« 水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携 | メイン | 鉄道と近代化 »

2007年11月29日

コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる

■ 書籍情報

コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる   【コミュナルなケータイ―モバイル・メディア社会を編みかえる】(#1043)

  水越 伸
  価格: ¥2310 (税込)
  岩波書店(2007/03)

 本書は、「ケータイの文化とリテラシーを探るグループ活動」である「MoDeプロジェクト(Mobiling & Designing Project)」の研究成果をまとめたもので、その中核には、「批判的メディア実践と言う新しいメディア論の方法論」と「ワークショップ」があると述べています。著者は、本書の目的として、
(1)21世紀に急速に展開しつつあるモバイル・メディアの動態を、批判的にとらえること。
(2)今ここにはないケータイのありよう、今とは違うモバイル・メディア社会のビジョンをデザインし、指し示すということ。
の2点を掲げています。
 第1章「モバイル・メディア研究の新たな視座」では、北欧の研究者や業界人から、「iモードってスゴイけど、ディズニーランドみたいなもんだな」と指摘されたことを紹介しています。
 また、2004年5月のモバイル社会研究所の立ち上げ時に、NTTドコモの立川社長が、「これがなんなのか、よくわからなくなってきたんですよ」と語り、「そろそろケータイの社会的な役割や文化的な意味を、光の部分も影の部分も含めてしっかり研究しなければならない段階にきている」ことが研究所設立の趣旨であると話したことを紹介しています。
 そして、日本のケータイ文化の特徴として、
(1)インターネット・サービスの著しい普及
(2)メールの利用が突出している
(3)ケータイ写真の日常化
の3点を挙げた上で、「日本のケータイは、技術・資本の論理と文化の論理の間に大きな断絶をかかえ、産業的にも文化的にも袋小路のような地点にはまり込んでいると見ることができるのではないだろうか」と述べています。
 さらに、「日本でもっとも先鋭的に現れたモバイル・メディア社会の問題群」に対して、メディア論が取り組むべき点として、
(1)ケータイというメディアの研究はそろそろ、個別の実証調査だけではなく、社会全体の中でのケータイの位置付けや、日本におけるその特性などを、立体的、総合的に語る視点を持つべきではないか。
(2)情報技術の進展がメディアの姿を変え、変貌したメディアが人間のあり方や社会の仕組みを変えていくという、技術から社会への一方向の矢印だけで物事を捉える見方を変えていく必要がある。
 →テクノ・メディア論に対抗するソシオ・メディア論の重要性
の2点を挙げています。
 また、日本のモバイル・社会がはらむ問題を、メディア論の視座から、
(1)コミュニケーション空間の萎縮、あるいは二極化
(2)ケータイの社会的態様が固定化されてしまっていること
の2点を挙げています。
 著者は、ソシオ・メディア論の構図として、「新しいメディアが社会に姿を現すときのダイナミズムを、情報技術とメディア、そして社会の相関」として図に描き出し、そのポイントとして、
(1)情報技術とメディアを異なる概念として区分しながらとらえる。
(2)メディアが歴史的、地域的文脈を持った具体的な社会の中に投げ込まれ、それらの文脈にそった形で、すなわちその社会に相対的に特有な編み目にしたがって発現する。
の2点を挙げています。
 第2章「ケータイを異化する」では、鄭朱泳氏が、対談の中で、人間とメディアの関わりである「メディア・コネクテッドネス」は、
(1)結びつきの集中度(intensity)
(2)結びつきの拡がり(scope)
(3)結びつきの主要性(centrality)
の3つの次、要因で成り立っていることを解説しています。
 また、ヴィクター・ターナーが提唱した「パフォーミング・エスノグラフィー」の手法を用いたワークショップ、「典型的なケータイの風景を演じる」では、「自分の国でケータイが使われるシーン、それもいかにも自分の国らしい特徴が現れていると思われているシーンを外国人に見せることを想定して、寸劇風に演じる」というプログラムにおいて、「ケータイをめぐる私たちの経験の状況を日常生活のさまざまな場面から、とくに身体的な振る舞いとして引用することを通じて拾い上げようとするもの」であると意図を説明しています。そして、東京とヘルシンキの間における、ケータイをめぐる二つの文化の違いとして、
(1)ケータイの内側の空間と外側の空間とがどのような関係で共存しているのか。
(2)それら二様の空間がどのような様式で、具体的にはどのような身体技法に基づいて操作されているのか。
の2点に注目しています。そして、「東京のシーンでは、ケータイの内側のバーチャルな空間の優位性と意義にプロットの力点が置かれ、その上でリアルな空間からバーチャルな空間を切り離したり切り出したりすることに演技の力点が置かれている」のに対し、「ヘルシンキのシーンでは、ケータイの外側のリアルな空間の優位性と意義にプロットの力点が置かれ、その上でバーチャルな空間をリアルな空間に取り込むことに演技の力点が置かれている」と述べています。著者は、「ケータイをめぐる文化を豊かにすること」とは、「ケータイの内側の空間ばかりをひたすら高度化し、肥大化させていくことでは決してない。必要とされているのはむしろ、ケータイの内側の空間と外側の空間とを連携させる様式そのものを多様化し、偏在化させていくことなのではないだろうか」と述べています。
 第3章「ケータイを超える」では、ケータイ・カメラでの「はい、チーズ」の居心地悪さが、「被写体と撮影者をめぐるコミュニケーションのありようがこれまでのカメラのそれと違ってきていることを表している」と述べ、「カメラは単なる撮影のための道具で」ではなく、「撮る側と撮られる側の関係性を編む一つの象徴として存在している」と述べています。
 また、MoDeプロジェクトが実施したワークショップ、「世にもまれな地図づくり」について、「福岡市と地元上陽町の小中高構成20人の子供たちが、上陽町を散策しながらさまざまな風景や出来事をケータイ・カメラに収め、その写真を使って上陽町を紹介する地図を作るという活動」であると解説し、ワークショップと事後のインタビュー、アンケートから明らかになった「ケータイ・カメラと子どもたちの関わり方」について、
(1)「観る」次元:カメラというモノを通して世界を見る経験は、人と場所との関わり方を編み変える。
(2)「撮る」次元:撮影という用のためではなく、撮影という行為を消費することで、子どもたちは互いの距離を推し測り、保とうとした。
(3)「出す」次元:紙に印刷された写真は、過去の経験と自分の今を媒介するとともに、同じ上陽を歩いた仲間たち、つまり他者と自分の経験を媒介し、コミュニケーションを成り立たせる役割を持っている。
の3つの行為に分けて整理しています。
 第4章「ケータイを編みかえる」では、「『未来のテクスト』のプロトタイプ」である「カンブリアン・ゲーム」について、大抵のワークショップでは、「名称の由来であるカンブリア紀の多様な生命の爆発を想起させるような、リーフの爆発的な増加を目の当たりにする」と述べています。そして、「書くこと、読むこと、描くこと、観ること、撮ること、リーフをつなぐこと、これらはみなテクストAのある被写体を際立たせ、それを『~として』見るためにテクストBへ投影変換する行為である」と解説しています。
 また、デンマーク出身のアスケ・ダムによるデザイン実験として、
・ケータイ・ビデオカメラ:専用の一脚、マイク、ライトの3点セット
・ケータイ・プロジェクター:ケータイの中身を大きく映し出し、大勢の人々がその中身を簡単に共有できる
の2点を紹介し、この試みが、「ケータイにしつこくこびりついた産業的な思惑を批判的に振り返り、私たち普通の人々の潜在的な表現可能性を肯定的に唱ったデザイン実践だった」と解説しています。
 さらに、「民芸」という言葉が、1920年代に始まった芸術社会運動である「民衆芸術」の略語であり、「芸術家や職人など、実際にその品の制作に直接携わる人間だけでなく、彼らを支える家族や知人、そしてその品を生活の中で用いるあらゆる人々を含んだ地域の関係性の中から想像されると考えられていていた。それは、民芸の創造に対してひとりひとりが、その作り手と使い手の立場を循環させることのできるコミュナルな思想であり、営みであったといえよう」と述べています。
 著者は、「コミュナルなケータイとして、プロダクトとワークが結びついたデジタル民芸として、既存のケータイは、私たちの日常的な視座から編みかえられていく必要がある」と主張しています。
 本書は、もはや「携帯電話」ではなくなってしまった「ケータイ」をメディアとしてとらえなおした一冊です。


■ 個人的な視点から

 ケータイと言えば、プライベートな道具の代表という感じで、電車の中でケータイを使っている人が近くにいるとイライラするものですが、ケータイを「コミュナル」なものとして捉え直そうという本書は、考え方によっては大変過激なものではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・ケータイのカスタマイズに凝っている人。


■ 関連しそうな本

 T. コポマー (著), 川浦 康至, 山田 隆, 溝渕 佐知, 森 祐治 (翻訳) 『ケータイは世の中を変える―携帯電話先進国フィンランドのモバイル文化』 2007年09月02日
 小林 哲生, 天野 成昭, 正高 信男 (著) 『モバイル社会の現状と行方―利用実態にもとづく光と影』 2007年08月06日
 小檜山 賢二 『ケータイ進化論』
 遊橋 裕泰, 河井 孝仁 (編さん) 『ハイブリッド・コミュニティ―情報と社会と関係をケータイする時代に』
 ジェラード・デランティ (著), 山之内 靖, 伊藤 茂 (翻訳) 『コミュニティ グローバル化と社会理論の変容』 2007年07月24日


■ 百夜百マンガ

サスケ【サスケ 】

 来るぞ来るぞ来るぞ来るぞ、手強いぞ、というアニメの主題歌が頭に残りますが、やたらにハードな設定と絵柄は子どもたちの憧れでした。
 仙道敦子の忍者もサスケですがちょっと違います。

投稿者 tozaki : 2007年11月29日 22:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pm-forum.org/MT3/mt-tb.cgi/1566

コメント

コメントしてください




保存しますか?