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2007年07月04日
女性校長の登用とキャリアに関する研究―戦前期から1980年代までの公立小学校を対象として
■ 書籍情報
【女性校長の登用とキャリアに関する研究―戦前期から1980年代までの公立小学校を対象として】(#895)
高野 良子
価格: ¥8400 (税込)
風間書房(2006/09)
本書は、「戦前・戦後の女性公立小学校長の草創期から漸次的に女性校長数の拡大が進む1980年代までを4つに時期区分し、戦前、戦後の女性校長第一号と皇族の女性校長の登用とキャリア形成を中心に、資(史)料および聞き取り調査にもとづき、<教育ジェンダー>というフィルターを通して、女性校長の量的拡大家庭を歴史的に照射することを意図したもの」です。著者は、「2005(平成17)年度の女性公立小学校長の割合は18.2%に達しているが、各都府県に置ける戦前および戦後『初の女性公立小学校長』はいつ、どのようにして誕生したのであろうか。『管理職』という男性の聖域に足を踏み入れた先達はどのようなキャリアを辿り、パイオニアとしての役割をどう受容したのであろうか。また、後続の女性校長たちはキャリアをどのように形成したのであろうか」と、「女性教師ひいては女性の社会的地位に新分野を拓いた女性公立小学校長の登用とキャリア形成過程に焦点を」当てています。
第1章「戦前期の女性校長の登用とキャリア」では、千葉県の女性校長第一号である、1902(明治35)年に27歳という年齢で校長に抜擢された「秋葉屋寿」を取り上げています。秋葉屋寿は、「当時、地方の学校では師範出身の女性教師は珍しかった上に、若くて美人だったので村では大評判になった」こと、初任時代の屋寿が、週末に印旛から実家のある市原まで颯爽と馬に乗って帰ってくる姿を見かけられていること、赴任した学校に、私財を投げ打ってで黒板やオルガンなどの教育器材を整備したことが紹介されています。
そして、「全国初の女性小学校長は誰であったかを特定することは難しい作業である」が、「戦前期には少なくても14人の女性校長が全国に先駆者として存在していたこと」を明らかにしています。
また、大正期移行の女性校長の登用は、全国的な女性教師数の増加を受ける形で女教員の組織化が進んだことと連動する形で進行したことが述べられています。
第2章「戦後第I期女性校長第一号の登用とキャリア」では、「戦後女性公立小学校長第一号として登用された40都府県における女性校長68人に焦点化し、資(史)料および聞き取り調査にもとづき、<教育ジェンダー>というフィルターを通して女性校長第一号の任用状況と校長役割受容過程を歴史的に照射」しています。
そして、戦後初の女性校長が、「GHQの占領政策の基本方針における一連の教育の民主化政策に導かれて、地方軍政部教育課の手により小学校を中心に各都府県1~2人が登用されていった」と述べ、第一号が、「少数の優秀な師範卒女性教師の中からさらに選抜されたエリートと言ってよい」としています。
そして、使命感に燃えて赴任した第一号にとって、「校長としての日々は必ずしも平穏」ではなく、「この町は品川きってのドル箱ですよ、そこへ女をよこすなんて町を侮辱するのも甚だしい」という言葉を浴びせられたり、「県会議員の地元に夫人校長をおいていては、県会議員のコケンにかかわる。次の選挙の票が減る」という理由で降格させられたりした例が紹介されています。
また、女性第一号校長たちが、「校長退任後も県や地域の教育リーダーや女性リーダーとなって地位の上昇を果たした者も少なくなかった」理由として、「校長経験が評価され、あるいは経験が買われたためであろう。各県の女性校長第一号は、パイオニアとしての使命感に燃え校長役割を受容し、役割を遂行することにより女性としての地位を向上させていった者が少なくなかったと言えよう」と述べています。
さらに、戦後女性校長第一号たちが、「教頭経験がないまま地方軍政部教育局主導による『一本釣り人事』により任用されたのであるが、県によっては軍政部に配属されていた女性の教育担当者らによって学校経営が物心両面から支えられていた」として、「新潟・兵庫・千葉県におけるメーヤー、コレッティ、ホイットマンら女性の教育担当者の果たした功績は大きかった」と述べています。
著者は、女性校長登用の歴史において、戦後第I期は、「マッカーサー・プレゼント」期と捉えられると述べ、戦後初の女性校長たちが、「『管理職は男性のもの』という固定的なジェンダー観念のベールを剥いだ、つまり教育の場におけるジェンダー革命の扉を開けた先達であった」と位置づけています。
第3章「第II期女性校長の登用とキャリア」では、女性校長の数が右肩下がりに転じ、第二号・第三号が後続しなかったこの時期について、全国婦人校長会会長・退職女性校長会会長を務めた波頭夕子が、「同士よ弱らないで」と「誠実は奇跡を呼ぶ」とともに歩む女性校長に呼びかけた言葉が、2つの女性校長会の合言葉となり、現在においても、「現職女性校長を励まし続けている」ことが述べられています。
著者は、第II期を、「占領政策あるいは民主化政策という後ろ盾を失うとともに、昭和20年代末からの逆コースの渦中」にあり、「この第II期は女性校長の新規登用はほとんどなく女性校長数は減少し、まさに『バックラッシュ』とも言える逆戻り期あるいは揺り戻し期として位置付く『女性校長冬の時代』と言ってよい」と述べています。
第4章「第III期女性校長の登用とキャリア」では、1964年度から千教組婦人部長であった木村俊子が、女性登用の陣頭指揮を取る中で、ある支部書記長から「男の40歳代がひしめいているのに割り込むな」と叱られたが、「割り込む努力をしなければ婦人の昇進はむつかしかった」と語っていることを紹介しています。
そして、「女性教師率の上昇が、女性管理職数の増加に効果的に作用した」として、「女性が小学校教育を男性とともに担っているという現実」が、「無理なく管理職に女性参入をもたらした」とともに、東京都(1966年)、千葉県(1968年)において、「女性管理職の登用を積極的に進める人事方針」が打ち出されたことで、「途絶えていた女性校長を復活させるとともに、数の増加にも大きく寄与した」と述べています。
第5章「まとめ・結論と課題」では、女性校長第一号となった者の多くが、「女性の道を開いていく」という「パイオニアとしての使命感にもえ校長役割を受容した点」を明らかにしたことが述べられています。
本書は、女性校長に焦点を当て、教育の世界におけるジェンダーを論じた一冊です。
■ 個人的な視点から
本書に登場する戦前の女性校長、中でも、千葉県の第一号女性校長の「秋葉屋寿」氏のエピソードは、まるで映画や小説のようです。馬に乗って颯爽と赴任地に向かい、私財を使って黒板やオルガンを整える、27歳の師範学校卒の美人校長、ってやっぱり絵になりますね。
■ どんな人にオススメ?
・教育の場におけるジェンダーを考えたい人。
■ 関連しそうな本
佐野 陽子, 志野 澄人, 嶋根 政充 (編著) 『ジェンダー・マネジメント―21世紀型男女共創企業に向けて』 2005年12月06日
ロザベス・モス カンター (著), 高井 葉子 (翻訳) 『企業のなかの男と女―女性が増えれば職場が変わる』 2005年10月11日
脇坂 明, 冨田 安信 (編集) 『大卒女性の働き方―女性が仕事をつづけるとき、やめるとき』 2006年05月02日
赤岡 功, 長坂 寛, 渡辺 峻, 筒井 清子, 山岡 煕子 『男女共同参画と女性労働―新しい働き方の実現をめざして』 2005年09月08日
大沢 真理 『男女共同参画社会をつくる』 2007年3月6日
伊藤 公雄 『「男女共同参画」が問いかけるもの―現代日本社会とジェンダー・ポリティクス』 2007年05月19日
■ 百夜百マンガ
やたらに「ファックユー」を連発する主人公もいただけませんでしたが、気合の入り方が明後日に向かってしまったSF大作にはなかなか子供たちはついてこないものです。
投稿者 tozaki : 2007年07月04日 22:00
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