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2007年02月25日
地図を楽しむなるほど事典
■ 書籍情報
今尾 恵介
価格: ¥1470 (税込)
実業之日本社(2002/12)
本書は、「明治時代からずっと統一された縮尺で全国的に整備してきた国家プロジェクト」であり、時代の移り変わりのドラマを日本全国の規模で面的に定点観測している地図を楽しむためのさまざまなアプローチ方法を紹介しているものです。
本書は、明治に東京が首都になりえたのは、江戸市街の3割を占めた大名屋敷の跡地を活用することができたからだという指摘を紹介しつつ、江戸時代の「切絵図」と大正8年(1919年)、平成10年(1998年)の東京の市街地の地図を比較しています。現在の都市の官公庁を始めとする公共施設の敷地は江戸時代の大名屋敷を活用したものです。本書では維新後も残った大名屋敷として西片町の阿部邸の敷地が、後に分割され、「どこまで行っても10番地」と呼ばれるようになったことが紹介されています。
また、豊橋市の大正6年の地図を紹介し、田んぼの中に出現した正方形の町が、都心部分から移転してきた遊郭であること、そして現在の地図では市街地の拡大によって遊郭の跡地も市街地に飲み込まれたが、道路の形に現在もその後をとどめていることなどが述べられています。同様の例として、東京の吉原が人形町付近から移転してきたこと、名古屋の中村遊郭の例、東京の洲崎遊郭が根津から移った理由が「帝国大学の学生の風紀を守るため」であったことなどが紹介されています。
一方、市街地が消滅していく様子も地図から読み取ることができます。
先日、隠していた膨大な借金が明らかになり、財政再建団体化が決まった北海道夕張市は、最盛期の昭和30年には11万人いた人口が約50年後には1万5000人ほどにまで減少し、その様子を地図からも読み取ることができます。市の北西部には、谷の斜面に段々畑のように炭鉱住宅がひしめいていたことが昭和47年の地図からも読み取ることができますが、並べた平成7年の地図では、その一体は「荒地」となっています。また、国鉄夕張線に並行して走っていた私鉄の夕張鉄道は廃止され、その跡地は自転車道路になっているそうです。昭和47年当時は北東部の炭鉱住宅付近にあった夕張駅も、2度の移転を経て、現在ではスキー場の近くまで2キロほど南下したことが読み取れます。
地図というと多くの人は、「客観的に作られている」ものだと無条件に思い込んでしまいがちですが、著者は、地図はあくまで地図製作者の「目的に応じた取捨選択の基準」によって結果が大幅に変わるものであり、「デフォルメという手段を用いて思想を表現する媒体」であると述べています。その例の一つとして、世界地図に用いられるメルカトル図法が、高緯度地方を拡大して表示してしまう特性を持っていることについて述べ、「社会主義国」を示す赤色を塗られたソ連の土地が大々的に拡大され「世界を支配しつつある」ような印象を与えていたことを指摘しています。
本書はどちらかというと雑学的な知識が多い傾向にありますが、実用的な内容としては、多くの人が苦労している、子供の学校までの通学路や自宅から最寄り駅までの略図の描き方を解説しています。よくあるパターンとして、端から書き始めて目的地に近づくにつれ説明が細かくなりスペースが足りなくなることがありますが、著者はこの理由を、全体を把握していないためであるとして、次のような書き方を推奨しています。
(1)実測の市街地図でコース全体を見る。
(2)行程の中間点をチェックして、鉛筆で下書きする。
(3)4分の1地点をチェックし、道路をなるべく実際の比率に近くして骨格を描く。
(4)曲がり角や複雑な箇所は大きめに誇張して描く。
(5)目印となるコンビニや看板などを大きめにハッキリ記入する。
これらに加え、注意する点として、
(6)「いくつ目の交差点」は見落とすこともあるので間違いのもと。
(7)方位にこだわらず、出発点を下、目的地を上に描く。
の2点を挙げています。
本書は、地図に関する雑学としてはもちろん、多くの人が意外とうまく描けない略図を簡単に描く方法を身に付けたい人にもお奨めの一冊です。
■ 個人的な視点から
私の地元の千葉に関しては、戦前の千葉が軍と海水浴の海水浴と都市であったため、都内から千葉に訪れる海水浴客のために、「浜海岸」(現在のみどり台駅より450メートルほど東京寄り)と「千葉海岸」(現在の西登戸駅)の2つの駅が開設されたことが紹介されています。「千葉で海水浴?」とお思いの方もいるかもしれませんが、当時は、現在の国道14号線の辺りが、海岸線に沿った崖下を通っていて、干潮時には沖合い1キロまで干潟が広がる海水浴場として人気があり、「浜海岸」の辺りは戦前には文人が避暑に訪れる別荘地としても知られていました。
その後、昭和23年の地図では、現在の千葉大の敷地にあった東京大学第二工学部への通学のため「浜海岸」駅が千葉よりに移って「工学部前」駅となり、その後、「黒砂」と地元の地名に変わった後、昭和46年の現在の「みどり台」になっています。
また、海水浴場として賑わった海岸は、沖合いまで埋め立てられてしまったため、昭和42年に「千葉海岸」は「西登戸」に改称されています。
「【千葉タウンウオッチング】稲毛 新旧の歴史、息づく街並み」
千葉関連では、九十九里浜に存在している「飛地」についても触れられています。これは、江戸時代に普及した木綿や藍などの作物の増産を支えた「干鰯(ほしか)」という肥料の急騰を受け、農村集落が、「漁に目覚め、競って浜へ納屋を建て、そこで地引網を行うように」なったことを起源とし、これらの納屋集落が、のちに漁業専従の定住集落になったことが述べられています。これらの集約は、「○○納屋」(南部)や「△△浜」(北部)と名づけられ、内陸の本村とペアで存在し、共通の神社を持ち、親戚関係にあったため、2~3キロ離れた本村の飛地として温存されたことが紹介されています。
■ どんな人にオススメ?
・目の前に広がっていたはずの、変容してしまった昔の風景に思いをめぐらしてみたい人。
■ 関連しそうな本
今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
今尾 恵介 『日本地図のたのしみ』
今尾 恵介 『消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密』
谷川 健一 『日本の地名』 2005年07月10日
片岡 正人 『市町村合併で「地名」を殺すな』
秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 38994
■ 百夜百音
【ゴールデン☆ベスト】 一世風靡セピア オリジナル盤発売: 2004
「和太鼓+シンセ+掛け声」のこの手の音楽は80年代特有なのかと思ってましたが、「よさこいソーラン節」のシリーズはそういえば継承者なのかもしれません。路上で踊りますし。
投稿者 tozaki : 2007年02月25日 06:00
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