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2007年11月08日

なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く

■ 書籍情報

なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く【なぜ日本人は賽銭を投げるのか―民俗信仰を読み解く】(#1022)

  新谷 尚紀
  価格: ¥735 (税込)
  文藝春秋(2003/02)

 本書は、民俗信仰を主題とし、「身近な生活の中の素朴な疑問から、大きな謎が解けていくという民俗学の快感」を次の世代にも渡しておく、という思いで執筆されたものです。
 第1章「四季おりおり」では、「日本の桜文化の基層には樹木と人間とが交わす生命と霊魂の共感がある」ことが、「古来、桜を読んだ歌の多い理由」であると述べています。
 また、各地の民俗行事としての七夕の特徴として、「女性はこの日必ず洗髪する、子供たちは七回水浴びする、家族全員で行水する、食器を洗う、井戸浚いをするなど、じめじめした長い梅雨の間にたまった不浄なものを禊ぎ祓へ清める意味の伝承」など、「水に関する伝承が多い」ことを指摘しています。
 第2章「暮らしと信仰」では、「縁起かつぎやジンクスを考える上で、『境界』という概念は大変有効である」として、家の玄関に魔除けや盗難除けのお札が貼られることなどを挙げ、「玄関とは、心身ともに安心できる肌着感覚の家屋の中と、何が起こるかわからない警戒すべき外の世界との決定的な境目、内か外かどっちつかずであいまいな場所、つまり『境界』であり、何かけじめをつけたいとする衝動をわかせる場所」であるため、「玄関にはまじないや禁忌が集中している」と述べています。そして、自宅分娩がほとんどであった昭和30年代以前には、「エナとかアトザンと呼ばれた胎盤が産まれた子供に強い影響を与えるものとして慎重に処理され」、「そんな胎盤を埋めておく元も安心できる場所が他ならぬ家の玄関の敷居の下だった」と述べ、玄関の「境界」性を指摘し、「いまでもその引き戸の敷居を踏んではいけないという禁忌」があることを紹介しています。
 また、私たちの身の回りで縁起がよいとされているものを、
(1)神社や寺院の門前で配付されているもの・・・熊手、福笹、しゃもじなど
(2)言葉の霊力を気にかけるもの・・・鯛(めでたい)や昆布(喜ぶ)など
(3)「境界」的な状況や場所に禁忌や儀礼が集中するもの・・・正月行事や初物好みなど
(4)奇妙な呪物の類・・・女性の髪の毛、蛇の抜け殻、兎の尻尾など
の4点に類型化しています。
 さらに、路傍にまつられる道祖神の特徴として、「男根や女陰などの性的要素の強調があり、また兄妹婚の禁忌(タブー)の伝説がまつわりついているという一見不可解な事実」が、「道祖神が元々は、人々の厄災を一新に寄せ集めてそれを払え清める人形であり、そこから逆転して人々との生命を守ってくれる神様へ転換しているのだ、と理解すれば納得可能である」と解説しています。
 第3章「比叡山の水脈」では、「比叡山からの日本仏教の水脈が、一般の人々の民俗生活の中に」受容され、沈殿していった問題を考える上で、第18代天台座主、慈恵大僧正良源(912-985)の活動が注目される、と述べ、良源の足跡のうち、
(1)「権化の人」とも称されるさまざまな霊験や法力談が伝えられる祈祷調伏の並外れた能力を持つ人物。
(2)藤原師輔を有力壇越として摂関家に接近し、世俗権力と結びつき、天台座主から大僧正へと異例の昇進を遂げた人物。
(3)石造墓塔の造立供養の方式を示し、その先駆けとなった人物。
の3点に着目しています。
 著者は、「今日の葬送墓制の民俗における多様な実態、たとえば石塔の一般化といい、寺僧の葬送関与と墓地管理といい、また、一方では散骨葬などの遺骨の放棄など、それらのいずれもどこかで比叡山につながっていることを知るとき、最澄が入山し多くの門弟を輩出した比叡山の水脈の長くかつ広いことが思い知らされる」と述べています。
 第4章「葬儀と墓」では、日本各地の民俗を調べる中で、「どうしても仏教とは関係のないような行事がたくさん出てくる」として、「七日帰りなどと言って死後六日目の晩には死者が家に帰ってくると言い伝えられ、縁側に蓑笠姿の三脚の人形と供物棚を作っておく」例が近畿地方や四国地方で見られることを挙げています。
 また、千葉県の佐倉市や野田市、長柄町で見られる「四十九餅」について、「人々が分けて食べる喰い分かれの持ちであると同時に、死者の四十九日間の食べ物であり、まだ完全には死んだものと見なされていない死者の一日一つずつの生命、魂の象徴でもあった」と述べています。
 さらに、「家」制度の成立と関連づけて考えられることが多い石塔について、「実際に初期の石塔を見た限りでは、むしろ夫婦が不安な来世を仏のもとで一緒につながっていたいという気持から自分たちで建てたものが多かった」と述べています。
 第5章「死の神話」では、霊長類学者の水原洋城氏による「死は事実ではなく概念だ」という言葉を紹介し、『古事記』、『日本書紀』や世界各地の神話について「人類の祖先による死の発見と他界観念の生成をめぐる物語である」として解説しています。古事記に関しては、死の世界に赴いた二人の主人公が、「いずれも恐怖と危険を克服したのち、三貴神を得たり国作りを成し遂げている」ことから、「この死の豊饒性こそ、古事記神話が語りたかった死の認識論といってよいのではないか」と述べています。
 第6章「賽銭はなぜ投げるのか」では、民俗学から貨幣を見た際の身近な疑問として、
(1)なぜ私たちは神社でお賽銭を投げるのか。
(2)人はなぜきれいな清水を見るとその中にお金を投げ入れるのか。
(3)人にお金を渡すときなぜ裸銭では失礼なのか。
(4)結婚式などのご祝儀のお金はなぜピン札でなければならないのか。
の4点を挙げています。
 そして、生活の中でお金を考える上での視点として、
(1)現実的な意味での経済的な道具としての貨幣に注目すること。
(2)象徴的な意味での信仰や儀礼の場における貨幣に注目すること。
の2点を挙げ、ここでは後者に注目するとしています。
 著者は、儀礼と貨幣について、大きく分けて、
(1)結婚式の祝儀や葬式の香典など袋に入れてあげるお金
(2)嫁入りや葬式でみんなに撒いてあげるバラ銭、コイン
の2つのタイプがあると述べ、これらを民俗学的に読み解いていくと、贈与には、
(1)贈与交換による絆の強化
(2)領域侵犯に際しての贈与
の他に、日本の民俗の分析の中から発見できるもう一つの意味として、
(3)脱社会的な状態における贈与
を発見できると述べています。
 そして、埼玉県比企郡都幾川村大野という村の送神祭などの例を挙げ、
(1)ケガレの逆転現象
(2)ケガレはそれが祓ヘ清められるときに貨幣に託されている、貨幣に依り付けられている
の2点に注意すべきであると述べ、「貨幣はケガレの吸引装置であるということ、神社はケガレの吸引浄化装置であるということがわかった」として、「貨幣=死(ケガレ)」という等式が想定できると述べています。
 著者は、「貨幣の誕生は宗教の誕生、王の誕生と密接に結びついている」ことについて、「それは人間が死を発見したからだというのが私の仮説である」と述べています。
 本書は、民族学をツールに、日本のさまざまな民俗を読み解いていく楽しい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書のタイトルには、「なぜ日本人は」という言葉が入っており、著者によると、編集者からの「そのほうが多くの読者に受けるからだ」との勧めでこの言葉を入れたものであり、「知の社会還元ともいうべき一般書の出版に当たってはとにかく多くの読者の目に触れ手にとってもらえなければ意味はない」と語っていますが、「編集者の意見に同意して、日本人と賽銭という後をタイトルに入れた責任は筆者にある」とわざわざ断りを入れているところに、色々出版までの間の葛藤があった模様が伺われます。


■ どんな人にオススメ?

・初詣でお賽銭を投げることに疑問を感じない人。


■ 関連しそうな本

 新谷 尚紀 『日本人の禁忌―忌み言葉、鬼門、縁起かつぎ…人は何を恐れたのか』
 沖浦 和光 『「悪所」の民俗誌―色町・芝居町のトポロジー』 2007年05月03日
 加藤 政洋 『花街 異空間の都市史』 2006年07月10日
 宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
 イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳) 『日本奥地紀行』 2006年08月06日
 宮本 常一 『イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む』


■ 百夜百マンガ

超人バロム・1【超人バロム・1 】

 当時の子供なら誰でも「バロム・クロス」をして遊んだ経験があるわけで、今でも酔っ払うと腕を振りかざして「バロ~ム」と叫ぶ人がいます。誰か応じてあげないと可愛そうです。

投稿者 tozaki : 2007年11月08日 21:00

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