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2007年06月18日

公図 読図の基礎

■ 書籍情報

公図 読図の基礎   【公図 読図の基礎】(#879)

  佐藤 甚次郎
  価格: ¥4515 (税込)
  古今書院(1996/09)

 本書は、「公図を地図のうちの『主題図』と捉え、この視座から見ることに主点をおいて考察し、解説」しているものです。著者は、「公図を『地図』として正しく読むこと」の必要性を説くとともに、「地図を対象としながら、地図の本質、その特性をまったく踏まえることがなく、地図を読むことの基本を無視して、きわめて恣意的な見解が行われていること」を、「残念ながら否定できない事実である」と認めながらも指摘しています。
 第1章「公図のルーツとその特色」では、「旧土地台帳附属地図」が、「一般に公図と呼ばれているが、明治前半期に調製された地籍図類、あるいはそれをもとに補訂や作成された図面が根幹をなしている」と述べた上で、「明治期に4回の事業で調製された地籍図類は、作成の目的、用途は必ずしも同じではなかった。また、表現の主点や表現の方法も同一ではなかった」と述べ、「どのような目的で作成されたかによって、表現されている事項が取捨選択されており、目的・用途からして重要とすることが強調され、また一面で省略の行われているのが地図の特性である」ので、「地図を読んだり利用するにあたっては、その作成目的と特徴とを、吟味し、それで言及しうる限度を踏まえて使用することが肝要である」と指摘しています。
 そして、「地租改正における地引絵図」について、「改租作業の諸段階で基本的資料として使用」され、「改租終了の後には地券台帳や地租台帳など地租に関する基本帳簿の付図的役割において、すなわち帳簿記載の各筆について位置特定などのため役所に備置された」ため、「村方の申告書類である地引絵図が、地租に関する公的な図面としての性格が付与され、『地租改正絵図(地図)』として備置されることとなった」ことを解説しています。
 第2章「公図の作成時期判別の仕方」では、地租改正が、「明治新政権が地租収入の増加を企図して断行したものだけに、現反別及び増歩の把握が重要で、関心事」であったことが解説されています。
 また、壬申地引絵図と改租地引絵図とを区別する判断材料として、地所の番号、すなわち「地番」が、「改租作業の折に全面的に付け直され、さらに地籍編制作業において追加付番、字単位に付け直しなどが行われ、地押調査では脱落、あるいは開墾や分・号筆などの地所について補番を行っているので、地番の吟味も判断の重要な一手段」であることが解説されています。地番に関しては、「通しの一連番号である村については、大村では万台にもなって不便であるので、字単位の番号に改めた県もあった」ことが述べられています。
 さらに、壬申地引絵図と改租地引絵図では、「一筆区画に記入する事項に違いがみられ、判別の指標となりうる場合が多い」と述べ、「壬申地引絵図は、その特質からして地番、地目、反別(場合によっては縦・横の間数も)、持主名など多事項を記入している」のに対し、改正地引絵図は、「地番のみ」や「地番と地目と歌唱事項に限定した府県が多かった」ことが述べられています。
 そして、明治6年7月28日の『地租改正条例』によって、「地目名称のうち、屋敷・屋敷地が宅地と改められた」ため、「壬申地引絵図の場合は判例で『屋敷』が用いられているが、改租地引絵図及びそれ以降の作成である更正地図・地籍地図では『宅地』が使用されている」ことが解説されています。
 著者は、「明治期に4回作成された地籍図は、ともにそれ自体の用途だけで作成されたものではなく、地引帳や地籍帳あるいは土地台帳の附属の地図として調製されたもの」であり、「帳簿と地図はペアをなすものであるが、帳簿が主体であり、地図はそれに付属するもの」であることを解説し、「地図の判別については、地図だけでなく、帳簿の記載とも照らし合わせて考え、判断することが必要である」と述べています。
 第3章「公図を読む視点」では、「公図」と一般に呼ばれている「旧土地台帳附属地図」が、『不動産登記法』の第17条で「規定の地図に『準ずる図』として用いられているが、今なお70%ほどの地域ではこれに依存している」ことが解説されています。
 また、「4回の事業でそれぞれ作成された地図」が、「どれも地図が単独で、それ自体が独立的な存在意義において調製されたもの」ではなく、「それは帳簿に添えられ、帳簿の既述では確認できない点を、明瞭にする役割を持ったもの」であり、「その他の事項に関しては、帳簿の記載に任せている」ため、「公図を読むに当たっては、それと対をなした帳簿の記載を併せみて解釈する必要がある場合も少なくない」と述べています。
 さらに、改租地引絵図が、「主題図」であることから、各筆区画内に地番のみを記載した府県が少なくなかったことを解説したうえで、「茨城県や東京府下(郡村部)などのように地目別区別の色彩を施さず、道路と水路だけを彩色している場合が見られる」として、「道路の赤線及び水路の青線は視覚的に協調され、各筆の位置を視認する目当てとして役立っている」と述べています。
 著者は、「地図の区画線と帳簿の記載反別との関係があいまいなことは、地番の場所を特定する地引絵図の用途、主題の点からすればさほどの問題ではなく、むしろそのことは主題外の事項」であると解説しています。
 しかし、「地番の特定とその順序を示すことを主目的とした地引絵図が、地券台帳・地価帳に添えられ『公』の地図にされると、その役割は変化」し、「中でも、売買・譲渡、相続、分合筆などが行われた際の手続で、地券記載の地所の地番とともにその範囲・筆界線について地租改正絵図で照合され、分合筆はこの図面が基本とされた」ことが解説され、「筆界線などがずさんな地図の場合は、その用に立たないこと」になり、「これが、地押調査における地図構成の大きな理由となった」と述べられています。
 そして「字引帳を補足する役割で作成させ、土地台帳の付属地図として機能してきた公図(旧土地台帳附属地図)が、それだけで独り歩きし、その図面でいろいろのことを判断している場合が多く見受けられる」ことを指摘し、公図が本来、「土地台帳記載の各筆の場所を特定し、地番配列を明示する機能のもの」であり、「このような用途で調製された地図においては、区画(筆界線)の表現は、各地番の文字を記入するスペースの確保を必要とするためが第一義で、主題事項の表現を支える役割のもの」であり、「筆界線を筆で太く概略を描いた図面でも、その用は足りたので」あり、「このような図面で、筆界線はその中心線なのか、側線なのか、カスレた部分についてはなどとの論議は、まったくナンセンスなわけである」と指摘しています。そして、「このような公図が独り歩きしていることは、第17条地図との相違を認識せず、同視点で読み、判断しようとしているためか」と推測し、「公図と第17条地図とは、ともに主題図ではある」が、「主題とする点が相違する」ため、「公図が第17条地図に準ずるものとはされているが、両者の地図的特質の相違を弁別せずに、第17条地図に対すると同じ視点で公図を読図し、また評価することは慎まなければならない」と主張しています。さらに、「不正確な公図」という批判は、主として筆界線と地積に関してのことであり、「公図の特質を認識せず、第17条地図との違いを弁別しないための不正確な言であろう」と指摘しています。
 著者は、「明治期作成の地籍図類に共通する特質の一つ」として、「元来、帳簿に添えられて帳簿に記載の各筆の位置を特定する役割のもの」だったが、「それらは異なる4回の事業で調製されたもののうちのいずれかであるので、表現の仕方や記載事項などは必ずしも同じでは」なく、「読図に際しては、まずどの事業で調製された地図かを弁別することが緊要で、その地図の主題を確認し、この図で判断し、また言及しうる限界をわきまえることが必要である」と述べています。
 第4章「改租作業で字と地番の新規設定の経緯」では、「現在の字名及びその区画・範囲については、とかく近世(江戸時代)において使用されていたもの、むしろそれ以前の中世あるいは古代からのものが継承されていると思われがちである」が、「この両者は、明治6~14年(1873~81)に基づいて地所番号(地番)が付けられたもので、これが基本的に現在に至っている」と述べています。
 そして、「字と組み合わせて地所の所在場所・位置を特定する役割を持った」各筆地所の地所番号(地番)は、「丈量検査に際し、その道順にしたがって各筆に番号を付け、地番順に記載した地引帳をもって、地引絵図及び現地と対照しながら検査を行い、脱漏や重複を防ぐこと」を目的としたものであることを解説しています。
 また、番号のつけ方には、「全村通し番号の場合」と、「字別に付番した場合」の2つの方式が見られたと述べられています。
 さらに、明治21年の市制および町村制の公布に伴い、『町村合併基準』が通達され、この合併では、「旧村は新町村域において『大字』という新しい地域単位に位置づけられ、旧村名は大字名とされた」ことが解説されています。
 第5章「改租作業での土地丈量と地引絵図作成」では、改租作業が、「不慣れなこと、また壬申地券公布調査との違いが徹底しなかったことなどもあったが、厳格な検査で再調査を命ぜられることが多く、それが県域の過半に及び場合もあった」が、「農事をほとんど放棄して作業した村方の反発が生じ、紛糾した例も少なくなかった」ため、「誤差許容の範囲も、実際には次第に緩くなったろうことは想像に難くない」と述べられています。
 第7章「壬申地券と改正地券」では、明治前期に発行された「地券」には、「壬申地券」と「改正地券」との2種類があり、「地券における記載と地籍図の表示とは合致すべきもので、両者は密接に関連し、地図における事実の確認とか、誤謬や脱漏などを検討するとき、また地所の地目変換や所有者の変遷とその時期などを調べるには、地券とその台帳はきわめて重要な資料となる」と述べています。
 そして、「地券が土地の所有権の証明とし、また地券台帳が地租や民費などの賦課の基本帳簿としての役割は、明治22年(1889)3月22日」に『土地台帳規則』が制定されたことで終わったことが述べられています。
 第8章「地券台帳と土地台帳」では、「最初は郡役所に備え付けられた土地台帳ならびに地図が、郡役所→府県収税部出張所→府県直税署分署→府県収税署→税務署という変遷を経て、大蔵省管轄の税務署で管理されることと」なり、「以来、昭和30年代まで継続して税務署に備置された」ことが解説されています。
 本書は、「公図」といういかにも公式っぽい名称の地図をめぐる先入観を正してくれる一冊です。

■ 個人的な視点から

 「公図」というと、なにやら「公式の地図」というイメージがあります。新聞などで、「不正確な公図」という言葉を見かけることもよくありますが、本書を読むと、公図が正確でない、という表現は、よく駅前や商店街にある案内図を見て、縮尺がおかしい、と言うようなピント外れな指摘であることが分かります。


■ どんな人にオススメ?

・「公図」とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 ジョン・ノーブル ウィルフォード (著), 鈴木 主税 (翻訳) 『地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史』 2007年01月01日
 今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
 今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』 2007年02月25日
 マーク モンモニア (著), 渡辺 潤 (翻訳) 『地図は嘘つきである』 2007年01月07日
 高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日
 渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日


■ 百夜百マンガ

日出処の天子【日出処の天子 】

 聖徳太子といえば昔は「1万円札」の代名詞でしたが、最近はすっかり諭吉さんに取って代わられてしまいました。
 お札の折り紙が流行っているそうですが、聖徳太子の折り紙もあるんでしょうか。超能力が必要になったりするのでしょうか。

投稿者 tozaki : 2007年06月18日 22:00

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