« どうして色は見えるのか―色彩の科学と色覚 | メイン | 外注される戦争―民間軍事会社の正体 »
2008年01月06日
ジャパンクールと江戸文化
■ 書籍情報
【ジャパンクールと江戸文化】(#1081)
奥野 卓司
価格: ¥2310 (税込)
岩波書店(2007/06)
本書は、「歌舞伎、人形浄瑠璃(文楽)、落し噺(落語)など、江戸時代からの『伝統芸能・文化』の、現代社会における変容、デジタル化を先取りするそのような人々の顔を思い浮かべながら、彼らのことを解きたいという思い」でかかれたものです。そして、「現代社会に似たありさまが江戸時代中・後期の世相、風俗にいかに見られたかを考察し、その様相を今日と比較することによって、今日の社会における江戸現象の文化的意味と、それらがデジタル化され、新たなジャパンクールとして世界に発信されていく近未来を見通したい」と述べています。
第1章「ジャパンクールからみえる江戸文化」では、「かねてより欧米では、お茶、お華、能に並んで、歌舞伎、文楽が、日本の文化として、一部の知識人や芸術家の間で高く評価されている」が、「今日のジャパンクール旋風では、マンガ、アニメ、Jポップなど、現代のポピュラーカルチャーが先行して、そこから歌舞伎や文楽、和服、日本食などの再流行につながったため、両者の間に過去・現在、高級・低級というへだてがなく、同じ次元でモザイク上に並んで人気を集めている」と述べています。
また、江戸人が、「かけそき」生き方をしており、上方では「恥じらい」や「はんなり」が良き価値として庶民生活の中に定着していたため、「見えない柔らかな世間のブレーキとして、極端に走らず、それぞれの暮らしをほどほどに楽しむという価値観が、(儒教によってではなく)自然なものとして町民の生活に根づいていた」と述べています。
第2章「コミュニティを再生する江戸文化」では、「こんぴら歌舞伎」(香川県琴平町)、「曳山子ども歌舞伎」(石川県小松市)、「祇園祭」(京都市山鉾町)等の事例を紹介した上で、「『伝統』の発明が近代化とともに始まる」というホブズボウムの説を紹介しています。
そして、江戸文化が、「江戸時代には町民のものであり、町民自身によって絶えず創り出されてきた」として、「こうした『伝統の発明』の精神こそが、実は日本人がジャパンクールを生み出す基底にある、伝統的な精神といえるはず」と指摘しています。
第3章「ジャパンクールとしての江戸文化」では、江戸時代の日本が、「西洋や中国とも、民衆レベルではむしろ活発に交流していた」と述べ、「『鎖国』というのは、江戸時代がいかに封建的であったかを協調したいがために、後から一部の歴史学者がつくりあげた『お話』にすぎない」と指摘しています。
また、「誰も高い入場料を払って球場まで試合を見に来なくなる」という理由から、プロ野球のテレビ放送に消極的だったパリーグの球団が、凋落した例を挙げ、「歌舞伎の場合も、今、デジタル化に積極的に取り組まなければ、近い将来、結果的にリアルな場での観客も失っていく。逆にデジタル・メディアをうまく使えば、グローバルに新たなファンを増やし、メディアを通じてだけではなく、リアルな劇場に彼らを誘うことにつながっていく」と述べています。
第4章「『数寄者』というオタクのネットワーク」では、今日のジャパンクールの担い手とされる「オタク」が、「現代日本の秋葉原に突然出現したわけではなく、江戸時代から江戸や上方に数寄者、傾き者としてそんざいしていた」と述べています。
そして、上方の「家元」制度について、「しばしば批判されるような独占的世襲制による収奪構造とばかり」とは言えず、「諸芸を広め、そのメンバーをネットワークに組み込んで、その芸を次世代に伝達していくという文化装置系としての積極的な意味」を認め、「これと同様の現象はジャパンクールの他の領域でもみられる」として、Jポップにおける、プロ─セミプロ─副業ミュージシャン─ストリートミュージシャン─カラオケに至る現象を、「カラオケナイゼーション」と名付けた高田公理の説を紹介し、この仕組みが、「伝統文化」をコアとして新たなジャパンクールを創出するために、学ぶべき点が多いと述べています。
第4章「江戸文化の『モエ』の構造では、江戸時代の「柔術」を、近代スポーツとして再生させた嘉納治五郎が、「当時の日本人に受け入れやすい『柔道』という言葉を発明した」例を挙げ、「日本の『○○道』は、すべて明治になってからの社会的発明であり、近代化の所産である」という井上俊の議論を紹介した上で、「江戸時代の庶民の世界は(『サムライゼーション』ではなく)『チョーミナイゼーション』していたと言える」と指摘し、「近代の産業国家が生み出すモノの大量生産が、人々の生活の質を向上させるという意味をなくしてしまった今日では、近未来に向かって私たちが立ち返るべきなのは、近代の『武士道』ではなく、江戸時代からの日本の町民の志向『チョーミナイゼーション』であろう」と述べています。
また、江戸の男伊達の理想像とされている『助六由縁江戸桜』の主人公の助六について、「喧嘩好きだがついつい人助けに走る暴れん坊」を意味し、「町民が憧れる人間像ではあるが、町民自身が、そうはなりきれない、江戸時代の社会規範のぎりぎりのラインでのいきざまを見せて楽しませてくれる人物像」であり、「これが、歌舞伎の原点である『傾き者』であろう」と述べています。
さらに、「モエ」という美意識が、「日本文化の中に突然現れたわけではなく、かつてのワビ、サビ、イキ、スイという日本的美意識の流れから続くもの」であると指摘し、「『モエ』こそが、今日のジャパンクールの大きな魅力の一つなのであろう」と述べています。
第5章「きょうと・大坂・名古屋のコンテンツ戦略」では、「しょうゆだけでなく、伏見や灘の酒、塩から雪駄までも、良いものは何でも上方から江戸に運ばれてきた」ため、「良いものは江戸に『下る』が、つまらない(地廻りの)ものは『下らない』とされた」というエピソードを紹介しています。
また、大坂について、阪急電鉄を創設した小林一三、松下電器の創立者の松下幸之助、(今日の)サントリーを創業した鳥井信治郎等の例を挙げ、「単にモノを売るのではなく、まず関西で新たなポピュラーカルチャーを創造し、日本全国にその新文化を発信することで、新文化の影響の元に、結果的に人々の生活、感覚、行動を変容させ、その新たな生活様式の元で必要とされている新商品や新サービスを売るという手法」こそが、「社会貢献とビジネスが矛盾なく融合した、上方の先人たちの伝統を受け継ぐ、大阪発だからこそのビジネスモデル」であると述べています。
さらに、名古屋について、「江戸時代も今も、名古屋は、上方・関西で生まれた文化を江戸・東京に伝え、全国発信させるためのハブになっている」と述べています。
第6章「江戸という近未来」では、江戸時代の生活が、
(1)暗黒説:士農工商の身分制度が貫徹され、農民、町民は武士階級によって抑圧、搾取されて、全く自由がなかった。
(2)天国説:およそ300年の平和が続き、その平和の元で町民が生き生きと自由に暮らしており、むしろ主従制度に縛られた下級武士の方が辛い生活を強いられていた。
の2つの極端な説があることについて、「従来の教科書のようなマクロな歴史観から見れば、江戸時代は身分制が堅固で幕府による支配が貫徹し、世界にもまれな管理状況にあった」という見方と、「個々の町民の生活のディテールについて論じれば、江戸時代の町民たちは歌舞伎、浮世絵を楽しみ、長屋で楽しく暮らしており、この国では、すでに江戸時代に大衆社会状況が生まれていた」という両義性を指摘しています。
著者は、「ジャパンクールとして欧米で高い評価を受けているアニメやマンガ、ゲーム、Jポップとともに、江戸文化の流れを受け継ぐ歌舞伎、文楽、落語、浮世絵こそ、世界のどこにもない、日本の文化コンテンツであり、それらをデジタル化して発信すれば、世界中の人々をもっと楽しませることができ、私たちの文化をもっと知ってもらえるようになるに違いない」と述べています。
本書は、江戸の町民の暮らしと文化の目線から、昨今の日本の大衆文化を描いた一冊です。
■ 個人的な視点から
江戸元禄と現代を比較する話はたまに見かけますが、その手の話はいつの時代でも使えそうな話なので何となく眉唾で聞いている部分があります。むしろ、江戸から現在まで引きずっているさまざまな文化的な底流部分のようなものが共通しているからこそ、いつの時代も江戸との比較ができるのではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・「オタク」→「萌え」→「メイド」→「アキバ」→「神田」→「江戸っ子」とつながる人。
■ 関連しそうな本
中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
ジョセフ・S・ナイ (著), 山岡 洋一 (翻訳) 『ソフト・パワー 21世紀国際政治を制する見えざる力』 2007年04月27日
フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
浜野 保樹 『模倣される日本―映画、アニメから料理、ファッションまで』 2007年11月11日
■ 百夜百音
【「石川ひとみ」SINGLESコンプリート】 石川ひとみ オリジナル盤発売: 2007
すっかり「一発屋」の代名詞になってしまった上、タイトルのせいで「ストーカーの歌?」といわれてしまいそうな曲なのですが、歌詞をよく聞けばわかるとおり、家の前で待ち構えていたりはしないのでご安心ください。
投稿者 tozaki : 2008年01月06日 06:00
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.pm-forum.org/MT3/mt-tb.cgi/1605