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2008年03月05日

数学者の無神論―神は本当にいるのか

■ 書籍情報

数学者の無神論―神は本当にいるのか   【数学者の無神論―神は本当にいるのか】(#1140)

  ジョン・アレン・パウロス (著), 松浦 俊輔 (翻訳)
  価格: ¥1995 (税込)
  青土社(2007/12)

 本書は、「神様がいるという論証にはいろいろとお目にかかった」著者が、「そこには足りないところ」があり、「そのすべてには非論理的なところが内在している」ことを取り上げたものです。著者は、原著のタイトルである「無宗教(イレリジョン)」を、「宗教だけでなく、他人の信じやすさが信じられないことに発する主題、論法、疑問」と解説しています。
 著者は、「宗教的な伝統や理想や祭祀」いっさいに何の価値も認めないということではなく、「私はずっと無神論者/不可知論者であり、本書では、ひょっとするとあなたもそうなっていいい(あるいはそのままそうでいていい)理由を説明しよう」としていると述べています。
 第1章「四つの古典的論証」では、
(1)第一原因論法(および不必要な仲立ち)
(2)デザイン論法(および創造主義者の計算)
(3)人間原理による論証(および確率論的終末論)
(4)存在論敵証明(および論理学的おまじない)
の4点を取り上げています。
 (1)については、「世界は象の上に載っていて、その象は亀の上に載っている」と話すヒンドゥー教徒が、「その亀はどうなっているのか」と問われると、「話を変えましょう」と応じる、という話を紹介した上で、「すべてのものに原因があるのか、それとも原因のないものがあるのか。どちらの方針をとろうと、第一原因論は破綻する」と指摘し、「オッカムの剃刀」で剃り落とされるものであると述べています。
 (2)については、「認識された目的あるいは複雑さを、造物主たる神様のしわざとする」ものであると述べた上で、「複雑なものを『説明』するために、もっと複雑なものに訴えていた」ことを指摘しています。
 (3)については、「この宇宙の基本的な物理的定数が、我々が存在できるように『微調整(ファイン・チューンド)されて」いて、そのように正確に調節されていなかったら、われわれが出てきてそれを観察することもなかっただろう」としていることについて、「物理法則の定数が別だったら、あるいは物理定数の生命を許容する値の幅が、人間原理が想定するよりもずっと大きかったら(そうであってもおかしくない)、別の、もしかすると非炭素型の生命がありえて、それが発達するだろうと応じることもできる」と述べています。
 (4)については、存在論的証明が、「紀元前4世紀から5世紀のストア派の論理学者までさかのぼる、自己言及の逆説も頭に浮かぶ」として、「すべてのクレタ人は嘘つきである」という逆説などを紹介しています。
 著者は、「宗教的類論のもっとも平凡な手管」として、「かくかくが成り立つなら、必然的にしかじかが出てくる」という「何かを肯定するように見える仮言命題」をあげ、「仮言命題を立てる試みで用いられる論理は手が込んでいることもあるが、前提は保証されていないので、結論も保証されていない」と指摘しています。
 第2章「四つの主観的論法」では、
(1)めぐりあわせ論法(および9月11日にあった奇妙なこと)
(2)預言論法(および聖書の暗号)
(3)主観からの論証(および信仰、空しさ、自我)
(4)介入からの論証(および奇跡、祈り、証し)
の4点を取り上げています。
 (1)については、「めぐりあわせ(コインシデンス)に魅了され、そこに意味を読み込む心理的傾向は、多くの人々にとって、神様がいることを示す論拠となり、人によっては偏執的な妄想の誘因ともなる」と指摘した上で、「何かが起きた後にあれこれ操作する例はいくらでもあるが、それで言えることは明らかなはずだ」として、「どんな日付であろうと、どんな言葉や名称の集合であろうと、似たようなことは難なくできるだろう」と述べています。そして、「神様を信じるための論証には、こうしためぐりあわせに意味があると信じる気になる心理的な弱点と無関係ではないものが、いくつかはあるのではないか」と指摘しています。
 (2)については、聖書の最初の五書、トーラーに「いわゆる等間隔文字列(エクィディスタント・レター・シーケンス)、つまりELSがたくさん含まれていて、それが人と事件と日付との無視できない関係を預言しているとする」統計学の論文を取り上げ、「こうした文字列探しが人々の面前では行なわれず、これと思えるものが見つからない場合は捨てられ」、「面白い文字列が見つかったときだけ発表し、確率を単純に計算するだけなら、そうした文字列が、表面的に意味しているように見えることを実は意味してはいないことは確かである」と指摘し、「実際にとくべき本当の問題は、特定のELSが特定の位置に現れる確率ではなく、だいたい同じ意味のものも含めて何かのELSが、テキストのどこかに、何らかの形で出てくる確率ということになる」と述べています。
 (3)については、「ただただわかる。神を骨身にしみて感じる」という論法は、「明らかに妥当ではないが、否定することもまず不可能である」と述べた上で、「この超越を求める希求をばかにすべきではない」が、「感情から断定へ移るのは、話が別だ」と述べています。
 著者は、「特定の宗教を信じる人々や、それに関係する人物や説話が、無神論者や不可知論者を理解できないと説くのはなぜか、何度も不思議に思ったことがある」と述べ、「自我とは、信じていること、知覚、姿勢などの常に変化する集合であり、本質的で永続する実体ではなく、頭で考えたキメラである」とする考えが、「社会全体で広く心の底から感じられるようになったら、その社会に対する影響は、計り知れないものになるだろう」と述べています。
 (4)については、「宗教と科学は一緒になって成長し、両立しないものではなくなったと説くのがいささかの流行になっている」ことに血打て、「私の見解では錯覚である」と指摘しています。
 第3章「4つの心理/数理論論証」では、
(1)定義替えからの論証(および理解しがたい複雑さ)
(2)認知の傾向からの論証(および単純なプログラム)
(3)普遍性論法(および道徳と数学の関連)
(4)ギャンブル論法(および思慮分別から恐怖にいたる諸感覚)
の4点を取り上げています。
 (1)については、「神様が存在することを言う論証では、多くが神様を別のものに定義しなおしている」と指摘した上で、この定義のしなおしによる論証の概略を、
1.神様は、実はかくかくしかじかのものである。
2.このかくかくしかじかのものの存在は、当然にあるとは言わなくても、いかにもありそうなものである。
3.ゆえに神様は存在する。
と示し、これを表す「蔑称的な言葉」として、「どちらともとれる(エクィヴォケーション)」と述べています。
 (2)については、人々が神様を信じたがることになる因子の中には、「生得の認知的な偏りや錯覚がある」が、「この同じ傾きを真実を告げるものと見る人」がいると述べています。
 (3)については、「文化の境を超えて、正しいと考えられ、間違っていると考えられることの類似は著しく明らか」であり、「これらの類似をいちばんよく説明するのは、それが神様に由来すること」であるとする論法について、「文化の境界を超えた道徳的な掟の類似は、ごく一般的な標準――殺人、盗み、子の養育、基本的な誠実さ――を除けば、紛れもなく決まるものでもないし、この説を唱える人々が声を大にして言いたいほどの類似ではない」と指摘しています。
 (4)については、もっとも有名なものとして、17世紀の哲学者ブレーズ・パスカルが唱えた「有名な賭け」について、「キリスト教徒になるのが好いとする論証」だが、「この論法は、パスカルのようなキリスト教の教義をすでに信じている人にのみ、説得力がある」と述べ、「パスカルの賭けは、数学的な装いはしているが、古くからの恐怖――天国の至福からはじき出される恐怖、果てしない責め苦を受ける恐怖、死の恐怖――による強力な論証とあまり変わらない」と指摘しています。
 著者は、「証拠を重んじ、曖昧なことを避ける非宗教的な人々を表すものとして提案されたことのある新語」として、ポール・ガイサートとミンガ・ファトレルによって提唱された「Bright(ブライト)」という言葉を紹介し、「いろいろな育ち方をした人々がもっとたくさん、ブライトであることを認められれば、もっとこの世のためになると思う」と述べています。
 本書は、多くの日本人にとってはあまりピンとこないかもしれませんが、実はここに挙げられているような論法は結構使っているかもしれない、と気づかされる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書と本書のタイトル(原題)は、日本人にとってはあまりインパクトがないかもしれませんが、大統領自らがあんなふうになっちゃっている国では相当の勇気がいるものだったのか、それとも数学者はそのくらい変わった人だと見られているのか、のどちらなのかも知れません。
 日本人も「神様を信じるか」と聞かれるのは、駅前で外国人に話しかけられた時くらいですが、「幽霊を信じるか」とか「霊魂はあると思うか」という質問だと、結構多くの人が「ありえない」という態度はとりにくいようです。


■ どんな人にオススメ?

・神様はいないと思っている人。


■ 関連しそうな本

 ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
 ブルース シェクター (著), グラベルロード (翻訳) 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』 2006年11月25日
 ウィリアム パウンドストーン 『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』 2006年09月11日
 シルヴィア ナサー (著), 塩川 優 (翻訳) 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』 2006年11月20日
 ジョセフ・メイザー (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『数学と論理をめぐる不思議な冒険』 2006年12月16日
 スティーヴン ウェッブ (著), 松浦 俊輔 (翻訳) 『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 2007年01月27日


■ 百夜百マンガ

臨死!! 江古田ちゃん【臨死!! 江古田ちゃん 】

 北海道出身者と裸族の人にはまずお奨め。タイトルの「臨死!!」はもはや意味不明なのですが、こういうのは担当の編集の人と考えるのでしょうか?

投稿者 tozaki : 2008年03月05日 07:00

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