« リーディング・ザ・レボリューション | メイン | NPM実務の考え方・進め方―効率的・効果的な政策形成・実施・評価改善 »

2007年09月20日

広告に恋した男

■ 書籍情報

広告に恋した男   【広告に恋した男】(#973)

  ジャック・セゲラ (著), 小田切 慎平, 菊地 有子 (翻訳)
  価格: ¥1680 (税込)
  晶文社(1984/11)

 本書は、広告界の「恐るべき子供」と呼ばれ、全くのゼロからスタートしてわずか10年で、日本でいえば電通や博報堂と並ぶ広告会社を出現させ、保革逆転を成し遂げた選挙キャンペーンをフランスで成し遂げた男、ジャック・セゲラがその半生を語ったものです。
 「こうしてルー・セゲラ社が生まれた 1969年」では、薬剤師だった著者が、仕事に嫌気が差して、「フランスの車による初の世界一周」という冒険旅行に乗り出したことで広告と出会ったことが語られています。その旅行中には、東京の西武デパートで、8時間マネキン人形のフリをして人だかりを作り、インドまでの旅費を手にしたことが語られています。
 また、詩人ジャック・プレヴェールに出会った著者が、「広告というものへの恋」に落ち、プレヴェールから、「新しい分野を掘り起こす、それが才能っていうものだ。俺たちの時代は、映画だった。だからこそ映画に飛び込んでいったんだ。君たちの時代は、広告だよ」という言葉を掛けられたことを語っています。
 「まるでライオン狩りに行くみたいだ 1970年」では、戦後ずっと二つの広告会社に支配されてきたフランス広告界に、「一ヶ月ごとに新しい広告会社が生まれていた」状況を、「映画界に遅れること十年、広告界にもヌーベル・ヴァーグがやってきたのだ」と語っています。
 「海辺の村、まるごと売ります 1971年」では、食前酒メーカーの広告用に、1万軒のカフェにオウムを贈り、「おーい! ベルノ一杯」と言わせる、という企画を思いついた著者が、まず50羽のオウムを輸入したが、オウムが一人の主人からしか言葉を覚えず、他の鳥と一緒ではダメだということを知り、「この計画を実現するには、一万人の調教師が、三週間つきっきりで教えなければならない」ことが明らかになって頓挫したことが語られています。
 「巨匠ダリをくどくには 1972年」では、ニューヨークのカフェでダリと待ち合わせた著者が、「普段でもダリのあの奇矯さは少しも変わりない」ことに驚き、さらにダリの拝金主義にも振り回された経験を語っています。
 「ボスたちにつぶされてたまるか 1974年」では、モロッコの観光キャンペーンに関して、「広告は恋と同じで、決してあきらめないことが勝利につながる」と語っています。そして、マールボロのカウボーイを例に挙げ、「イメージを反復するのではなく、再生産するのが広告のアートなのだ。ポール・ヴァレリーの海のように絶えず生まれ変わり、偉大な芸術家のように一貫性を持っている」と語っています。
 また、「広告会社の毎日は、短編小説のようだ。ひとつが終わって悲しみにひたっていたかと思うと、すぐに次のが始まり、新しい冒険に夢中になって、前の不幸などいっぺんに忘れてしまう」と語っています。
 さらに、クリエイティブとしてフランス中を飛び回り、印刷所で製版工に会っている間に、広告界のお偉方たちが、「電話一本で我が社の仕事をかっさらっていった」ことに衝撃を受けた著者が、「クリエイティブから経営者に転身する潮時」を感じ、「広告界のボスたちに、決闘を挑むときが来た」と心に決めたことを語っています。
 「フランスをノーブランド商品でうめつくせ 1976年」では、「文学者にゴンクール賞が科学者にノーベル賞があるように」、「プロデュイ・リーブル(自由製品)」によって、著者が「真の広告人になった」と語り、後にこの広告が、「過去三十年間の最優秀広告」に選ばれたことを誇らしげに語っています。
 一本の電話から突然訪れたカルフールの創立者ドゥニ・デュフォレイから、「メーカー主導の時代、流通主導の時代に引き続いて、商品の第三世代が到来する」として、「プロデュイ・ブラン(無印製品)」の市場投入キャンペーンを持ち込まれたことや、コンセプト・ワークの間に、「無印製品」は「自由ブランド」になり、「プロデュイ・リーブル(自由製品)」へとコンセプトが発展していったこと、フランス広告界からは、「これは、商標に対する宣戦布告にほかならない。もしこのキャンペーンを実施するというのならば、われわれはあくまでも君たちと戦う」と反撃されたこと等が語られています。
 そして著者は、「業界の連中は、天井桟敷から野次を飛ばしていたが、一般の人たちは大喝采だった。広告というのは芝居と同じで、観客が王様なのだ」とキャンペーンの大成功を語っています。
 「ミッテランの選挙キャンペーンを手がける 1977年」では、社会党のポスターの依頼を受けた著者が、仕事を引き受ける条件として、
(1)ミッテラン本人と最低一時間会うこと。
(2)ミッテランの判断を最高決定とすること。
という2つの条件を出したことを語ったうえで、「母親から子供が生まれるように、広告というのは、広告主から生まれるものなのだ。広告マンは、自分に広告を生む力があると思っているが、実は助産婦にすぎない。広告マンにとって、本当の才能とは、人の話を聴くことだ」と語っています。
 そして、一週間でできたポスターに党の承認をとるために二ヶ月もかかり、そのやり取りの中には、
「砂の上を歩くフランソワ・ミッテランというのは、社会主義が砂上の楼閣ということだ!」
「とんでもありません。砂漠を超えるということですよ」
「この空は、嵐の空としか見えないがね!」
「空は、いつでも希望のシンボルです」
というバカバカしいものまであったことが語られています。
 このキャンペーンの成功後、さらに政治広告を手がけた著者が、「三度、党派を乗りかえた」ことに対して同業者から裏切り者扱いされたことについて、「広告マンというのは、いわば通信技師だ。自分が何かを言うのではなく、メッセージを伝えるだけなのだ。だから、嘘や伝達に値しないものではないかぎり、あらゆる情報を送る用意がなければならない」と語っています。
 「アメリカ上陸作戦 1979年」では、著者の最初の職業である「薬剤師」は、「毎日毎日、病人ばかりを見ている暗い仕事」で、次の「ジャーナリスト」は「破局(カタストロフ)しか報道しない」のに対して、「今の仕事は、幸福を売ることができる。それなのにどうして幸せが見つからないのだろう。広告をやっているなんて、母さんには言わないでくれ。安酒場のピアノ弾きだと思うから。広告というのは、消費社会の吹き溜まりでピアノを弾いているようなものだ」と語っています。
 「広告マンは現代の道化師だ 1980年」では、「広告の皮相性は、それ自体に価値があるのだ。ぼくは、広告に感動を覚える。受けた衝撃は、癒えることはない。ただ栄光だけが、その傷を浄化することができるのだ。広告マンは、現代の道化師、実業界の綱渡り芸人、消費社会の軽業師だ。そして彼の手には、幸福を生み出す強力な道具がある」と語っています。
 そして、「ぼくは、なんのてらいもなく、広告は世界を救うと言い切れる。新聞、映画、文字、音楽、絵画は、人々が語り合い、互いに耳を傾けあうために、手を差し伸べている。広告も、そのひとつなのだ。コミュニケーションがあれば、平和が保たれるが、これがなくなれば、戦争になる」と語っています。
 本書は、広告が熱かった時代を切り拓いてきた当事者によって語られた広告の歴史です。


■ 個人的な視点から

 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』も、企業から広告費を集めて世界一周する企画なのですが、フランスではこの手の企画が一般的なのでしょうか。日本だと、電波少年にしてもグレート・ジャーニーにしてもテレビ番組の企画になることが多いようですが、雑誌や新聞では見かけない気がします。


■ どんな人にオススメ?

・広告とは何かを知りたい人。


■ 関連しそうな本

 デイヴィッド・オグルヴィ (著), 山内 あゆ子 (翻訳) 『ある広告人の告白』 2007年01月02日
 クロード・ホプキンス (著), 臼井 茂之, 小片 啓輔 (監修), 伊東 奈美子 (翻訳) 『広告でいちばん大切なこと』
 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 矢島 尚 『好かれる方法 戦略的PRの発想』 2006年10月25日
 高木 徹 『ドキュメント 戦争広告代理店―情報操作とボスニア紛争』 2006年11月27日


■ 百夜百マンガ

学園帝国 俺はジュウベイ【学園帝国 俺はジュウベイ 】

 サンデーが引っ張り出してきた大型原作者。ゲームの世界では知らない人はいない人ですが、マンガの原作としてはちょっと滑った感じです。

投稿者 tozaki : 2007年09月20日 21:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pm-forum.org/MT3/mt-tb.cgi/1496

コメント

コメントしてください




保存しますか?