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2007年08月06日
モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影
■ 書籍情報
【モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影】(#928)
小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著)
価格: ¥3045 (税込)
エヌティティ出版(2007/5/31)
本書は、「ケータイの使用に関する1,000人規模の質問紙調査とその解析結果」をもとに、ケータイの使われ方や、ケータイ使用が生み出す心理、言語能力との関係などを分析したものです。
第1章「日本におけるケータイの現状と使用実態の調査」では、ケータイの普及によって、「即時性」「モバイル性」「非干渉性」の3条件が同時に満たされ、「個人がコミュニケーションの主導権、管理権を掌握した」ことが述べられています。
第2章「ケータイの使用実態」では、日本人が、ケータイを所有することにより約7,500円の料金を毎月支払っていることや、1日あたりの通話頻度は、「おしゃべり好きな女性」ではなく、「主に30代以上の男性」が、「仕事に関する用件で頻繁に通話している」こと、「女性は男性に比べて長いメールを書いている」こと、「ケータイのみでメールを利用する人が非常に多い」こと、等を明らかにしています。
また、「社会的資本(social capital)」という視点からは、ケータイメールが、「私的親密圏内での絆の維持に貢献し、信頼と互酬性の規範を基礎とする『結束型(bonding)』の社会関係資本の担い手となる」が、「私的親密圏の外側に広がる、より広範な社会ネットワークへの参加には、ケータイメールはあまり効力を発揮しない」、すなわち、「地域や属性を超えた集団への架け橋となる、『橋渡し型(bridging)』の社会関係資本の補完には貢献しない」と述べています。
第3章「ケータイ使用が生み出す心理」では、「ケータイが私たちの心理や行動にどのような影響を与えているか」として、
(1)日本人のモバイル生活に垣間見られる「つながっていたい気持」について、そのつながっていたい気持があるがゆえに生じるネガティヴな側面
(2)ケータイがもたらす対人関係および生活への影響
(3)ケータイのポジティヴな側面
の3点について考察しています。
そして、「約7割近くの日本人が、四六時中ケータイの電源を一切オフにしないで、常時接続可能な状態に身をおいている」ことについて、「自分へのアクセスを最大限確保しておきたいと願う人が非常に多くいることを示している」と述べています。
また、メールの返事が来ないことで「不安になるまでの時間」について、「10代の中高生世代が圧倒的に、不安を感じるまでの時間が短いこと」について、「その時間を2時間未満とした人」が34.2%にも達したことなどが述べられています。
そして、日本人の多くが、「メールの送受信を頻繁に行うことにより、常に誰かとつながっていたいという欲求を満たしているように見える」が、「こうした絶え間なき更新」が、「ネガティヴな影響を与える場合もある」として、「度がすぎると、日常生活に支障を来たし強迫性障害の域に達する可能性もないわけではない」と述べています。
さらに、「メールの伝達可能性に対する評価」に性差が見られ、「メールを介して自分の気持ちを十分に伝えられると感じているのは、男性よりも女性に圧倒的に多い」ことなどを明らかにしています。
著者は、本調査で明らかになった特長の多くが、「『世間』という視点の範疇に収まる」として、「メールの即時応答は、まさに『贈与・互酬の関係』の掟に似ている」と述べています。
第4章「ケータイ使用の国際比較」では、2005年9月現在、世界のケータイ契約数が20億件を突破し、約3人に1人がケータイを持っていることを挙げた上で、日本と「ケータイ先進国」フィンランドの国際比較を行っています。
そして、フィンランドが、2004年末に契約数500万件に達し、524万人の人口に対する対人口普及率95.5%になり、日本の対人口普及率66.9%と比較して圧倒的に高い数字であると述べています。一方で、インターネット対応やカメラ付き等の高機能ケータイの普及に関しては、「日本はフィンランドよりも一歩も二歩も先に進んでいる」と述べています。
また、「グループメール」(メーリングリスト)の使用に関して、日本人が、「フィンランド人よりも、グループメールをあまり使用していなかった」ことについて「日本では、ケータイメールがそもそも、その公共性の高い社会圏であまり利用されていない」という指摘を紹介し、「グループメールの低利用率をある程度は説明できるかもしれない」と述べています。
第5章「ケータイ使用と言語能力」では、言語能力の測定方法として、「NTTコミュニケーション科学基礎研究所で開発した漢字単語の読み能力テスト」である「百羅漢」と語彙数推定テストを用い、「個人が持つ言語能力という要因に光をあて、ケータイの使用態様との関係」を探っています。
その結果、「公共交通機関の列車・バスの中でのケータイ使用のマナー」と、単語に関する言語能力との間に正の相関が見られ、漢字単語の読み能力テスト(百羅漢)の得点や推定語彙数が高い場合に、「他人に迷惑をかけないようにマナーを守ろうとする傾向」が高いことを明らかにしています。
また、漢字単語の読み能力テスト(百羅漢)の得点や推定語彙数が低い場合に、音声によるコミュニケーションを行う傾向や絵文字の使用傾向など、情緒的メッセージ交換を行う傾向があることを示しています。
さらに、漢字単語の読み能力テスト(百羅漢)の得点や推定語彙数が低い場合に、ケータイの電源をオフにせず、メールが来るとすぐに返答し、メールが来ないと不安を感じ、その時間も短く、ケータイによって友人との結びつきが強まったと感じる傾向があることを示した上で、「ケータイメールを頻繁にやりとりする傾向」が、リスザルの「チャックコール」やニホンザルの「クーコール」などのサルのコミュニケーションときわめて類似している、という研究を紹介しています。
第7章「関東と関西の地域差」では、関東と関西で、ケータイメールにおける絵文字の使用頻度がある(関西の方が、より絵文字を用いている)ことに気づいた著者が、「メールにおける絵文字の利用頻度と、各人の日本語能力の間には、非常にはっきりとした逆相関があるという事実」に着目し、関東と関西の語彙数推定の値を比較してみると、「平均して関東の非調査者の推定語彙数の方が、関西の非調査者のそれをはるかに上回る」という「途方もないほどにはっきりとしたさが浮かび上がってきた」ことが述べられています。
さらに、PCを使ってインターネット版の新聞を読む頻度についても、PCの所有状況自体には差がないにもかかわらず、「関東の方がはるかに閲覧する頻度が高い」こと、「どのくらいの量の単行本を一定期間に読むか(文芸書を中心として)あるいは図書館でどのぐらい本を借りるか」という質問についても、「関東の方が、はっきりと冊数が多く、値において関西に開きをつけている」ことを挙げ、関西人が、「フォーマルな形式での日本語に接する機会が、関東人に比べて少ないらしいことを暗示する結果が得られている」ため、「公的日本語に依拠してなされるテストでの成績が劣ってもぜんぜん不思議ではない」、また、ケータイメールといえども「フォーマルな形式での能力に依存するところが大きい」ので、「絵文字の登場となるという解釈が生まれてくる」と述べています。
著者は、「付け焼刃は承知の上」で、平日の午前8時から10時までの間と午後5時から7時までの間に、東京のJR山手線と大阪の環状線の乗客が、「どれだけ活字と接しているか」、「どれだけケータイを操作しているか」を目視で観察し、山手線では、男女平均して18.9%が、活字(単行本、新聞、雑誌、資料など)に目を通しているのに対し、環状線では、男女平均して11.3%にとどまること、ケータイでは、山手線では男女平均で8.8%であるのに対して、環状線では5.4%という低い水準にとどまっていることを示しています。
著者は、「即断は禁物である」としながらも、「つまるところ関西の言語文化とは、関東より『話し聞く』に比重が置かれているのではないか」、すなわち、「いわゆる上方が、『お笑い』に代表される話芸のメッカ」であり、「浄瑠璃などに代表される『語り』の芸を誇る上方の優位性は揺るがないもの」であると述べ、言語文化が、「声と文字の文化(活字文化)にそれぞれ大別されるという説」を紹介しています。
本書は、ケータイが私たちの生活と文化の中で欠かせないものになり、そのことが社会や文化自体を変容させていることを示してくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
「私をスキーに連れてって」にも登場していた携帯電話が、世の中を変えてしまうほど普及するなんて当時予想できたでしょうか。
そういえば当時は、「車載電話」なるものがあって、見栄を張ってアンテナだけトランクに立ててる人もたくさんいました。
■ どんな人にオススメ?
・ケータイがなかった世の中を知らない人。
■ 関連しそうな本
T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』
小檜山 賢二 『ケータイ進化論』
水越 伸 『コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる』
遊橋 裕泰, 河井 孝仁 (編さん) 『ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に』
ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日
パトリシア ウォレス (著), 川浦 康至, 貝塚 泉 (翻訳) 『インターネットの心理学』 2005年10月15日
■ 百夜百マンガ
『ラブひな』の赤松健をネタにしていたら、自らも同じ雑誌に移籍して、同じジャンル(学園もの)を描く羽目になってしまった面白い人。個人的にはいまだにサンデーのヒトという印象が強いです。
投稿者 tozaki : 2007年08月06日 21:00
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【さよなら絶望先生 】