォーズ」では、ブラックが貨幣について「単純化した世界に関する自分の結論は複雑な現実世界にも当てはまる」と主張し、「もし当てはまらないなら、そこにはまだ生かされていない利益機会があることになる。そうした利益機会をどしどし利用していけば、やがて全体の仕組みが変わり、単純化された世界に近づいていく。単純世界に関する自分の結論は、均衡理論に基づいているのだから堅固である。他の説はそうでないから信頼性に欠ける」との言い分を持っていたことが語られています。
第7章「変動相場制」では、ブラックは76年に、「資本資産評価モデル(CAPM)を使って先渡契約の価格式を導出し、先渡しと先物の違いを説明」する独創的な論文を書き、「証券オプションの価格を求めるブラック=ショールズ公式と同じ考え方を使い、商品先物のオプション価格式も導いた」ことが紹介されています。
また、シカゴ大学の大学院教授の地位を確保したブラックが、「学内のあちこちで繰り広げられる経済学の議論に首を突っ込」み、「社会規範に従わないからと制裁を受けることもなく自由な異端者」でいられるシカゴ大学が、「至極心地よかった」ことが述べられています。一方で、苦痛であった「教える義務」に関しては、「すでに解決済みの問題を教室で講義するのはひたすら退屈」であり、時間の無駄だと考えていたため、「学期のはじめに、質問のリストと読むべき本や論文のリストを渡す。授業ではそのなかから3つか4つの質問を取り上げて議論し、学生も私も一人一人意見を述べる」というシステムを採用することで、最低だった学生からの評価が最高に跳ね上がったことを紹介しています。
第8章「スタグフレーション」では、MITに移ったブラックが、ネオ・ケインジアンだらけのMITの、学説上の援護射撃は期待できなかったなかで、物理的にも孤立していることを好み、興味を抱く分野で研究している人のところに、「ブラックだ。君の論文を読んだよ。悪いが、12ページに書いてあることをちょっと説明してくれ」という電話をかけていたことが紹介されています。また、学生にとっては、ブラックの授業は、「ファイナンス用語の『ネイティブ・スピーカー』の面前で自分の文章を組み立てる鍛錬の場」であり、ブラックは、学生の言ったことにインスピレーションを受けると、「金のボールペンを取り出してメモを書き留める」ので、「先生の講義をストップさせて、ボールペンを取り出させるようになりたかったものです」と学生が回想していたことが述べられています。
ブラックは、ケインジアンとマネタリストが真っ二つに別れて論争するスタグフレーションの議論の中に「敢然と足を踏み入れ」、「景気変動は均衡の一種ではないか」という疑問を投げかけ、「景気変動の原因は不均衡ではなく不確実性だ」と主張しています。ブラックは、「景気循環の根本的な原因は、生産パターンと需要パターンのミスマッチにある」と考え、「総量よりも、個別部門の生産と需要パターンの方が重要だと考えた」ことが紹介されています。そして、「ブラックはファイナンスに関しては超一流だが、経済のことはてんでわかっていないという風評」が流れたことで、ブラックが「自分のアイデアを発展させようと、いよいよ決意を固める」ことになったことが語られています。ブラックは、「資本収益率が大幅に変動するのは、将来キャッシュフローの価値が不確実だから」であり、「将来キャッシュフローの価値が不確実なのは、ごくミクロ的な問題である」と考え、「適切な選択をするのに必要なこまかい情報を何一つ知らぬまま、設備投資や生産の決定を下さざるを得ない」うえ、「新しい情報が次々と入ってきて将来予測が上下に振れるため、個別企業の資本価値は変動」し、新情報は、「全ての企業の価値に一様な影響を及ぼすことが多いため、資本家智の合計も変動することになる」とし、新しい情報が将来の需給関係にミスマッチする方向にも作用するというアイデアを持っていたことが述べられています。ブラックはこのアイデアを78年4月に「一般均衡と景気循環」という論文にまとめ、相当な期待をかけて次々とセミナーなどで発表しますが、「定評ある専門誌で論文を載せてくれるところはなかった」と述べられています。しかし、この論文には、「景気変動をかなり抽象化して扱っている」という明らかな問題点があるうえ、「ブラックの理論は伝統的なマクロ経済学の理論と何の接点も持っていなかった」ため、「ブラックが望んでいた革命をマクロ経済学にもたら」すのは、70年代後半のロバート・ルーカスの誕生を待たなければならなかったことが語られています。
第9章「再び実業界へ」では、ブラックが、「学ぶ場としてはゴールドマンの方が大学より優れていた。おそらく企業は、新しい状況に対応するために学び続ける必要があるからだろう」という理由のために大学を去り、ゴールドマン・サックスを選んだことが語られています。また、ゴールドマンの方がブラックを登用した理由としては、
(1)年金基金の投資方針:年金資金に認められた優遇税制で株主と年金受給者の両者が受ける利益に注目し、税金のサヤ取り(裁定取引)と言える方法を提案した。
(2)企業会計理論:会計士は企業収益の評価を企業価値の評価に転換すべきであることを主張した。
(3)資本予算の策定手法:将来のキャッシュフローについて無条件の予想を立てるのをやめ、市場におけるリターンが無理すくむ金利に等しいと言う条件を設定することで現在価値の予想制度を上げ、よりよい投資判断を下せるようになる。
の3つの理由について解説されています。
第10章「トレーダーの世界」では、ブラックの仕事の大半が、「彼の自前の記憶力を補い外部記憶装置」の役割を果たす「シンクタンク(ThinkTank)」と命名されたプログラムに収録され、「読んだり見たり聞いたりしたこと、あるいはふと思いついたことなどは、全てこのデータベースに放り込まれ」たことが語られています。また、データ・ファイルのほとんどは、三段キャビネット7本にもなる紙のファイルと関連づけられていたことが解説されています。ブラックはいったんコンピュータの前に座ると、「ファイナンスの問題解決に没頭する思考マシン」になり、早朝や深夜にも読んでいる論文の著者に電話し、昼食は毎日デスクで「脳の食べ物」である白身魚のボイルをミネラルウォーターに流し込む生活を送っていたことが語られています。
ブラックの頭からは、「いったい証券取引の手法上、永久的な利益の源泉として信頼に足るものはあるのだろうか」という根本的な疑問が離れず、「長期的な均衡の下では必然的に利益の源泉は減っていく」ことに頭を悩ましていました。そして、この問題を考え抜いた結果、完全な均衡状態であっても、
(1)中央銀行による為替市場や信用市場への介入を利用する。
(2)「フロー」を取引すること。「フロー取引で上げられる利益は、一般に過小評価されている」
の2つの利益の源泉があるという結論に到達しています。ゴールドマンサックスは、ブラックの論文から、
(1)フロー取引から得られる情報のメリットを生かせば、かなりの長期間にわたって利益を上げ続けられる。
(2)そうした情報のメリットを最大限に生かすためには、均衡状態での取引が望ましい。
の2つのメッセージを読み取ったことが解説されています。
第11章「一般均衡の探求」では、ブラックの人生において、皮肉なことに、「彼が生涯を通じて信奉していた理想のCAPMの世界ではオプションは端役に過ぎないのに、人生で機会の扉を開くのは、つねにオプションに関する業績だった」として、CAPMが想定する株式と無リスク資産だけの世界から、どんどん離れて「現実の世界ではデリバティブが大流行」していった謎にブラックが挑戦していったことが述べられています。そして、「デリバティブが叛乱するのは理想世界からの逸脱ではなく、理想世界へ向かう過程である」とブラックが考え、ブラックがゴールドマンで、「デリバティブは問題の原因ではなく解決であることを学んだ」こと、すなわち、「市場がモデルより賢いことを確認した」ことが語られています。
そして、1987年10月19日の月曜日、ブラックマンデーと呼ばれるこの日に、ブラックは目を輝かせ、「まさに歴史がつくられる瞬間にわれわれは立ち会っているんだ」と、「手を叩きながら愉快そうに叫んだ」ことが述べられています。そして、市場関係者は、「あれほど大幅な下落を均衡理論で説明できるはずがない」と考えていたのに対し、ブラックは、「相場が下落する根本的な原因は、投資家のリスク選好が変化すること」であり、「この変化はクラッシュに先立つ数年間に徐々に起きていたが、市場参加者が気づかないため、いざ暴落が始まるまで価格に反映されなかった」ことを説明する「暴落の均衡モデル」を発表しています。そして、「クラッシュを引き起こしたのはノイズである」と結論づけ、「投資家が考える平均回帰が実態に即していれば株価はあれほど上昇しなかっただろうし、その後にあれほどの大幅下落による調整をしなくて済んだだろう」と考え、「今回のクラッシュは、情報コストとノイズ・とレーダーを組み込んだ拡張型均衡モデルの範囲内に十分おさまるものだった」と解説されています。
1995年3月、癌が再発し、快復の望みがないと考え、治療を断固拒絶したブラックは、5月1日にジャーナル・オブ・ファイナンス誌に書き上げた論文を送付する際に、「この論文の掲載をお願いします。ただしレフェリーから何か指摘があっても、直すことはできないかもしれません」とのメモを添えています。また、5月3日、フィナンシャル・アナリスツ・ジャーナル誌に送付した論文のメモには、「奇跡が起きない限り、これが私の最後の投稿です。貴誌とは長いつきあいでした。感謝しています。今後のますますのご発展をお祈りします」と書かれていました。
1995年8月30日、静かに息を引き取ったブラックの死後、ブラックの最後の論文は秘書によって、ハーバードの若手経済学教授であるエド・グレーザーに送られています。
終章「この世に変わらないものはない」では、ブラックの死後、その評価は一段と高まり、ブラックの葬儀で「追悼の辞を述べた人たちの名前を並べるだけで、アメリカのみならず世界に金融革命を起こした先駆者たちの紳士録が出来上がってしまう」ほどであったことが述べられています。
著者は、「ブラックが考える均衡市場は立った2つの数字で説明できる。金利とリスクの価格である」と述べ、「この2つの数字は集団としてのリスク許容度を表すものであり、投資選択の指針となりうる」ものであり、「2つとも、不確実な未来に臨むときの心理を説明したに過ぎない。重要なのは、不確実性を扱う方法を投資家に教えてあげることだ。そして資本資産評価モデル(CAPM)にはそれができる」と解説しています。
著者は、「新しいアイデアを思いついて現実の世界に投じる時、結果がどうなるかをブラックはほとんど考慮しない」、「ブラックの目から見れば、経済とは本来的に変化のプロセス」であり、「新しい考え、新しい提案が投げ込まれれば、必ず新たな問題を引き起こし、新たな解決策が必要になる。一つ一つの瞬間を切り取れば経済は均衡しているが、時間の推移の中で考えれば経済は変化している。そして、変化の道筋を事前に知ることは不可能である。どんな変化も、実際に試して見なければ感じ取れない」というのが、ブラックの持論であったと述べ、「彼のこの現実主義と実験精神は、象牙の塔よりもビジネスの現場で高く評価されている」ことを語っています。
また、ブラックにとって、CAPMは「北極星」であり、「絶対的に信頼できるこの磐石の道案内役がいたから、どんな状況に直面しても動揺せず、一貫した姿勢を貫くことができた」と評しています。
世知辛い金融という世界に革命を起こした、内気な理論家にして実践主義者であるブラックの生涯は、金融にまったく関心がない人にも、ぜひお奨めしたい一冊です。
■ 個人的な視点から
アマゾンのレビューにもありましたが、タイトルに「金融工学者」と付けちゃうのはいかがなものかと思います。単に金融工学の枠組みのみでブラックを捉えることは、ブラックが理論と実務の両方に精通していたことを示す本書の内容とも矛盾しますし。
そうは言っても、ブラック=ショールズ方程式は金融工学とは切り離すことができず、金融に関心をもってもらうために、「金融工学」という言葉を持ってくること自体は仕方ないかもしれませんが、ブラックを「金融工学者」に限定して位置づけてしまうことは失礼ではないかと思います。
せめて、『フィッシャー・ブラック~金融工学を拓いた男』とかでしょうか。売れるタイトルかどうかは別として。
■ どんな人にオススメ?
・無機的な印象のある金融の世界を拡大した人間臭い世界を知りたい人。
■ 関連しそうな本
デイヴィッド サルツブルグ (著), 竹内 惠行, 熊谷 悦生 『統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』 2006年11月23日
ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』
今野 浩 『金融工学20年~20世紀エンジニアの冒険』
デービッド・G. ルーエンバーガー (著), 今野 浩, 枇々木 規雄, 鈴木 賢一 (翻訳) 『金融工学入門』
ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
エマニュエル ダーマン (著), 森谷 博之, 長坂 陽子, 船見 侑生 (翻訳) 『物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進』
■ 百夜百マンガ
バタアシ金魚からドラゴンヘッドへの過渡期的作品というか、初期のギャグ路線と座敷女とかのシリアス路線とが混在している不思議なテイストの作品です。
投稿者 tozaki : 2006年12月27日 19:00
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