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2007年06月25日

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実

■ 書籍情報

ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実   【ニッケル・アンド・ダイムド -アメリカ下流社会の現実】(#886)

  B.エーレンライク (著), 曽田 和子 (翻訳)
  価格: ¥1890 (税込)
  東洋経済新報社(2006/7/28)

 本書は、一流コラムニストである著者が、「単純労働に支払われる低賃金で、人はどうやって食べていくのだろう」という問題に、「『誰か』とは、私よりずっと若くて、意欲満々の、でも時間だけはたっぷりある新米ジャーナリストのつもり」で、「誰かが古い型のジャーナリズムを実践すべきよ。ね? 現場に飛び込んで、身をもって体験してみるの」と口走ってしまったために、「以後何度も後悔するはめ」になってしまったと述べています。
 タイトルの「ニッケル・アンド・ダイムド」とは、5セント硬貨(ニッケル)と10セント硬貨(ダイム)を指し、「取るに足らない」という形容詞や、「少しずつの支出がかさんで苦しむ」または「小額の金額しか与えられない」という「貧困にあえぐ」ことを意味しています。
 著者は、「これは命がけの『潜入』ルポでもなければ大冒険物語でもない。私のしたことは――職を探し、仕事をし、何とか収支を合わせようとしただけで――ほとんどどんな人にもできることだ」と語っています。
 第1章「フロリダ州でウェイトレスとして働く」では、著者が低賃金生活を始めた当初、「顔見知りの商店主や近所の人たちに見つかって、しどろもどろでプロジェクトの説明をするはめに陥るのではないかと、心配だった」が、「貧困ときつい仕事にあえいだ一ヶ月間、私の顔や名前に気づいた人は誰もいなかった。名前は誰にも注目されず、ほとんど口にされることもなかった」、「私はただ『ベイビー』であり『ハニー』であり『ブロンディ』であり、たいていは『ガール」だった」と述べています。
 ウェイトレスとして働き出した著者は、「私がうち捨てた、例えば家とか素性とかのなかで、最も取り戻したいと思ったのは能力だった」と述べ、「この給仕係という仕事では、まるでハチに取り巻かれるように、さまざまな要求が一時に押し寄せる」、「朝の4時に冷や汗をじっとりかいて目覚めるそのとき、わたしの頭に何があったかといえば、原稿が締め切りに間に合わないということではなく、私がオーダーを間違えて、客の家族がすでにデザートのキーライムパイを食べているのに、子供がまだお子様ランチにありついていないという情景だった」と語っています。
 著者は、長年時給6ドルから10ドルで暮らしている人々が、「中流層には分からないなにか生き残りの秘策みたいなものを発見しているのだろう」と期待していたが、「ほとんどの場合、『住』こそが彼らの生活を破綻させる最大の要因」であり、「1日40ドルから60ドルも払うなんて、そんなこと考えるのも無茶ではないかと言った」が、「アパートを借りる1月分の家賃と敷金が、一体どこから出ると思うのよ」と反論され、「物理学の命題と同じで、貧困においても、最初の条件こそがすべて」だと述べています。
 また、ときどき本来の家に帰っていた著者は、「日がたつにつれ、自分のこれまでの生活がひどく奇妙なものに思われだした。本来の私に送られてくるeメールや留守番電話のメッセージが、まるで馴染みのない考えと有り余る自由時間を持ったどこか遠い異民族から送られてきたもののように見える。これまでのんびり買物をして歩いた近所のマーケットは、ユアッピー族の行くマンハッタンのデパートのようで、近寄りがたい。ある朝『本宅』の椅子に座って、送られてきた請求書の整理をしたときは、フィットネスクラブやらアマゾン・ドット・コムやらに払うべき何十ドル何百ドルという金額に、めまいがする思いだった」と語っています。
 このウェイトレス生活は、ある日訪れた「嵐」によって中断を余儀なくされます。著者は、「科学者の精神をもって、この企画に飛び込んだはず」だったが、「長時間の交替勤務と過酷な注意集中を余儀なくされることから、いわば視野狭窄となり、企画はいつの間にか自分を試すものとなっていった。そして、わたしは間違いなく失敗した」と語っています。
 第2章「メイン州で掃除腑として働く」では、採用試験で受けた「アキュトラック性格検査」なるものに、「このアンケート調査に正直に答えなかったり裏をかいたりしようとしても、アキュトラックはそれを感知するさまざまな手段を持っていると注意書きが書かれ、こういう検査の本当の目的が、「あなたはわれわれに隠し事はできない」という「情報を雇用者に伝えるのではなく、逆に雇用される側に伝えることにある」と述べています。
 また、「住」に関しては、「部屋を独り占めしているというだけで、ブルーヘイヴンのあいだでは、私は貴族なのだった」と述べ、他の居住者たちは、「ワンルームかせいぜいワンベッドルームのアパートメントに、3、4人がぎゅう詰めになって暮らしている」と語っています。
 さらに、ランチ休憩には同僚たちが、「コンビニで買ったものか、ただで出してくれる朝食からくすねてきたベーグルやドーナツを食べていた。何も食べない人もいた」ことについて、「いったいどのくらい貧しいのだろうか、私の同僚たちは。いずれにしても、ここで働いているという事実は、何らかの絶望的な状況か、少なくとも失敗と失望の過去を抱えているという動かぬ証拠ではあるだろう」と述べています。
 著者は、「顧客たちだけでなく、誰にとっても、私たちは注目に値する存在ではなかった。時給6ドルのコンビニエンスストアの店員でさえ、私たちを見下しているように見えた」と語り、仕事帰りによるスーパーマーケットでは、「あなた、ここで何しているの?」という耐え難い視線に耐え、「私の正体をあばくのは、黄緑と黄色の派手なユニフォームだった。まるで囚人服を着た逃亡者だ。私は、ふと、黒人であることがどんなことか、ほんのちょっとだけ、分かったような気がした」と述べています。
 また、「ほかに門戸を開いている職場は山ほどあるというのに、どうしてみんなこんなところで我慢しているのだろう」という疑問に、「仕事を変れば、一週間か、ひょっとしたらそれ以上、給料がもらえない」という現実的な理由の他に、見えにくい要因として、職場の上司である「テッドに認められたいという誘惑」を上げ、「同僚たちの『認められること』へのこの渇望は、慢性的に『認められること』を奪われているところから来ている。どんなにいい仕事をしても、顧客たちに感謝されることはないし、もちろん、通りを行く人たちに労働者の鑑と拍手喝采してもらうこともない」、「私たちのしていることは、見捨てられた人間のする仕事であり、表には出ないもの、忌み嫌われるものでさえあるのだ」、「だからこそ、テッドのような男が、その名に値しないカリスマになってしまうのである」と語っています。
 第3章「ミネソタ州でスーパーの店員として働く」では、ウォルマートの面接を受けた著者が、「薬物検査を実施することで、労働移動を制限する効果が生まれるのではないだろうか」、「新しい仕事に就こうとすれば、(1)願書を出し(2)面接を受け(3)薬物検査を受けなければならない」という考えを語っています。
 また、CBSの番組「サバイバー」を観て、「こんなばかばかしくも必死のサバイバルゲームに挑戦して、みずしらずの何百万という視聴者を楽しませるために、作り物の極限状態に自ら飛び込んでいくなんて、一体どんな変わり者なのだろう」と考えたところで、「自分こそ何者で、なぜここにいるのだ」と我に返ったことが語られています。
 終章「自分への通知表――格差社会で働くということ」では、「博士号を持ち、通常の仕事では二週間ごとに全く新しいことに取り組まねばならない人間にとって、単純労働など『楽勝』だと思われるかもしれない。だが、それは違っていた」と述べ、「どんな仕事も、どれほど単純に見える仕事でも、本当に『単純』ではない」ことに気づき、「どれもが集中力を必要」とし、「新しい用語と、新しい道具と、新しい技術をマスターしなければならなかった。思ったほどやさしいものは何一つなかったし、だれも『うわぁ、覚えが早いのね!』とも『彼女、新人だなんて信じられる?』とも言ってくれなかった」、「ほかでどんな業績をあげていようと、低賃金労働の世界では、私は――仕事を覚えることはできてもヘマはするという――並の能力を持った人間でしかなかった」と語っています。
 また、仕事以外にも、「どの職場にも、それぞれの個性や、序列や、習慣や、基準」を「その場その場で学ばなければならない」ことがあり、「底辺から見上げつつ人間社会の機微を見きわめることのほうが、はるかに大変だし、もちろんはるかに必要性が高いことも分かった」と語っています。
 さらに、経営側が、「従業員ができると思うと、ますます従業員を利用し酷使する」ので、「少なくとも自分の能力をぜんぶ見せることは、絶対しない方がいい」と同僚から忠告を受け、「エネルギーをいかにうまく配分して、明日のために残しておくか、その計算をすることこそが、秘訣なのだった」と述べています。
 著者は、「労働者としての私の成績は、BかBプラスといったところ」としながらも、「食や住をも含めた生活全般が、うまくできたかどうか」に関しては、「職業人としての成績より張るかに劣っている」と評価しています。
 そして、他の大勢の人たちも、「もっと割のいい仕事につけるのに(多くは適当な移動手段がないせいだと思うが)ウォルマートで働いていたり、週200ドルから300ドルもする居住型モーテルに住んでいたりする」ことは、「個人的な失敗や誤算のレベルを超えたところ」にあり、「通勤用の車まで持っている健康な独身者が、額に汗して働いているにもかかわらず、自分一人の生活を維持するのさえままならないというのは、どこか間違っている。とんでもなく間違っている」と分析しています。
 さらに、「一時的に貧困層に属していた」著者が、「そこから中流の上の階層に戻ったとたんに、私が落ちたウサギの穴は、私のすぐ後ろで、たちまち、そして完璧に、その口を閉じてしまった」と語り、「富める者と貧しい者が両極端に文化した不平等な私たちの社会は、いとも不思議な眼鏡を生み出し、経済的に上位にある者の眼には、貧しい人々の姿はほとんど映らない仕組みになっている」と指摘しています。
 本書は、現代の「貧困」がどのような形をとっているかを、分かりやすく伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アメリカのコラムニストの文体、それも100万部を超えるベストセラーになった文体ということで、読む方を飽きさせない読みやすい文体ではあるのですが、なぜだか海外ドラマの「デスパレートな妻たち」の「リネット」が頭に浮かんでしまい、吹き替えの唐沢潤の声で読んでしまったのですが、実際に著者の写真を見るとイメージ的には「リネット」でそんなに間違っては無いみたいです。
http://www.villagevoice.com/news/0121,sandler,24951,1.html
 ただし、全体としての読みやすさや分析の深さとしては、本書をきっかけに、本書がイギリスで出版された際に序文を書いた、同じく一流女性ジャーナリストであるポリー・トインビー(アーノルド・J・トインビーの孫)が貧困生活に挑戦する『ハードワーク』の方に軍配が上がるのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・「単純」労働なんて誰にでもできると思っている人。


■ 関連しそうな本

 ポリー・トインビー (著), 椋田 直子 (翻訳) 『ハードワーク~低賃金で働くということ』 2006年03月08日
 鎌田 慧 『自動車絶望工場―ある季節工の手記』 2006年03月09日
 スチュアート タノック (著), 大石 徹 (翻訳) 『使い捨てられる若者たち―アメリカのフリーターと学生アルバイト』 2006年11月14日
 熊沢 誠 『若者が働くとき―「使い捨てられ」も「燃えつき」もせず』 2007年01月10日
 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日


■ 百夜百マンガ

犬を飼う【犬を飼う 】

 ペットもののエッセイということでは、はた万次郎や杉作と同じジャンルに属する作品ですが、巨匠が書くとこれだけ違う、という作品です。

投稿者 tozaki : 2007年06月25日 07:00

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