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2008年02月09日

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す

■ 書籍情報

日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す   【日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す】(#1115)

  金谷 武洋
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2002/01)

 本書は、日本語教師にとっての一番の問題である、「英語や仏語と日本語の根本的な違いがどの文法書にも明記されていないこと」を取り上げ、「国内国外で使われているほとんどの『日本語教科書』が基本的には『学校文法』に基づいており、その学校文法は西洋語、特に英文法を下敷きにしている」ことを指摘しているものです。著者は、本書のタイトルのあたまに「やはり」を添えたいと述べ、三上章が主張した「主語無用論」を、
(1)三上文法の日本語教室での具体的応用の提案
(2)主語や人称代名詞というテーマを、日本語の三基本文という、これまでほとんど注目されないで北観点とリンクさせる
の2つの側面で発展させるとしています。
 第1章「日本語に人称代名詞という品詞はいらない」では、「英仏語では、名詞と人称代名詞には構文的に異なった働きがある。日本語にはその違いがない」と述べています。
 そして、「存在者の数を不必要に増やしてはいけない」という「オッカムのかみそり(razor of Ockham)」という言葉を引用し、「日本語文法(ことに我々が学校で国語の時間に教わった学校文法)には無駄が多く、よくわからない。これでは(特に外国語としての)日本語がよく説明できない」と主張し、また、「オッカムの弟子を自任する我々は、『日本語で人称代名詞と呼ばれているものは構文的には名詞にすぎない』と明らかに宣言すべきである」と述べています。
 また、「英仏語(など多くの言語)には『人称代名詞がないと正しい文が作れない』という辛い『お家の事情』があるのに対して、日本語(や朝鮮語や中国語)にはそんな事情はまったくない」と述べています。
 第2章「日本語に主語という概念はいらない」では、「日本語には主語の概念は不要である。日本語の構文は朝鮮語や中国語などと同じく、述語だけで基本文として独立している」と主張し、「日本語に即した文法の書き換えを目指して、主語の文法的必然性の有無を検証する」としています。
 そして、フランスの言語学者アンドレ・マルチネによる主語の定義として、「主語は、他のあらゆる言語学的事実と同じで、その(具体的)振る舞いに置いてのみ定義づけられるもの」であるという定義を紹介し、「主語の条件」として、
(1)基本文に不可欠の要素である。
(2)語順的には、ほとんどの場合、文頭に現れる。
(3)動詞に人称変化(つまり活用)を起こさせる。
(4)一定の格(主格)をもって現れる。
の4点を挙げています。
 また、生成文法の方で使われる「ProDrop」という単語を取り上げ、「日本語や朝鮮語、中国語などは主語や目的語がよく『省略される』ので、代名詞を落とす言語(ProDrop language)と言われる」と述べた上で、「『省略』という説明事態がオッカムのかみそりで落とされるべき不要な髭であることは明らかになった」と述べ、「ProDropという『省略』を思わせる用語は不適当」であり、「ましてや、日本語など東アジアの言語がProDropなどと呼ばれるのは甚だ迷惑である」と指摘しています。
 さらに、国語学界の大御所である大野晋が、日本語への主語の概念の導入と当時の時代精神について、「明治以降、要するに英文法を元にして、大槻博士が日本語の文法を組み立てた。その時に、ヨーロッパでは文を作るときに主語を必ず立てる。そこで『文には主語と述語が必要』と決めた。そこで日本語では主語をしめすにも『は』を使う、と考えたのです。ヨーロッパにあるものは日本にもなくては具合が悪いというわけで、無理にいろんなものをあてはめた」と自ら語っていながら、「何故『日本語に主語はない』と文部科学省に断固抗議しないのだろう」と指摘しています。
 第3章「助詞『は』をめぐる誤解」では、「『は』は文字通りのスーパー助詞で、その本当の役割は、単文の境界を越えるところにある」と述べています。
 そして、「多くの文法研究者、そして日本語教師にとっては、『は』と『が』の二つがいまだに根強く『主語を表す主要助詞』という刷り込み(imprinting)がなされている。『主語症候群』あるいは『主語病』とでも呼ぶべきものだろう。我々はいまだに明治維新の精神構造から抜け出せていないのである」と述べています。
 第4章「生成文法からみた主語論」では、「きわめて特殊な言語の英語を鏡にして、普遍性を主張されては、まったくタイプの違う日本語などは迷惑である、と声を大にして訴えたい」と述べています。
 また、「現行の学校文法や日本語文法のように、主語を自明のものとしてしまうと、そのフィルターのために逆に見えなくなってしまうものがある」と指摘し、人称代名詞の問題とともに、自動詞と他動詞の対立の問題を挙げています。
 第5章「日本語の自動詞/他動詞をめぐる誤解」では、「『直接目的語をとる動詞が他動詞、他が自動詞』と言い切れるのは英語(や仏語)ではあっても日本語ではない。更に付け加えるなら、自動詞/他動詞分別の第2の目安とされる『他動詞文からは主客を反対にした受身文が作れる、自動詞文では不可能』という定義も、これまた英仏語なら真でも、日本語では間違っている」と指摘しています。
 そして、「明治維新以前の文法研究では、自他の対立そのものの考察がなされていた」にもかかわらず、「明治に入って、この領域でも英文法の圧倒的な影響下に構文分析へと移っていった」と述べ、「自/他動詞研究は、主語論をめぐる明治以降の『日本語文法の英文法化』に並行している」と指摘しています。
 終章「モントリオールから訴える」では、「茶髪で偽装する日本人を見て、私が想起せざるを得ないのは我々の母国語、日本語の不幸である」と述べたうえで、「本書で扱った問題は、日本語に関心のある日と、特に日本語教師の方々に知ってもらいたい」として、「日本語の文法を今こそ、借り物の第二英文法ではなく、日本語そのものに根ざしたものに変えよう、余計な髭をオッカムのかみそりで落とし、さっぱりすっきりした21世紀の新文法にしよう」と主張しています。
 本書は、当たり前に思っていた学校で習った日本語の文法を、もう一度自分の頭で考えさせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 多くの人にとっては、これまで国語の時間に、まずは主語は何か、最初に「は」や「が」を探せ、ということで主語を探すという習慣ができているのではないかと思います。また、文章を書くときも、「主語を明らかにしろ」という指導が学校でもなされていたのではないかと思います。そういった教育を散々受けてきた人たちが世の中の大多数である中で、主語は要らない、ということを主張されることは非常にインパクトがある反面、「常識」に対して立ち向かうのは相当の労力なのではないかと思います。


■ どんな人にオススメ?

・文章を読むときに主語を探してしまう人。


■ 関連しそうな本

 金谷 武洋 『主語を抹殺した男/評伝三上章』 2008年01月19日
 金谷 武洋 『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』 2008年02月03日
 金谷 武洋 『日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語』
 三上 章 『象は鼻が長い―日本文法入門』
 庵 功雄 『『象は鼻が長い』入門―日本語学の父三上章』
 三上 章 『現代語法新説―三上章著作集』


■ 百夜百音

風になりたい【風になりたい】 THE BOOM オリジナル盤発売: 1995

 今では高校の音楽の教科書に載るほどポピュラーな曲になっているそうです。ブームのデビュー当時の姿を知る世代の人間にとっては、沖縄音楽のイメージだったりブラジル音楽だったりでよくわからないバンドだったりします。

『風になりたい(Samba,Novo)』風になりたい(Samba,Novo)

投稿者 tozaki : 2008年02月09日 06:00

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