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2007年09月16日

百姓の江戸時代

■ 書籍情報

百姓の江戸時代   【百姓の江戸時代】(#969)

  田中 圭一
  価格: ¥735 (税込)
  筑摩書房(2000/11)

 本書は、江戸時代を政治の側からのみ捉えるのではなく、百姓の側から捉えることで、「江戸時代三百年、この国は世界に植民地を持つことなく、また、世界の経済にどっぷりと依存するような貿易も行わずにやってきた」ことを示しているものです。
 序章「『日本近世史』のあやうさ」では、定免制を、「役人の検地の不正、政治の腐敗を追及する民衆の検見制批判の声に応ずる対策として生まれたものであった」として、今日の歴史学者が「それを幕府の意図的な政策」であると、「江戸時代の社会を支配者と被支配者という、かなり一面的な構図で見てしまった」ことを批判しています。
 そして、「目の前に起こった現象の対策に過ぎない禁令に、構成の歴史家が政策のような目的を掲げることを間違っている」として、江戸時代の法が、「原因に関係なく結果だけをおさえようとするもの」であったと述べています。
 著者は、「江戸時代というのは封建社会ではなく、工業化以前の近代社会として捉えた方がよいのではないか」と述べ、
(1)支配者である武士と、支配される百姓・町人の間に封建的身分関係、つまり主従関係が基本的に存在しなくなる。
(2)江戸時代には、士・農・工・商というきびしい身分制度を定めてそれの職業を変えにくいようにしたと言うが、百姓・町人の間で農・工・商を分けることなど誰も考えていなかったし、できもしなかった。
の2点を挙げています。
 第2章「身分社会の終焉」では、「本来、士・農・工・商は職分であり、そのような職分を身分制度として説明すること自体ばかげているのであるが、書物は今もそれを変えることをしない」と指摘しています。
 第3章「法と制度のからくり」では、「だいたい制度とか禁令とかというものは、現に世の中にそれを必要とする状況が存在することによって生まれるものである。原因の部分を何も説明せずに法の意図だけを語ることには無理がある」として、田畑永代売買の禁令が、「年貢の徴収を確実にするため、できるだけ耕地面積と労力の均衡がとれるような政策」として生まれた、という日本歴史学の通説を、「支配者史観とでもよぶべきもの」であると批判しています。
 著者は、「田畑永代売買の禁令は、田畑を永代に売ってはならないと言っている」のであり、「三年季とか五年季とか、年季を限って売ることは売ることは問題がないものと受け取れる」と述べています。
 第4章「新しい社会の秩序」では、「こと百姓に関するかぎり、あらゆることがらが受身で描かれて」おり、「没落とかどん底というような絶望的なせりふだけが随所に充満」しているが、「これはきっとまちがいだろう。明治時代の日本を支えた人たち、つまり土地資本家も銀行家も醸造資本家も織物企業家も、みんな日本の村からおどり出てきた人々である。新しい資本主義のエネルギーは、すべて村から育っているのだ」と述べています。
 また、江戸時代の村に、百姓を拘束する取り決めが多いことに関して、「村の掟としてこのような厳しい秩序を決めることによってはじめて、村は成り立った」が、「そういう秩序を持つ社会を封建社会とする」これまでの見方を批判し、「多くの村の秩序は、封建社会を維持するために幕府や奉行所が作ったものではなく、村人が自分達の生活を成り立たせるため、自らの意思で作り出したものであった」と述べています。
 第5章「百姓の元気」では、「農民自給自足論」を、「近世護持論(幕藩体勢論)者の失敗」であったと述べ、その背景には、「もし村に住む百姓たちの商品生産への活発な動きを認めたら、武士による近世封建社会の確立という考え方自体が成り立たなくなってしまう、という危機感がにじみ出る。そこに幕藩体勢論の危うさがある」としています。
 そして、これまで「無高百姓の出現」について、「田地を持っていた村の百姓が、商品貨幣経済が浸透し、土地を多くもつ者がしだいに土地を少ししか持たない貧しい百姓の土地を集めたため、その結果として心ならずも土地を失って無高の百姓ができ、村は両極分解した」と考えられてきたが、「事実はそうではない。無高の百姓は、土地を売って無高になったのではなくて、最初から農業以外の仕事に従事するために分家したのである」と述べています。
 第6章「民意が公論となるとき」では、新井白石や徳川吉宗が、「民意を問い政治の刷新を実行しようとした背景は、元禄に検地が行われて以来、平百姓が増加し、村における発言権を増したことにある。そこのところが重要なのである」と述べ、それを、「全ての事柄を幕府の事情にのみ重点をおいて記述しているのはどんなものだろう」と指摘し、「幕府が民意に注目して政治を行うようになったことが大切なのである」と述べています。
 また、「百姓が定免制を支持した理由は、年貢が一定になれば営農の努力のし甲斐があるから」であり、「年貢の増徴が目的だったのなら、百姓がそれに賛成することはありえない」と述べています。
 第7章「村に学んだ幕閣」では、「少なくとも、歴史を因果関係としてみることなく、前後の脈絡も考えずに収奪策とか圧制とか言ってのける幕藩体勢論は、歴史研究の方法として穏当ではない。もしこれが闘争の成果であるとしたら、その成果はその後国民によってどのように守られ発展したのかについて語られなければならない」と述べています。
 本書は、教科書で教えられてきた、江戸時代の村の姿、百姓の生活について、豊かなものの見方を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 最近、江戸時代に建てられた古民家の宿とかに行くことが多いのですが、美しい田畑の中に建つ立派な農家を見ると、農民がすべて豊かであったのではないにしろ、農村がそれなりの経済力を持ち、エネルギーを生み出してきた社会であったという本書の主張が実感できます。


■ どんな人にオススメ?

・江戸時代の農村の姿を知りたい人。


■ 関連しそうな本

 田中 彰 『幕末維新の社会と思想』 2007年08月13日
 大石 嘉一郎 『近代日本地方自治の歩み』 2007年06月12日
 阿部 恒久 『「裏日本」はいかにつくられたか』 2007年07月31日
 佐藤 常雄, 大石 慎三郎 (著) 『貧農史観を見直す―新書・江戸時代〈3〉』
 宮崎 克則 『逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦』
 田中 圭一 『村からみた日本史』


■ 百夜百音

My Thing【My Thing】 Tuomo オリジナル盤発売: 2007

 今時信じられないくらいの能天気さも、NOKIAの国の人が歌っていると聞くと、なんとなく納得させられてしまいます。


投稿者 tozaki : 2007年09月16日 10:00

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