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2008年02月03日
英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ
■ 書籍情報
【英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ】(#1109)
金谷 武洋
価格: ¥1575 (税込)
講談社(2004/1/11)
本書は、「よく喧伝される『日本語特殊言語論』への反論」であるとともに、「英語標準言語主義」に対する警鐘を鳴らすことを目的としたものです。
著者は、「英語はヨーロッパにおいてさえ『まったく例外的』な言語」であると述べ、であるならば、「日本語など東アジアの言語を英文法で記述するなどという試みは放棄すべきだ」と主張しています。
そして、「日本語など東アジアの言語には必要ない『主語』」が、「英文法を真似て導入された」琴について、大野晋が、「明治以降、要するに英文法をもとにして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。そのときに、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものを当てはめた」と語っていることを紹介しています。
第1章「『神の視点』と『虫の視点』」では、著者がカナダの日本語教室で行なうクイズとして、「黒板に『風○窓○開○た』と大書して、『○にひらがなを一つずつ入れて、正しい文にしなさい』と聞く」と、日本人なら「風で窓が開いた」とするところを、カナダの学生たちは、「文頭の『風○』が直感的に主語だと予想」し、「風が窓を開けた」としてしまい、日本人が自動詞文にするところを、カナダ人は他動詞文にしてしまうことを紹介しています。
また、日英語の違いを、川端康成の『雪国』の翻訳を取り上げて、
(1)国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
(2)The train came out of the long tunnel into the snow country.
の2つの文から受ける印象の違いを解説し、話者の視点が、原文では車内にあるのに対し、翻訳では、情報から見下ろしたアングルとなると述べています。
著者は、この視点の違いを、「神の視点」と「虫の視点」と名づけ、「虫の視点は、臨場感あふれる『生き生き、ありあり』とした状況の中にある」と述べ、「虫の視点」には「コンテキストが豊かに瑞々しく、ありありと与えられている」一方、「神の視点」は、「抽象的客観的で状況から乖離した高みにある」と述べています。
そして、日本語が、「テンス(時制)」よりも「アスペクト(相または態)」中心の表現をすることを、「アスペクトを借りて、テンスを間に合わせている」と述べています。
さらに、日本語と英語の構造を比較し、日本語を、「背が低く(上下2段)、上向きに枝を広げている」形から「盆栽型」と呼び、英語は、「のっぽ(上下3段)で末広がり」な形から「クリスマスツリー型」と読んでいます。
第2章「アメリカよ、どこへ行く」では、日本人が短絡的に「英会話をマスター。これであなたも国際人」と捉えがちな風潮に、「あまり自覚されていない危険性」を指摘し、「英語を話すということは、一時的にせよ、「端的にいえば攻撃的、自己主張型人間」に「人格を変える営み」であると指摘しています。
そして、朝日新聞ロサンジェルス支局長の伊藤千尋氏が「米語が世界の共通語として使われるのは現代の悲劇ではないか」とエッセーで述べていることを紹介し、「やがて米語が世界後として普及し尽くしたとき、世界の人間は攻撃的となり騒乱はさらに増すのではないかと推察される。そのとき、世界の人々の顔つきも攻撃的に変わるのだろう」との言葉を紹介しています。
第3章「英語を遡る」では、「英語はその揺籃期からこれほどの勢力を擁していたのではない。それど頃ではない。その出自を見ればむしろ情けないほど、非力で無力な一言語でしかなかった」と述べ、「英語は日本語とは比較にならない受難の歴史を経て今日に至っている」ことを解説しています。
そして、1066年の「ノルマンの制服(Norman Conquest)」によって、「何万という単位で支配階級がドーバーを越え」、フランス語が用いられ、「正式な文書はラテン語で」書かれたことについて、「これで庶民が英語に対する劣等感を持たなかったらおかしい」と述べるとともに、「この3世紀の間、フランス支配層とフランス語に虐め抜かれた英語に、何か異常なことが起こった」として、「主語」の発生をあげています。
著者は、「古英語には主語がない」ことを指摘したうえで、後に文頭に立てられるようになった「I」も、「当初は主題を表すものに過ぎなかった」と述べています。そして、「フランス語と英語の混ざり合った『乱世』に、松本克己の言う『クレオール化』が進んだ」と述べ、「クレオールの最大の特徴が文法規則の簡略化」であるように、「記憶の負担になる名詞の性別(男性/女性/中性)も、この時期にあっさり捨ててしまった」ことを指摘し、「普通名詞や冠詞が曲用を失ってどんな文法格においても同じ形(例:the lordとthe servant)になるに至って、意味が伝わるためには語順に頼るしかない」ため、「意味が間違いなく伝わる最大の効果を狙ったのがSVOという語順だった」と述べています。
第4章「日本語文法から世界を見る」では、「他動詞SVO構文を最大の武器とする典型的な『する言語』英語を人類の代表的な言語とみなし、普遍文法化することは、角田太作の傑作な地口(エゴ=英語)を借りれば、まさに独りよがりな英語中心主義『Eigo-centrism』である」と述べ、「日本語(や東アジア諸語)が一般言語学に寄与できる方向を探る方がどんなに生産的で、どんなに21世紀の時代の要請にかなっているか知れない」と述べています。
第5章「最近の主語必要論」では、庵功雄の『「象は鼻が長い」入門』について、「タブーと言っていいほど『取り上げにくい問題』を、学界内部からこれほど率直に論じることはきわめて珍しいと思うので、その姿勢を歓迎したい」と述べています。
本書は、英文法をベースにした日本語教育を受けてきた多くの日本人にとって、より相対的に自らの言語を見つめる視点を提供してくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
英語の構文が、回りくどいほどに同じような形をしているように感じるのは、フランス語がを使う支配者層が3世紀の間居座ったことによって、庶民が使う英語が影響を受けた結果だということですが、日本も、アメリカによる占領から半世紀以上が過ぎ、語彙の点では相当に米語の影響を受け、庶民が使う日本語は相当変化しています。若者の日本語の乱れを指摘するお年寄りが多くいますが、アメリカによる支配の影響がゆっくりと現れ始めていると見ることができるのかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・英語は世界の標準語と思っている人。
■ 関連しそうな本
金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
金谷 武洋 『日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す』
金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』
■ 百夜百音
【迷い道】 渡辺真知子 オリジナル盤発売: 2001
「かもめが翔んだ日」は、「かもめ=ロッテ」つながりで、千葉マリンスタジアム内に流されたり、ライブが開催されたり、限定CDが発売されているようです。
http://www.sonymusicshop.jp/detail.asp?goods=DQCL000001015
投稿者 tozaki : 2008年02月03日 20:00
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