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2008年04月24日

新聞があぶない―新聞販売黒書

■ 書籍情報

新聞があぶない―新聞販売黒書   【新聞があぶない―新聞販売黒書】(#1190)

  黒薮 哲哉
  価格: ¥1785 (税込)
  花伝社(2006/01)

 本書は、「新聞のブラック・ボックスを解明したもの」であり、「日本の新聞社の大半が採用してきた『押し紙』政策(新聞販売店に対する新聞の押し売り)を中心に据えた経営構造が、いかに深刻な人間疎外を生み出し、ジャーナリズムの精神に反するかを指摘し、メディアが堕落した原因を、経営構想の中に位置づけようとしたルポルタージュ」です。
 著者は、新聞社という「巨塔の足下」に、「新聞記者の立ち入りが厳しく禁止された『特別地区』」があり、「住人は40万人あまり。独禁法も労基法も施行されていない。時には犯罪者が身を潜める。情報産業の裏庭、いわゆる新聞販売の現場である」と述べています。
 第1章「新聞社の下部構造――新聞販売の現場から」では、「新聞販売店に搬入される日刊紙は売れ残っても返品の対象にはならない。新聞発行本社は、販売店に搬入したすべての新聞について卸代金を徴収する」とした上で、「収益を上げるために必要部数をはるかに超えた新聞を搬入することが半ば当たり前になっている」として、「こうした商慣行が原因で配達されないまま、販売店に残った新聞のことを『押し紙』と呼ぶ」と解説しています。
 そして、「押し紙」をめぐる裁判で、「配達されずに残っていた新聞の部数をめぐって両者の間で主張が食い違う」原因として、「実際に配達される新聞と『押し紙』の区別を書類上でつけない商慣行になっている」ことを挙げています。
 また、「新聞社が執拗に『押し紙』の存在を否定する理由」として、
(1)社会的な信用度が企業存続の絶対条件である新聞社が、販売店に対して新聞の押し売りをして、莫大な利益を上げている事実が公になれば、世論の批判を免れないこと。
(2)『押し紙』が独禁法に抵触すること。
の2点を挙げています。
 さらに、販売店が、「多量の『押し紙』を引き受けながら」、経営が成り立つ理由として、「販売店が『押し紙』部数に相応した折込チラシを水増し、しかも、これらのチラシの折込手数料を徴収している」と述べています。
 その上、「『押し紙』によって生じる損失を折込チラシの水増しだけでは相殺できない」ため、「販売店の赤字を、発行本社が補助金を投入することで埋め合わせる」と述べています。
 著者は、「『押し紙』が第一の不正を呼び起こし、折込チラシの水増しが第二の不正を誘発し、さらに裁量による補助金制度が第三の不正の温床となる」として、「新聞社の販売局がブラックボックスといわれるゆえんである」と述べています。
 第2章「『押し紙』の実態」では、「新聞関係者の手で全国規模の『押し紙』調査がなされたのは新聞史の中でたった一度しかない」として、1977年に日本新聞販売協会が実施した「残紙調査」を取り上げています。
 そして、「一般紙の総発行部数が4700万部を優に越える日本の新聞社が腕を組んで、反共キャンペーンを展開すれば、共産党といえども太刀打ちできない」と指摘しています。
 さらに、「押し紙」の実態について、右翼の政治団体・正気塾の中尾征秀郎塾長代行が『スキャンダル大戦争』のインタビューで、東京都の『広報東京都』や『都議会だより」が実際には配達されていないことを、「東京都民の税金」を「騙し取っている」「詐欺」であると語っていることを紹介し、このインタビューが世に出て数日後に、「正気塾の幹部3人が警視庁公安部に逮捕」されるという「不可解な事件」が起きたと述べています。そして、その半年後には、発行元である鹿砦社の松岡利康社長が、別の単行本における名誉毀損で逮捕され、長期拘留されている事態を「明らかに異常だ」と述べています。
 第3章「ABC部数の表と裏」では、日本ABC協会の目的が、「広告の媒体となる新聞及び雑誌の部数並びに分布状況等を公正に調査、確認することにより、広告及び宣伝の合理化を図り、もって国民の文化的生活の向上に資すること」とされているにもかかわらず、その役員構成から判断すると、決して広告主の利益にかなう勢力図にはなってはないない。むしろ新聞社の権限の方が強いような印象を受ける」と述べています。
 そして、「ABC部数を決める実質的な権限を握っているのは誰かという観点から考えれば、折込チラシ水増しの現況は自ずから明らかとなる。それは新聞社である」と述べた上で、広告主の対応が、
(1)正確に折込定数と同じ枚数の折込チラシを依頼する広告主
(2)折込定数よりも少ない枚数を依頼する広告主
(3)折込チラシの配付枚数を折込定数よりも多めに設定する広告主・・・自治体などの公共団体に該当する組織が大半を占める
の3つのグループに分類されるとしています。
 また、「ABC部数を修正すれば、すべてが簡単に解決するようにも思える」が、「広告主が新聞社に対して賠償請求するなどの動きを起こす恐れがある」上、「もし、数年前までさかのぼって補償するように請求されたらパニックになりかねない」と述べています。
 第4章「片務契約と拡販戦争」では、「読売新聞の拡張員」が、「自ら暴力団の組員であることを明かしてから、購読を迫ってきたケースもある」ことや、購読を中止した毎日新聞が投函され続けたことについて、「おそらく販売店に新聞が余っているのだ。『押し紙』である」として、「景品を提供する代わりに無料で新聞を配達し続け、2ヵ月後か3ヵ月後に購読の再契約を迫る」という「販売戦略」であるという著者自らの体験を語っています。
 そして、新聞社と販売店の契約書のコピーを紹介し、「取引先企業が所有している帳簿類の閲覧権を、パートナーが有していることなど普通はあり得ない」と指摘しています。
 また、読売新聞社の理不尽な販売政策に対して、裁判に踏み切った販売店(YC広川)が、
(1)筑後読売会から脱会。
(2)息子(販売店の従業員)は退職。
(3)労災関係は一切、打ち切る。
(4)書類関係は一切、提出しなくてもよい。
(5)1500部ぐらいの店は、本社は捨ててもよい。
(6)今後はYC広川を死に店として扱う。ただし、新聞だけは供給する。そうしないと、自分がお縄になる。
という方針で対抗措置をとられたことを解説し、「販売店と新聞社の商契約は、新聞社が法的に優越的な地位を確保するための役割しか果たしていないのが実情だ」と述べています。
 著者は、「専売店制度の導入こそ、日本の新聞業界がメディア史上で侵した最大の誤りだった」と指摘し、「読者が自分の意思で新聞を選択する機会を狭め」、「ジャーナリズムの母胎であるはずの新聞社を、収益最優先の組織へ変えていった」と述べています。
 第5章「日販協の政界工作」では、「言論機会が特定の政党と関係を持つのは、新聞の公器性を考えたとき、世論の批判を免れない」ため、「新聞販売店の業界団体である日販協が中心になって」政界工作が進められたらしいと述べています。
 そして、「新聞の部数至上主義に走り、激しい拡販競争を展開し、挙句の果てには『押し紙』によってバブルのように膨れ上がった現在の新聞社を存続させるには、グレーゾーンの中で、公権力の顔色をうかがいながら、詐欺的な新聞の商取引を続ける以外に道がない」ことこそが、「新聞社の販売政策が招いた悲劇ではないだろうか」と述べています。
 本書は、毎朝届く新聞を支える「ブラックボックス」を少しだけ覗かせてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 昔は新聞の拡張団と言えば893か苦学生と相場が決まっていたものですが、最近は女性や気の弱そうなサラリーマン風の人もやってきます。警戒されない分だけ成績がいいのかもしれません。


■ どんな人にオススメ?

・新聞の勧誘におびえた経験のある人。


■ 関連しそうな本

 崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
 河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
 本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
 今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
 河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
 吉原 勇 『特命転勤―毎日新聞を救え!』


■ 百夜百マンガ

はだしのゲン【はだしのゲン 】

 今でこそ、道徳の教科書みたいな扱いですが、もともとの漫画としての破天荒さというか、そういう部分があるからこそ受け入れられたのではないかと思います。

投稿者 tozaki : 2008年04月24日 23:00

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