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2007年01月25日

東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み

■ 書籍情報

東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み   【東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み】

  山本 雅基
  価格: ¥1680 (税込)
  実業之日本社(2006/03)

 本書は、日本最大のドヤ街である「山谷」に「身寄りのない人、行き場のない人」が入居するホスピス「きぼうのいえ」を作った著者自身による3年半の記録です。この「行き場のない人」とは、「多くは抱えている疾病のために施設ホスピスには入れないひと、病院を出されて行き場を失ったひと、退院はしたもののひとりでは暮らせず、かといって療養施設にも入れないというひと」と述べられています。
 著者は、きぼうのいえの入居者を、「身寄りがなく、行き場を失った、余命にかぎりのあるひとたちのための家」と定義し、「おのずと在宅型のホスピスケア施設の様相」を呈してくると述べ、「施設ホスピス」ではないため医療的な設備はなく、「ごく普通に生活しながら、死を受け入れていく家」だと語っています。
 著者は、「実際に波乱万丈な人生を歩んできた人のユニークさについていくのはなまやさしいことではない」と率直に語り、「金にまつわる家族や血縁とのドタバタはきぼうのいえでは結構多く、親族とのトラブルのほとんどが金にまつわるもの」だと述べています。そして、「人生の終わりの時期に持つ悩みや痛み全体へのケアが必要」として、「ホリスティックケア」(全人的ケア)と名づけています。
 第2章「ぼくがきぼうのいえを建てるまで」では、1985年の日航機墜落事故の報に接した不安から「悲しみの底にあるひとのそばで生きることだけが、自分の使命である」と天命を受け、ボランティアを始め、その延長線上にファミリーハウス運動の活動に携わり、そして著者自身もうつ病とアルコール依存症にはまり込むバーンアウトを経験、そして、この「飲んでも飲まなくても『地獄』」という状態から、「三度の飯より好きだといわれる『人助け』によって」、自分自身が救われたと語っています。そして、『ボランティア第一号兼自分の奥さん」との出会いや、廃業したラブホテルやパチンコ屋を紹介された物件探しの苦労が語られています。
 また、施設の名前を決めるときには、「ストレートが一番」ということで「希望の家」、「山谷には漢字が読めない人も多い」という理由で、「きぼうのいえ」という名前が決まったことが語られています。
 第3章「とうとうオープン」では、「お風呂に入りたい人はいませんか」と炊き出しの場で声をかけては怪しまれ、「突飛な、ある意味独りよがりな善意の表現というものは、相手に恐怖心を起こさせる薄気味悪いものでしかないことをしみじみと実感した」と語っています。また、台東区役所では、ドヤに住む人には山谷の旅館業組合との話し合いの結果、6万6千円支給されているのに、在宅ホスピスに住む人への住宅扶助は5万3700円であると示されて奥さんが「切れた」ことが語られています。
 しかし、運営開始の3ヵ月後、「何とか運営が軌道に乗ろうとしてきた矢先」に、著者自身のうつが再発し、「まるで『休め』と強制終了をかけるように、頭の中でうつのボタンが押されたのを自覚」したと語られています。
 第4章「看取りのとき」では、「お葬式っていうのは、天国に誕生するお祝いの日なんだよ」という司祭の言葉が紹介されています。また、「人をだまして金銭的報酬を得て身を立てること」を常習とし、原野商法などに手を染め、「無縁仏にしてください」を遺言に残した入居者のエピソードや、大柄な元ヤクザの認知症の入居者の「ぼけたとき、人は元来持っている個性を隠し立てできなくなる」人柄の魅力などが語られています。
 そして、立て続けに問題を起こす入居者に、著者自身が手を挙げてしまい、ソーシャルワーカーと対立し、スタッフの間にも動揺が起き、著者がストレスによるパニック障害で救急車で運ばれたエピソードが語られています。
 「エピローグ」では、「ほんの小さなつまずきで人生を棒に振ってしまうような罠が、この社会にはいくつも張り巡らされている。そうしたひとたちにこそ、人生の最後に、生きる希望を取り戻し、悲しみを癒し、希望とともに次のステージすなわち死の世界に進んでいくための場所が必要なのだ」という著者の使命感が語られ、「人生の総集編に寄り添える毎日を、幸せだと思う」という思いが語られています。
 本書は、「人助け」によって救われた、著者自身について語られた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「山谷」と言えば『あしたのジョー』ですが、「なみだ橋を逆に渡る」の名セリフの舞台となった泪橋は今やすでになく、橋の下に「丹下拳闘クラブ」もなく、橋がかかっていた「思川」は埋め立てられ明治通になってしまったそうです。
 本書では、「山谷」の語源は、「付近に山麓があったことから『三谷』、あるいは三軒の民家があったことから『三家(三屋)』と呼ばれていたのが」転じたものなど諸説あるとしています。
 この「ドヤ」という言葉は、「簡易旅館を示す『宿』(ヤド)をひっくり返して『ドヤ』と呼ぶ」もので「自嘲的な響を持つことばだ」と書かれていますが、言葉をひっくり返して符牒・隠語にするのは、一般的な気もします。「角袖」→「クソデカ」→「デカ」とかありますし。


■ どんな人にオススメ?

・泪橋の向こう側を覗いてみたい人。


■ 関連しそうな本

 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 大山 史朗 『山谷崖っぷち日記』
 渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
 町田 洋次 『社会起業家―「よい社会」をつくる人たち』 2005年02月16日


■ 百夜百マンガ

東京防衛軍【東京防衛軍 】

 実は「東京防衛軍」という組織は実在したらしいのですが、この作品はおそらくまったく関係ない、というか「陸軍中野予備校」みたいなもんでしょうか。中央線だし。

投稿者 tozaki : 2007年01月25日 07:00

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