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2007年02月20日
GHQ日本占領史 (20) 教育
■ 書籍情報
天川 晃
価格: ¥6510 (税込)
日本図書センター(1996/12)
本書は、GHQの民間資料局(CHS)によって編纂された『日本占領のGHQ正史』を翻訳したもので、この正史は、米第8軍軍政局による『軍政活動報告書』に匹敵するもので、「占領史研究に不可欠な資料である」と評されています。占領政策は、当初にはニューディーラーによる積極的な改革が行われたものの、東西冷戦を契機に、1948年に「改革」から「復興」に大きく転換したといわれているなか、教育に関してはこの「逆コース」なるものは存在せず、「計画されたものは全て達成された」と解説されています。
教育の改革は、
・教員パージ:戦時中、生徒たちに軍国主義的・超国家主義的思想を吹き込み、生徒たちを戦場にかりたてた教師たちの公職追放。
・歴史教科書の作成:教科書から軍国主義的な思想を除去する墨塗りや史実に基づいた『くにのあゆみ』の作成。
などからなり、
・軍事教育が徐々に教育内容・方法に強力な影響を及ぼすにいたったこと。
・教師への監督が警官的機能を果たし、超国家的イデオロギー強化に寄与したこと。
・青年団が軍国主義者によって教育手段として利用されたこと。
など、「戦前の教育が国民思想形成に起用したことを批判し、戦後は憲法に基づいた個人の民主的育成こそが究極の目的である」とされたことが解説されています。
第1章「降伏前の状態」では、1872年に、全国の教育制度の確立を規定した教育令が発布され、256校の中学校と5万3760校の小学校、8大学が設立されることになったこと、1890年には明治天皇が教育勅語を発布し、この直後によって唱導された道徳および倫理の概念が、その背後に天皇が神に起源を持つということを一般に承認されていたことから強力な情緒的宗教的拘束力を持っていたことなどが解説されています。
また、占領直前には文部大臣は内閣の中で重要なポストの1つとみなされ、「極度の中央集権化された教育制度の組織と指揮監督の責務を担うとともに、軍事教練、芸術、科学、文学、宗教、娯楽および青少年の活動と組織に関与」し、「50万人の教師を指揮監督し、約20万人の僧職者を管理」していたこと、そして同省が「軍国主義者や超国家主義者に支配され、その効果的な道具」となったことが解説されています。戦前の教授法は、「高度に標準化」され、「中央の行政当局によって出された指示に確実に従うことが要求」されていたと述べられています。
1938年には文部大臣に荒木貞夫将軍が任命され、「学校制度に対する軍国主義者の支配は完全なもの」となり、「軍国主義者の教育支配や学校における超国家主義・軍国主義の宣伝」に教員が協力しなかった場合は、「免職あるいは投獄が待ち受けていた」と述べられています。
第2章「降伏後の状態」では、ポツダム宣言の遂行の1つが、「すべての軍国主義者・超国家主義者および占領の目的および反対者を教育機関から追放すること」であり、「不適当な人物の解任」が、主要目的の1つとなり、連合国最高司令官への指令の主要課題でもあったと述べられています。1946年1月4日の「総括的な追放令」によって、「政府の雇用者たる40万人以上の教員および教育官公吏が影響を受け」、適格審査方法の改訂が必要となったこと、1949年4月末までには、総計94万2459名が第1次適格審査手続きを受け、3151名が不適格であったことなどが解説されています。
1946年3月にはアメリカの著名な教育者からなる使節団が来日し、
(1)日本の民主主義について研究し、学科課程・教科書・教師用参考書、視聴覚教育について勧告すること。
(2)日本の再教育の心理的側面について、教育方法における心理的修正、言語改革、教育刷新における優先順位、学生・生徒の独創性の開発、教師の再教育についての勧告。
(3)短期的および長期的改革、文部省の再編および地方分権化の諸問題の観点から行政を分析すること。
(4)高等教育、図書館、学術研究所、学生と教授団の自由ならびに社会科学の新たな方向づけについて研究すること。
の4つの領域についての分科委員会があったことが紹介されています。
そして、1946年8月9日には、「ない核と同等の地位を有し、文部省から独立した常設委員会」である教育刷新委員会が設置され、
・6年制の小学校の上に、それぞれ3年ずつのレベルの異なる2つの中等教育機関を設置すること。
・その上に3年、4年、5年制の大学を設置すること。
・安定した社会的・財政的基盤に立つ私立学校を設置すること。
・教育行政の民主化・地方分権化。
などの具体的勧告が最初の公式報告書に含まれていたことが述べられています。
1948年には、教育勅語にとって代わるべきものとして、国の教育理念を確立し、一般に「教育憲章」と呼ばれる教育基本法が制定され、「憲法上の保障を再び声明し敷衍したものであるとともに、教育の村長と虚位くの独立を強調し、公務における教育の優先を確立した1946年8月3日の決議そのものを法律として制定したもの」であり、米国教育使節団と教育刷新委員会の勧告を組み入れたものであることが述べられています。ここでは、教育の目的を、「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。それは人格の完成と、心身ともに健康で、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労を重んじ深い責任感を持ち、平和的な国家および社会の形成者として、自主的精神に満ちた国民の育成である」と規制されたことが解説されています。
行政の地方分権化に関しては、行政の地方分権化と適任教育者への権限の委譲を達成するために、軍国手主義的・超国家主義的政策を拒否する一方で、学校に対する現実の行政権が都道府県・市町村の公選の委員会に委ねられるべきものとされ、教育者たちは、「公選制の下での教育は政治的影響を受けるのではないか」と恐れ、「あまりにも唐突で、かつ重要なこの地方分権化について深刻な不安を抱いていた」が、「民主的学校制度の進展は、成功も失敗も、国民自身に委ねられるべきであるという考え」に基づき、改革に着手したことが解説されています。
1948年には教育委員会法が公布され、この法令は、委員会権限の制約など若干の欠陥があったものの、「教育に関する権限を官僚的な中央官庁から国民自身に委譲する過程における革命的な措置であった」と評されています。教育委員会には、
(1)都道府県教育委員会:関係都道府県の設置した学校その他の教育機関を管理するべくすべての都道府県に設置された。
(2)市町村に設置される地方委員会:市町村などの関係地方公共団体の設置した教育機関を統制するために市町村に設置された。
の2つのタイプがあり、「かつて府県ないし市町村の当局が扱っていた教育事務に関する権限」が付与されたことが述べられています。また、私立学校についての所管については、文部省が、「学校教育法の権限」にもとづき、「都道府県に属する」という公式見解を発表したことが述べられています。
教育委員会には、
(1)学校の設置および廃止
(2)学校の運営および管理
(3)教科内容
(4)教科書の選択
(5)関連法律の規定に基づく教員および校長の任免
(6)委員会の管理下にあるその他の職員の任免
(7)教職員の組織する労働組合
(8)建物の修繕・建築
(9)教材・設備
(10)委員会の所掌にかかる予算
(11)財産および積立金の管理
(12)他の教育委員界との契約
(13)社会教育
(14)専門的教育職員の再教育と自己改善
(15)証書および公文書の保管
(16)教育事項の調査および統計
(17)法律に別段定めのないその所管地域の教育事務
などの事項に関する管轄権が与えられ、その最初の選挙日は1948年10月5日とされたが、「旧制度から新制度への移行に伴う諸問題」により地方委員会設置予定が1952年まで延期されたことが述べられています。
財政問題に関しては、教育改革の成否が、「その大部分が十分な財政援助を得られるかどうかにかかって」おり、「学校の経費は、何倍にも膨れ上がり、それにインフレーションが国全体の直面している克服し難い財政的不均等に追い討ちをかけた」と述べられ、「建築および設備の老朽化に戦災が加わった」ことで改修・改築が必要になり、「人口増と義務教育年限の延長の結果、在籍数は増加」し、改革計画の莫大な支出は、「とくに新制中学校の新校舎および設備」において著しかったと述べられています。
1948年には、3つの法律によって学校教育費の国庫負担区分が改められ、
(1)義務教育費の国庫負担は、1940年に50%と定められたものが、学校教育法において確認された。
(2)高等学校定時制課程の教員給与は、都道府県が負担していたが40%の補助が認められた。
(3)市町村率の小学校、中学校、定時制、盲・聾学校の校長および教員の給与は都道府県が負担し、義務教育費国庫補助金の配分は都道府県の責任とした。
ことが解説されています。
また、戦時中には緊急事態として、学校財産が住宅と産業に転用されたために復旧は遅々として進まず、1948年11月には、最高司令官が、「学校用地が教育目的に必要なときは、私人、教育以外の政府機関または法人による使用を禁止すること」を命じたことを紹介しています。
さらに、地方公共団体は、旧制中学校の申請学校への切り替えを迫られていたが、ほとんどは新制中学校に切り替えられておらず、その理由には、旧制中学校当局者および教員たちが、「自分たちの」学校が下級の中学校に切り替えられることへの反対による圧力もあったことが紹介されています。
社会教育に関しては、1945年11月に、文部省から都道府県知事に対して、「可能であれば社会教育に関する特別の部局を設置するよう訓令を発し」、1948年3月までには福井県を除く全県がこれを設置したこと、1946年7月には、都道府県知事に、「全ての地域社会に、それ独自の文化的あるいは社会的な催しのための集会場所となる公民館の建設計画」を求めたことなどが解説されています。
1947年2月には、文部省は、「親が新しい教育計画に積極的に関心をもって参加するため」に、「父母と教師の会(PTA)」を組織することを援助し、「その組織、手続き、財政の諸措置について示唆」したことが紹介されています。
言語改革に関しては、1946年11月5日に国語審議会が、当用漢字を1850字に限定することを建議し、翌日には、政府は公式に、「当用漢字表と簡素化された仮名遣いを採用」し、政府部局に対して、全ての文章による伝達文にそれを使用するよう指示したことが述べられています。
本書は、日本の教育問題を考える上で、その再出発点である終戦直後の大改革を理解するための重要資料の一つです。
■ 個人的な視点から
教育基本法の改正問題で脚光を浴びた教育制度ですが、現在の制度、例えば小中学校教員の人件費負担や私学が教育委員会の所管外とされていることなどを考える上では、占領期のあわただしい制度改正、民主主義の理想と財政に代表される現実との間の揺り戻しなどを考えなくてはなりません。
■ どんな人にオススメ?
・戦後日本の教育制度のルーツと長いタームでの「逆コース」問題を考えたい人。
■ 関連しそうな本
カール・S. シャウプ (著), 柴田 弘文, 柴田 愛子 (翻訳) 『シャウプの証言―シャウプ税制使節団の教訓』 2007年02月13日
竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (13)地方自治改革』 2007年01月19日
天川 晃 『GHQ日本占領史 (38)地方自治体財政』 2007年02月15日
天川 晃, 増田 弘 『地域から見直す占領改革―戦後地方政治の連続と非連続』
勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
岡田 彰 『現代日本官僚制の成立―戦後占領期における行政制度の再編成』
■ 百夜百マンガ
「わいは猿や!」かと思ったら「貘」でしたか。
野沢直子の『はなぢ』に収められていた代表曲「バクバクバクバク大和田獏」を思い出してしまいました。
投稿者 tozaki : 2007年02月20日 07:00
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