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2007年10月04日
犬と鬼―知られざる日本の肖像
■ 書籍情報
【犬と鬼―知られざる日本の肖像】(#987)
アレックス カー
価格: ¥2625 (税込)
講談社(2002/04)
本書は、日本がいかに近代化に失敗し、「日本の物事のやり方、株式市場の運営、高速道路の設計、映画製作など」が、「60年代で凍結」してしまい、不安になった官僚たちによる派手なモニュメントにお金がつぎ込まれてきたか、そして、ブレーキを持たない「オートクルーズの官僚政治」に誘導された「極限状態の日本」について、論じているものです。本書のタイトルである『犬と鬼』とは、『韓非子』の故事で、皇帝から、描きやすいもの、描きにくいものについて問われた宮廷画家が、「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」、すなわち「私たちのすぐ身近にある、犬のようなおとなしくひかえめな存在は、正確にとらえることが難しい。しかし、派手で大げさな想像物である鬼は、誰にだって描けるものだ」と答えたことにちなんだもので、著者は、「現代の諸問題の基本的な解決は地味なだけに難しい。ところが派手なモニュメントにお金をつぎ込むことは簡単なのだ」と述べています。
第1章「国土――土建国家」では、日本の美しい景色を夢見ている(アメリカの)読者を幻滅させるかもしれない、「ひょっとすれば世界で最も醜いかもしれない国土」があるとして、「山では、自然林が伐採され建材用の杉植林、川にはダム、丘は切り崩され海岸を埋め立てる土砂に化け、海岸はコンクリートで塗りつぶされる。山村には無用とも思える林道が網の目のように走り、ひなびた孤島は産業廃棄物の墓場と化す」と述べています。そして、過疎の農村に流れこむ現金の90パーセント以上が、国土交通、農林水産の2省から道路・ダム建設で落ちる金であり、「建設をやめれば村人のほとんどが職を失うため、毎日コンクリートを流し続けねば村は死んでしまうのだ」と述べています。
第2章「地産・治水――災害列島」では、日本が、「脱工業化」への準備が整っているにも関わらず、その移行が阻止されているとして、「古くて自然のものは『汚い』『迷惑』、それどころか危険だと考える方へどんどん突っ走っている」と述べています。
そして、日本の長所であり、作動や能、組み立てラインの品質管理を生み出してきた「トータルコントロール」は「諸刃の剣」であり、「それが近代テクノロジーの力と結びつき、そして自然環境へ向けられたときには、無残にして致命的な影響を及ぼすのだ」と述べています。
第3章「環境――ステロイド漬けの開発」では、日本の「効率的な経済」が、「ゴミ処理を産業の計算式から除外していた」上で成り立ってきた「ステロイド漬けの開発」であり、「有害廃棄物を規制せずに高いGDPを達成したのと、厳しく管理して達成したGDPとは根本的に質が異なっている」と述べています。
第4章「バブル――よき日々の追憶」では、供給が限られ、経済は成長し、外資との競争もほとんどなく、外国への流出経路もない「温室」で何十年も過ごしてきた大蔵省と日本の金融機関が、「利益を生む産まないにかかわらず、資産価値はつねに上がり続ける」という「資産の魔術」を信じるようになり、ここから「含み益」という考えが生まれたが、「含み損という考え方は存在しなかった」ことを指摘しています。
そして、かつて「技術大国」と言われた日本が、90年代には時代から取り残され、メリルリンチやゴールドマンサックスが、精密なコンピュータ計算式を開発しているときに、「野村證券の社員は相変わらずそろばんを使っていた。しかも、ただひとつの演算しか知らなかった――足し算である」と述べています。
第5章「情報――現実の異なる見方」では、外国の新しいコンセプトが実行に移されるための条件として、
(1)外国人の積極的な関与
(2)受容の態勢が整っていること
(3)確固とした統計的基礎
の3つの条件を挙げています。
第6章「官僚制――特別扱い」では、日本の官僚機構が、「社会に対して細部にわたるまでコントロール権を握り、各省庁は秘密裏に動いている。外国の圧力から保護されているだけでなく、日本国内の政治体制からもほぼ独立している。学校は、子供たちに黙って従うよう教えており、そのため反対運動はまれで、警察は腐敗を深く追求せず、法廷は罰しない。それどころか、官僚と産業界との馴れ合いで内密のギブ・アンド・テイクは制度化されている。株価からスーパーのトマト、教科書の内容まで、生活のあらゆる側面を公務員がコントロールしていると言っても言い過ぎではない」と指摘した上で、「日本は官僚支配国家がどうなるか『テストケース』を提供している」と述べています。
著者は、現代日本の「文化の病」は、「官僚構造が時代に合わなくなって、軌道から外れた」という一言に集約できると述べ、「官僚と政治家が企業と手を結び利益を分かち合う仕組み」である「クローニーキャピタリズム」によって、その企業が「特別扱い」され、国の資源(資金、エリートの知力、国家政策などを含める)が流れ込み、「官僚にメリットを与える方面に注がれる」と述べ、「官僚の財布に流れこむカネは、日本の国土のあり様さえ変えてしまった」と指摘しています。
第7章「モニュメント――大根空港」では、「情報は信用できず、海外の新しい技術の知識は少なく、世論を聞かず、何十年も前のマニュアルが政策を支配する」世界で現実との接点を失った役人が、「何かしなければ」と必死になった結果、モニュメントの建造に力を注いだと述べ、日本中に、「はっきりとした目的もなく建設が進められ」ている「多目的ホール」と博物館、そして、典型的な「犬と鬼」プロジェクトである野菜専用の「大根空港」を取り上げています。
また、「さまざまな機関は、各省庁が牛から乳を搾るように特殊法人から利益を搾り出している」と指摘し、「えさは財投の資金で、繁殖地はそれらを監督する省庁だ。天敵はいない。排泄物はモニュメントと呼ばれる巨大なフンだ」と述べています。
第8章「古都――京都と観光業」では、アメリカ国務省が、「単なる日本の一都市ではなく、全人類の遺産」だと考えたため、戦争後も無傷で残った京都の木造建築の連なる街並みが、「市の役人にとっては困惑の種でしか」なく、「古臭く、貧しい京都を世界中にさらけ出す恥ずかしい景色と思っていた」ため、「この街が『近代的』であることを世界に証明せねばならぬと考えた役人たち」によって、「1964年、赤白二色の京都タワーを駅前に建設すると決めた」事を取り上げ、「これが決定的な一打」となり、「それから35年。京都の古い木造家屋の多くが取り壊され、コンクリートとアルミニウムの建築に変わってしまった」と述べています。
そして、「なるほど庭や寺は素晴らしいが、文化都市をつくるのは世界遺産だけではなく通りや街並みだ」と述べ、「ルーヴル美術館だけが観たくてパリを訪ねたり、サンマルコ大聖堂のためだけにヴェネツィアに出かける人がいるだろうか」と問いかけています(日本の観光ツアーならいるでしょうけど)。
また、「古いアジアの家屋は改善修理できないわけではない。しかるべき技術があれば、比較的安価に工事はできる」と述べ、「古い家に住むからといって、昔に戻らなくてもいいし、紋付袴を着てちょんまげを結う必要はない」と語っています。そして、「暮らしの場である街並みを保存するには、古さと新しさを融合させる高度な技術が必要になる」にもかかわらず、「日本の修復テクノロジーは65年を境に成長を止め、以来古いものをそのまま完璧に保存する方法しか考えてこなかった。そのため、古い建物の持つ温かみと雰囲気を、新しい建物に魅力的に活かそうにも、その手法を知っている人がいない」ことを指摘しています。
著者は、国内外の観光客が日本にそっぽを向いた理由として、値段の高さでない「ほんとうの理由」は、「お金をかけて日本を旅しても、美しい景色や快適さという形での見返りが期待できないことにある」と指摘しています。
第9章「新しい都市――電線と屋上看板」では、「日本が抱える問題は新の近代化を学ばないまま発展したことにある」として、日本の都市の醜悪な眺めが、「古い建物がなくなったからではなく、新しい建物がお粗末なせいだ」と指摘しています。
そして、「視覚公害」が、都市や郊外にもまかり通っているにもかかわらず、「誰もおかしいとは言わない」のは、「どの建物も規則に厳格に従って」おり、「容積率、建蔽率、機材の設置面積、電話ボックスの間隔、すべて規則通り」であるからであると述べ、「まさに、『アリスの鏡の国』の世界である。規則は厳格なのに無秩序がはびこっている」と指摘しています。
また、「電話線や電線を地下に埋めていない先進国は、世界で日本ただ一国である」と指摘し、「大都市で電線が一本残らず地価に埋設されるまで国の援助がまわってこないため、地方では電線を埋めることができない」と述べています。
著者は、「なんとしても地価を上げる」ことが国策となっており、「政府が低い容積率を頑として変えようとしないのも、土地の使用を制限するためである」と述べています。
第10章「鬼――モニュメントの哲学」では、「犬は難く、鬼は易し」という言葉を、「犬とはゾーニングであり、広告の規制であり、樹木の管理、電線の埋設、歴史的景観の保護、住みやすく美しい住宅の設計、環境に優しいリゾートである。鬼は大蛇の頭をかたどった橋や博物館だ」という意味で用い、「『土建国家』と『傷ついた市民のプライド』が結びついた結果が、世界に例を見ないモニュメントブームを起こした」と指摘しています。
第11章「『マンガ』と『巨大』――モニュメントの美学」では、建築家を二極に引っ張る力として、
・オブジェクト志向:純粋芸術として自立する建築物
・コンテクスト志向:環境に融けこんだ建築物
の2つの専門用語を紹介し、「日本の場合、この両輪のいっぽうが欠けている『コンテクスト』は存在せず、もっぱら『オブジェクト』があるだけ」であると指摘しています。
第12章「総決算の日――借金」では、「さまざまなところでさまざまな債務が積み重なっていて、しかも隠れた債務はそれ以上に大きいのだから、はっきりした額をつかんでいる者など一人もいない」と述べたうえで、「目に見えないところでさらに深刻な問題が進行しつつある」として、「積立不足の保険、医療、年金、福祉の分野に見込まれる膨大な財源不足」を指摘しています。
第14章「教育――規則に従う」では、「絶対的なコントロール」という幕府の夢が、明治政府の「和魂」(トータルコントロール)と「洋才」(義務教育)の結婚によって実現可能になったと述べたうえで、「教育システムが真に目指しているのは教育では」なく、「集団への服従」であり、「去勢」であると指摘しています。
また、大学教育については、「エリートの頂点に立つ大学」である東京大学について、「先進国の名だたる学府で、世界にも自国の社会にもこれほど貢献していない大学はまずないだろう」と述べ、エリート大学の仕事は、「出来上がった製品にラベルを貼り、出荷する『缶詰工場』に似ている」と指摘しています。
第15章「教育のつけ――生け花と映画」では、町中に流れる「危険」と「危ない」にあふれたアナウンスの最大の特徴として、「その徹底した子供っぽさ」を挙げて、「戦後日本の教育システムは、日本の次世代を幼児化しようとしている」と指摘し、「幼児化は、現代文化に広範な影響を及ぼしている」として、日本の出版業界の約半分のシェアをマンガが占めていること、国民がハローキティに代表される「かわいい」漬けになっていることを指摘しています。
第16章「国際化――亡命者と在日外国人」では、医学や先端技術の分野における才能の海外への流出を指摘した上で、「80年代以降、日本に暮らす外国人の構成に大きな変化が起こっていることはあまり知られていない」として、「長期滞在していた外国人が日本を離れ始めている」ことを指摘しています。
著者は、「国際性」「国際観念」を突き詰めて追及すると、「自国に対してどう思っているか」にたどり着くと述べ、「進まない国際性は何も国際状況に関係なく、問題はみな内にある」として、「若者には『夢がない』、スーパー発明家には『ポジションなし、ボーナスなし』、スポーツは楽しみより忍耐、街と田舎には美しさとロマンがない。それは楽しい国ではない」と指摘しています。
第17章「革命は可能か――ゆでガエル」では、政府の中核的組織である官僚の役目は、「国の資源(資金、人的エネルギー、企画力、学問知識)をうまく配分することにある」が、その点、「日本の官僚は腐敗と怠惰に侵され、ほとんどすべての分野で資源の配分を大きく誤り、このテストは落第だ。他の先進国と比べると、金融の専門知識、環境保護、道路建設、産業廃棄物の管理、林業、漁業、農業、ゾーニングおよび都市計画、高等教育の水準、薬品の検査、どれも時代遅れで旧態依然としている」と指摘しています。
また、日本で「三度の革命」として、1853年のペリー提督の「黒船」、第二次大戦後のマッカーサー元帥の進駐軍による指導、そして、「多くの人々が、三度目の革命は今起きるべきだと考えている」と述べています。そして、多くの組織の中間層は現状に幻滅していて、変化を起こせないことにいらだっていると述べ、「未来の改革者たちであるこのグループは、ディケンズの『二都物語』にでてくるドファルジュ婦人のようだ」と述べています。
著者は、「これからの数十年間、このままやっていけるだけの蓄えはある」ことこそが日本の悲劇だと述べ、「中途半端から日本を目覚めさせることができるのは破産だけだろう」と、アジア経済危機で大幅な構造改革を余儀なくされた勧告を引き合いに出しています。
「結論」では、「日本のパラダイム」である、「強国・貧民」、すなわち、「国民が大きな犠牲を払うことにより、国家の経済力が増してゆくこと」を見直し、「日本のコンクリートに覆われた川、ゴミゴミした街、金融界の不振、『ハローキティ』化された文化、みすぼらしいリゾート、公園、そして病院などを直視することが必要だ」と述べています。
著者は、マニュアル化された現代の生け花に「実がない」ことを引き合いに出し、「手の込んだ『鬼』のモニュメントは、『実』の重みに対する一種の防護壁なのだ。しかし、最後には『実』が勝つ」と述べ、「日本が立ち戻らなくてはならない『実』とは、必ずしも西洋で見られる真実ではないかもしれない。日本独自の精神といったものであろう」と述べています。
本書は、田舎の人間には当たり前のものになり、都市の人間には見えなくなってしまった醜悪な日本の姿を、鏡に映して見せてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
7月に「情熱大陸」で見て衝撃を受けた後、構想日本のJIフォーラムの会場で流れていたビデオを見て、ぜひ読みたいと思ってました。そして、たまたま8月に茅葺で囲炉裏のある古民家を使った宿に泊まる機会があり、それ以来、古い民家や旅館の建物に泊まったり、蕎麦を食べたり、お風呂に入ったりするのが楽しくて仕方ありません。結構安いところも多いので、そういうところも魅力です。
■ どんな人にオススメ?
・普段目を逸らしている現代の日本の姿を見てみたい人。
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■ 百夜百マンガ
何の作品を描いても、同じようなテイストにできるという"特技?"を持った人です。週刊マンガ雑誌の連載マンガの在り方というのはこういうもので良いのかもしれません。
投稿者 tozaki : 2007年10月04日 22:00
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