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2007年08月11日

数学をつくった人びと〈2〉

■ 書籍情報

数学をつくった人びと〈2〉   【数学をつくった人びと〈2〉】(#933)

  E.T. ベル (著), 田中 勇, 銀林 浩 (翻訳)
  価格: ¥861 (税込)
  早川書房(2003/10)

 本書は、、「一般読者や、現代数学を作り出した人間とは、どんな人間なのかを知りたいと思う人々」を対象に、「今日の数学の広大な領域を支配しているいくつかの主流をなす考え方へ[読者を]導くこと、しかもそれらの考え方を作り出した人々の生涯を語ることを通じて導くこと」を目的とした3分冊のシリーズの2冊目で、19世紀に活躍した数学家を取り上げているものです。
 第13章「栄光の日」では、ジャン=ヴィクトル・ポンスレを取り上げ、彼が名著『解析学と幾何学の応用』の序文で、ナポレオン配下のフランス軍の「モスクワからの悲惨な退却の経験」を語っていることが紹介されています。
 そして、ポンスレが、射影幾何学において双対原理を最大限に利用し、「そのきわだった美しさと、その証明のしなやかな優美さをもっていたおかげで、射影幾何学は、19世紀の幾何学者たちのお気に入りの研究対象となった」ことが解説されています。
 第14章「数学界の王者」では、この第2巻に登場する数学者の中でもっとも力が入った解説をされているガウスが登場します。著者は、「数学史を通じて、ガウスの早熟さに匹敵するものはない」として、彼が3歳になる前に、父親が計算していた労働者の週給の長い計算を脇から見ていて、「父ちゃん、その勘定は間違っているよ」と指摘したことや、後年彼が、「自分は話し始める前にもう勘定の仕方は知っていた」と語っていること、学校に入ったガウスが数学に情熱を持つ若い助手バーテルスと出会ったことなどが語られています。
 また、ガウスが、「自分が発見した偉大な業績の発表をさしひかえた」ことについて、ガウス自身が、「自分は、心の奥底から出てくる衝動に刺激されて、科学的な仕事に従事しているまでで、他人の役に立たせるために発表するかしないかというようなことは、全く第二義的なことだ」と語っていることや、友人に、「彼がまた20歳になる前に、新しい観念の大群が彼の心をおそい、彼はそれをほとんど制御することができず、それらを小さな断片に記録する時間しか持てなかった」と語っていることなどが紹介されています。
 さらに、ガウスが、「代数学の基本定理」に関して、「あらゆる代数方程式は解をもつ、という主張も、その方程式がどんな種類の解を持っているかがわかるまでは、やはりはっきりしない」という「漠然とした感じ」を、「代数法定式のすべての根がa+biの形の≪数≫であることを示すことによって、この漠然とした感じを正確にした」ことが述べられています。
 著者は、ガウスがもつ、「彼の秘密の一部」である「自分自身の思考の世界に自らを忘却し得る」能力において、「アルキメデスとニュートンとの両者に似通っている」と述べ、さらに、「正確な観察能力と、彼をして自己の科学研究に必要な器具を案出させた科学的発明の才能」においても「両者に匹敵」すると述べています。
 さらに、ガウスの強みのもうひとつの源泉として、「その科学的冷静さと個人的野心からの超越」を挙げ、彼の野心が、「数学の進歩以外にはない」と述べています。
 また、ガウスの批評が、「印刷物における表現ではいくらか冷淡であったにしても、書信や、また純粋な向学心にもえて彼と交わりと結んだ人々との学問的友情においては、非常に懇切であった」として、『整数論考究』に魅せられてガウスに自分の数論研究を送る際に、「ガウスが女性の数学者に偏見を抱いているかもしれない」からと男名義の≪ルブラン氏≫を名乗ったボフィー・ジェルマンを紹介しています。
 第15章「数学と風車」では、「ハッキリと近代的思想を持った偉大なフランスの数学者のうちの最初の人」であるオーギュスタン=ルイ・コーシーを取り上げ、彼が、「数学的創意において人なみはずれてゆたかであり、その豊富さをしのいでいるのは、わずかに二人、つまりオイラーとケイリーがあるのみである」と述べ、「コーシーの仕事はその時代と同じく革命的であった」としています。
 また、1815年にコーシーが、「フェルマが残して後世を悩ましていた大定理の一つ」である、「あらゆる正の整数は、3つの≪三角数≫、4つの≪平方数≫、5つの≪五画数≫、6つの≪六画数≫などの和である」を証明してセンセーションを巻き起こしたことを紹介しています。
 第16章「幾何学のコペルニクス」では、ニコライ・イワノビッチ・ロバチェフスキーについて、「コペルニクスの業績の重要席について一般に認められた評価が正しいとすれば、人を『何々におけるコペルニクス』と呼ぶことは、その人間に与えうる最高の賛辞か、出なければ最も厳しい非難である」と述べたうえで、「非ユークリッド幾何学の創造において、ロバチェフスキーがなした業績を知り、重要な構成部分である数学すらほんの一部である人類の思想全体に対するその意義について考えるならば」、「幾何学のコペルニクス」という言葉が「決して過大な誉め言葉でないことが認められるだろう」と述べています。
 そして、「ある意味で、ユークリッドは2200年の間、絶対的真理を発見したとか、その幾何学体系によって、人間的認識の必然的な方を発見したとか、信じられてきた」が、ロバチェフスキーの創造が、「この信念が誤りであることを実証主義的に証明した」と述べ、「彼の挑戦の大胆さと、その大成功」が、「一般の数学者、科学者を駆って、ほかの≪公理≫や公認の≪心理≫に挑戦せしめた」ことが語られていています。
 第17章「貧困の天才」では、ニールス・ヘンリク・アーベルを取り上げ、「解析学の新しい一部門を創設するという、さらに輝かしい業績のかげにかくれてしまっている」画期的な業績として、アーベルの≪不朽の記念碑≫である代数学上の業績を紹介しています。
 また、アーベルが、「大陸の大数学者たちに近づく学術的パスポートになりうる」と信じていた「一般五次方程式の代数的不可解性を証明する論文」を、ガウスは、「あえて論文を読もうともせず、『ここにもまた化け物がいる!』とさけんで、それをわきへほうり投げてしまった」ことを紹介し、それ以来アーベルが、「ガウスをはげしくきらい、おりあるごとにガウスをこっぴどくやっつけた」と述べています。
 第18章「偉大なアルゴリスト」では、フランスの偉大な数理物理学者フーリエが、「熱伝導に関する未解決の問題がまだあるのに楕円関数に時間を≪浪費≫したといって、アーベルとヤコービの二人を非難した」ことに対して、ヤコービが、「なるほどフーリエ氏は、数学の根本的な目的は公共の役に立つことと、および自然現象の説明にあるという意見をお持ちである。しかし氏ほどの智者ならば、科学の唯一の目的が人間精神の栄誉のためにあるということ、そしてこの称号に照らせば数についての問題も世界の秩序についての問題と等しい価値を持つということを心得ていてもよいはずである」と反論したことが紹介されています。
 第19章「アイルランド人の悲劇」では、ウィリアム・ロウアン・ハミルトンの幼時の多才ぶりが、「まるで馬鹿げたつくりばなしのよう」であるとして、「3歳で英語を楽に読み、算数にかなりの進歩をみせた。4歳にしてりっぱな地理学者であった。5歳でラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を読み、活躍し、ドライデン、コリンズ、ミルトン、ホメーロスを(最後のものはギリシア語で)延々と暗誦することを好んだ。8歳でイタリア語とフランス語を征服して、自己のコレクションに加え、アイルランドの風光の美しさに接して、平易な英語の散文ではあまりに通俗すぎで高揚した気分を表せないときには、即座によどみなくラテン語で六歩格の詩をつくった。そして最後に、10歳にも達しないうちにアラビア語とサンスクリットに手を染め、これによって東洋の諸国語に対するなみなみならぬ学識の確固とした基礎を築いた」と述べています。
 そして、「ハミルトンの学問的生涯をめちゃくちゃにした、2つの災厄」として結婚とアルコールを挙げた上で、「ハミルトンのもっとも深い悲劇」は、「アルコールでも結婚でもなく、四元数こそ自然界を包括するような数学への鍵を握るものであるという、かれの頑固な信念だった」と述べています。
 第20章「天才と狂気」では、「アーベルが死に追いやられたのは貧乏のためであったが、ガロアが死に追いやられたのは愚行のためである」として、「学術史上、奔放な天才がむこうみずの愚行に身を任せた例として、エヴァリスト・ガリアのつかの間の生涯に匹敵するものはないだろう」と述べ、ガロアが、「ばかげたことの連続に圧倒されて、素晴らしい能力も充分に発揮できず、つぎつぎとばかものどもと闘ううち弓折れ矢つきたのであった」と述べています。
 そして、ガロアが17歳の年に、「自分の才能を理解する能力をもっている人物」であるルイ・ルグランの高等数学の教師、リシャールと出会ったことについて、リシャールは、「掌中の鳥が何者であるか」をすぐに悟り、それが≪フランスのアーベル≫であるとして、ガロアに首位を与え、「この生徒は、どの同級生よりずば抜けている。かれは、高等な部門しか研究しない」と報告していることを紹介しています。
 しかし、ガロアが、度重なる受験の失敗や、彼の父が陰謀によって自殺したことによって、「何にでも不正を疑い、何でも悪い方にとるようになった」と述べ、さらに、彼が、「ぼくは、多くの学者の研究を断念させるような研究成果を挙げた」と語った論文の原稿が、学士院幹事の元に届けられたが、それを見る暇もないうちに死んでしまう、という不幸に見舞われたことが述べられています。ガロアは、「間違った社会制度のために、おべっか使いの凡人どもが利益を得て、天才はいつも公正に扱われていない」と語り、彼の憎悪は、「共和主義の側に立って政治に飛び込み、されには禁じられた過激主義へと進んで」いったことが述べられています。彼は政治犯として投獄され、釈放後は、すぐに政治上の敵と衝突し、1832年5月13日の早朝、≪名誉の野≫で敵と相対し、ガロアは腹を撃ち抜かれて倒れ、病院に駆けつけたただ一人の家族である弟に、「泣くな。20歳で死ぬにはありったけの勇気がいるものだよ」と慰めたことが語られています。
 第21章「不変の双子」では、ケイシーとシルベスタを取り上げ、彼らが「互いに相手を引き立てはげましあっていた。そして互いに相手にかけているものを供給しあった」と述べています。
 そして、「知的興味の広いことにかけては、知るベスタはケイリーによく似ている」が、「身体的にはこの二人は、ぜんぜん似たところはなかった」として、ケイリーが「針金のように屈強で、肉体的な忍耐力も充分持ち合わせていたのだけれども、外見はひ弱そうに見えた」のに対し、シルベスタは「背も高くなくずんぐりしており、大きな頭が広い肩の上にがっしりと乗っかっていたが、それは恐ろしいほどの力と生命を有しているように見えた」と述べています。


■ 個人的な視点から

 「数学者」というと浮世離れした変人、というイメージをもつ人がいるかもしれませんが、19世紀が中心の2巻になって、赤貧にあえいだアーベルや、不幸続きで転落していったガロアなどの、「変人」的な数学者が登場してきました。
 これは、19世紀になってから変人が増えたというよりも、教育システムが整備されるにつれ、経済的、社会的に、それまでであれば世に出なかったような人が、十代で世間の注目を集めるようになったからではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・19世紀の個性豊かな数学家たちの横顔を目にしたい人。


■ 関連しそうな本

 E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
 チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
 グレゴリー・J・チャイティン (著), 黒川 利明 (翻訳) 『セクシーな数学-ゲーデルから芸術・科学まで-』 2005年11月03日
 サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日


■ 百夜百音

ブラスタ天国【ブラスタ天国】 東京ブラススタイル オリジナル盤発売: 2007

 アニメソングを聴いているのが恥ずかしくない、と感じさせる小洒落た企画ものグループです。考えてみれば昔から中学高校のブラバンでは、「宇宙戦艦ヤマト」や「ルパン三世」は定番だったのでブラスとの馴染みは良いはずですし、動きが魅せやすいブラスのグループはパフォーマンスにも期待です。古くは新田一郎とスペクトラムがさまざまなアクションを編み出しています。

『アニジャズ 1st note』アニジャズ 1st note

投稿者 tozaki : 2007年08月11日 21:00

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