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2008年04月27日
占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎
■ 書籍情報
【占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎】(#1193)
今西 光男
価格: ¥1470 (税込)
朝日新聞社(2008/3/7)
本書は、『新聞 資本と経営の昭和史――朝日新聞筆致・緒方竹虎の苦悩』の続編であり、敗戦以後の、「混沌の時代であり、激動の時代」を描いたものです。
第1章「『朝日内閣』と児玉誉士夫」では、1945年8月17日に成立した東久邇宮内閣の実体が、「緒方朝日内閣」であり、東久邇宮は緒方に、「言論人としての文筆能力、世論の動向に対する洞察力」を期待していたと述べています。
そして、「一億総懺悔」の表現が厳しく批判された、首相の発記者会見が、「五箇条の御誓文」を用いるなど、「緒方のシナリオによるものだった」と述べた上で、「日本再建のためには一億国民が一致団結して対処する必要がある」と強調するあまり、「その出発点である反背・懺悔を『一億総懺悔』と表現した」ことを解説しています。
第2章「マッカーサーの顔色」では、緒方と吉田茂が、「吉田が田中義一内閣の外務次官であった頃から旧知の間柄だったが、それほど深い関係ではなかった」と述べ、「もし、このとき、緒方が大磯に逼塞していた吉田を外相として推さなかったとしたら、あと4日で満67歳になる吉田に、その後の宰相への道が開けたかどうか」と述べています。
第3章「戦争責任と『十月革命』」では、朝日新聞東京本社社長村山長挙が、「社員に『聖戦完遂』を鼓舞し、『戦争新聞』をつくらせてきた最高責任者」であったことから、「自らが『戦争犯罪者』の列に連ねられることへの恐れがあった」と述べた上で、「社内体制の刷新計画」を練った、千葉、香月、白川、細川、嘉治、佐々の6人組が、連名の申し入れ書として、「社長、会長はその地位を退き社主の地位につかれたし」などのの4項目を村山社長に提出したことを述べています。
そして、「30歳のとき(1918年)に白虹事件の処理にかかわって以来、『資本と経営の分離』こそ、朝日新聞の経営安定、編集の独立に不可欠の課題と認識していた」緒方が、「この機会に抜本的に、資本と株の問題に切り込まなかった」理由として、
「緒方が主導して1924(昭和17)年5月の株主総会で朝日新聞の定款を改正」し、「議決権を5%以下に限定する」規定がある以上、「所有株式について更なる制限を重ねる必要は感じられなかったということが考えられる」と述べるとともに、「左派の活動家がリーダーシップを握る従業員組合が、相対的に朝日社内で影響力を拡大することに対する懸念もあったのであろう」と述べています。
第4章「徳田球一が読売新聞を握った」では、読売新聞社長の正力松太郎が、「自分の戦争責任追求につながる社内の動きは絶対に認めない」と強く決意していたことを述べた上で、1945年10月23日に始まる第一次読売争議で、11月10日に、「読売闘争支援の1000人のデモ隊が読売本社に押しかけてきた」時には、「正力は『「共産党が来るぞ」という通報にあわてふためき『下駄箱に頭を突っ込んで尻を出していた」、そして配下に注意されて非難した」と山本潔の『読売争議』に描写されていることを紹介しています。
そして、正力が弾圧した「第一次共産党事件」で検挙された徳田球一日本共産党書記長が、「18年間の獄中生活を非転向で貫き、1945年10月10日に出所」したばかりであり、「弾圧した者とされた者、敗戦の結果、一転して戦犯容疑者とその告発者の立場に変わり、調停交渉は二人の宿命的な対決の場になった」と述べています。
また、「徳田の最大の誤り」として、正力が保有する株に「重大な関心を持たず、きちんと詰めておかなかったこと」を指摘し、徳田が「株取引は資本主義の手段で、手を汚すことが考えていた」と述べています。
第5章「GHQ、社主家、三等重役、そして労働組合」では、GHQと吉田政権の圧倒的な圧力の前に、新聞ゼネストが挫折し、その後、「朝日の労働組合はいわゆる『右旋回』し、経済闘争を重視する企業内組合の道を歩むことに」なったと述べています。
第6章「社主家の攻勢と『アサヒ・マン』」では、朝日新聞の長谷部社長が、GHQのインデボン新聞課長から「朝日新聞社内の共産党関係者のリスト」を提示され、「共産党分子を『徐々に排除すべき』で、一時に大勢を排除するのは望ましいことではない」と告げられていたと述べています。
また、後に昇進したインデボン中佐が、「彼の朝日新聞関係のスパイを、アサヒ・マン」と呼んでいたことについて、「当時、風評にその名があがったのは、『十月革命』で村山とともに退陣した鈴木文四郎だった」と述べています。
第7章「公職追放と『フジヤマのトビウオ』」では、1949年の「夕刊朝日」の創刊号から、「四コマ連載漫画にはほとんど無名だった長谷川町子を創刊号から起用、その『サザエさん』が大評判になった」と述べ、もともとは、「福岡の新興夕刊紙『フクニチ』に1946年4月22日から連載された」と述べています。
第8章「朝鮮戦争と『ゾルゲ』の呪縛」では、1950年7月11日夜、朝鮮半島への出動拠点になった北九州・小倉の米軍城野キャンプから、「前線出動を忌避する黒人兵200数十人が集団脱走」し、「脱走兵の一部は民家に乱入して略奪や暴行事件を惹き起こし、鎮圧のMPとの銃撃戦も起こし、市民はパニックになった」と述べ、「この騒ぎは米軍によって関連報道がすべて禁止され、事件の内容を話すことも禁じられた」が、「当時、朝日新聞西武本社広告部意匠掛」で、「城野キャンプ近くに住んでいた松本清張」が、「後年、この事件をもとに小説『黒字の絵』を書いた」と述べています。
そして、「全軍あげて戦闘態勢にあり、しかも朝鮮半島南部の釜山周辺まで追い詰められていた米軍・GHQにとっては、『客観的立場』や『中立』『冷静』を主張する朝日社説」は許しがたいものであったが、「長谷部の必死の弁明で、事態が深刻化することはなかった」と述べています。
また、「報道機関から始まったレッドパージ」として、1950年7月28日午後3時を期して「朝日など報道8社で336人が解雇を言い渡された」と述べ、「パージされた人たちは、その日から、一切の報道機関、一般企業からも門戸を閉ざされ、長く苦しい生活を強いられた」と述べています。
第9章「村山復辟で緒方去る」では、「敗戦直後の『十月革命』で編集局次長から三段跳び、四段跳びで突如、朝日新聞社の経営トップに据えられた長谷部」が、「経営の仕組み、歴史的な事情、背景、さらには新聞経営者としての基本的姿勢、心構えなど、多くの点を緒方から学んだ」と述べ、公職追放中の身であった緒方は、「自分が知る限りの朝日新聞の社史や経営上の問題について懇切に説明し、その経営に誤りがないように助言していた」と述べています。
そして、用紙統制、価格統制の撤廃によって、「自由に用紙を確保できるようになった新聞各社は、独自の魅力ある紙面展開を目指し、他社との違いを際立たせようとした」と述べ、「新聞社と販売店との直接契約は、かつての特定新聞社と販売店の濃密な関係を復活させ、新聞社の系列による囲い込みが始まった」と解説しています。
また、「戦後、あらたにこの業界に参入してきた若手店主たち」には、「復員はしたが職がないという元軍人も多かった」と述べています。
さらに、「共販制度から専売化への動きは、全国各地で紛争を起こしていた」として、専売化のやり方として、
(1)協議専売:各社間の話し合いで専売に移行する
(2)裸専売:一社が一方的に他社に通告して専売に移行する
(3)なぐりこみ専売:専売直前に通告するか、無通告で断行する
の3つの方法を紹介したうえで、「裸専売」の代表的な例として、1951年9月に神奈川県川崎市で起きた「醤油専売」を取り上げています。
終章「かかる時 君しあらばと」では、1956年(昭和31)年1月28日、緒方竹虎が五反田の自宅で、急性心臓衰弱と環状動脈硬化により、満67歳で死亡したと述べ、その後も、「朝日新聞で経営上の問題が起こるたびに、緒方を知る人たちは『かかる時 君しあらば』と、いくたび思い起こしたことであろうか」と述べています。
著者は、「朝日新聞は緒方筆致時代、『経営』が『資本』を凌駕する力を持った。緒方筆致が率いる『編集』が、タブーを恐れぬ果敢な論説を展開し、深層をえぐった特ダネをものにし、多くの購買者の支持を勝ち得たからである」都市たうえで、「いまの新聞界には、『資本』と『権力』に対峙しようとする気骨ある『筆致』は見当たらない」と指摘しています。
本書は、新聞社の「筆致」がその新聞を本当の意味で代表していた時代を伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
朝日新聞といえば、マスコミの中でも飛び抜けて給料が高いというイメージで有名ですが、戦後史を振り返ってみると、一度労働組合が「革命」に成功し、後に資本家によって巻き返しを図られた、という経緯があるからこそ、「経済闘争」の結果、逆らわないように高い給料を与えられているのかもしれないと思ってしまいました。
■ どんな人にオススメ?
・朝日新聞記者の給料はなぜ高いのかと思う人。
■ 関連しそうな本
今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
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河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
黒薮 哲哉 『新聞があぶない―新聞販売黒書』 2008年04月24日
■ 百夜百音
【Poupee de Son】 France Gall オリジナル盤発売: 1992
結構日本でカバーされる割合の高いアーティストではありますが、「フレンチポップ」というジャンルを代表する人になってしまっています。
『夢みるシャンソン人形~フランス・ギャル・ベスト・セレクション』
投稿者 tozaki : 2008年04月27日 06:00
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