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2008年01月22日
あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実
■ 書籍情報
【あなたのTシャツはどこから来たのか?―誰も書かなかったグローバリゼーションの真実】(#1097)
ピエトラ リボリ (著), 雨宮 寛, 今井 章子 (翻訳)
価格: ¥2100 (税込)
東洋経済新報社(2006/12)
本書は、Tシャツの「一生を追って三つの大陸を股にかけた何千キロにも及ぶ旅」の記録であり、「綿Tシャツの誕生に関わった人々と政治と市場経済の物語であり、グローバル化の物語」です。
著者は、1999年2月、ジョージタウン大学で、シアトルで行なわれWTO総会を前にして、一人の女性が群集に向かって演説している姿を目にします。「あなたのTシャツは誰が作ったものですか。食べ物も飲み物も与えられずミシンにつながれたベトナムの子供でしょうか。時給18セントしかもらえず、1日に2度しかトイレに行かせてもらえないインドの若い女性でしょうか。皆さん知っていますか。彼女は12人部屋で生活しているのです。ベッドは共寝、食事にはお粥しかもらえません。残業手当も受け取れずに、週に90時間働かされます。発言する権利もなければ、労働組合をつくる権利もありません。彼女は貧乏なだけでなく、不潔で病気が蔓延する環境で暮らしているのです。すべてはナイキの利益のために。」
この演説を聴いた著者は、自分のTシャツが誰によって作られているのかに関心を持ち、調査を始めます。著者は、「わたしの予想に反して、市場というものはこの物語で大きな役割を持つことはなかった。むしろ、物語を織り成しているのは、複雑に絡み合いながら競争市場というものを編み込んでいる『歴史』や『政治』なのだ」と述べるとともに、「グローバル化の推進派と反対派とが、人々の境遇の改善において知らず知らずのうちに『共謀者』となっている」ことを指摘し、経済学者のカール・ポランニーが提唱した「二重運動論」を紹介しています。
第1章「テキサス州ラボック ラインシュ綿農園」では、「世界一コットンな街」ラボックを取り上げ、「私が着ているTシャツ」が、この周辺で生まれた可能性が高いと述べ、「世界市場において、およそ優位性というものは常に一時的なものでしかないということは、歴史が証明している」にもかかわらず、「綿の世界市場においてだけは、米国が200年以上にわたってあらゆる意味で圧倒的な覇者であり続けており、他国、とりわけ貧しい国々には、追いつける可能性すらないに等しい」ことを指摘しています。
そして、「綿産業の米国支配を補助金だけで説明することはできない。補助金は、米国生産者に不動とも言うべき地位を保証してきた非常に大きな枠組みの、ほんの一例にすぎないのだ」として、「米国では綿の生産と販売に伴なう重大な競争リスクを緩和するための公共政策が200年以上にわたって発達し、生産者を守ってきた」と述べています。
第2章「米国綿の歴史――勝利の鍵は労働市場の回避」では、奴隷制度が、「生産者を市場の脅威から隔離するべく発展した公共政策の第一号だった」ことを指摘しています。また、他国との比較において、「財産権、報奨制度、今日で言うところのガバナンスの問題など、工場方式による綿生産を維持するために欠かせない諸制度が、米国において果たした役割は大きい」と述べています。
第3章「ラインシュ農園ふたたび――『怖いのは補助金だけじゃない』」では、「米国の生産者が、綿の生産工程においていかに巧みに商品価値を作り出したかについては目をみはるものがある」として、10トンの原綿の塊から、Tシャツになる2.5トン弱を除いた「ゴミにしか見えない」ものからの再使用、再資源化、再梱包の方法について解説しています。
そして、「綿の世界市場における米国支配の影には、労働市場の抑制という『知恵』があった」と述べ、連邦政府の巨額の綿補助金に加え、「体系化された工場生産方式」や、「識字率、財産権、商業基盤、科学的進歩などの環境」が米国綿生産者の強みの源泉であることを解説しています。
第4章「綿、中国へ上陸」では、米国の綿生産者の覇権が200年間守り続けられているのに対し、「繊維や衣料品産業での首位は、底辺へ向かう競争が苛烈なため、すぐに入れ替わってしまう」と述べ、「中国による繊維・衣料品産業の支配」が、「米国の綿生産者の覇権とは大きく様子が異なる」と指摘しています。
第5章「底辺へ向かう長い競争」では、綿産業の覇権が、英国から米国、日本、そして「さらに安くて従順な労働力をもった新たな地域であるアジアの新興工業国・地域(香港、韓国、台湾)、さらには中国へと入れ替わっていった様子が解説されています。
そして、「どの地域でも、綿織物産業の成長は他に選択肢のない多数の貧困層が支えた。いずれの場合も、『理想的な』労働力とされたのは丈夫で従順で文句を言わない人々だった。必要とされたのは独創性や知性ではなく、退屈な繰り返し作業に耐える体力と精神力だったのである」と解説しています。
第6章「女工今昔物語――農場から搾取工場へ、そして……」では、中国の昔の女工たちにとって、「工場労働は心身ともに疲れ果てる農作業から抜け出し、経済的な豊かさを求めるための一歩となったばかりではない。自立と自己決断を初めて体験でき、どんなにわずかであっても給料をもらうことでさまざまな選択ができるようになった。ある者にとっては退屈さから、ある者にとっては強制的な結婚や横暴な父親から逃れる道だった。またある者にとっては、自分で自分の着るものを選べるようになる手立てだった」と伸べています。
また、「皮肉なことに、若い女性を拘束するために綿々と続けられてきた慣習は、それが息のつまるような労働慣行であれ、門限であれ、あるいは鍵のかけられた寮、トイレの時間制限、生産ノルマ、強制的な教会通い、工場を取り囲む高い塀であれ、みな彼女たちを経済的自由と自立へ導く仕組みの一部でもあった」と述べています。
さらに、『底辺への競争を阻止せよ!」との呼びかけが、「反グローバル化運動のスローガンの中でもっともおぞましく、馬鹿げている。まさにその競争によって豊かになった先進国の活動家が、その阻止を叫ぶのだからなおさらだ。彼ら活動家はいったい誰を農村に縛り付けておきたいのか、と尋ねたくなる」と指摘しています。そして、「より広い視野に立てば、グローバル資本家と反グローバリゼーションの活動家は敵同士ではない。図らずも、彼らは人々の生活環境をともに改善してきた協力者なのだ」と述べています。
第7章「怒号の合従――政治が貿易を支配する理由」では、全米製造業貿易行動連合(AMTAC)の事務局長、オージー・タンティーロを取り上げ、「Tシャツ貿易においては、他業種で繰り広げられている『より速く』『より良く』『より安く』を目指す激しい市場競争は(今のところは)起こっておらず、むしろ競争は政治の世界で繰り広げられている」と指摘し、「価格を下へ下へと追い込んでいく市場の力は強大なものに違いないが、その市場に抵抗して価格を上へ押し上げようとする政治力も同じように強い」と述べています。
また、「当初に意図に反して、政治は産業への介入によって『底辺への競争』を鈍化させるどころか、むしろ加速させる役割を果たしてしまった」と述べ、特定国からの輸入を制限する規制によって、米国の繊維産業を守るのではなく、その国の競合相手の米国市場進出に道を開くこととなったことを、「輸入品を防ぐための堤防の穴を一つ塞ぐことで、別の穴からの流入を増強してしまう」と述べています。
第8章「保護貿易政策の意外な結末」では、「政治が衣料品貿易市場を支配してしまうこと」で、「本当に雇用が確保されてきたとはいいがない」と述べ、「雇用維持という保護主義体制の目標がほとんど達成されなかったにもかかわらず、米国民は私たちの予想に反して保護主義体制に相当同情的」であると述べています。
そして、「米国の保護貿易体制は雇用維持の目標を果たせなかったばかりか、業界団体による『頭文字軍団』がTシャツの全製造過程においてコストを積み上げたために、国内業界の競争力の低下という予期せぬ結果を招いてしまった」として、「頭文字軍団は、自身が自分の最大の敵になってしまっている」ことを指摘しています。
また、米国の繊維製品を輸入品から守るための経済的コストについて、「莫大な金額である」との数々の試算を紹介し、90年代半ばの時点で、「一人分の雇用を維持するための保護コストは、年間8万8千ドルであった」と試算したほか、2002年には、一人分の雇用確保のために約17万4825ドルのコストが費やされている、等の試算を紹介しています。
さらに、衣料品産業が、「市場競争に対応することよりも、むしろ貿易障壁に適応することによって国際化してきた」と述べています。
著者は、歴史の例として、1700年に、英国議会が、「毛織物団体が長年希望していた『最適な消費者層』をようやく保証した」として、
「いかなる死体も、羊毛のみから作られたシャツ、シュミーズ、布……を身にまとって埋葬されなければならない」
との法律が成立したこと、1722年12月25日には、「毛織物職工たちは戦いに勝った」として、「あらゆる種類の綿布を着用すること、または家具に使用することが禁止された」法律を紹介し、「何世代にもわたって英国人に暑くてむず痒くて高価な衣服を強要した」と述べ、「まもなく、綿布を国内製造するための見事なアイデアが次々と生まれてきた」として、「生産能力の高い綿織機、多軸紡績機、工場、そしてついには産業革命」を挙げています。
第9章「四〇年の暫定的保護の終焉」では、「多国間繊維取極(MFA)」の効果について、「米国が、繊維製品の数量割り当てを導入し、それをさらに拡大し、複雑にしたことで、競争力のある主要輸出国の米国参入を阻止しただけでなく、MFAがなかったら米国に物を売ることもなかったはずの多くの発展途上国に、カネになる米国市場を細かく切り分けそのパイの一切れを保証する効果があった」と解説しています。そして、「MFAの賛成派と反対派の両方が口を揃えるのは、MFAは米国産業を守ることには失敗したかもしれないが、多くの弱小国への経済援助としては明らかに成功だった」ことを紹介しています。
また、2002年にWTOが定める割当枠撤廃の第三段階が実施されたことで、「最貧国の一部は恐ろしい未来を垣間見ることとなった」として、中国が2001年にWTOに加入したことで、「一部の品目においてはじめて何の制限もなしに衣料品輸出が出来るようになった」と述べ、「人々は堤防に穴が開けられた後の水の噴出には慣れていたが、その水が中国から来ることについては、誰もまだ覚悟ができていなかった」と述べています。
第10章「中古Tシャツの行方――日本、タンザニア、そしてボロ切れ工場」では、「Tシャツの一生の中で、本当の意味でのマーケット市場に出会うのは、実はこの最終段階においてのみだ」と述べ、「この古着業者だけが、政府やロビイストからも目を向けられることすらなく、完全な自助努力で勝負している」と解説しています。
また、専門家が、「世界の最貧国が、貧困に加えて、アメリカのボロキレをポンポン投げ込むゴミ捨てかごの役割を担わされるとは、何たる侮辱的なことか」と述べていることに費えt、古着業者にとって、アフリカは「ゴミ捨て場」でも「取り残されたお荷物バスケットケース」でもなく、「得意先」であり、「多くの競合相手がアフリカ人消費者のニーズに応えようと必死でいる」と述べています。
さらに、「Tシャツの一生の最終段階では、多国籍企業から離れたところで力関係が逆転し、小規模であることが有利に働くグローバルビジネスが存在している」と述べています。
「結論」では、「Tシャツ製造をめぐる規制は、自由市場の猛威に立ち向かい、労働法や商慣行を書き換えてきた何世代にもわたる活動家たちの努力の結果」であると述べるとともに、ジョージタウン大学で演説していた女子学生には、「いつの時代にも市場と貿易によって若い女性たちが搾取工場に縛り付けられたが、彼女たちはむしろ自由になった」こと、「農民は農村にいることこそ一番と決め付ける前に、もう一度よく考えたほうがいい」と語りたいと述べています。
本書は、Tシャツを通して、グローバリゼーションを理解する「目」を与えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
日本でも繊維産業の女工の悲惨さは『女工哀史』として伝えられてきましたが、『日本の下層社会』にも紹介されているように、女工たちが低賃金労働とひきかえに自由をつかんだ様子がわかります。その是非を一方的に判断するのは難しいのではないかと思いました。
■ どんな人にオススメ?
・グローバリゼーションの一面を見てみたい人。
■ 関連しそうな本
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シルヴァン・ダルニル, マチュー・ルルー (著), 永田 千奈 (翻訳) 『未来を変える80人 僕らが出会った社会起業家』 2007年03月28日
渡邊 奈々 『チェンジメーカー 社会起業家が世の中を変える』 2005年08月11日
C.K.プラハラード 『ネクスト・マーケット 「貧困層」を「顧客」に変える次世代ビジネス戦略』 2006年07月28日
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■ 百夜百マンガ
人間ドラマを書かせたらピカイチだった作者だけに、政治とか宗教とかのシリアスなテーマにはピッタリでした。
投稿者 tozaki : 2008年01月22日 23:00
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