« 転ばぬ先の経済学 | メイン | 戦略の実学 際立つ個人・際立つ企業 »

2007年07月24日

コミュニティ グローバル化と社会理論の変容

■ 書籍情報

コミュニティ グローバル化と社会理論の変容   【コミュニティ グローバル化と社会理論の変容】(#915)

  ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳)
  価格: ¥2520 (税込)
  NTT出版(2006/3/28)

 本書は、「コミュニティという概念に今日的な解釈を施すことを目的」としたもので、著者はその出発点として、「社会・文化・政治の各領域で大変動が起こった結果、コミュニティが今や転換期にあるという認識」を置いています。そして、コミュニティに関する、「社会的・文化的・政治的・テクノロジー的争点」に関する広範な立場として、
(1)コミュニティ研究に特有のアプローチであり、コミュニタリアンの市総荷も反映されている見解
(2)文化社会学と文化人類学に特徴的なもの
(3)ポストモダン政治とラディカル・デモクラシーにヒントを得た、政治意識と集合行為という観点からコミュニティを捉えるもの
(4)コミュニティがコスモポリタン化され、新たな、近接性や距離関係の中で構成されるグローバル・コミュニケーションや、トランスナショナルな運動、インターネットを巡って、ごく最近登場したもの
の4点を示したうえで、本書のアプローチが、「これまでさまざまな思想潮流によって用いられてきた方法に即してコミュニティを解釈すること」にあると述べています。
 第1章「理念としてのコミュニティ」では、「ギリシア思想とキリスト教思想がその頂点において接合することにより、根本的に矛盾する2つのコミュニティ観が姿を現すこととなった」として、「ローカルであるがゆえに個別的なコミュニティという観点」と、「究極的な普遍性を持ったコミュニティという観点」が登場し、「この矛盾は決して解決されることなく、今日まで持ち越されている」と述べています。
 また、19世紀に登場した規範的な理想としてのコミュニティ概念として、
(1)回復不能なものとしてのコミュニティという言説:保守的傾向の強いモダニティ批判
(2)回復可能なものとしてのコミュニティという言説:近代保守主義の主要な言説
(3)今後達成されるものとしてのコミュニティという言説:共産主義や社会主義、無政府主義の言説
の「3つの言説に要約」しています。
 第2章「コミュニティと社会」では、「コミュニティに関する3つの主要な議論を批判的に検討する」として、
(1)伝統としてのコミュニティ概念(テンニース)
(2)道徳的コミュニティ(デュルケム)
(3)象徴的コミュニティ(ターナー、コーエン)
の3点を挙げ、包括的な結論として、「コミュニティは、現実の制度的取り決めというよりもむしろ、流動性の高いコムニタスの一表現――象徴的であると同時に対話的な帰属の一様式――であり、変化しやすく、近代的でラディカルな社会関係、さらには伝統的な社会関係を支える能力を持ったもの」と述べています。
 著者は、「コミュニティは大半の近代的社会関係において、その重要な基盤となってきたと言えよう。コミュニティは、民主主義、市民文化、さらにはラディカル性の重要な側面であり、したがって、前近代の伝統という観点だけで定義することはできない」と述べています。
 第3章「都市コミュニティ」では、「政治的コミュニティや文化的コミュニティとは対照的なローカル・コミュニティに焦点を当て」、「都市はいっそうゲゼルシャフトを基礎にしつつあるとはいえ、それでもなお、コミュニティの重要な容器である」と述べています。
 第4章「政治的コミュニティ」では、「市民的共和主義の大半」を、「コミュニティの喪失をめぐる『ネオ・トクヴィリアン』的言説である」として、「市民的なコミュニタリズムのもっとも有名な提唱者であるロバート・パットナムにとって、現代のアメリカ社会は、彼のいわゆる『社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)』の現象をその指標とする、コミュニティ的価値の衰退を特徴としている」と述べ、パットナムが、「コミュニティについて重要な事柄は、抗争(コンフリクト)を克服する能力ではなく、信頼(トラスト)や関与(コミットメント)や統合(ソリダリティ)といった価値、すなわち、民主主義を活性化するような諸価値を高める能力である。社会的責任は何よりもまず市民社会の肩にかかっているのであって、国家の肩にかかっているのではない。というのも、国家は市民社会において意見が一つにまとまっている場合においてのみ、機能するに過ぎないからである」と論じていると紹介し、近代イタリアについての研究においては、「問題なのは制度ではなく、文化的伝統、とりわけ市民社会を強化するそれである」と考え、「よりよい国家や公共制度を生み出すのは市民社会であって、その逆ではない」と指摘していることを紹介しています。
 著者は、こうした「市民的共和主義者」の議論を、「民主主義が社会関係資本に基づいていると主張する点で、『ネオ・トクヴィリアニズム』とも名づけられよう」と述べ、パットナムの立場が、「強力な市民社会こそが民主主義の盛んな強力な国家を生み出すと想定する点で、非常に保守的である」と指摘しています。
 そして、「市民的共和主義のコミュニタリアニズムは、コミュニティを定義する原理として社会的関係資本を強調しており、その社会関係資本は、さらに、民主主義を機能させる基礎になると考えている。全体として、コミュニタリアニズムというこの特殊な潮流においては、社会関係資本の概念はその道徳的性格を協調するものとなっており、今日の状況は、社会関係資本の衰退という観点から考察される」と述べています。
 著者は、コミュニタリアニズムの主なテーマとして、
・社会的平等から文化的差異へのシフト
・民主主義とシティズンシップの基礎としての社会関係資本
・共通の価値、連帯、愛着としてのコミュニティという定義
・道徳的個人主義とは対照的な、集団的絆の社会的存在論
・集団ごとに分化したシティズンシップ概念
・社会的権利に対立するものとしての文化的権利の強調
などの点を挙げ、以上から、
(1)コミュニタリアニズムは一般に、脱伝統的なコミュニティ概念を反映したものである。
(2)それは脱伝統的な側面を持っているが、その多元化の能力は限定されている。
の2つの結論にたどり着くとしています。
 第5章「コミュニティと差異」では、主な多文化主義モデルとして、
(1)単文化主義
(2)共和主義的多文化主義
(3)柱状化(pillarizarion)
(4)リベラル多文化主義
(5)コミュニタリアン多文化主義
(6)リベラル・コミュニタリアン多文化主義
(7)インターカルチャリズム
(8)ラディカル多文化主義
(9)批判的多文化主義
(10)トランスナショナル多文化主義
の10点を挙げています。
 著者は、西欧の多文化主義を、
(1)多様性は原則として文化的アイデンティティの水準によって基礎づけられている
(2)こうした多様性は主として、支配的な国民社会とは全く切り離された、比較的同質的な移民集団のエスニックな諸価値によって形成される
という前提に基づいていると述べています。
 第6章「異議申し立てのコミュニティ」では、「ハーバマス、トゥレーヌ、バウマンの社会理論」が、「コミュニティという発想そのものへの不信を特徴としている」として、これら三者による批判を検討し、「その中にリベラルでもコミュニタリアンでもない別個の視点が見られることを確認する」としています。
 そして、三者の研究に見られるコミュニティへの批判的アプローチが、「私たちにコミュニティを完全に放棄するよう促しているとも言える」とした上で、「コミュニティにまつわる問題の大半は、それへの対話的なアプローチをとることで解決できる」、「コミュニケーション・コミュニティという発想を理論化するとすれば、複合的な帰属の世界に寄与するコミュニティであり、また、その中での統合が既存の道徳性や合意よりもコミュインケ-ションによって達成されるコミュニティだと言えるだろう」と述べています。
 著者は、本章の議論を、「社会と個人の関係が変化した結果、コミュニティに向かう空間が出現しつつあるとするものである」と要約しています。
 第7章「ポストモダン・コミュニティ」では、ポストモダンのコミュニティ論について、「伝統的でもなければモダンでもなく、自らの再帰性、創造性、自己の限界に対する認識によって支えられている。ポストモダンのコミュニティ概念は、自己と他者の関係の流動性を強調し、閉鎖的ではなく、解放的なコミュニティ観へと導く」と述べています。
 第8章「コスモポリタン・コミュニティ」では、「多くの都市部の社会運動がグローバリゼーションによって大いに活性化(エンパワー)されたこと」の一側面として、「グローカリゼーション」を挙げ、「私たちはグローバル・ヴィレッジにではなく、グローバルに生産され、ローカルに配分された、注文建築の郊外住宅に住んでいる 」というカステルの言葉を紹介しています。
 また、トランスナショナル・コミュニティについて、「グローバルな文脈で作動するが、地域性(ローカリティ)を基礎にするコミュニティの企てである」と述べ、「さまざまなタイプの移民によっており、ディアスポラ的で、その構成の面では混成的(ハイブリッド)である」と述べています。
 著者は、「トランスナショナル・コミュニティは、コスモポリタン・コミュニティの代表例と言えよう。単一の世界コミュニティ(世界共同体)の構想を拒絶し、地域性のユートピアを求めるトランスナショナル・コミュニティは、グローバル秩序の中に自らの再生の可能性を見出している」と述べ、「その意味でトランスナショナル・コミュニティは、多くの脱伝統的コミュニティとの間で、対話的(コミュニカティヴ)な形式という基本線を共有している」と解説しています。
 第9章「ヴァーチャル・コミュニティ」では、ハワード・ラインゴールド、マニュエル・カステル、クレイグ・キャルホーンの3人を取り上げ、「情報通信技術のもたらすインパクトをさらに評価するための基礎を提供するために、この3人について批判的に検討」しています。
 そして、この3つのアプローチの中で、「キャルホーンのものが最も信頼が置けそうである」と述べ、「コミュニティを帰属の社会的関係という観点から理論化しなければならないとする」キャルホーンの議論を、「ヴァーチャル・コミュニティの基礎付けの点で重要である」と述べています。
 また、ヴァーチャル・コミュニティに肯定的な見方として、
(1)人々を活性化(エンパワー)するという立場
(2)他のコミュニケーション形態よりも民主的だとする考え
(3)新たなアイデンティティに関してより実験的で革新的であり、伝統的なコミュニティでは達成できない新しい経験を生み出すことができるという考え
の3点を挙げた上で、批判的な立場として、
(1)権力の空白の中に存在するのではなく、実際には国家と市場による新たな監視の一部でありうるとするリベラル風の批判
(2)空間の新たな商品化を示しているとする見解
(3)規範がなく、民主主義を推し進めるとする論議を疑問視する人々に共通する批判的立場
の3つを挙げています。
 さらに、ギリシア語の「サイバー」が、「船を『操縦』する際の『舵取り』という言葉に由来している」ことについて、この言葉が、「個人が時間と空間の制約を超え、グローバルなコミュニティのネットワークの間を航行する今日の移動する時代について、適切な比喩となっている」と述べています。
 「まとめ」では、「個々人は社会的な力によってのみコミュニティの中に位置づけられるのではなく」、「自らをコミュニティの中に位置づけるのである」と述べています。
 著者は、コミュニティを、「最初に考えたよりも柔軟性に富んでいる。私たちは、伝統的な価値に基づくものであり、場所に規定された小規模な単位だとする、伝統的なコミュニティ概念から出発して、モダニティの時代の対話的な力の一表現としてのコミュニティという見方へ移動していき、グローバル世界の一環としてのコミュニティという解釈にたどり着いた。社会の原子化と国民社会の侵食が進む中でコミュニティは解き放たれ、グローバルなコミュニケーションという形で新たな生命を与えられるに至った」と述べています。
 本書は、とかく「田舎」、「しがらみ」という言葉を連想させやすい「コミュニティ」について、新しい視点を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 日本で「コミュニティ」という言葉を使う場合には、なんとなく農村共同体的なものをイメージして使い場合が多いような気がします。実際にはネット上を含めて、さまざまな形の「コミュニティ」があるのですが、そういったものの見方を整理するにはよい一冊です。


■ どんな人にオススメ?

・「コミュニティ」という言葉をきちんと理解したい人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・D. パットナム (著), 河田 潤一 (翻訳) 『哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造』 2005年03月03日
 ロバート・D. パットナム 『孤独なボウリング―米国コミュニティの崩壊と再生』 2006年08月28日
 ウェイン ベーカー (著), 中島 豊 (翻訳) 『ソーシャル・キャピタル―人と組織の間にある「見えざる資産」を活用する』 2007年06月27日
 D. ヘントン, K. ウォレシュ, J. メルビル (著), 加藤 敏春 (翻訳) 『市民起業家―新しい経済コミュニティの構築』 2005年03月15日
 金子 郁容, 渋谷 恭子, 鈴木 寛 『コミュニティ・スクール構想』 2006年04月06日
 金子 郁容, 松岡 正剛, 下河辺 淳 『ボランタリー経済の誕生―自発する経済とコミュニティ』 2005年08月29日


■ 百夜百マンガ

力王【力王 】

 ハード格闘路線&近未来もの、というと『北斗の拳』みたいですが、20年以上も格闘ものを書き続ける継続力に脱帽です。

投稿者 tozaki : 2007年07月24日 20:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pm-forum.org/MT3/mt-tb.cgi/1437

コメント

コメントしてください




保存しますか?