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2008年04月12日

看板建築

■ 書籍情報

看板建築   【看板建築】(#1178)

  藤森 照信, 増田 彰久
  価格: ¥1680 (税込)
  三省堂新版版 (1999/07)

 本書は、東京を中心に、道路に面して、看板のようなファサードを持つ特徴的な建築物である「看板建築」について紹介しているもので、1988年、1994年に刊行されていたものが、1999年に「新版」として出版されたものです。
 著者は、全国にあった、「昔ながらの二階、まれに三階の木造建築」を、「店と住宅との併用建築が多く、そうしたにぎやかな中に店を仕舞った静かな『仕舞屋』もまじり、なかなか風情のある町並みを形成していた」と評した上で、「そうした戦前までに生まれたストリートの光景」が。「空襲で焼かれ、高度成長で壊され」、三十年前には、まだ「なんとか町並みとして認識できるていどには残っていた」が、バブル経済が湧き立ち、そしてはじけてみると「もはや町並みとしては消滅し、焼け残りの棒ぐい状に転々と残るに過ぎない」と述べています。
 第1章「出会い」では、「看板建築」という言葉が、昭和50年10月11日の日本建築学会の席上で、当時27歳だった著者によって発表されたこと、著者が、「この名もなき木造二、三階建ての商店建築で面白いと思ったのは、そのファサードのデザインであった」ことなどが述べられています。
 そして、この建築様式が、「東京だけのものじゃなくていろんな町に立っていることがわかってくるが、しかしことは単純ではなくて、いろんな町と言っても日本全国一律ではなくて偏りがあることが明らかになって」きたと述べています。
 第2章「江戸・東京の商店はどんなものか」では、「出桁(だしげた)」によって「支えられた軒先が強く印象づけられる」江戸風の造り方である「出桁造」について、「この形式が、江戸・東京の商店建築の伝統のベースになっていると述べています。
 そして、この出桁つくりは、「ベースではあったがトップではなかった」として、「純粋に木造で木材が表に露出しているから火に対して弱く、お金のある商人は防火対策上、出桁造を好まず」、
・蔵造(くらづくり):木造の上に土を厚さ五寸以上土を盛るもの
あるいは、
・塗屋造(ぬりやづくり):木造の上に盛る土の厚さが五寸未満のもの
を好んだと述べています。
 第3章「大震災が街を根こそぎ変えた」では、「大正12年9月1日までの東京の商店街は、江戸の延長の上に発達していた」として、「銀座と並ぶ東京の中心商店街の日本橋大通は、関東大震災の前まで、蔵造の街」であり、「他の下町地帯の商店街のほとんどすべてが、蔵造、塗屋造、出桁造といった伝統形式で造られていたと考えても間違いはない」と述べた上で、関東大震災によって、「土壁が落ちて丸裸となったただの木造商店は、火の攻勢の前にひとたまりもなかった」と述べ、その後、焼け跡に立ち上がった、バラックの商店が、「やがて看板建築の誕生に大きな影響を与えることになる」と解説しています。
 そして、バラック商店の造りで注目すべき点として、
(1)木造であること
(2)ファサードは平坦に仕上がっていること
の2点を挙げ、商店がバラックで急場をしのいでいる間に、政府は、「これまでの狭い道を広げ、新しい道を通し、大小の公園を作り、魚河岸を築地に移し」といった都市計画を立案し、そこに、「区画整理」という新しい手法を用いたことを解説しています。この区画整理が、「震災の後5年かけて東京中で行なわれ、昭和3年に完了した後、はじめて、新しい敷地の上で、本建築が許されるようになる」として、「そして、看板建築が誕生する」と述べています。
 第4章「看板建築の使われ方」では、「震災を境とした商店建築の変化」として、
・中心商店街の変化
   蔵造→表情豊かなバラック→アール・デコ・ビル
・周辺商店街の変化
   出桁造→ただのバラック→看板建築
と模式的に表しています。
 そして、看板建築の共通点として、「通りに面した表半分を店にし、裏半分を住まいにしている」ことを挙げるとともに、看板建築の「三層目に当たるところがたいへん珍しい形をしている」として、「マンサール屋根」という「将棋の駒のような腰折れの屋根になっている」ことについて、「自由が許される近代の中で、なおかつ"軒並み"が生まれるとしたら、その強制力は法令しかない」として、当時の「市街地建築物法」の「三階建ての禁止」の規定に着目し、当時の警視庁の係官が、「マンサールっていう屋根の造り方」にすれば、「部屋としても使えるし、屋根だから階にはならない」と指導していたことを解説しています。
 第5章「看板建築の表現」では、「日本の町屋は屋根を見せる」という「日本の商店の造り方の伝統の中で、看板建築は、屋根の代わりに壁面を前面に押し出して見せ場とした」と述べています。
 また、看板建築の「デタラメなデザインの中で、ひとつ注目に値し、かつ強調しておきたい」点として、「銅版を貼って仕上げた看板建築に特徴的に観察される<江戸趣味>の問題」を挙げ、「戸袋や手摺やいろんな部位に表れている<江戸小紋>」が問題となるとして、「亀甲崩し、七宝つなぎ、麻の葉、青海波、網代、亀甲、矢羽、竹といった紋様が銅版で浮き出されている」ことを指摘し、「洋風を表に立てながら、その影に江戸趣味が咲いている」理由として、「下町の文化の伝統」を挙げ、「看板建築は、洋風デザインをベースにしながら、しかし洋風だけでは満たされない下町の商店主や職人たちの心の底にたまる江戸の記憶を呼び覚まし、形を与えたのだった」と述べています。
 第6章「広がりの中で」では、「やや広い目で見た看板建築」について、
(1)東京以外の地域での看板建築はどうなっているのか。
(2)前近代から近代そして現代へと続く商店街の長い歴史の中で看板建築とは一体なんだったのか。
の2つのテーマを挙げています。
 そして、前者については、「看板建築の地域分布は、東京を中心に関東平野全域に広がっている」が、「西日本には、建物の表を銅版で包んだようなシロモノは建っていない」と述べ、「銅版貼りの看板建築は、関東地方と中部地方(北陸、韜晦、甲信越)の2つに分布すると見られる」として、「やはり震災後の東京がその発生源であったと見ていい」と結論づけています。
 また、後者については、「消費的なデザインとファサードの重視」を「看板建築の性質」であると述べ、「東京は、看板建築の誕生によって、近代という名の<消費の時代>へ、街ぐるみ突入したのだった」と指摘しています。
 本書は、関東大震災によっていったんリセットされてしまった、再生後の東京の姿を捉えた一冊です。


■ 個人的な視点から

 古い町並みというと、看板建築以前の出桁造や蔵造、塗屋造の町並みがイメージされ、そういった町並みが今では「江戸を偲ばせる」、「小江戸」などということで観光地化していますが、大正以来昭和までの「東京」の町並みである看板建築については、単に古いものとして次々に壊されてしまっているのは寂しいことです。
 街は生き物だから仕方のない部分もあるのかもしれませんが。
 ところで、Amazonではこの本にプレミアがついていて、14,800円してました。


■ どんな人にオススメ?

・古いものはありがたがるけど、ちょっと古いだけのものには目もくれない人。


■ 関連しそうな本

 藤森 照信, 増田 彰久 『建築探偵 神出鬼没』
 藤森 照信 『建築探偵の冒険〈東京篇〉』
 藤森 照信, 増田 彰久 『建築探偵奇想天外』
 藤森 照信 『日本の近代建築〈下 大正・昭和篇〉』
 藤森 照信 『明治の東京計画』
 鈴木 博之/藤森 照信/隈 研吾/松葉 一清/山盛 英司 『奇想遺産―世界のふしぎ建築物語』


■ 百夜百音

OZ MEETS JAZZ(2【OZ MEETS JAZZ(2】 オムニバス オリジナル盤発売: 2004

 J-Waveのトラフィック・インフォメーション(カルナヴァル・プラ・マニャン)とウェザー・インフォメーション(ウォーキング・トゥゲザー)の曲が収録されています。車に乗る機会が少ないと無性に聞きたくなってしまうのです。
 ともに、下記のサイトから試聴することができます。
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1796641


『TVドラマ「あしたの喜多善男」オリジナル・サウンドトラック』TVドラマ「あしたの喜多善男」オリジナル・サウンドトラック

投稿者 tozaki : 2008年04月12日 12:00

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