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2007年06月11日

ブランドの条件

■ 書籍情報

ブランドの条件   【ブランドの条件】(#872)

  山田 登世子
  価格: ¥735 (税込)
  岩波書店(2006/09)

 本書は、「ブランドの生誕のシーンをほりおこし、その起源の秘密に立ち入って、そこからブランドの本質を照射すること」を目的としたものです。著者は、ブランド現象を、「贅沢の大衆化」であり、「かつては張るかな高みにあった高級品が、20代の女の子にも手の届く品となって、ごく身近にある」ことを、「贅沢と大衆が見事な『結婚』を遂げている」と述べています。
 第1章「ブランドの誕生」では、ラグジュアリー・ブランドが、「贅沢を多くの人々の手に広げること、『近づきがたいものを近づきやすいものに』」変えられたことが述べられています。そして、こうしたラグジュアリー・ブランドが、「起源の神話」を持ち、「伝説のないブランドはブランドではない」と述べています。
 また、ブランドにとって、「はじめに皇室ありき」と述べた上で、
(1)ラグジュアリー・ブランドは特権階級を顧客にして誕生する。
(2)権威と信用の根拠の問題として、ブランドの起源のシーンにあって、オーラを授けているのは顧客である皇室の方である。
の2点を挙げ、「およそすべてのブランドは本質からしてロイヤル・ブランドだといわねばならない」と述べています。
 さらに、ヴィトンの製品が、「もともと貴族財」であり、一般の大衆が持つことのミスマッチを、
「ルイ・ヴィトンって、そもそも自分が持つものじゃないのよね。そうよ、召使に持たせるものなのよ、あのトランクは」
という言葉で言い表しています。
 著者は、フランス第二帝政期を「贅沢の民主化」の次代であると述べ、「直接ブランドの条件に関わる一大イベント」として、万国博覧会を挙げ、1889年万博でルイ・ヴィトンの「ワードローブ」がグランプリを勝ち取ったことを紹介しています。
 そして、「デモクラシーの時代とともに贅沢は貴族財であることをやめ、商品化して金で買えるものになった」と述べ、かつては、「生まれ(オリジン)」と結びついた「贅沢」であった「貴族財」が、「金で買えるもの」になったことから、「現代的なラグジュアリー・ブランドまでは一直線」だと述べています。
 第2章「希少性の神話」では、「ハンドクラフトが貴族財であること」のポイントとして、
(1)ハンドクラフトそれ自体がラグジュアリーである。
(2)いかに優れた職人技が施されていても、その職人の名は表舞台に出ない。「顧客が主人で、職人はその影にいた」
の2点を挙げています。
 また、グアムのショッピング・ビルにある、「エルメスで長く働いたイタリアの職人が独立して開いたブランド」という「Hのロゴが目立つディスプレイ」で「どうみてもエルメス」のバッグを売っている「ハイクラス」というお店と、さらにその「韓国のコピー」だという「ヘンリーハイクラス」とを紹介し、「エルメスに似せたバッグがたくさん流通しているという事実だけでなく、『職人生産(ハンドメイド)』というエルメスの生産スタイルそのものが模倣されてブランドの二次市場を形成しているという現象」であると述べ、「エルメスの職人を務めていたという実績はいまやそれじたいがブランド価値を有し、本当かどうかともかく『伝説化』しているのはまぎれもない」と解説しています。そして、「こうした本物の『分身』たちの群れが本物の価値をさらに高めている」と述べています。
 第3章「貴族のいない国のブランド」では、シャネルが「一つの伝説にほかならない」物であり、その「伝説をつくりあげるのに、シャネルは一人の王侯貴族も必要としなかった。起源(オリジン)から王侯貴族の名を消し去ること、そして、空白となったその場所に、自分の名を刻むこと。それこそこのブランドの革命児がやってのけた離れ業である」として、「デザイナー・ブランドの誕生」を解説しています。
 そして、「シャネルに先んじてモダン・ブランドを立ち上げたモード界の大立役者」として、ポール・ポワレを紹介し、「シャネルの果たしたことのほぼすべてはポワレが先鞭をつけた」と評し、
(1)女性をコルセットから解放した。
(2)グリッフ(商標)を自分の全製品につけたトータル・ファッションを手がけた。
(3)アメリカに注目した。
の3点を挙げています。
 また、シャネルの登場について、「それまでの老舗ブランドが後生大事にし続けたあの『伝統と魂』をラディカルに覆し」、「ウジェニー皇后はじめ特権階級の貴婦人たちが身にまとっていたあのきらびやかな儀礼の衣装を一掃する」ことを企て、その「モード革命」は、「女が自分で着られる服」を生み出したと言い表すことができると述べています。
 さらに、「シャネルとルイ・ヴィトンやエルメスから分け隔てる最大の相違点」として、外国人たちがコピーを大量生産することにクレームをつけなかったことを挙げ、ルイ・ヴィトンやエルメスを「本物主義」と呼ぶとすれば、シャネルは「偽者主義」であり、「コピーされるということは、そのデザインに対する『愛と賞賛』の証なのである。どうしてその賞賛を取締る必要があるというのだろう。コピー商品は広く世界にシャネルの名を流通させる。それがどんな宣伝効果をもたらすことか」と述べ、シャネルが、「どのブランドよりも先に『有名性(セレブレティ)』の威力を知っていた」と解説しています。
 メディアの前に出たがらなかったシャネルが85歳のとき、亡くなる2年前のテレビインタビューで、「モード、それは私だった」と応えていることを紹介し、かつてルイ14世が言った「国家、それは私だ」と対比し、「一代で自分の名を世界に冠たる象徴資本にした実業家ならではのせりふである」と述べています。
 そして、「二重底システム」としてのシャネル・ブランドを極めるものとして、「イミテーション・ジュエリー」を挙げ、「ルイ・ヴィトンやエルメスのような老舗ブランドとシャネルという新興ブランドを決定的に分け隔てる分岐点として、シャネルの『偽者主義』はどれほど強調してもしすぎることはない」と述べています。シャネルは、「幻惑の魅惑ではなく、地位や身分」に仕えている「『金』のための宝石」を唾棄し、「私がイミテーションを作ったのは、宝石を廃絶するためよ」と語っていることを紹介しています。
 第4章「ブランドは女のものか」では、「贅沢な消費が女の領分になったのは、たかだか19世紀以降のこと」に過ぎず、「浪費が『金銭的能力の証』になったのはブルジョワジーの時代であり、貴族の時代には贅沢は男性の領分であった」と述べています。そして、「贅沢が紳士のものであったという事実」を、雄弁に明かすヴィトンのトランク「イデアル」について、その収納力を、「5着のスーツ、1着のコート、18枚のシャツ、下着、靴4足、帽子1つ、3本のステッキと1本の傘がきっちりと収納できる」と紹介し、「驚くべきはむしろ、当時の『エレガントな紳士』の旅にこれだけの携帯品が必要だったという事実」であると述べています。
 そして、20世紀初頭、「ブルジョワジーの時代とともにラグジュアリーはプライバシーの領域にあるもの、室内的(ドメスティック)なものと化し」、さらに、「贅沢の『即物化』」、すなわち、「女性の欲望は、衣装や装身具や家など、もっぱら『もの』の消費に向けられ」たことを挙げ、「近代とともに女性は『消費者』になった」と解説しています。
 本書は、「ブランド」を切り口に、近代から現代への変化を語った一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている小ネタとして、「コンテストのために審査会を設けて金・銀・銅のメダルを授与するというアイディア」は、オリンピックが起源ではなく、万国博覧会におけるナポレオン三世の発案によるもので、「オリンピックの方が後からこの万博に習ってメダル授与を式典化した」と述べられています。


■ どんな人にオススメ?

・ブランドの伝説が誕生する瞬間を見たい人。


■ 関連しそうな本

 博報堂地ブランドプロジェクト 『地ブランド 日本を救う地域ブランド論』 2007年06月04日
 博報堂ブランドデザイン 『ブランドらしさのつくり方―五感ブランディングの実践』
 白井 美由里 『このブランドに、いくらまで払うのか―「価格の力」と消費者心理』
 高橋 克典 『ブランドビジネス―成功と失敗を分けたもの』


■ 百夜百マンガ

おかみさん―新米内儀相撲部屋奮闘記【おかみさん―新米内儀相撲部屋奮闘記 】

 相撲部屋を舞台にした人情ものです。お相撲マンガと言えば『両国花錦闘士』がまず挙がりますが、どちらも土俵以外の出来事がメインである部分は共通しています。

投稿者 tozaki : 2007年06月11日 21:00

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