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2008年03月21日

山谷ブルース

■ 書籍情報

山谷ブルース   【山谷ブルース】(#1156)

  エドワード ファウラー (著), 川島 めぐみ (翻訳)
  価格: ¥770 (税込)
  新潮社(2002/03)

 本書は、著者が、「1989年から1990年にかけて頻繁に山谷に通った16ヶ月間と、山谷に住み込んだ1991年の夏の経験」に基づき、
(1)山谷とその住人を徹底的に詳述することで通俗的な概念とはやや相容れない日本の側面を紹介すること。
(2)日雇い労働者と山谷在住・在勤者を描写して上記の記述を補うこと。
(3)日雇い労働者にとって仕事がいかに重要かを強調するために、路上生活の場ではなくれっきとした職場としての山谷に焦点をあわせること。
(4)ただの統計屋調査ではなかなか理解できないこの土地の味を出すため、山谷での個人的な体験を提供すること。
の4点を目的としたものです。
 著者は、好奇心から山谷の飲み屋の日雇い労働者たちにカメラを向けたことで、手痛い一撃を喰らい、このことをきっかけに、「できる限り学び取ろうと定期的に山谷を訪れるようになった」と述べています。
 第1章「舞台」では、「東京きっての荒廃地区」といわれる山谷が、1950年代末から1960年代初頭の全盛期には1万5千人に上る日雇労働者が住み、現在でも「宿」を反対から読んだ「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊設備を持つこと等の概要を説明したうえで、「非住民」にとっては、「山谷は個人の不摂生や過失のせいで人生に失敗した男たちの不潔な吹き溜まり」であるのに対し、「住民」にとっては、「避難所」であり、「どんなに小さかろうが再出発の可能性がつかめるかもしれない場所」であり、「交通の便が良く、酒、ギャンブル、お手軽なセックス、匿名性、それに何よりもすぐに手に入る収入の魅力が、解雇された労働者、地方出身のはぐれ季節労働者、借金取りから逃げ回る男、ばくち狂い、元詐欺師、元ヤクザを惹きつける」と述べています。そして、「山谷など寄せ場は国籍、民族、社会身分のために長い間差別されてきた人々の住処でもある」として、「不均衡に多い韓国人、中国人を始めとするアジア人、沖縄出身者、アイヌ、現在は集合的に被差別部落民と呼ばれる賎民の子孫が住んでいる」と述べています。
 また、「山谷最大の特色と本当の意味での中心部」として、「週末もほとんどの休日も関係なく毎朝5時(もっと早い場合もある)から7時まで数百人から千人を数える男が数ダース、いや百人入るかもしれない手配師の誰かが頷いて仕事をくれるのを期待して集まってくる」と、寄せ場の様子を紹介しています。
 さらに、ドヤ街について、第二次世界大戦後の数年間は大部屋式の宿泊施設と、「一段が大体一畳分で上下二段に重ねられ」、現在の「カプセルホテル」の発想の元になったと思われる「蚕棚」が一般的であったと述べたうえで、宿泊設備については、
(1)ベッドハウス:二段ベッドが備えられた相部屋
(2)個室式:家賃はベッドハウスの二倍
(3)ビジネスホテル:鉄筋コンクリート造りでセントラルヒーティングとエアコンを誇る
の3種類について詳述しています。
 第2章「生活」では、「山谷在住または山谷内外で仕事をしている人々と1989年の秋から1991年の夏にかけて交わした」会話を紹介しています。
 30代後半の日雇い労働者は、高校卒業後、大企業で働いていたが、地方支社への転勤を断って退職した過去を語り、「そういう会社を一度辞めたら、同じ仕事を他の会社で見つけるのはまず無理だ。目標を下げなければならない。時には相当、低くしなければならない。血の通っているものならたいてい雇ってくれる会社にまで、ということだ」、そして、「親父があの時、死なずにいてくれたらよ。大学にさえ行っていたら今頃は羽振りの良い会社で簡単な仕事について、人並みに身を固めて、お袋を喜ばせることができたろうに」と方っています
 また、組合「山統労」の幹事の男は、大学時代、付き合っていた女の子を妊娠させてしまったことから退学し、「山谷以外に行く場所は思いつかなかった」と語っています。同じく、山統労の幹事の男は、大学卒業直前に、「東京のど真ん中で男たちが寒さと飢えで死んでいるというのを読んで、見に行くことにした」ことをきっかけに、「気がつくと遊び半分で日雇い労働者として働いていた」と語っています。ライター、編集者である活動家の男は、学生運動にのめりこみ、「東京の山谷というところで男が餓死した」ことを新聞で読み、「この目で確かめないわけにはいかなかった」ので歩き回っているうちに、「何がどうなったのか気がつく前に、やくざのような男に引っ掛けられ、飯場に引っ立てられた」、「建設現場収容所の強制労働だ!」と語っています。横浜の寿町で会った組合の指導者は、「こんなに長くここに住んでいると本当にいろいろな人に接するから、日本社会の何たるかがよくわかってくる」として、「厳しい差別の被害者が多い」と語り、「日本人男性の約1パーセントが一生に一度はこのような寄せ場で働く」というが、「生徒が百人いる学級で、俺がその一人なんだろうな」と語っています。
 さらに、城北福祉センターの職員は、「普通わからない、ここの生活のもう一つの特徴」として、「ルンペン労働者階級の中にあるヒエラルキー」を挙げ、
(1)トビと職人:頂点にあり、稼ぎは多く、肩で風を切って歩き、大名であるかのように振舞う。
(2)土方:普通の、特別な技術を持たない労働者で賃金はかなり低い。
(3)アオカン者:いろいろな理由で働けない、あるいは働かないために、路上生活を余儀なくされている人たち。
の少なくとも3つの、「はっきりと異なる階級」があると語っています。
 この他、三井信託の銀行員だった70代前半の日雇い労働者は、自分の母親が駆け落ちして出て行ってしまっていたことを知ったショックから、放蕩成果を始め、「ありとあらゆる種類の女とかかわり始め、酒に溺れ、大金を使い果たし」た末、「結局、三井の資金に手をつけたところを捕まり、これで仕事がダメに」なり、「家族からは勘当され、妻には離婚された。僕はおしまいだった」と語っています。そして、山谷に流れつき、ドヤの事務員などを務めた後、上野公園を住処とした浮浪者の仲間に入り、レストランやバーを巡って、残り物の料理と酒を集め、取材をしていた読売新聞の記者に「発見」されたことで、「他紙に自分のコラムを持ったり、多数の有名人と知り合うきっかけ」になり、「遠藤周作のようなインテリとも酒を酌み交わす仲」になって「『文化人』を相手にする彼の対談集にも」出ていると語っています。
 また、釜ヶ崎のあいりん福祉センターで日雇い労働者の相談員を勤める漫画家は、「心に残る話を聞かせてくれる人たちに会い始めてから、その話は保存の価値があると思った」ことをきっかけにマンガを描き始めたと述べ、「寄せ場の面白さは、主流社会からどんなに隔離されているように見えても、残酷なくらい正確にそれを反映するところだ」と語っています。
 第3章「活動」では、山統労が後援する「山谷(ヤマ)を知るつどい」等の労働組合の活動の様子等を紹介しています。
 第4章「儀式」では、山谷で行われる「四大祭り」やヤマの男の葬儀の様子が紹介されています。
 第5章「仕事」では、1991年の夏に、実際に山谷に住み込み、日雇い労働者として工事現場で働いた経験が日記風に語られています。
 本書は、日本に長く住む日本人にも実態が知られていない山谷の住民の姿を伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 山谷と言えば泪橋、泪橋といえば「泪橋を逆に渡れ!」で知られる『あしたのジョー』ですが、今は川も埋め立てられてしまって泪橋は地名としてしか残っていないそうです。
 著者が滞在した1990年代初め頃は、欧米人は珍しかったようですが、2002年のサッカーのワールドカップをきっかけに、今では欧米のバックパッカーが安宿として多く利用しているらしく、著者が再訪しても「おい!ガイジン」と珍しがられることはなくなっているようです。


■ どんな人にオススメ?

・山谷というと岡林信康を思い出す人。


■ 関連しそうな本

 横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
 紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
 山本 雅基 『東京のドヤ街・山谷でホスピス始めました。―「きぼうのいえ」の無謀な試み』 2007年01月25日
 大山 史朗 『山谷崖っぷち日記』
 小板橋 二郎 『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』


■ 百夜百マンガ

獣神ライガー【獣神ライガー 】

 今となっては、プロレスラーの名前の方が有名ですが、当初はこんな「原作」というかネタ元があったようです。タイガーマスクの二番煎じといえなくもない。

投稿者 tozaki : 2008年03月21日 08:00

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