2007年11月24日
心は孤独な数学者
■ 書籍情報
【心は孤独な数学者】(#1038)
藤原 正彦
価格: ¥460 (税込)
新潮社(2000/12)
本書は、アイザック・ニュートン、ウィリアム・ロウアン・ハミルトン、シュリニヴァーサ・ラマヌジャンの3人の天才数学者の生涯をそれぞれの生地を訪ねながら紹介した評伝です。
著者は、現地を訪ねた理由を、「いくら輝かしい天才であろうと」、自然、歴史、民族、文化、風俗などの「生まれ育った風土の影響下にあるはず」と考えたからであると述べ、「天才の人間性ばかりか数学までが、そういったものの産物であることが分かった」と語っています。
ニュートンを取り上げた第1章「神の声を求めて」では、1642年のクリスマスの夜に生まれたニュートンが、生後3歳で母親の再婚のために実家に託され、その苦しみから、「義父と母を家もろとも焼き殺してしまう」と脅すほどであった、暗い少年時代を送ったことが紹介されています。また、思弁的に自然現象を考察し、実験的考察の伝統を受け継いだニュートンが、これに、「数学的裏付けを与えることで理論の確実さを高める」方法を創始したことが紹介され、信心深いニュートンにとっては、「自然は数学の言葉で書かれた聖書であった」と述べられています。
さらに、ニュートンの人間性に関しては、「自分が公表しないのに、先取権にはこだわる」という悪癖があったこと、当時知識人の間で流行していた秘密結社「バラ十字会」に関する書物を熟読していたニュートンが、造幣局監事としてロンドンに出る際には、千ページを超える錬金術手稿を木箱に注意深く封印して行ったこと、50歳のときに強度の鬱病にかかり、猜疑や幻想に悩まされていたことなどが語られています。
また、微積分学の創始者の称号をめぐって、大陸のライプニッツと泥仕合を繰り広げ、「十数年も続いた論戦は、終いには国家威信をかけた、手段を選ばぬ中傷合戦にまでなった」ことが紹介されています。
著者は、「最後の魔術師」と呼ばれたニュートンは、「聖書では使徒の言葉を通して、史書や錬金術研究では古代や中世の賢人の知恵を通して、自然研究では宇宙の仕組みを通して、ニュートンは神の声を希求しつづけた」のであり、「論理の一貫した人生を送った」と語っています。
第2章「アイルランドの悲劇と栄光」では、ハミルトンの恋人キャサリンの父親が、「娘が無一文の学生と恋の深みに陥る」ことを怖れ、中年の資産ある牧師と強引に婚約させてしまったことを、彼女の母親から聞かされたハミルトン自身が、「娘の恋人である私に、娘の婚約を告げる際に見せた彼女の表情はとても忘れられません。娘を真剣に愛している私への同情、そして涙ながらに婚約破棄を嘆願する娘への哀れみから、悲痛に満ちていたのです」と語っていることを紹介しています。
そして、43歳の時に、キャサリンとの間に文通があり、「ともに結婚している身で文通することに、大きな罪の意識を感じながら、二人は張り裂けそうな胸のうちを六週間にわたって綴りあった」こと、48歳のときに、キャサリンは死の床にあり、ハミルトン、「他人の妻に会うという、当時にあっては罪を問われかねない危険を冒して、彼女を見舞った」ことなどを紹介した上で、「二人だけ出会うことも自由に手紙を書くこともままならないまま、これほど長い年月、これほどの激しさで思い続ける、というところにハミルトンの真骨頂がある。まさにこの強烈な情緒と執念をもって、彼は数学に立ち向かったのである」と述べています。
第3章「インドの事務員からの手紙」では、ラマヌジャンの数学の道のりを、「公式や定理を理路整然と上から解説されるのではなく、自ら挑戦することで、才能への点火がなされたのである。観光バスで名所旧蹟を回らず、彼は地図を頼りに、手探りで道を探しながら、それらの場所にたどり着いた。その過程で、諸定理を自らの血肉にしたばかりか、長く苦しい思考の後に訪れる、発見の鋭い喜びを充分に味わった」と表現しています。
また、宗主国イギリスで、ラマヌジャンからの手紙を受け取った3人目の数学者であるハーディが、同僚のリトルウッドとその手紙をめぐって議論した結果、「これら公式がインチキだとしたら、いったい誰がそれを捏造するだけの想像力を持っているだろうか。この著者は本物に違いない。そんな信じがたい技術を有する泥棒やいかさま師の数より、偉大なる数学者の数の方が多いからだ」と結論づけたことが紹介されています。
さらに、ハーディの成果が、大雑把には、
(1)既知の定理、あるいは既知の定理から容易に得られるもの
(2)新しくて奇妙だが、重要そうではないもの
(3)新しくて重要なもの
の3つに分類できることについて、ハーディが、「既知の結果であっても、それを独力で再発見したというのは大変な名誉です」と評したことを紹介した上で、「再発見というのは、いつの時代においても天才の、特に若き天才の特徴と言える。若き天才は、当然ながら同輩から抜きん出てしまうばかりか、先生をも越してしまうため、一時期、独学となることが多い。この時期に、類まれな独創力ゆえに、既知の定理をそれと知らずに独力で見出すのである」と述べています。
また、ラマヌジャンに証明を要求しても、「続々と新公式を示すばかりで、肝腎の証明を送ろうとしない」ことに、痺れを切らしたハーディが、「フェアー精神では人後に落ちない自分を、信用しようとしない生意気なインド人め、という苛立ちと、このと法もない天才をインドに埋もれさせては数学界の大損失、という使命感の長い葛藤の末に、使命感がついに勝利した」と述べ、「ラマヌジャンをケンブリッジに連れてくる、というハーディの特命」を帯びてマドラスを訪れた若干24歳のネヴィルに会うように手紙を送ったことを紹介しています。
著者は、ラマヌジャンが発見した公式の美しさについて、「それらはよく『奇抜』と称されるが、それは単にまずらしいという意味ではない。常人が想像できないほどの美と調和を有している、という意味に近い」と述べ、リトルウッドがラマヌジャンの仕事に対して、「この世のものとは思われぬほど美しく特異」と評していることを紹介しています。
そして、ケンブリッジ到着直後のラマヌジャンが、ハーディとの「天才と大秀才」という数学では理想のコンビでの仕事を進めるものの、「一人暮らしの上、ケンブリッジ唯一の社交場とも言えるホールで食事をしないため、話し合うべき友人もできない」上、「イギリス特有の冷たく憂鬱な天気、そして孤独がラマヌジャンを弱らせ」ていったと述べています。渡英後3年ほどでラマヌジャンはついに病魔に襲われ、胃潰瘍、敗血症、癌、結核など、さまざまな病名をつけられるが、「栄養をとれという意志の指示に抵抗し、相変わらず菜食にこだわり続け」たため、10名ほどの医師が、「忠告に一切従わないため」、次々に見放したとも言われていることを紹介しています。
著者は、ラマヌジャンを、「この地上にはどこにも彼の居場所がなかったのだ。インドでは貧困に追われ、イギリス人が騒ぎ出すまで正当な評価をされず、戒律を破ってまでして訪れたイギリスでは、人にも土地にもどうしてもなじめず、ついには不治の病にまで取り付かれた」ことなどを挙げ、「悲劇の人と思った」と語っています。
本書は、数学者の中でも、特に著者の思い入れの詰まった三人の悲劇を取り上げた一冊です。
■ 個人的な視点から
他の科学者と違ってダイレクトに世の中に影響を与えられるわけではないため、象牙の塔の住人の典型のように思われがちな数学者ですが、紙と鉛筆さえあればどこでも研究ができ、自分の内面で徹底的に思考を重ねる性質のせいか、変人が多く、ドラマティックな人生は「非数学者」の心を魅了してやみません。
実は日本人の貢献も華々しい分野でもあるのですが、学問分野自体が地味であるためか、あまり知られていません。
■ どんな人にオススメ?
・数学者は人生においても地味だと思っている人。
■ 関連しそうな本
藤原 正彦 『天才の栄光と挫折―数学者列伝』 2007年11月17日
E.T. ベル (著), 田中 勇 (翻訳), 銀林 浩 (翻訳) 『数学をつくった人びと』 2007年07月16日
シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
E・T・ベル (著), 河野 繁雄 (翻訳) 『数学は科学の女王にして奴隷』 2006年09月18日
チャールズ サイフェ (著), 林 大 (翻訳) 『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』 2005年11月20日
サイモン シン 『フェルマーの最終定理―ピュタゴラスに始まり、ワイルズが証明するまで』 2006年09月02日
■ 百夜百音
【My Generation】 Who オリジナル盤発売: 1965
今の目から見ると、おとなしそうに見えるピート・タウンゼントが暴れている映像を見ると、「キレる若者」という言葉も違った意味に伝わってしまいそうです。とりあえず、ヘッドフォンの音量には気をつけましょう。
投稿者 tozaki : 2007年11月24日 20:00
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