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2007年11月19日
大森界隈職人往来
■ 書籍情報
【大森界隈職人往来】(#1033)
小関 智弘
価格: ¥1050 (税込)
岩波書店(2002/08)
本書は、大田区の町工場を30年間渡り歩いてきた旋盤工である著者が、工場とともに歩んできた町の変遷を描いたものです。著者は、「たまたまわたしは、町工場で旋盤工になった。朝鮮戦争のさなかのことだから、数えれば三十年前のことになって、その三十年をずっと、旋盤工であり続けている。一つの工場ではない。数えてみれば七つにも八つにもなる。ほんの腰掛けほどに立ち寄った工場を加えれば十指に余る」と語った上で、「三十年間もこうして小さな町工場で働いていると、機械油に汚れて黄色い澱のこびりついた工場の窓から町の息遣いを感じ取ることも少しはできる。三十年間も小さな工場の機会の前に立ち尽くしていると、鉄板入りの重い安全靴の裏からだって、その工場で暮らしを立てる人びとの思いが、体に滲み込んでくることはある」と語っています。
第1章「人力車夫のストライキ」では、著者の「おふくろ」の口癖だったという、「損をした、災難だった、とんだめにあった、不運だった」という意味の「えんがみたよ」という言葉をキーワードに、大森に生まれ大森に暮らした「おふくろ」の半生を語っています。
また、昭和4年に起こった、東急のバス路線の開通をめぐる大森駅西口の池上通りでの人力車夫のストライキを取り上げ、「人力車夫の『いい時代』は足早に遠のいてゆく」と語っています。
第2章「町が工場になびくとき」では、著者が先輩職人たちから「いい時代」だったと聞かされた戦前・戦時中の大森の職人の生活と、戦災に洗われた大森の工場と暮らしを描いています。戦時下の軍需工場には、徴用された臨時工が送り込まれ、職人たちの「いい時代」とは、「工場労働者の中でも熟練工だった彼らが、大工や床屋や菓子屋のような職種の熟練職人がまるで役立たずのように扱われた時代に、彼らが宝物のように優遇されたということへの一種の郷愁のようなもの」であり、娼妓・芸者が「女子挺身隊」として工場に送り込まれたときには、「女に不自由したことはなかった」、「俺たちに睨まれるのをこわがって、やさしい言葉を書ければ、すぐについてきたもんだ」という時代だったことを語っています。
また、魚屋を廃業した「親父」が、始めたばかりの帯鋸の目立修理工場が、空襲の焼夷弾で一夜で灰になり、その翌日には役所から赤紙が届けられたことを語っています。
第3章「貝がら道を曳く」では、工業高校の「普通科」を出て小さな町工場で働き始めた著者の見習い時代が描かれています。「町工場の見習工には、大きな工場のように養成機関があったり指導者がいるわけではなかったから、機械に油を指すことで、機械の構造を覚える、それが町工場の教育だった」と語っています。
また、著者が先輩の職人たちから、「お前は本当にいい日食ってるよなあ」(運がいい、いい時代に生まれたものだ)といわれ、「戦前に年季奉公をしたふたりには、戦後の民主主義の時代になって見習工をしているわたしが羨ましいという。ふたりとも、箸のあげおろしに怒鳴られて殴られて、仕事を覚えさせられた。工場の中だけではなく、寮に帰ってからの私生活のすみずみまでが、がんじがらめの徒弟制度で支配されていた時代を、ふたりは経験していた。雨が降って乾き足らぬ先輩の作業服を、自分の体温で乾かしたり、雪の夜道を酒やタバコを買いに走らされたりした」と語っています。
第4章「わたしの1丁目1番地」では、著者が渡り歩いた中で、「もっとも町工場らしい工場」だった「昭和国産株式会社」での修行時代を語っています。著者は、この工場を、「その過程のどこかにきっと自分の作った金型や字具や部品や、時としては工夫や労力や汗が関わっていることを、その目で確かめられる工場。仕事が流れるに連れて、人も流れ動いている工場。その流れがいつも目の前にあって、まだ工場生活の浅い見習工の私にも手にとってわかるような工場。そういうものとして、町工場があった」と語っています。
そして、「旋盤工の修行の第一歩は、一日中立ちつくすことのできるように足腰を鍛えることからはじまるもの」だと先輩から聞かされ、「体を鍛える修行をしなくとも、結果として、体は鍛えられた。それに応じられぬものは、その時点で工場から脱落した」と語っています。
また、「その工場で仕事を覚えてやがては独立したいという願いを持っている労働者もいた」が、「自立したといっても、自分の家に機械を据えた小さな仕事場を持つだけの独立」であり、「足りない工具があると借りにきた。時には仕事を分けてもらうこともあった。顔馴染みという気さくな関係が続いていた。その労働者がいなくなってその工場に勤めてはいなくても、彼の仕事場はすぐ近くの町の中にあって、仕事のベルトはつながっていた」と語っています。
さらに、直結旋盤と超硬バイトの登場によって、「旋盤工は自分の刃物を自分で造ることをしなく」なり、分業が進み、機械も「あてがいぶち」になったため、「儲かりさえすれば、旋盤工の腕が半ちくになろうと、半端職人で終わろうと、工場としては構わなくなった。戦後の工場の歴史は、仕事の上では半ちくを生み出した歴史だった」と語っています。
第5章「無法地帯」では、著者の3つ目の工場である「京浜建設工業」時代を描いています。ここでは、「連合請負制」という賃金形態をとり、「ふつうの町工場の二倍ほどの金が稼げる」という話だったが、現実には、「彼らがいくら汗を流して働いてみても、請負賃金がある水準に到達すると、工賃が引き下げられた」ため、「出来高だけがうなぎのぼりに伸びるのに、賃金は鋸歯型の屋根のように波打つだけだった」と語っています。そして、組合を作り、ストライキ、ロックアウトという「お定まりの過程」の中で、著者の「馘」が取引材料になったことを語っています。著者は、この事件がネックになり、再就職で苦労しています。
また、「腕さえよければ、仕事さえできれば、履歴がなんだろうと構わない」「東一製作所」では、「請負制度でこそなかったが、残業も臨出も無制限の時給制賃金」であり、「いちおうの建前として、毎晩は八時まで残業、休日は第一、第三日曜の月2回、祭日はなかった。有給休暇もなかった。残業手当は15%、休日出勤が30%という労働基準法以下の"約束"に甘んじさえすれば、手取りの額だけは東京計器の給料を上回る計算だった」と語っています。
著者は、「町工場を渡り歩く職人」を、呑川に浮いたゴミに仮託して、「どこかの杭に引っかかっては新しい技能を身につけ、工場世界についての見聞を広めて、また杭を離れた」、「上流から流されてくるゴミが、その辺りでは素直には海に届かなかった。というのも海が近くて、潮が満ちるたびに川は逆流して、ゴミは何時間も辺りを漂っていたし、林立する舫杭に引っかかったり、水ぶくれて沈む」、「潮が退きはじめると、呑川に浮いていたゴミもせっせと海に向かって走り出すように、彼らもまた、一時の話題をその小さな工場に残して、消えていった。"重油のよどみ"のように流れ残る男たちの顔ぶれだけは変わらなかった」などのように表現しています。
第6章「町と工場の折り合い」では、住宅地化が進み、町工場との折り合いが悪くなっていくさまを、着色された切削油を使うと、廃液として川に捨てたときに住民からの指摘で騒ぎになるため、成分はそのままで透明にすれば「安心して捨てられる」というエピソードを、「高度成長期の歪み」だと語っています。
第7章「町工場の釜のめし」では、著者が背広を仕立てた際に、「失礼ですが、旋盤工をしておられますか」と尋ねられ、旋盤工は左肩が下がり、ガニマタになると語っています。
また、「京浜間」と呼ばれた地域の町工場の連合体が、普通に注文すればひと月はかかるような特殊鋼の注文を、「まるで背中に火がついたように急き立てられて、3日や4日で自信を持ってやってのける工場はそうざらにはない」、「それができるのは京浜間しかないと、迷わず京浜間に持ってくるところに、目には見えない仕事の道がついてきた」と語っています。
さらに、騒音問題で工業団地に移転した町工場の社長の話として、「ほんらい町工場というのは、仕事に対する機敏な対応力を持つことをその特性としてきた。ときとして労働者のアナン認可が残業をしたり徹夜をしたりしても注文に応じるというようなことが、この団地ではまず不可能になった」、労働者が自由に通えないのでいざというときに早退や遅刻ができず、主婦が来てくれない、「隣がメッキ屋で、その隣がネジ屋で、向こうが酸素屋で、材料屋があって工具屋があって、食堂があって、アパートができた。それが共存共栄で町を作っていった。お互いの工場が仕事を分け合い、奪い合った。奪い合うことで、技術を高めた。その連帯と刺激が、この京浜工業地帯の町工場を育て、伝統をつちかったのだ」という言葉を紹介しています。
著者は、町工場に数値コントロールの「NC旋盤」や「マシニング・センタ」が入ってきたときに、抵抗する職人も多いなか、早い時期にNC機を覚えていったことを、「もしかするとわたしは、青バスに負われた人力車夫のことを、無意識のうちに自覚していたのかもしれない」、「もしかするとわたしは、一パイ十円のイカは、サシミにして皿に盛り付け山葵やツマをつけても十円で売った親父のことを、心のどこかで怖れていたのかも知れない」と語っています。
本書は、日本のものづくりを支え続けた「町工場」の姿を伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
自分の実家も町工場だったので、旋盤とかフライス盤とか小さい頃から当たり前のようにありましたが、さすがに中学生には荒削りしかさせてもらえませんでした。高校1年のときに、工場でバイトしたときには、「フライス盤できる」と言って工員さんに笑われました。
■ どんな人にオススメ?
・旋盤とフライス盤の違いがわからない人。
■ 関連しそうな本
小関 智弘 『春は鉄までが匂った』
小関 智弘 『町工場・スーパーなものづくり』
小関 智弘 『鉄を削る―町工場の技術』
小関 智弘 『仕事が人をつくる』
小関 智弘 『ものづくりに生きる』
小関 智弘 『職人学』
■ 百夜百マンガ
どんな作品でも主人公のキャラクターはだいたい同じ、というのは強みでもあります。問題は、雑誌で見かけたときに何の作品が載っているのかがわからないことでしょうか。
投稿者 tozaki : 2007年11月19日 23:00
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