« これも経済学だ! | メイン | 競争の社会的構造―構造的空隙の理論 »
2007年07月18日
鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町
■ 書籍情報
【鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町】(#909)
青木 栄一
価格: ¥1785 (税込)
吉川弘文館(2006/11)
本書は、
「明治の人々は鉄道が通ると宿場がさびれるといって鉄道通過に反対したり、駅をわざと街から遠ざけたりした」
「江戸時代に栄えていたわれわれの町に鉄道が通過していないのは、先祖たちが鉄道通過に反対したからである」
などの「鉄道忌避伝説」に関して、なかば常識化している「伝説」に疑問を持ち、「論理的な再検討」を行っているものです。
第1章「鉄道史研究の発達と鉄道忌避伝説」では、鉄道忌避伝説について、「多くの具体的な研究が積み重ねられ、その実態はかなり明らかにされて、鉄道氏研究者の間ではその虚像であることがよく知られてきた」が、「鉄道史の専門研究者でない人がこういう論文を読む機会はまずない」ため、「ジャーナリズムの世界の人々の書いたもの、地方紙研究者の執筆したものには、まだまだ鉄道忌避伝説は固く信じられている」と指摘しています。
また、諸外国における鉄道反対運動の事例として、イギリスの鉄道に対する反対運動には、
(1)個人的な反対
(2)地方共同体(地方自治体)による反対
(3)競争発生上の反対
の3つのカテゴリーがあることを紹介しています。
第2章「鉄道忌避伝説の検証」では、伝説を検証する視点として、
(1)鉄道忌避の実在を証明する基本資料が存在するか。
(2)鉄道忌避があったとされる時期において、日本全体の鉄道政策や鉄道建設の傾向はどのような状態であったか。
(3)鉄道のルートは地形との関連で合理的に選択されているか。
の3つの視点を挙げています。
そして、「鉄道が谷に沿って走る場合、それよりも高い位置の河岸段丘や台地に都市が載っている例」は多いとして、千葉県佐倉や三重県伊賀上野などの例を紹介した上で、「できるだけゆるやかな勾配で線路を建設するにはどこを通ればよいの、を明治期の土木技術者の立場になって考えることが大切である」と述べ、「鉄道のルート計画は、官設鉄道であれ、私設鉄道であれ、鉄道側から見て、技術的、経済的な制約の中でとりうる最良と考えられるものが選択される」、「さまざまな技術的、経済的な条件を十分に考慮した上で、いったん決定された鉄道のルートは、沿線住民の局地的な反対運動くらいでは絶対に変更されるものではない」と指摘しています。
具体的には、1888年(明治21)に開業した、東海道線大府(愛知県)―浜松(静岡県)間において、「豊橋(愛知県)以西の区間では在来の東海道のルートとは並行せず、全く異なるルートを選定した」ことに関して、「日本で最も広く知られている鉄道忌避伝説」が岡崎をはじめとする東海道筋の宿場町などに生まれた例を取り上げ、近年の地方紙研究において、「鉄道建設の過程にかかわる多くの文書が発見、公表され」ており、それらの資料を検証するとともに、当時の土木技術者の立場から、「東海道線の建設に当たって、豊橋以西の区間では、旧東海道に並行するルートが選ばれなかったのは、豊川流域を矢作川流域との間の分水嶺を越えるルートの急勾配区間を避けたからであることは疑いない」と指摘しています。
著者は、「従来まことしやかに伝えられてきた東海道線建設時の鉄道忌避伝説は本格的な研究の進展とともに、しだいに否定されるようになった」と述べています。
また、江戸川の有力な河岸町であった流山で、「現在のJR常磐線が建設されたときに、鉄道通過に反対したために、鉄道は少し下流の松戸を通ることになった」という話が伝えられていることに関して、当初の建設計画では流山の地名が何度も出てくることから、「明らかに流山を通ることが決められて」いたが、「新線の距離をできるだけ短くして建設費を少しでも削減したい」会社の意向から、「同時進行していた隅田川支線を利用」し、「この線を新しい土浦線の一部として利用し、南千住付近から水戸方面に分岐するルートを採択する」ことで、「まだ都市化していない水田地帯を地上線で建設できるので建設費が増えること」はなく、このルートであれば、「千住(北千住)から水戸街道に沿うルートが最短ルートとなり、流山経由の可能性はこの段階で消えたと見てよいだろう」と述べています。
著者は、「土浦線のルートは会社と政府とのやりとりの間で決定されたのであって、流山その他の地域の反対運動があって、動かされたのではない」と指摘しています。
さらに、都市と駅の関係に関して、世界の都市の駅配置の共通点として、「その駅が初めて開業した時点では町外れに位置していた」ことを挙げ、「すでに建築物が密集して建てられた市街地に鉄道を通すためには、地価の高い土地を買収し、既存の建物を壊してから鉄道の建設にかからねばならない」ので、「これはきわめて当たり前のこと」であると述べています。
そして、「旧市街地と都市駅が離れている現象を見て、これを鉄道忌避と結びつけること」がある例として、「古くから成田街道や東金街道の宿場町として栄えた船橋」や、現実には隣村と駅の争奪合戦のため町外れに駅を置かざるを得なくなった房総鉄道茂原駅の鉄道忌避伝説を紹介しています。
第3章「実際にあった鉄道反対運動」では、「日本の鉄道創業時において鉄道忌避がはっきりとした形で表れるのは、実は民衆・住民側からではなく、政府内部、つまり官側からのさまざまな形での反対の主張であった」ことや、明治20年代以後、民側からの意見が出てくるようになったのも、「農業水利や高知整理、洪水対策にかかわるもので、現代から見てもかなり合理的で、正当な理由に基づく要求であった」ことが述べられています。
そして、「水運の存在を理由に鉄道の建設を拒否する動き」として、千葉県の例を取り上げ、1887年に出された、武総鉄道(東京本所―千葉―佐倉―成田―佐原間)と総州鉄道(東京本所―千葉―佐倉―八日市場―銚子間)の2つの私鉄計画の出願に対し、当時の千葉県知事が、水運を理由に「はっきりと両鉄道の意義を否定」したことが紹介されています。当時千葉県は、水運の効率化のために、利根川と江戸川の間の「台地を掘削して両河川を短絡する利根運河の開削を計画していた」ことが解説されています。
また、鉄道が、水田地域では築堤を造成して建設されるため、この築堤が従来の水利条件を変えてしまうことや、「上流域で洪水が起こった場合に、築堤がダムとなって、線路の上流側に洪水が滞水してしまう」ことに対して、農民が反応したことが解説されています。
さらに、唯一「きちんと文献の上で確認できる反対運動」として、三重県津から山田(現伊勢市)に至る参宮鉄道において、「従来伊勢神宮への参詣者によって生活してきたのに、鉄道が開通することによって生業を奪われる。免状を与えるのは転業の時間的余裕を見て5年間だけ待ってほしい」との請願が出されたことを紹介した上で、内務省による実態調査の結果、免許状は与えられ、さらに、「沿線地域社会の有力者間の反目」があった可能性に言及しています。
第4章「鉄道忌避伝説定着の過程」では、「鉄道忌避伝説が日本中に『普及』、拡大する過程には、地方紙研究の在り方とその変化が深く関連しているように思われる」と述べ、「地方史研究がアカデミズムの世界で認知されるようになるのは第二次世界大戦後」のことであり、それ以前の研究環境では、「歴史学や地理学の基本的な指導や訓練、とくに資料吟味の厳密性を描いたままの調査が行われた傾向も否定できな」いと指摘しています。そして、第二次世界大戦後、「地域社会の中でなんとなく言い伝えられていた鉄道忌避伝説」が、はっきりとした活字記録として残るようになったことが述べられています。
また、流山の鉄道忌避について最初にふれた著作として、1964年の『松戸市史』などを挙げ、「昭和戦前期ないし戦後の早い時期に流山町民の間で信じられていた鉄道忌避伝説が独り歩きして、ここでついに肉付けされるにいたった」と述べています。
さらに、小・中学校で使われた副読本において、言い伝えだった鉄道忌避伝説が、教科書という性格からか「はっきりと断定する文章」になってしまっており、はっきりと小・中学校の現場で教えられたことで、鉄道忌避伝説が、多くの人々に『常識』となって拡がったと述べています。
著者は、「地元の人々の間で言い伝えられているものが、たまたま地方史家や地理研究者の耳に入り、この人々によって著書や論文の形に書かれると、言い伝えはたちまち全国に『歴史的事実』として広まり、さらなる再生産の原材料にされる」と述べ、その実例として、『銚子市史』を挙げ、「鉄道忌避伝説について、自治体が編纂した公的な地方史誌の類で、この記述ほど饒舌で、話に尾ひれをつけて脚色されたものは珍しい」と指摘しています。
そして、「日頃は学問的な両親にかけて、精緻な分析や丹念な考証を心がけている、真面目な歴史学・地理学の研究者、あるいは教育関係者でも、こと鉄道のこととなると、失礼ながら、慎重な姿勢はどこかへ捨て、いとも簡単に、気軽に書き飛ばしているのではないかという疑問を私は常に感じるのである」と指摘しています。
著者は、1950年代以降の全国的な地方史誌の編纂ブームの中で、「江戸時代に繁栄し、古い歴史を有する街の中で幹線鉄道のルートから遠く離れたところでは、なぜ鉄道がわが町を通らなかったか、その理由が模索されるようになった」、「経済的に繁栄していたわが町に鉄道が通らず、経済的にははるかに低いレベルにあった地域に早くから鉄道が通っていたのはなぜか。そのためにわが町は衰微した。この解答として考えられたのが特定の地域で細々と伝承されてきた鉄道忌避伝説ではなかったか」と指摘しています。
本書は、地域の歴史を見る目に慎重さを与えてくれるとともに、歴史を見る目が、いかに現代のバイアスから離れられないかを教えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
本書でも取り上げられている流山の鉄道忌避伝説については、「水運で栄えていた流山の業者たちの反対で松戸を通るルートが選ばれた」というものが伝えられ、後に水運とともに町が衰退し始めると、危機感を持った流山の産業界が出資して流山電鉄を設立した、と言われています。
この話を初めて聞いたのは、サンプラザ中野のオールナイトニッポンでした。1986年3月15日に流山電鉄救済ライブを行っているそうなので、当時中学生だったようです。
■ どんな人にオススメ?
・明治の人々は先見の明がなかったと思っている人。
■ 関連しそうな本
秋庭 俊 『帝都東京・隠された地下網の秘密』 2006年10月4日
今尾 恵介 『消えた駅名―駅名改称の裏に隠された謎と秘密』
今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
勝田 政治 『内務省と明治国家形成』 2007年02月16日
渡辺 隆喜 『明治国家形成と地方自治』 2007年03月26日
高久 嶺之介 『近代日本の地域社会と名望家』 2007年06月15日
■ 百夜百マンガ
池上作品では珍しいSFもの、と言うよりも、宇宙を題材にした池上もの、という感じでしょうか。線は似てないのですが、なんとなく、星野之宣を思い出しました。
投稿者 tozaki : 2007年07月18日 07:00
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pm-forum.org/MT3/mt-tb.cgi/1431
【星雲児 】