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2008年03月27日
花失せては面白からず―山田教授の生き方・考え方
■ 書籍情報
【花失せては面白からず―山田教授の生き方・考え方】(#1162)
城山 三郎
価格: ¥420 (税込)
角川書店(1999/01)
本書は、作家である著者、城山三郎氏が、一橋大学の恩師である経済学者、山田雄三氏との関わりを通じてまとめた、著者の「自己形成史」ともいえる一冊です。
本書のタイトル、「花失せては面白からず」は、『花伝書』の言葉、「花なくば面白き所あるまじ」を誤って覚えこんでしまったところ、「記憶ちがいの断定的な表現が叱咤するひびきを伴なって、私の中に根づいてしまっており、私流に意訳した言葉としてそのまま使わせて頂いた」と述べています。
第1章「生涯を決めたひと」では、一橋大学の山田ゼミに入った著者が、終戦直後、「経済の早急な再建が必要」であり、「限られた資源や所得の配分を、どうするか。資本主義的手法で行くのか。社会主義化するのか」、そして、「ケインズか、マルクスか」のホットな対決の中にありながら、モルゲンシュテルンの『Theory of Games and Economic Behavior』をテキストに使い、「まるで別の時間が流れていた」ことに戸惑いを覚え、「現実はさておき、数学にはじまり、数学に終わる。きらびやかな世界の中だけでの舞い。空の舞台で空しい舞を舞うだけ。その自己満足でいいのか。いや、満足どころか、不満を溜めるだけにならないのか」との迷いから、「やめさせて頂きます」で結ぶ手紙を教授に送ったことを語っています。この手紙に対して、教授からは、「便箋数枚ににもわたる分厚い手紙」が届いたとして、その内容を紹介しています。山田教授は、経済学では、「いろいろむずかしい形式化もやりますが、問題は詮ずるところ個人と全体との在り方や人間の行動の仕方を知るにある」と述べています。そして、著者に、「真に客観的な事実認識に徹しようとしている今日の社会科学の意義を誤解しないようにして貰いたい」、「多少ともこの科学性によって現代人の人間型がつくられていることを十分反省してもらいたい」と諭し、「自分の信念を正当化するために人はさまざまな言葉を用い、これによってイデオロギー的『理論』をつくりあげ」るが、「このような言葉の外飾をはぎとってその奥なるものを見抜くことは実証的研究のやるべき第一の仕事」であると強調しています。さらに、「社会や歴史の動きには力の関係はつきものであって、それがこの世から直ぐに消え去るとは思われません」としながらも、「力の講師者といえどもまた常に敵の出方を考慮に入れて自分の態度を決め、敵も又こちらの出方を考慮して戦略を策するであろうということであり、ここにも、極めて複雑化してくるけれども力の法則というべきものの客観的認識が必要になる」と述べ、「この問題をつかむことこそ最も重要な社会科学の仕事であって、それがまた大きく現代人の性格に影響して」いると語っています。山田教授は結論として、
(1)実証的な社会科学の仕事は君が今考えている程そんなに華々しいものではない。
(2)このような社会科学の仕事は実は現代人の人間型のうちに地となり肉となりつつある形成要素である。
の2点を「君に考えて貰いたい」と述べています。
この手紙を読んで、教授に詫び、ゼミに戻った著者は、家族の介護のために実家のある名古屋に戻り、そこで、愛知学芸大学の教官の仕事を得ることになりますが、ここでも「常識に欠けていた」として、「仮にも学者の世界に進む以上、何よりもまず教授に相談し、その御意見を伺うべきであった」と語っています。
その後著者は、『輸出』で文学界新人賞を受賞、『総会屋柳城』で直木賞を受賞したことをきっかけに、大学から退き「文筆一本に」なったが、著者の作品のテーマは、「組織の中で人間はどう生きるか、人間にとって組織とは何なのか」というものであり、教授から、経済学とも「全くちがう世界ではないんだよ」というニュアンスの話が届いたことで、「敵前逃亡を許されたような、ほっとした気分になったりした」と語っています。
第2章「静謐のひとに激動の世」では、「自らのことを語らぬ人」である山田教授の生い立ちや、一橋大学における「白票事件」などの騒動の中で「あえて火中の栗を拾う」かのような挙に出ていたこと、ベルリンの短期滞在の後のウィーンへの留学時代のことなど、「静謐とは遠い出来事が教授を巻き込み、また若い日の教授がこれに正対する時期であった」と
また、著者がゼミナールを辞めるべきか悩んでいた時期に、教授自身も「この時代に教科書風の物を書いたり、『ゲーム理論』のような難解なものを追ったり、やや分裂症気味であった」と苦悩していたことが語られています。
さらに、昭和63年に「教え学ぶ学問と求め探る学問」について教授が語った中で、「研究的な学問の立場」について注意すべき点として、
(1)われわれは全体よりも部分を、一般よりも特殊を重視しなければならない。
(2)われわれは正常よりも異常を、調和よりも不調和を出発点としなければならない。
(3)われわれは一元論よりも多元論を、独裁制よりも民主制を基盤としなければならない。
の3点を挙げていることを紹介しています。
第3章「二人ゼミナール」では、教授と著者との対話の中で、教授が、「自由主義というものの中に、生来、秩序があるという考え方」などの「自由主義の調和論は不賛成」であると語っていることを紹介し、「むしろ自由とself-interest(個人利害)と結び付けて現実に調和を生む自由を強調」するという言葉を取り上げています。
また、戦後すぐ、日本でいち早く取り上げたゲーム理論について、「なんか題目もおもしろいし、何が書いてあるかと思って」入手したが、「ゲームの理論は予想を外れてだめだった。数学の本でね。あんまり数学的すぎてね、途中で放棄しちゃった」と語っていることを紹介しています。
さらに、教授が、「自由主義もしくは民主主義は、価値多元間の相互批判的調整である」と語っていることを取り上げ、合意のあり方について、「価値の問題に関する限りは、なんか多数決のようなもので決定していく他はない」と述べ、「結局は合意という一種の多数決」を尊重しなければならない、と語っていることを紹介しています。その上で、「事実に限定して合意を求めるということは大賛成」だが、「価値の問題について合意を求めるとなると、むしろ私は妥協とかね、あるいは駆け引き、そういうものが必要になるんじゃないか」という言葉を紹介しています。
第4章「引退後も『おや』の連続」では、大学を引退された後の教授のエピソードを紹介した上で、「まるで、会う度に変化し成長している若者でも見るようで、こんな言い方をしては失礼だが、『老いて、さらに新鮮』とでも言う他なかった」と語っています。
著者は、「人生の季節季節のあるべき姿を、さまざまな形で私は教授から教えられた気がする」と語っています。
第5章「花失せては面白からず」では、謡曲に明るい教授が、『花伝書』の中から、
「花なくば、面白き所あるまじ」
という言葉と、「一見これとは全く逆の文句」があるとして、
「花の萎れたらんことこそ面白けれ」
という言葉を取り上げ、「こうした矛盾を、きみはどう考えるのか」という宿題を課されたことを語っています。
著者は、「今日残った宿題はなんですか。次までに何を考えればいい?」という言葉が、「いまも多摩の方角から、教授の声が聞こえてくる」と述べ、「93歳の師と68歳の弟子の二人だけのゼミナール」の準備をしなければ、と語っています。
本書は、山田雄三教授という稀有な経済学者の人生を通して、学ぶこと、研究することの意味を考えさせくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
城山三郎氏の小説は面白いらしいとは聞いていながら、結局読むのは本書がはじめてでした。この文体なら読みやすそうでいいですね。
とりあえず、学生時代に勉強することが社会で何の役に立つのか、という悩みは多くの人にとって一度は経験のある問いかけではないかと思いますが、そういう人にはぜひ山田教授の手紙を読んでいただきたいです。
でも、「学校の勉強は役に立たない」といっている人の場合、「簡潔に一言で言え」とか言い出しかねないのが難点ですが。
■ どんな人にオススメ?
・学ぶこととは何かを知りたい人。
■ 関連しそうな本
鈴木 光男 『社会を展望するゲーム理論―若き研究者へのメッセージ』 2008年03月17日
城山 三郎 『官僚たちの夏』
城山 三郎 『城山三郎全集〈第3巻〉毎日が日曜日.輸出』
John Von Neuman, Oscar Morgenstern 『Theory of Games and Economic Behavior』
ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
ノーマン マクレイ 『フォン・ノイマンの生涯』
■ 百夜百マンガ
昔のHR/HM好きにはたまらない「フライングV」大フィーチャーの作品。元はテレビアニメながらも例によってコミカライズでは原作は無視。
ちなみに、三井物産マニラ支店長誘拐事件の被害に遭った若王子さんが課長になると「課長若王子」になるのでしょうか。
投稿者 tozaki : 2008年03月27日 07:00
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【課長王子外伝 】