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2008年05月31日
このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全
■ 書籍情報
【このへんでドロンします―昭和へっぽこフレーズ大全】(#1227)
へっぽこ調査室, タナカ カツキ
価格: ¥1050 (税込)
幻冬舎コミックス(2005/04)
本書は、「周囲の人を腰くだけにさせてしまうヘンな日本語」である「へっぽこフレーズ」のなかから、「"へっぽこ度"の高いと思われるものを勝手に厳選。頼まれもしないのに一冊にまとめ」たものです。
著者は、へっぽこ人間の「正しいあり方」として、
・へっぽこを肴に仲間と一杯やる
・商店街でへっぽこを使い、大根を値切る
・電車の中で素敵なへっぽこを思い出し、一人でニヤニヤする
・失恋した友人をへっぽこで元気付ける
・勇気を出して、時々合コンで使ってみる
・へっぽこで取引先と円滑なコミュニケーションをはかる
・他人のけんかをへっぽこで仲裁、丸くおさめる
などを挙げています。
「ラブなへっぽこ」では、「明らかに前日と同じ服装で出社してきた部下」に目ざとい上司がかける「君もなかなかの発展家だね」というフレーズについて、「酒色をむさぼるという意味で、夜の部門で活躍している人のことを指す」と解説しています。
また、「女房の手料理」では、「ありもので作った煮込み系」が想像されるが、「ワイフの手料理」といった場合は、「紀ノ国屋スーパーの高級食材で作ったグリル系が予想される」と解説しています。
「怒りのへっぽこ」では、「自分にとって不都合なものやいやな相手を追い返すとき」に使う「おととい来やがれ!」を、「街の金融業者への使用は、大きなケガや事故のもとになるので避けること」や、「あさって来やがれ!」と使ってしまうと「翌々日に再び来てしまうので不適切」であると解説しています。
「おでかけへっぽこ」では、間違って、「おニューハーフのブラウスなの」としてしまうと、「フリルやスパンコールがたくさんついてそうな一着」になってしまうと解説しています。
また、「50代の営業職の男性」がよく使用する「テクシーで行きますか」には、「タクシーなど乗り物を使用せず、テクテク歩いていくことをユーモラスに表現」しているが、「テクシーする後姿は、ユーモアでは片付けられない物悲しさがある」と解説しています。
「呼び名へっぽこ」では、「妻が妊娠している」という意味の「コレがコレなもので」というジェスチャーについて、「レコがコレなもので」としてしまうと修羅場と化す間違った使い方であると解説しています。
「学校でへっぽこ」では、「子供の頃は他愛もない嘲り言葉」だった「おまえの母ちゃんデベソ!」も、大人になってから会社の同僚などに「お前の母ちゃん(妻)デベソ」などと言うと、「変な誤解を生じかねないので注意」すべきであるとしています。
「一声へっぽこ」では、「なるほど」の「ほど=ヘソ」を言い換えた「なるへそ!」について、「このような相槌を打つ者は、本当に話を理解しているのか、また理解しようとする気持ちがあるのか定かではない」と解説しています。
本書は、昭和がしっかりと体に染み付いている人間にとっては、へっぽこどころか普段の会話で当たり前に出てきてしまう言葉を集めた一冊です。
■ 個人的な視点から
すっかり「死後」扱いされている「へっぽこフレーズ」ですが、今でも中高年以上の皆さんとお付き合いする上で、その知識は欠かせません。
その意味で、自分では決して使わないにしても、「○○だよね」とへっぽこフレーズをかまされたときに、「それは今の若い人にはわかりませんよ(でも自分には分かります)」とタイミングよくずっこけてみせるためのテキストには適しているかもしれません。
とは言え、そんなお勉強はしたくありませんが。
■ どんな人にオススメ?
・自分はへっぽこなフレーズは使わないと思っている人。
■ 関連しそうな本
アコナイトレコード 『グレイテストヒッツ!困ったときのベタ辞典』
ことば探偵団 『知ってるようで知らないものの呼びかた』
長野 伸江 『賞賛語(ほめことば)・罵倒語(けなしことば)辞典』
藤井 青銅 『略語天国』
死語研究会 『死語大全』
■ 百夜百音
【美しく青きドナウ/シュトラウス・コンサート】 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 カラヤン(ヘルベルト・フォン) オリジナル盤発売: 2007
よく運動会などで放送される「ラデツキー行進曲」ですが、歌詞は結構きついものがあります。まあ言ってみれば日本の軍歌と同じようなものですから。
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2008年05月30日
日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択
■ 書籍情報
【日本の地方政治―二元代表制政府の政策選択】(#1226)
曽我 謙悟, 待鳥 聡史
価格: ¥5040 (税込)
名古屋大学出版会(2007/12)
本書は、日本の地方政府が持つ最大の制度的特徴である、「首長と議員の双方が別個に公選される『二元代表性』」に注目し、「二元代表性の下での政治過程および政策選択という観点から、戦後日本の地方自治に関する通時的分析を提示」しているものです。そして、「二元代表制についての理論的検討に基づいて、日本の地方政治を比較の中に位置づけることを横糸として、またほぼ一定期間ごとにその様相を大きく変えてきた首長と議会における政党間関係の変化や部門間関係の変化と、それがもたらした政策選択の変容を縦糸として、日本の地方政治の実態を織りなしていくことを狙いとする」としています。
著者は、本書の特徴として、
(1)文脈叙述、計量データ分析、事例分析という政治学における実証手法の3つの柱が、1つの理論によって束ねられ有機的に結びつくこと。
(2)理論的関心、地方政治の通史への関心、計量データ分析への関心、あるいは事例への関心の、いずれか1つがあれば読むに値する成果になること。
等を挙げています。
第1章「地方政府の比較政治学」では、「地方政府の制度分析から導かれる部門間関係や政党間関係の重要性にまず着目しつつも、それぞれの時代において地方政治を取り巻く文脈的ないし外生的要因に対しても、従来の研究とは異なった強い注意が払われる」として、「社会経済状況を反映した自治省(総務省)や与党を中心とした中央政府の意向と法制度上の誘導、地方自治を論じる各時代の行政学者や経済学者の支配的見解、さらには政策争点への態度や政党支持という形で表明される有権者の動向が、地方レヴェルの政治的要因によって政策が規定される程度と、政治的要因の内部で首長と議会のいずれがより大きな意味を持つかという点の双方に対して、無視できない影響を与えると述べ、「地方政治要因の文脈依存的効果論」と名付けています。
また、基本仮説として、
・基本仮説1:歳入に関する政策選択においては、中央政府による制度化の程度が強いため、地方政府の政治変数が影響を持たない。
・基本仮説2:歳出に関する政策選択のうち、総額すなわち政府規模に関心を持つのは、知事のみである。
・基本仮説3:歳出に関する政策選択のうち、個別の政策領域に関心を持つのは、議会のみである。
の3つの仮説を立てています。
第2章「戦後日本の知事と議会」では、「戦後の都道府県知事と議会について、それぞれの変化および両者の関係の変化を明らかにする」としています。
そして、知事を、
(1)自民単独知事
(2)自民・中道知事
(3)保革相乗り知事
(4)民主系知事
(5)非自民保守系知事
(6)革新・中道知事
(7)革新単独知事
(8)無党派知事
の8つに類型化しています。
また、「知事の党派的構成の時系列変化」として、
(1)革新系知事の隆盛――1960年代から70年代前半
(2)保守回帰と相乗りの時代――1970年代から80年代
(3)無党派知事の台頭――1990年代以降
とに分けたうえで、「大きな1つのサイクルの始まりとその帰結までをまとめて捉えるために、本書では各章の分析を、15年間という通常とは異なる単位で行う」と述べています。
著者は、「都道府県レヴェルにおける戦後日本の地方政治は、約15年を1つのサイクルとして意外なほど大きく変動を続けてきた」として、「このような知見は、従来からも多くの論者によって直感的には認識され、指摘されてきた」が、「本章は知事の支持政党データと議会の政党別議席データを組み合わせることにより、直感に実証的な基礎を与え」、「政治変動の時期区分としては10年よりも15年が適切であること、1970年代の革新自治体の隆盛よりも90年代の無党派首長の登場がより大きな変動であることなど、個別事例の観察や直感によっては見落とされがちな点について、いくつかの指摘を行なうことも可能となった」と述べています。
第3章「財政と政策の長期的変化」では、「戦後日本の地方政府が行なってきた政策選択には、政治変動と同じく、時代ごとの特徴が刻まれている」とした上で、都道府県ごとの差異が、「1970年代前半までは歳出面で、70年代後半から80年代には財政再建の手法」で生じ、「90年代以降は歳入と歳出が同時に都道府県ごとの違いを強める方向で作用している」と述べています。
第4章「革新自治体隆盛期の政策変化」では、「戦後日本の革新勢力における戦略なき観念論の優位」が、「特定の政党や人物に起因すると言うよりも、日本の政治イデオロギーとしての『革新』が全体として有する傾向だった」と述べ、「その一因が、マルクス主義への過剰なまでの傾倒にあったことには、疑いの余地がない」として、「マルクス主義が理論的で体系的な社会批判や分析のツールとして、とりわけ戦後のある時期までは独占的な地位を占めていた」と述べています。
そして、地方政治における革新系首長の登場基盤として、
(1)二元代表制の下では、地方に強固な基盤を持たず、議会では少数派にとどまる革新系政党であっても、特に首長選挙では魅力的な候補を擁立することで勝利を収められる可能性が高まったこと。
(2)地方政治では国政野党間の提携の生涯が少なかったこと。
の2点を挙げています。
また、本書の分析モデルである「地方政治要因の文脈依存的効果論」が、「知事と議会の党派的構成を主たる独立変数としつつ、外生変数にも十分な注意を払おうとする」として、
(1)有権者の政策選好
(2)地方政府が置かれた社会経済環境や中央―地方関係といった、地方政府にとっては操作しがたい環境的要因
の2つの外生変数を挙げています。
さらに、「民生費に表れる福祉政策と土木費となって登場する開発政策が、この時期の地方政治にとって大きな政策選択の争点であった」と述べ、「これら2つの政策領域には、知事と議会の双方が関心を寄せる」ため、「知事と議会の単独変数モデルよりも交差項モデルにおいて、より明確にこのような傾向が現れると予測される」としたうえで、「革新系知事と保守多数議会という組合せの下での民政費をめぐる対立は、保革対立と知事―議会間対立が重合した、二元代表制政府に特徴的な争点構造をとった」と述べています。
著者は、この時期の革新系知事のバックグラウンドを、
(1)東京都の美濃部亮吉に代表される大学教授など、いわゆる進歩派文化人出身者
(2)北海道の横道孝弘に代表される革新系政党所属議員や労働組合幹部からの転身者
(3)岡山県の長野士郎、滋賀県の武村正義などの自治官僚出身者
の3つに分けています。
そして、東京都の美濃部知事が、「住民を意思決定に参画させるとかえって当事者間の利害対立が先鋭化し、事態が前に進まないケースが増え始めた」として、「住民の反対がある限りは開発事業を行わないという『橋の哲学』や、低所得高齢者医療の無料化による『病院の老人クラブ化』への批判と結び付けて語られ、少数の人々の要求に甘すぎる政治として、反対派によって半ば意図的にではあるが、革新都政の負のイメージを形成することになった」と述べる一方、滋賀県の武村知事については、「県庁改革と住民参加の延長線上に、第2期の80年に制定された有リン合成洗剤使用を禁じる『琵琶湖条例』など、環境保護において先進的とも評される成果が生まれた」と述べています。
また、計量データ分析から、「革新系知事が保守系知事に比べて福祉政策を中心とした再分配を優先する傾向」が明確に示され、「同じ革新系でも議会は開発政策に否定的ではなく、補助金の配分などに関して中央政府は革新系知事を要する都道府県を冷遇した」と述べています。
第5章「保守回帰期の政策変化」では、1970年代後半から80年代の大きな社会経済環境の変化が、「地方政治における主要な争点を大きく変えた」として、
(1)財政状況の悪化への対応
(2)財政状況と連関する公共セクターの改革
(3)脱物質的な価値を追求するような政策への転換
の3点を挙げています。
そして、この時期の知事と議会の政策選好について、
(1)地方政治の主たる争点は『開発か福祉か」ではなくなった。
(2)知事は財政の健全化に主に関心を寄せるようになった。
(3)教育政策については、新たに議会による党派の違いが歳出水準の違いをもたらすようになった。
の3点を挙げています。
著者は、1970年代後半から80年代の地方政治の政策選択の特徴として、
(1)政治的な選択が歳出と歳入の水準を変化させることが少なくなった。
(2)商工費に加えて土木費にも、革新系知事がその削減を図るような傾向が見られなくなり、主に議会で歳出水準が決定される政策領域へと変化した。
(3)保革対立的な争点として、議会における衛生費に加えて教育費が新たに議会での対立的政策領域となった。
(4)歳出総額について自民・中道知事は総額抑制効果を持つ。これに対して、議会革新勢力が強い場合と保革相乗り知事の場合に増えるという傾向が見られる。
の4点を挙げています。
第6章「無党派知事期の政策変化」では、「無党派知事の登場は、しばしば有権者の『既成政党離れ』という消極的な選択の結果として語られる」が、「その選択の背景には、有権者が望ましいと考える政策や重要だと考える政策や重要だと考える対立軸の変化もまた存在したはずである」と述べています。
そして、「ナショナルミニマムの達成という目標が実現した後」の地方交付税制度が、「80年代後半のバブル景気に際して、あるいみでの『延命措置』がとられた」として、自治省が、「地方債の許可方針を緩め、その補填を交付税により行なった」ことを指摘し、起債方針の緩和が、「地方債の発行により財政規模を拡大するか、それを抑制して長期的な財政の県税を保つかという選択の余地を、地方政府に与えた」という限定的な意味で「歳入の自治」を得た、と述べています。
また、1990年代以降の無党派知事が、「しばしば政党からの支援を和えて受けないことを前面に出して当選を果たした点が特徴的である」として、「知事側の判断によって生まれた無党派知事を、とくに主体的無党派知事」と名付けています。
著者は、「各政策領域がどのような知事―議会関係の下に置かれたか」について、
(1)特に知事が歳入と歳出の選択に関与を強めたことで、ふたたび多くの歳出項目が政治化したこと。
(2)政治化した歳出項目は、衛生費とポークバレル的な政策領域の多くとの二種類に分かれること。
(3)歳入については知事だけが関与していること。
の3つの特徴を挙げています。
そして、東京都の「二人の異なる主体的無党派知事の違い」として、青島幸男と石原慎太郎を取り上げ、石原と知事が、「人事と広報を知事専属の業務」として、都庁官僚を戦略的に活用させるようになったと述べています。
また、「財政運営上の困難が大きくなったことと、無党派知事の登場を最大の特徴とする1990年代の地方政治において生じた」現象として、
(1)政府規模に関する選択が、日本の地方政治にも現実的な課題として登場するようになった。
(2)個別項目では、政治化された領域が著しく増大した。
(3)無党派知事の下では従来の政党間対立とは異なった構図が、地方政策過程に生じている可能性が指摘できる。
の3点を挙げています。
終章「結論と展望」では、地方政府の制度構造を、「日本の戦後改革において最も大きな変化がもたらされた領域であった」としたにもかかわらず、「多くの地方自治論は地方政府の無力さを語ってきた」ことについて、「地方自治論とは、中央―地方関係論あるいは地方行政論であり、地方政府における政策過程のダイナミクスを体系的に把握しようとする関心には乏しかった」ことを指摘しています。
そして、本書における実証分析の知見として、
(1)戦後日本の地方政治における時期区分はおよそ15年を一区切りとするものであり、それは政治変動と政策変化の両方について該当するということ。
(2)政治変動と政策変化の間に存在する因果連関を解明したこと。
の2点に集約されるとしています。
さらに、本書の検討が、「たしかに現行制度がモラルハザードを生みだしている面があるにしても、それが常に地方政府の財政規律を失わせることに直結しているわけではないことも明らかにした」として、1980年代と90年代後半以降の二度にわたり、地方政府が財政再建に本格的に取り組み、その過程では、「主として自民系知事や無党派知事がマクロ財政運営に関心を持つことにより、一定の成果を収めた都道府県も少なくない」ことを指摘しています。
本書は、「地方政府」の政治的な性質の積極的な解明を試みた一冊です。
■ 個人的な視点から
曽我氏の前著『ゲームとしての官僚制』も意欲的な一冊でしたが、本書も、やや乱暴かな、と思わなくもないですが、いずれにせよ切れ味の良い一冊ではないかと思います。
せっかくなら市町村を分析してくれたら面白いとは思いますが、合併があったり何やらで個別の団体ごとの差異が大きいのではないかと思います。
また、10年ではなく15年単位というのも、首長と議員の任期が4年単位であることを考えると、なんとなく納得できるような気がします。
■ どんな人にオススメ?
・「地方政府」の政治に触れたい人。
■ 関連しそうな本
曽我 謙悟 『ゲームとしての官僚制』 2006年02月24日
赤井 伸郎, 山下 耕治, 佐藤 主光 『地方交付税の経済学―理論・実証に基づく改革』 2005年01月27日
加藤 寛 『入門公共選択―政治の経済学』 2005年03月13日
村松 岐夫, 伊藤 光利 『地方議員の研究―日本的政治風土の主役たち』 2005年02月21日
金井 利之 『自治制度』 2007年10月24日
西尾 勝 『地方分権改革』 2008年04月01日
■ 百夜百マンガ
【ぱじ―Momo‐chan's grandfather"Paji" 】
おじいちゃんモノの漫画はギャグマンガであったとしても常に死の影がちらつくのですが、そんなハラハラした緊張感が4コマには合うのかもしれません。
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2008年05月29日
ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話
■ 書籍情報
【ふしぎの博物誌―動物・植物・地学の32話】(#1225)
河合 雅雄
価格: ¥777 (税込)
中央公論新社(2003/01)
本書は、「新しい博物学とは何かを知っていただき、また、生涯学習の友として役立つような興味深い話題を集めて構成した」ものです。
第1章「オトシブミのゆりかご」では、「究極の糞の利用」である「糞食」について、「糞には未消化な栄養物の残渣がたくさん残って」おり、「糞を回収して栄養分として再摂取できれば、最高のリサイクルシステムといえる」とした上で、「糞そのものが栄養資源であり、もっといえば糞を再接種しなければ餓死するという動物」としてウサギを取り上げ、「捕食からいかに逃れるか」が大切なウサギにとって、「体が小さいから大きな醗酵胃を持つことはできないし、悠長に反芻しているわけにはいかない」ために、「糞食という特殊な消化システムを進化させた」と述べています。
そして、昆虫が六本足である理由について、「地面のつけている足が3本、空中で前に進める足が3本」であり、「平面は3点の座標で決定される」という幾何学を用いると、「安定のまま、前方に伸ばした3本の足と交代させれば、サササーッの滑らか走行が完成する」と述べています。
また、「アリだけを食べる変わったアリ」として、ヒメサスライアリを取り上げ、「他のアリの巣に押し入って、幼虫やサナギ、成虫までも餌食にしてしまう」と述べ、彼らが、「自分たちの体に非情な改造を行うことで、一糸乱れぬ全体行動を可能にした」として、「全員の目を無くしてしまった」ことで、「いつも仲間と体をくっつけあうようにしていないと、迷子になってしまう。その結果、自然と隊列が形作られる」と解説しています。
さらに、「アリになりすまして、アリの巣の中に住み着いてしまうハチがいる」として、エイコアブラバチが、トビイロケアリの巣の中に入り込もうとする理由を、「アリが巣の中で買っているアブラムシに寄生するため」であると解説しています。
第2章「熱帯雨林の妖怪ラフレシア」では、里山を、「薪炭の生産を目的として定期的に伐採・利用される二次林(薪炭林)のこと」であるとした上で、「世界に誇ることができる日本一の里山」として、北摂の里山を取り上げ、そのすばらしさを、
(1)当地の里山の歴史性
(2)里山が生きていること、つまり、里山の伐採、炭焼きによって、本来の里山景観が現在も持続していること
(3)大入道がつっ立って、両手を広げたような奇妙な形の台場クヌギの存在
(4)クヌギ林の昆虫群集
の4点にまとめています。
また、ラフレシアが、「1818年、当時スマトラ島の副総督だったトマス・スタンフォード・ラッフルズ卿によって発見された」とされてきたため、「ラフレシア」という名前が生まれたが、1797年に、フランスの博物学者ルイ・オーギュスト・デシャンプによって最初に発見されたことが最近の研究でわかっており、彼が、「不幸にも戦争のため学術的な扱いを受けなかった」と述べています。
第3章「象歯年代記」では、化石の魅力の一つとして、「現代の生き物とは違う独特な形を持っていること」を挙げ、「古生代の生き物は現代の生き物とは一味も二味も違うものが多く、とても魅力的な存在である」と述べています。
また、「東京湾に面した都心のはずれに、奇跡的に開発を免れた自然の干潟がある」として、千葉県・小櫃川河口の盤洲干潟を取り上げ、「広大な葦原をともなった希少な塩生湿地が今も残されていることで有名だ」と述べ、ここに、「肉眼レベルの生物はもちろんのこと、顕微鏡レベルでも貴重な生物が発見されている」として、発見者の故小杉正人氏にちなんだ、「シュードポドシラ・コスギィ」を紹介しています。
さらに、花粉について、「花は束の間の美しさの中にはかなく消えてゆくが、飛散した花粉は土の中にひっそりと永遠の命を保ち続ける」として、「その見えない花園は、壮大な過去の森の姿、森の歴史を物語ってくれる」と述べています。
本書は、博物学の楽しさの一端を垣間見せてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
博物学と言うと、博物館の中で顕微鏡を覗いているイメージがありますが、あらゆる自然を、博物学の目で見ることができたら、それはそれで楽しそうです。きっと楽しいに違いないと思われます。
■ どんな人にオススメ?
・身近な「ふしぎ」を発見する目を持ちたい人。
■ 関連しそうな本
ピーター アトキンス (著), 斉藤 隆央 (翻訳) 『ガリレオの指―現代科学を動かす10大理論』 2006年5月5日
荒俣 宏 『大東亜科学綺譚』
亀谷 了 『寄生虫館物語―可愛く奇妙な虫たちの暮らし』 2006年08月26日
リチャード・ドーキンス (著), 日高 敏隆, 岸 由二, 羽田 節子, 垂水 雄二 (翻訳) 『利己的な遺伝子』 2006年09月26日
スティーヴン・ジェイ グールド 『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語』 2007年03月03日
ビル ブライソン (著), 楡井 浩一 (翻訳) 『人類が知っていることすべての短い歴史』 2007年04月08日
■ 百夜百マンガ
ドラマにもなった作品。食べ物の美味しそうな感じは、動画よりも、情報量の少ないマンガのほうが伝わる気がします。
ところで、昔ながらの古い宿屋に泊まるのは風情があっていいですが、小さい子供連れではなかなか気後れしてしまいます。
投稿者 tozaki : 22:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年05月28日
水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった
■ 書籍情報
【水戦争―水資源争奪の最終戦争が始まった】(#1224)
柴田 明夫
価格: ¥798 (税込)
角川・エス・エス・コミュニケーションズ(2007/12)
本書は、「深刻化する地球温暖化とエネルギー・金属・食料資源の有限性という問題を、『水』というフィルターを通してより鮮明にしてみようと試みたもの」です。
第1章「枯渇の危機に瀕する水資源」では、「世界中で食料の生産拡大の動きが始まっている」ことが、「砂漠化や水源の枯渇などの新たな『水ストレス』を招いてしまうことになる」として、「21世紀の世界の食糧生産の鍵を握るのが水なのは間違いない」と述べています。
そして、近年の世界各地での穀物の増産において、「地下水の過剰な汲み上げがあり、農業用水から必要以上の水が蒸発したり、水漏れが起きたり、といった不適切な灌漑施設の管理を伴なう農業活動があった」とした上で、「様々な問題を抱える農業用水を合理的に利用すれば、世界の水需給のバランスが改善されることを意味する」と述べています。
また、わが国の水資源の利用について、「農業用水が66%と圧倒的に多く、水分の蒸発散という形で水を浪費させつつも、実は莫大な水資源を節約している」と述べています。
第2章「地球温暖化がもたらす水と食糧の危機」では、北朝鮮の食糧生産が極度に悪化した例を挙げ、「天候に左右されやすい食糧生産条件があるところに、ひとたび工業生産が落ち込めば、たちまち農業機械や肥料、農薬、燃料が不足する」と述べ、「食糧生産減少→工業生産減少→食糧生産のさらなる減少」という悪循環に陥ると述べ、「今後、深刻化する地球温暖化は食糧生産へのダメージということを通じて、北朝鮮の政治体制を一気に突き崩す可能性さえある」と指摘しています。
また、中国について、天然資源に恵まれ、食料の主要生産国でもあるが、「あまりにも人口が多いため、1人当たりで計算すると、それらの資源量は極めて少なくなってしまう」として、その典型として水を挙げ、中国の水需給の特徴として、
(1)国土や人口の大きさに比べて水資源量が少ない。
(2)中国内における水の総給水量が減少傾向にある。
(3)用途別に見た水需要構造の変化が著しい。
の3点を挙げています。
第3章「巨大な利権とビジネスが動かす水」では、世界中で水をめぐる問題が深刻化することで、「国連などの国際機関による本格的な水問題への取組が進むと同時に、水関連のビジネスが急拡大している」と述べ、欧米では、「官民一体となった『水関連ビジネス』という潮流が起きつつある」として、「いまや世界の水資源はエネルギーや金属、食料にも増して資源化しているともいえる」と指摘しています。
また、水不足や水の汚染の問題の深刻化への対策として期待されるビジネスとして、
(1)海水淡水化:日本企業は、ナノテクを武器に水処理膜の高機能化などで攻勢をかけると同時に、インフラ整備などを通じて産油国との関係強化を図ろうとしている。
(2)使用した水を再処理し、中水として利用する:日本の工業用水の使用料の80%近くが、再処理水(中水)の利用という形になっていて、世界有数の存在である。
の2点を挙げ、日本では、これらの2つをまとめて「造水」と呼ばれていると述べています。
著者は、「21世紀の水は、石油をもしのぐ資源ともいえ、将来、原油のように取引所で取引される商品となり得る可能性も否定できない」と述べています。
第4章「資源大量消費時代の到来」では、BRICsに代表される新興国経済の台頭が、「世界経済の成長率を押し上げているばかりでなく、エネルギー・資源市場に価格高騰という形でも大きなインパクトを与えている」と述べ、近年の世界経済の成長をもたらしている、「新興国のモノづくり」や「それを支える高速道路、発電所、港湾、情報網などのインフラ(社会基盤)整備」が、「世界規模でエネルギー・資源の需要」を喚起していると述べています。
また、高騰する原油価格が、
(1)巨額のオイルマネーを手にした産油国の間で資源ナショナリズムが高まったこと。
(2)原油価格の高騰は非鉄や鉄鉱石、石炭、レアメタルなどの資源の価格高騰を招き、改めて消費国に資源の枯渇問題を突きつけた・・・「ピーク・オイル問題」
(3)原油高騰は代替物としてのバイオエタノールやバイオディーゼルなどバイオ燃料の急速な普及をもたらし、その結果、食糧市場とエネルギー市場の競合あるいは連動性が強まった。
の「3つの面から世界情勢におけるパワーバランスを大きく塗り替えようとしている」と指摘しています。
第5章「穀物をめぐる3つの争奪戦と穀物メジャーの戦略」では、「穀物も戦略物資としての性格が強まる可能性」に言及し、今後、「世界では食料をめぐって3つの争奪戦が激化する可能性がある」として、
(1)国家間の争奪戦
(2)エネルギー市場と食糧市場との争奪戦
(3)新興国における工業部門と農業部門との水と土の争奪戦
の3点を挙げています。
また、穀物メジャーの主要な機能として、
(1)生産者から小口の穀物を大量に集荷し、それらをまとめて大口の規格品に仕立てる。
(2)規格品の穀物を大量に輸送し、輸送コストを削減する。
(3)年間を通じて、安価な国際穀物市場に大量に供給する。
(4)輸入国の市場環境や需要動向を探索し、穀物の流通を合理的に調整する。
の4点を挙げています。
第6章「水の超大量消費国・日本はどうすべきか」では、1990年代前半から使われだした言葉である「バーチャルウォーター」について、「乾燥地帯の中東は一見水不足のように見えるが、実際には他国で大量の水を使って生産した農産物を輸入しているため水資源が乏しくても水不足に陥らない」という考え方であると解説した上で、日本が2000年度に輸入したことになる農産物とバーチャルウォーター係数を掛け合わせて、「バーチャルウォーター貿易に総輸入量」を、「650億立方メートル」と算定し、「日本国内の年間の灌漑用水の使用料が570億立方メートルだから、バーチャルウォーターの輸入はこれを大きく上回ることになる」として、「日本は水資源総量では比較的恵まれていながら、多くの水を海外に依存している」と指摘しています。
そして、「日本は膨大な食糧を海外から輸入しているからこそ、国内の水資源をそれほど使わずに済んでいる」、すなわち、「食料輸入を介しての世界の水に依存しているのが我が国」であると述べています。
さらに、「水資源の循環利用を考える上で、政策的に低価格に設定されている水料金との比較で、経済合理性をいかに確保するかが最大の課題」であるとして、日本の産業部門が、「廃水処理レベルを改善する過程で様々な工程転換を進め、水資源の回収率を上げてきた実績」を持ち、「ここで培われた経験やノウハウは今後、広東省の水循環の高度化を考える上では活用すべき大きな財産である」と述べています。
本書は、「水」をキーワードに、激化するグローバルな資源獲得競争を読み解いた一冊です。
■ 個人的な視点から
なかなか輸送に手間のかかる「水」のことだけに、グローバルな獲得競争と言ってもぴんときませんが、本書で取り上げられている「バーチャルウォーター」は国境を越える水の概念について分かりやすく説明しているものだと思います。
■ どんな人にオススメ?
・水はタダだと思っている人。
■ 関連しそうな本
柴田 明夫 『食糧争奪―日本の食が世界から取り残される日』
柴田 明夫 『資源インフレ―日本を襲う経済リスクの正体』
柴田 明夫 『エネルギー争奪戦争』
宮脇 淳 , 眞柄 泰基 『水道サービスが止まらないために―水道事業の再構築と官民連携』 2007年11月28日
国際調査ジャーナリスト協会(ICIJ) (著), 佐久間 智子 (翻訳) 『世界の"水"が支配される!―グローバル水企業(ウオーター・バロン)の恐るべき実態』
ロビン クラーク, ジャネット キング (著),沖 大幹, 沖 明 (翻訳) 『水の世界地図』
■ 百夜百マンガ
ジャンプのヘタウマギャグ路線の代表作。このころのジャンプのデタラメさは子どもたちの心を捉えてました。
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2008年05月27日
噂の拡がり方―ネットワーク科学で世界を読み解く
■ 書籍情報
【噂の拡がり方―ネットワーク科学で世界を読み解く】(#1223)
林 幸雄
価格: ¥1470 (税込)
化学同人(2007/7/20)
本書は、「最新のネットワーク科学の観点から、広範囲で素早い噂の伝播の仕組みについて、具体的な事例や社会心理、経済学の経験則を駆使して解説」しているものです。
第1章「世間は意外と狭い!」では、私たちが誰とでも、「平均すると6人程度で結びつく」とい「6次の隔たり(six degrees of seperation)」について、「普段はあまり意識しませんが、地域、職業、年齢など複数の『社会的つながり』のなかに私たちは埋め込まれている」と解説しています。
また、「ケビン・ベーコン数」や「たけし数」、「エルデシュ数」等を挙げた上で、「日本人の1人あたりの知人数」が、「200から300人程度」であるのに対し、アメリカ人は「1500から2000人程度」である理由について、「ホームパーティなどを日常的に行なうフレンドリーな国民性に加えて、顔見知り程度でも維持している方が転職などに有利なことなどによる意識の違いが関係しているよう」だと述べています。
第2章「噂はどのように広がるのか?」では、1973年の豊川信用金庫事件を取り上げ、「女子高生の会話を大人が誤解したことから生じた」伝播ルートについて解説しています。
また、噂が単なる伝言と異なる点として、「あらかじめ決まった内容を伝えるわけではなく、通常は曖昧な部分が多い話であるために、伝えられていく過程で内容が新しくつくられること」を挙げ、その主な傾向として、
・平準化:情報が短く要約されて平易化すること。
・強調:情報の中からある要素が選び出されて誇張されること。
・同化:話し手や聞き手がもっている知的あるいは感情的な状況や解釈で情報が歪められること。
の3点を挙げ、噂では、「『伝えたい、あるいは知りたいもの』を人々が話し合うなかで内容が新しくつくられ、様々な情報や知識を寄せ集めて状況を解釈しようとする行為が重要」であると述べています。
また、噂の伝わりやすさについて、「不安さ、曖昧さ、信用度」の3つの要因が強く関係するようだと述べています。
第3章「時空を超える伝達メディア」では、日本の中世や江戸における噂の役割について論じています。
そして、中世においては、「『国内風聞』という証言が現在の物証にも匹敵するほど重要な役割を果たして」おり、「各地に点在する一国内で多くの人々が噂している事実と、それを聞き及んでいる証人がいることが非常に重要で、今日私たちが認識する客観的な記述や科学的な証拠よりも、驚くべき速さで伝わる噂の神秘な力に信用や真実を見出していた」と述べています。
また、江戸時代の、「風刺・嘲笑・批判の意を込めた匿名の和歌として表現された落首(らくしゅ)と呼ばれる落書」を取り上げ、「騒然とした世情における言論統制下で、人々の抑えきれない信条が落書による情報伝達をとめどなく拡大したもの」であると述べています。
著者は、私たちの祖先が、「さまざまな時代背景の中で、口頭伝承をベースに絵や表などのマルチメディアも駆使して、噂の情報伝達を活用してきたこと」がうかがえるとして、「そこには、権力に屈せず生き抜く庶民の力強さと、ユーモアあふれる知性すら感じられ」ると述べています。
第4章「インターネットの威力」では、「現代では電子メールや携帯電話の普及によって」、「手書きや口伝え」を「超越する速さで想像以上の大きな範囲に広がって」しまうと述べています。
また、「インターネット上で口コミの担い手となるのは、通常の購買行動における『オピニオンリーダー』とは少し異なる」として、「複数の商品カテゴリーや小売店などについて熟知し、多くの分野の情報を持つ『市場の達人』の役割が増大した」と述べています。
第5章「蔓延するウイルス」では、「ネットワーク科学」と呼ばれる新分野の知見から、「意外に単純な原理から複雑なネットワークができうることや、不慮の故障や悪質な攻撃に対する強さと弱さ、さらに電子メールの送受信関係から示唆される恐るべき伝播速度と、ウイルスの蔓延に対する効果的な防御策などについて紹介」しています。
そして、マーケティングにおけるハブの役割として、
・通常のハブ:ある商品カテゴリーにおいて、情報や影響力を与える人々。
・メガ・ハブ:通常のハブのように多くの双方向リンクを持ち、さらにマスメディアを通じて、一方的にメッセージを聞く人々へもリンクする人々。
・エキスパート・ハブ:特定の分野で顕著な知識があって、その分野の権威として質問される人々。
・社会的ハブ:カリスマ的に仲間から信頼を得て社会的な活動をしている人々。
の4種類のハブの役割を挙げています。
また、「次数分布がべき乗則に従うネットワーク」である「スケールフリー」について、
(1)従来のランダムな結合構造における代表的なスケールに相当する次数が存在しない。
(2)グラフのある部分を拡大しても裾野が長い同じような曲線になっている。
の2つの性質に由来すると解説した上で、その基本的な生成原理として、「金持ちはより金持ちになる法則」に従うことで、こうした構造ができてしまうと述べています。
さらに、スケールフリーネットワークが、「もっとも経済的かつ効率的なネットワークとして、すなわち、できるだけ少ないリンク総数で連結しつつ、お互いのノード間の距離(ステップ数やパス長と同義語)も短くなるようにすると、スケールフリー構造がつくりだされ」ると述べています。
著者は、「現実のネットワークでは、『ハブを除去するとバラバラに分断され、逆に、ハブが機能すると伝播が急激に拡大する』ということ」が分かるとして、「ウイルスなどの感染拡大を抑えたいときには、ハブを機能させないようにする、すなわち重点的にハブを免疫化することが効果的」であると述べています。
第6章「世界的交通網の拡大がもたらすもの」では、「噂や口コミに対する興味や関心に基づく伝達力の強弱とウイルスの感染力の強弱、また、体面や電子メールでの接触機械による伝承や感染のプロセスなどには類似する点が多く、ネットワーク上で伝播が拡大していく振る舞いは基本的には同じと考えられ」ると述べています。
そして、「ペストやインフルエンザの感染経路が示唆すること」として、
・対面の咳やくしゃみ、飲料水や食物などを介した風土病→陸海空路の発達にしたがって、ウイルスの運び屋も大移動
・中世や近代までの口頭伝承→電子メールや携帯電話、国際的なすばやい情報伝播
という対応関係の変化から、「共通した世界規模の伝播拡大メカニズムが類推」されると述べた上で、「ネットワーク科学の知見はつい数年前の世紀末に人類が初めて得たもので、現代の私たちの世代になってやっと本質的な原理から、実際の現象を理解できるようになった」と述べています。
そして、「高架的なショーとカットの高架」として、「地理的な空間上にスケールフリーネットワークを構築する方法」の代表的なモデルとして、
・ランダムアポロニアン(RA):多角形領域を三角形で分割したある初期構成から、毎時刻にランダムに三角形を一つ選んで、その内部に追加した新ノードと選択した三角形の拡張点とをリンクすること(三角形の細分割)を、ノード総数Nまで繰り返す。
・ドロネー三角分割(DT):毎時刻にランダムに選んだ三角形の細分割を一時的に施した後に、任意の三角形ペアからなる菱形に対角変形操作を全域的に(どのペアを選んでもそれ以上は鋭角が大きくならなくなるまで)行なうことを、同様に繰り返す。
・ドロネー風スケールフリー(DLSF):毎時刻にランダムに選んだ三角形の細分割を一時的に施した後に、選択した三角形の頂点で新ノードから一番近いものとの距離を半径として、その円内で対角変形操作を行なってリンクを張ることを同様に繰り返す。
の3つを挙げ、「任意のノード間の最短距離のパス」が、
・DT:短いリンクによるステップ数の多いジグザグ経路
・RA:ステップ数は少ないが長いリンクもたまに含まれる
・DLSF:それらの中間的な性質を持つ
という傾向があり、「どれも平均ステップ数がlogN程度の『小さな世界』」となると解説しています。
また、交通網にたとえて、「平面上の一般道路や鉄道網に、その上を横断する高架の高速道路や航空網を少しだけ追加したようなネットワーク」について、「高速道路や立体交差があると、より短い距離で移動できるだけでなく、不慮の故障や悪意あるテロ攻撃に、より強いネットワークが地理的な空間上に構築」できるという特性が、「つい最近発見された」と解説しています。そして、「地理的に近いノード同士のつながりに、遠いノード間の結合になるかも知れないショートカットを本の少し加えるだけで、より強固なネットワークが出来上がり、途中で中継が切れても他に迂回路が存在するために、全体への情報伝達が可能で噂も蔓延しやすくなる」と解説しています。
第7章「ネットワーク科学からのメッセージ」では、「世の中に溢れる膨大な情報や知識をもはや個人レベルですべて知りうる時代ではないことからも、ネットワークを考える必要性がますます増大して」いると述べています。
そして、「口コミの割合が大きいほど、ニュースは速く伝わる傾向が見られることから、新聞やテレビなどのマスメディア以外から得る情報がかなり重要である」ことから、「噂や口コミを盛り上げるのも下げるのも、初めの頃が肝心」であるとして、「『蛙飛び』によって発火点となり得るハブに、情報をいかに速く伝えるかが鍵となる」と述べています。
また、「金持ちはより金持ちになる」原理が、「交通網や情報通信網の発達によって、物資や情報が大量迅速にやり取りできるようになった結果、そこに自然に出来上がったネットワークの社会的な影響力が非常に増大した」と述べています。
さらに、「構造上は、分散化してつかみどころがなくなる一方で、一極集中化していく諸々の社会問題に対しては、科学技術を批判しても、逆に科学万能的に楽観視しても、何の解決にも」ならないという社会構造を理解した上で、「私たち一人ひとりがよりよい社会について考える、ネットワーク科学はそうした機会を与えた」と述べた上で、「少数派のショートカットやハブの全体への影響が意外にも大きいことは、小さな存在である私たち個々人を勇気づけ」るとのべています。
本書は、最新のネットワーク科学を用いて、身近な噂の問題を分かりやすく解説した一冊です。
■ 個人的な視点から
「噂」は社会学の典型的なテーマだったと思いますが、ネットワーク科学の発展によって、いきなり人文系のテーマから、「ちゃんとした」というと語弊がありますが、ハードな科学の分野に持ち込まれたような気がします。
■ どんな人にオススメ?
・噂の拡がり方に不思議を感じる人。
■ 関連しそうな本
スティーヴン・ストロガッツ (著), 蔵本由紀, 長尾力 (翻訳) 『SYNC』 2006年04月10日
アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 2005年10月24日
ダンカン ワッツ (著), Duncan J. Watts (原著), 栗原 聡, 福田 健介, 佐藤 進也 (翻訳) 『スモールワールド―ネットワークの構造とダイナミクス』 2006年03月22日
ダンカン ワッツ (著), 辻 竜平, 友知 政樹 (翻訳) 『スモールワールド・ネットワーク―世界を知るための新科学的思考法』 2005年09月28日
ポール ホフマン (著), 平石 律子 (翻訳) 『放浪の天才数学者エルデシュ』 2005年11月06日
川上 善郎 (編集), 高木 修 『情報行動の社会心理学―送受する人間のこころと行動』 2005年11月19日
■ 百夜百マンガ
すいません。「こうがゆん」ではなく「たかがわゆん」だと思っていました。「リンかけ」がネタ元だと知って納得です。
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2008年05月26日
自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で
■ 書籍情報
【自治体病院再生への挑戦―破綻寸前の苦悩の中で】(#1222)
杉元 順子
価格: ¥2520 (税込)
中央経済社(2007/07)
本書は、「何十年もの長い間、地域の健康・医療を支えてきた住民の命綱」である自治体病院に押し寄せる「厳しい淘汰の波」について、「実際にはどんな状況にあるのか。生き残る道を模索する自治体病院の実情を、数年にわたって取材した」ものです。
第1話「合併の前提条件にされた町立病院民営化」では、大分県の佐賀関町を取り上げ、病院以上の際の町からの条件として、
(1)地域医療の継続
(2)新施設の建設
(3)公立病院時代の職員の雇用(または就職の斡旋)
(4)町が行なった新施設の設計の活用
の4点が示されたことを解説し、「職員は、ごく一部の退職希望者と転勤希望者を除き、基本的に全員雇用を達成した」と述べています。
そして、町立病院時代の人件費率58%が、「経営を圧迫していた」ことについて、目標を「40%台前半」に置き、「職員全体で平均20%ダウン、高い人(無資格者など)では30%ダウンした」と述べています。
第3話「合併で1市に性質の異なる3市立病院」では、岡山県備前市のケースについて、「努力している病院が報われるという図式は確保されるべきで、そうでないと自治体病院の明日は望むべくもないだろう」と述べています。
第4話「過疎・累積赤字の町の病院が生き返った」では、京都府大江町のケースを取り上げ、1市3町の合併協議の最大の焦点が、町立病院をどうするかであり、「大江町民にとって病院は命の砦であり、病院の存続は合併の最重要のテーマ」だったと述べ、結局、福知山市との合併に当たって、公立病院としての継承を拒まれたことで、「赤字の国保病院から、公設民営(指定管理者制度)でスタート」し、「ベッド稼働率のアップ」により、「国保新大江病院として初年度から黒字ベースの順調な運営」を達成していると述べています。
第5羽「民間への譲渡で過疎の町に病院が残った」では、新潟県巻町のケースとして、新潟市との合併期日までに、巻町立病院の民間譲渡期日が決定し、「自治体が民間医療機関に対し本格的な公募形式を取るのは全国的にも珍しいケース」となったと述べています。
第6話「苦闘10数年、県立・市立病院の統合実現」では、岩手県の、「多額の赤字を抱えた県立釜石病院と市立釜石市民病院の統合再編」を取り上げ、「学校統合については人口の減少に対応してきたが、医療機関は対応させてこなかったことが衰退の大きな要因」であるとした上で、「入院したい患者にとっては空床は便利なので、経営者以外は問題意識が薄れがちでこれまで流されてきた」との釜石医師会長の言葉を紹介しています。
第8話「なぜ進まない中核病院同士の機能分担」では、山形県の市立坂田病院と県立日本海病院の再編・統合問題を取り上げ、「同地域に県立、市立2つの機関病院があるという県内では珍しい病院配置」日打て、酒田市が県に対して統合を提案した形での再編問題に対し、県は「拒否あるいは消極的対応」であることについて、
・この提言が市から県になされたこと
・結果的に唐突の感があったこと
などが、「県当局の反発を招いたようだ」と述べています。
また、「地理的には歴史的な旧藩士などの流れの中の地域的背景から手法が異なったり、市民感情が対立することもある」と述べています。
第10話「行財政改革への決意が病院改革にも効果」では、「今、全国で起きている医療パニックは、大昔の長崎の縮図だ。いくら慌てても4~5年で修復はできない。ある程度つぶれるところまで行かないと立ち直れないかもしれない」とする、長崎県病院事業管理者の矢野右人氏の言葉を紹介しています。
本書は、何らかの処方箋を示そうというものではありませんが、自治体病院問題の深刻さを伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
全国の自治体病院について、取材を重ねた本書は、もちろん読んでいて面白いのですが、その先に何が待っているのか、どうやって進むべきか、などを考える上では少し物足りない点もあります。ぜひ続編に期待したいところです。
■ どんな人にオススメ?
・公立病院はつぶれないと思っている人。
■ 関連しそうな本
伊関 友伸 『まちの病院がなくなる!?―地域医療の崩壊と再生』 2007年12月12日
兪 炳匡 『「改革」のための医療経済学』 2006年12月05日
小松 秀樹 『医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か』 2008年01月08日 06:00
永田 宏 『貧乏人は医者にかかるな!―医師不足が招く医療崩壊』 2008年04月09日
西村 周三, 田中 滋, 遠藤 久夫 『医療経済学の基礎理論と論点 講座 医療経済・政策学』
真野 俊樹 『入門 医療経済学―「いのち」と効率の両立を求めて』
■ 百夜百マンガ
「科学」と「学習」からの撤退が問題になっていますが、「まだかなまだかな~学研のおばさんまだかな~♪」のセールスレディは今でも2万人いるそうです。
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2008年05月25日
だれが「本」を殺すのか
■ 書籍情報
【だれが「本」を殺すのか】(#1221)
佐野 眞一
価格: ¥1890 (税込)
プレジデント社(2001/02)
本書は、「『本』のない生活は、色のない絵画や味のしない料理のようなもの」ほどの著者にとってもっとも身近な「本」の世界を、著者自身が手法にしてきたノンフィクションの形で表したものです。
著者は、「『本』を取り巻く状況の変化を描くことを通して、われわれが今どんな地点に立っているのか」を記していくとしています。
第1章「書店」では、「適正な市場規模をはるかに超えた新刊ラッシュとオーバーストア状況」が、「『本』の需給関係に決定的なアンバランスをもたらし、今日いわれる出版クラッシュを招く主因となった」と述べています。
そして、旭屋書店社長の早嶋茂は、「これからは、欲しいものがどこにあるかわからない、というお客さんのサインをどうキャッチできるか」であるとして、「本屋は本来ソリューション(問題解決方法の提案、提示)ビジネス」ではないかと述べています。
また、往来堂書店店長の安藤哲也は、本棚は「管理」するものではなく、「編集」するものであり、「朝、届いたダンボールを開けるまで何が入っているかわからない商売なんてほかにありません」と語っています。
さらに、盛岡市の「さわや」店長の伊藤清彦は、「書店の店長の一番の仕事は、商品の内容分析」だと述べ、「本を読まない書店員は絶対だめです。うちでは、読まない人はすぐにやめてもらってます」と語っています。
第2章「流通」では、ブックサービス社長で、元大和運輸の木村傑が、「ヤマトでは重たい荷物ばっかり担がされてきたから、本なんて軽い、軽い。出版会の方たちは頭がよすぎる人ばかりで……」と語っています。
また、「書店に注文していくら待っていたとしても読者に本が」届かない理由として、現在では「5冊を最低単位として書店に発送している」ことを挙げ、「約20年前までは『経済重量』といって、最低20キロ、冊数で50~60冊にならないと発送しなかった」と述べています。
そして、某書店人が「新刊ラッシュで埋もれた既刊の良書を売りたい」と雑誌のエッセイに書いたところ、大手版元の営業マンから、「書店は新刊だけ売っていたらいいんだ。お前みたいなことをいう店には今後新刊本を送らなくするぞ」という脅迫状を、「取次ぎの荷物と一緒に」送ってきたという逸話を紹介しています。
さらに、イトーヨーカ堂社長/セブン-イレブン・ジャパンの会長の鈴木敏文が、イトーヨーカ堂の前に、東京出版販売(現・トーハン)に在籍していたことを紹介し、鈴木が、「まだ街の書店では朝10時にならないと店を開けないし、夜の6時か7時になると、もう店を閉めちゃう。その上、自分たちが発注して、自分が本を揃えるという発想がなく、取次から送られてくるものをただ並べている」と述べていることを紹介しています。
著者は、鈴木へのインタビューの中で、「たいへんすぐれたマーケッターの裏に漂うかすかなルサンチマンのにおい」を嗅ぎ取ったとして、鈴木が、新聞記者への夢が破れて取り次ぎに就職したことを挙げ、「鈴木は出版流通のことを熱を込めて語りながら、こと『本』の内容となるとほとんど関心を持って」いないことは、「取次時代の息苦しい仕事と、どこか無意識の中でつながっているのではないか」と、自らは「妄想」であると逃げ道を作りながら語っています。
また、紀伊国屋書店の松原会長は、ブックオフに対して、「そんなにお読みになった本があるはずはない」、「ほとんど万引きの品物が流れていっている」と述べ、ある大手書店の元店長は、「売れない書店の中にはブックオフから本を買ってきて平気で返品をしているところ」があると述べています。
一方、ブックオフの坂本孝に対しては、原宿ラフォーレ前にオープンした旗艦店を、「外も内も本屋のオープンの雰囲気とはおよそほど遠く、アメ横の歳末セールか居酒屋チェーンの新装開店のようである」と揶揄し、「ピンク色のワイシャツに赤いネクタイ」の坂本に、ジョークのつもりで「今度出る『だれが「本」を殺すのか』のサイン会をここでやらせてもらえませんか」と言ったところ、「坂本はそれを真に受け、『マルです、マルです。二重丸』と大喜びで答えた」と見下して紹介しています。
第3章「版元」では、中央公論社の読売新聞社への身売りが、「これまでムード的に語られてきた感のある出版不況というものを、現実のものとして白日の下にいやおうなくさらけだした」と述べたうえで、「中公の経営危機と読売による買収劇」が、「中公の知的ブランドという言葉に集約されているのかもしれない」と述べています。
そして、出版社の経営陣が、「数字に明るくないことが、あたかも良い出版者の証だと信じてきたフシがある」として、ある大手出版社の元役員が、「決算が出ると、数字の桁がみなわからず、下から、一、十、百、千、万、と位どりするのが常に繰り返される風景だった」と語っていたことを紹介しています。
また、社員について、「1940年体制を引きずった出版流通システムに加え、左翼運動を装いながら、その実労働貴族のモノ取り主義でしかない組合運動が横行する。そしてちょっとでも批判がましい声が出ようものなら、われわれは出版文化に寄与する良書をつくってるんだと夜郎自大にふんぞり返る」として、「左翼労働運動が出版流通の40年体制を補完した」と指摘して今すい。
第4章「地方出版」では、「現在、本というものがどんな状況に置かれているかを物語る」エピソードとして、秋田の西木村という図書館のない小さな村の、村役場の若者たちが、「転勤や引越しなどで不要になった本をください」と東京に向けて呼びかけ、「朝日新聞がこれを美談仕立てにして大きく報じたところ、たちまち30万冊の本が集まった」が、『脳内革命』や『窓際のトットちゃん』、『気くばりのすすめ』なんかが数十冊ぐらいずつあり、「この3冊で図書館ができるくらい」だったこと、ほとんどすべての段ボール箱に手紙が入っていたが、「要するに善意の押し売り」であったことを紹介した上で、「日本人のメンタリティーの中に本というものが、かなり特別なものとして意識されていることの証」であると述べています。
また、長野には、32も地方出版社があり、印刷製本所も多数あることについて、「さすが岩波、筑摩を生み出した出版王国だけのことはある」と述べ、その理由として、「戦時中、東京の印刷製本会社が長野に疎開してそのまま残ったこと」を挙げています。
第5章「編集者」では、吉本隆明が、「物書きのほうから見える編集者」のタイプとして、
(1)自分も物書きであるか物書きの候補者の匂いを持ったもの
(2)自分が所属している出版社を背光にして文壇的にか政治的にか物書きを将棋の駒のように並べたり牛耳ったりしてやろうと意識的にあるいは無意識のうちに考えているもの
(3)ほかの職業と同じような意味で偶然、出版社に職を得ているといった薄ぼんやりしたもの
の3つのタイプを挙げていることを紹介しています。
第6章「図書館」では、著者が参加した「本の学校」のシンポジウムで、「図書館関係者の分科会は、まるでお通夜のように精彩がなかった」と述べ、「進歩的文化人そのままの言説の洪水に、私はやれやれと思った。これでは『週刊金曜日』が出したベストセラー『買ってはいけない』の市民集会となんら変わらないではないか。分科会ははじめから終わりまで『善意』の押し売りに終始した」と指摘しています。
また、ブックオフやブックサービスなどの「抜け目のない商売人たち」と比較し、「図書館業界ではそうした狡猾といってもいいような人物はほとんど見当たらなかった」と指摘し、「狡猾さ、といって悪ければ、したたかさを持って時代と斬り結ぶことができなければ、住民サービスという公務員本来の仕事を放棄することにもつながりかねない」と述べています。
第7章「書評」では、「ダ・ヴィンチ」について、「現在の読書状況についてほとんど異議らしい異議が見当たらない姿勢が、一見健全に見える紙面とは裏腹に、『日本読書新聞』の左翼教養主義を裏返しただけの、現状安住の退廃と畸型性のようなものが垣間見えてならない」と指摘し、「このミステリーがすごい」や「ダ・ヴィンチ」の登場を、「書評世界における教養主義の終焉ということができる」と述べています。
また、著者自身が書評する場合には、「その本が誰かに薦めるに値する本かどうかを最低限の基準」とし、「もってまわった表現で自分の芸をいやらしくひけらかしたり、身辺雑記をチラつかせることが書評の極意だと勘違いしているやからが、日本の書評界にはまだ後を立たないようだが、簡潔にその本の内容を紹介し、その本を読んでくださいと愚直に進めるのが書評の王道」であると述べています。
さらに、「もっぱら一方的な『芸』の舞台として語られてきたきらいがある書評の世界」が、「ネット社会の登場によって、読者と読者を結びつける触媒の要素へ変貌しようとしている」と述べています。
第8章「電子出版」では、「この本は活字で印刷されている」という意味のことを書いたが、「この本に限らず活字で印刷された本など、今や日本からほとんど消滅してしまった」と述べています。
「エピローグ」では、「本」ばなれに拍車をかけていると指摘されている時間消費型の携帯電話の爆発的普及について、「携帯電話による際限のないおしゃべりは、他者とコミュニケーションしているように見えて、実は脱コミュニケーションの心性に支配されている」とした上で、「『本』は、たとえどんな種類の本であろうと、無数の『so what』に答える装置を内蔵している」と述べ、「他者とのコミュニケーションを鍛錬するには、やはり『本』との対話という打ち込みや素振りが、最も理想的な環境となる」と述べています。
本書は、「本」をめぐるさまざまな人たちの思いを垣間見ることができる一冊です。
■ 個人的な視点から
この人は結構硬派なノンフィクションを書く人だという気がしていたのですが、こと自分が大好きな「本」のことになってしまうと地が出てしまうのか、三流雑誌のライターのような書き振りというか、まったく理不尽というか、言いがかり的な「書き逃げ」が多いような気がします。就職試験で落ちたことを根に持っているから、ナベツネや鈴木敏文はこんなことをしたんだ、なんてトリビアルすぎるというか、余計なお世話ではないでしょうか。
全然関係ないですが、自分の中では、著者の名前を「さのまいち」と認識してしまっています。もちろん正しい読み方は知っているのですが、どうしても頭の中では、「佐野 眞一」という文字を「さのまいち」に変換されてしまって困っています。
■ どんな人にオススメ?
・「本」は誰が殺しているのか気になっている人。
■ 関連しそうな本
佐野 真一 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』
佐野 真一 『渋沢家三代』 2005年08月06日
山田 淳夫 『消える本屋―出版流通に何が起きているか』 2007年10月19日
田口 久美子 『書店風雲録』
小林 一博 『出版大崩壊―いま起きていること、次に来るもの』
江口 宏志, 北尾トロ, 中山 亜弓, 永江 朗, 幅 允孝, 林 香公子, 堀部 篤史, 安岡 洋一 (著) 『本屋さんの仕事』
■ 百夜百音
【サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~】 アニメ主題歌 オリジナル盤発売: 2004
そういえば、サイボーグ009は断片的に連載ものの途中とか、単行本の断片とかを読んだくらいで、通しできっちり読んだことがないです。いつかきちんと読みたいです。
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2008年05月24日
戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡
■ 書籍情報
【戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡】(#1220)
清水 勲
価格: ¥2835 (税込)
臨川書店(2008/01)
本書は、「戦後漫画のトップランナーであり、『メトロポリス』『アトム』などの手塚作品にも影響を与えた天才漫画家横井福次郎の障害と作品を現代に紹介するもの」です。なお、横山隆一の「フクちゃん」は、「横井の名前にヒントを得た」キャラクターであると説明されています。
第1章「プッチャーとターザン」では、昭和23年1月頃、手塚治虫が横井福次郎に会い、当時、手塚の「話題の書であり、売れ行きが良いために自信を持っていた」『新宝島』を横井に見せたが、「横井にはだいぶ物足りなく写った」と述べ、当時、「ふしぎな国のプッチャー」を連載中で、「その未来社会を漫画と魅力的な分掌で描く絵物語スタイルで人気を博していた」横井の、「SF小説の巨匠・海野十三の世界に影響を受けた内容と比べて『新宝島』は"こどもだまし"に近いと思われても仕方がなかったかもしれない」としています。
そして、横井の「ふしぎな国のプッチャー」を、「百年後の未来社会のイメージを漫画で具体的に示した最初の作品」とした上で、横井から"子どもだまし"の作品だと言われた手塚が、「ふしぎな国のプッチャー」に「対抗するかのようなSF漫画『メトロポリス』を出版」するまで、10ヶ月をかけた「並々ならぬ苦労があったようだ」と述べています。
さらに、手塚の「アトム」にも「ふしぎな国のプッチャー」からの影響が「明確に出ている」として、この作品に出てくるロボット少年「ペリー」が、「十万馬力」で「科学の子」と呼ばれ、「ペリーは、プッチャーの父であるベッチャー博士が、交通事故で息子をなくしたロロー婦人のために作ったロボット」であるという設定について、「手塚治虫は横井福次郎に敬意を表して、アトムをペリーと同様な理由で生み出されたロボットにしたのではないか」と述べています。
第2章「子ども漫画の開拓者」では、昭和19年に横井が、小川哲男を引き継ぐ形で連載を続けた「火の玉カンチャン」について、「海を潜り、陸を走り、空を飛ぶことのできる情報収集・敵内部撹乱飛行体」である「火の玉」号に乗り込んだカンチャンと助手のタコ吉が米軍攻撃に出発するストーリーであり、「日本軍の敗色が濃くなった時期の連載だけに、形勢逆転を米軍を上回る科学兵器で達成しようと様々なアイデアが紹介される」と述べています。
また、昭和23年に連載した「ボックリ坊や」について、「西洋を舞台に色刷で描くという新しい試みの作品」であり、「漫画家の中で西洋人を描かせたら横井の右に出るものはいなかっただろう」理由として、「西洋映画俳優専門のブロマイド屋で働き、翻訳小説の挿絵を描いてきた横井の特別の技術」であったと述べています。そして、「横井がもう十年に来ていたら漫画の世界は変わっていただろうと言われる」が、「少なくとも子ども漫画の世界はもっと多様なものになっていた」と述べています。
第3章「大衆漫画の開拓者」では、「戦中から一般大衆向けストーリー漫画の分野でも活躍」してきた横井が、戦後、「オオ!市民諸君」「エミコの時計は何故進む」「家なき人々」などの作品で脚光を浴びたと述べています。
そして、昭和21年11月から昭和23年5月までに連載された「オオ!市民諸君」を、「横井の大衆向けストーリー漫画の代表作」であり、映画化されたことについて、「まさにこの原作漫画が時代状況を巧みに諷刺し、大衆にアピールしていたことを物語っている」と述べています。著者は、この作品を、「占領時代の真っ只中に生きた横井の現実感と民主主義、自由主義社会の先行きを予感して描いた作品だろう」と述べ、「文章、コマ漫画、漫画漫文が入り混じったもので、これほど複雑、多様な表現を使った漫画作品は空前絶後と言ってよい」と評しています。
第4章「戦前・戦中・戦後社会の記録者」では、横井が、「最初、ナンセンス漫画を描き出し、実力を認められて新漫画派集団に迎えられ」た後に、「次第に風俗漫画や子ども漫画に創造範囲を広げ、コマ漫画・連載漫画にも挑戦し」、「やがて挿絵画家としても通用するほどの表現力を身につけていく」と述べています。
また、横井が、小学校卒という学歴だが、「絵も文章も天才的な才能を持っていた」ことについて、「絵は北沢楽天が主宰する絵画塾の教育を受けているが、文章はまったくの独学である」として、「その語彙の広さを考えると、かなりの読書家で江戸文学からSF小説までもかじっていたのだろう。様々な挿絵の仕事をしていた頃は大衆文学にひたっていたといってよい」と述べています。
第5章「横井福次郎の生涯」では、昭和5年に、時事新報社活字鋳造部に入社した横井が、同紙の日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主宰)を目にし、「漫画なら自分にも描けるかもしれない……」と、「小学校の頃からの絵の仕事への憧れ」から、ナンセンス漫画に挑戦したことが述べられています。
そして、昭和9年から昭和13年にかけては、「漫画だけでなく挿絵の仕事にも積極的に関わった」として、「様々なジャンルの小説の挿絵を担当」する中で、「空想科学小説の作家として知られる海野十三」をいったことが、後の「火の玉カンチャン」「ふしぎな国のプッチャー」「冒険児プッチャー」などの冒険科学漫画・SF漫画の発想に影響したことが「十分考えられる」と解説しています。
また、「新しい漫画雑誌あるいは漫画を重視する雑誌が登場」した昭和21年が、横井が、「生涯の代表作ともいうべき作品のほとんどを一気に"吐き"出す」年であったと述べ、「横井が秘めていたアイデアが一気に爆発し、漫画家として完全に開花した年となった。ストーリー・テラーとして、表現者としての才能が十分発揮できるようになったからである」と解説しています。
昭和23年には、『冒険ターザン』をはじめ、単行本が出版され、「印税というまとまった収入」をもたらすようになり、念願の家を東京に手に入れることができたが、「月35本の連載をかかえた時もあった」ため、「締切を守るための徹夜の仕事が続き、それが彼の命を縮めていくことになる」として、昭和23年12月5日、36歳の若さで急逝したと述べています。
著者は、横井福次郎の日本漫画死に果たした役割について、「横井が日本SF漫画の先駆者であり、岡本一平を継ぐ大衆向けストーリー漫画の開拓者であった」とした上で、「その精神は手塚治虫に継承されたことは疑いの余地がない」ことや、昭和24~25年にかけて次々と漫画雑誌が休廃刊し、戦後の第一次大衆漫画ブームが終わってしまうことについて、「漫画界が横井を失った影響は極めて大きい」と述べています。
本書は、今ではほとんどその名を目にすることがない、戦後漫画をスタートさせた埋もれた第一人者を発掘した一冊です。
■ 個人的な視点から
終戦直後の第一次大衆漫画ブームの中で、大人向けの風刺漫画から児童向け漫画まで、才能が幅広すぎるがゆえに燃え尽きてしまった、と考えると、当時の社会がいかに漫画を渇望していたか、ということの切実さを感じるような気がします。
現在の、山のような雑誌が出版され、漫画もその予備軍も大量にいる中で、この中に本物はどれだけいるのか、と考えずにはいられません。
■ どんな人にオススメ?
・手塚治虫が漫画を創造した神様だと信じている人。
■ 関連しそうな本
中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
大塚 英志, ササキバラ ゴウ 『教養としての〈まんが・アニメ〉』
中野 晴行 『マンガ産業論』
夏目 房之介, 宮本 大人, 鈴賀 れに, 瓜生 吉則, ヤマダトモコ 『マンガの居場所』
■ 百夜百音
【The Nutcracker】 New York City Ballet Orchestra オリジナル盤発売: 2000
娘に「くるみわり人形」のCD付き絵本を買ってあげて以来、我が家では「くるみわり人形」ブームです。それにしても一筋縄ではいかない原作は、ぜひきちんと読んでみたいものです。
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2008年05月23日
押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇
■ 書籍情報
【押し紙―新聞配達がつきとめた業界の闇】(#1219)
森下 琉
価格: ¥1980 (税込)
同時代社(2003/10)
本書は、「新聞配達労働者はこんなにたくさんいて、こんなにも過酷な労働をして、それにもかかわらずその職場は現在も労働基準法も守られていない無権利状態にある。そうした状況の根底に大新聞社の『押し紙』という問題がある」という事実を「リアルに示し」たものであり、「新聞配達労働者が、使用者の横暴に泣き寝入りせず、裁判闘争を含めて6年間に渡り不屈にたたかいを繰り広げ、労働者の権利を一歩前進させた貴重な記録」です。
序章「真夜中の配達」では、新聞配達労働の過酷な日常が、本書の舞台であり、全国でも数少ない「合売店」であるJR三島駅前の東部新聞販売会社とともに紹介されています。ひとりの担当者の配達部数は、朝刊で400件が普通であり、「現場に到着するまでの時間を除くと、平均して200軒を1時間で配っている」こと、「厳寒酷暑をいとえない、自然と真向う戸外労働」であり、「5時間と連続して睡眠をとることができない日常」を語っています。
第1章「新聞合売店の『近代化』」では、1973年頃まで、夏期や年末に支給される「賞与」は、「氷代」「餅代」と書かれ、「専務、常務、支配人などは、ネクタイ、背広姿であっても創業以来の、身内、子飼いの従業員で、所詮は法被に前垂れ姿の大番頭、小番頭の『商い』方針が払拭されていなかった」と述べています。
また、自分の地区の集金を完納できなかった「地区責」の氏名は、「札下がり」の見せしめとして、「大きな紙に書かれて、作業場に掲示され」、「給料で未集金分をさっぴかれ、給料支給も定例日より遅延された」と述べています。
そして、身内の葬式があっても、「葬式は昼からだろう」と、「朝刊を配ってくれ」と言う、「常識はずれ」がまかり通っていた、として、「労働条件や賃金規定を定めた『就業規則』など」はない状態であったと述べています。
第2章「配達労働者たちの矛と盾」では、「地区責任者の週休を確保するために導入された、代配要員制度」で入社した代配者たちが、「面接のとき、会社側の説明で、『毎月の給料に、地区責と代配の格差があるが、それは年二度支給されるボーナスで調整されるので、年収ではほぼ同等となる』とはっきり言われた」にもかかわらず、「実際は依然と『調整』」されず、労働基準法15条の「労働条件明示義務」もまったく果たされていなかったと述べています。
そして、代配と地区責の給料格差が、「地区責に支給されているチラシ配達給料が代配には、まったく支払われていないこと」によるものであることを突き止める過程が述べられています。
また、地元静岡で弁護士を探すにも、「具体的に相手が三島の新聞販売会社と分かると、『あの会社じゃねえ』と、みな関わりたくないようで、門前払いだった」ことが語られています。
第3章「チラシ配達給料にからむ『不正』の連鎖」では、「新聞と折込チラシは、販売店と配達者にとって、不可分で車の両輪のようになっている」者であり、「このチラシ配達給料が、会社とその同族の広告社の『収益確保』の泉であり、また労働者側からしてみると、会社が収奪の的として狙ってくる格好の対象でもあった」と述べ、平成9年7月に静岡地裁沼津支部に「チラシ配達給料の一部未払い返還請求事件」を、どう10月には、「代配労働者に支払われるべきチラシ配達給料の不払いにたいする損害賠償請求事件」を提訴したことが述べられています。
そして、「会社が従業員名義の銀行口座を勝手に開設して、濫用、私物化している」ことを、銀行で通帳元帳と通帳を照合した結果明らかにし、「本人分と会社分を区別して、本人分は個人が引き出せるが、会社分は別システムとして本人には引き出せず、通帳にも載らないシステムがあるのではないか」と述べています。
また、チラシの配達労働を巡り、代配制度導入以来15年間、チラシ配達給料は未払いになっていて、「年間の未払い賃金総額は3600万円に及ぶ」上、「地区責任者のチラシ配達給料からは、勝手に機械使用料が差し引かれ続けてきた」という「膨大な金の使途」について、「毎日まいにち、各新聞者から配送された新聞が、梱包のまま山のように積まれて、そして、一度も読まれることなく、真新しい『新聞』が『古紙』になっていく無残な現実」を挙げています。
第4章「押し紙」では、「1日1トンを超える量の新聞が、梱包を開けられることもなく倉庫に運び込まれた後、昔は週2回、いまは週3回、富士市の古紙問屋の4トントラックが回収に来て運び去っていく」と述べ、「全国的に部数が伸びず、経営のきびしい『毎日』のばあい、入荷数は5290部で、そのうち実際に配達されるのは、わずか2300部程度で、残紙3010部は廃棄される」という、「異常な事態」を明らかにしています。
そして、「会社は、この『押し紙』代金をねん出するため、長期にわたって、実にさまざまなことを行なってきた。年間1億円を超える巨大な『押し紙』代金は大新聞社への上納金のようなものなのだろうか」と述べています。
また、広告社が、「チラシ配付部数は公称5万部と宣伝しており、広告主はこれを信じて請求された額を支払っていた」が、実際に配達される部数は10%減で、「5000部が水増し分」であることについて、「会社の中ではチラシの挟み込み・配達給料から不当な賃金未払い(代配のチラシ配達給料、地区責の機械使用料無断控除)を行いながら、外ではそのチラシの部数を偽り、広告主に過分に請求をしている」ことを指摘しています。
そして、「こうした販売店の広告チラシの不正水増しも、背景には『押し紙』代金をなんとしてもねん出しなければならない不透明な傷口から、じくじくとしみ出てくる『膿』であると言えるかも知れない」と述べています。
第5章「むしりとられた生涯保障」では、従業員から実員を預かり、「私は銀行口座を持っておりませんので、私の勤務する朝日新聞販売店主(東部新聞反会社)を代理人に定め、退職金を受け取ることを委任しました」という「委任状」を、退職金共済組合に提出していたことを突き止め、「会社は、退職者に直接支払われるべき退職金の一部を不正に得ようと画策したと見られても仕方のない行為」であることを指摘するとともに、朝退共自体も、「『委任状』があったとしても、販売店主の口座に振り込むことが違法なことであるのは十分承知しているはずだった」として、「朝退共もまた、重大な責任を問われること」であると指摘しています。
そして、「こうした不可解な金の流れの背景には、『押し紙』の存在がはっきりとある」と指摘しています。
しかし、地裁判決は、「原告らの請求をいずれも棄却する」という平成13年に原告敗訴、東京地裁での控訴審は平成14年に控訴棄却が言い渡されています。そして、控訴審の判決日に、原告団が行なった各新聞者本社前でのビラ撒きの一週間後、会社側から和解申し入れがあったことについて、読売新聞社の「ワンマン社長の一喝」があったのではないかと推測しています。
本件の弁護を担当した星山弁護士は、この事件の意義として、
(1)就業規則もなく、年中無休で有給休暇もまったく認められなかった前近代的な職場に、労働基準法を曲がりなりにも適用させることができた。
(2)少数とはいえ、職場に、憲法・労組法で保障された労働組合が結成され、会社が勝手な労務管理をすることができなくなった。
(3)裁判では、労働者側が請求した一部しか認められなかったが、会社が違法な労務管理することを事実上やめさせ、被った損害も一部回復できた。
の3点を挙げています。
終章「炎は消えず」では、「日本の一地方、静岡県三島の位置新聞販売店の労働者たちが、無権利な労働条件に気づき、立ち上がった」背景に、「大新聞社の『押し紙』という強権に屈服しなければやっていけない新聞販売店の弱みがあり、新聞社はこのしわ寄せを、さらに弱い配達労働者に向け、彼らから絞る取れるだけ搾り取ろうとしたこと」が、6年間戦った労働事件の「基本構図」であると解説しています。
本書は、新聞配達の現場から染み出た「膿」をきっかけに、大新聞社の「闇」にかすかな光を当てた一冊です。
■ 個人的な視点から
本書のストレートなタイトルにもかかわらず、押し紙の実態は広く認知されていないような気がします。
押し売りで契約させられた新聞をクーリングオフで解約しても勝手に配っておいていくのは、そもそも販売店に新聞が余っているからであるのを知ったのは最近のような気がします。
そう言えば、ダイソーで割れ物用においてある新聞紙は関東でも広島の新聞ですが、あの古新聞はどんなルートで回ってくるものなんでしょうか。
■ どんな人にオススメ?
・インテリが書いてヤクザが売ると言われている新聞の実態を知りたい人。
■ 関連しそうな本
崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
黒薮 哲哉 『新聞があぶない―新聞販売黒書』 2008年04月24日
歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
小林 弘忠 『新聞報道と顔写真―写真のウソとマコト』 2008年03月28日
■ 百夜百マンガ
「アフター高校部活モノ」というか、甲子園で「落球」してしまった元高校球児と、ラグビーで「骨折」した元ラガーマンの緩いストーリーが実はたまらないというか、湘爆の後半ではなかなか出せなくなってしまったムードがよいです。
投稿者 tozaki : 06:00 | コメント (0) | トラックバック
2008年05月22日
誤報―新聞報道の死
■ 書籍情報
【誤報―新聞報道の死】(#1218)
後藤 文康
価格: ¥735 (税込)
岩波書店(1996/05)
本書は、マスメディアが多様化・巨大化し、社会、人間に極めて大きな影響を与えるようになった現代における誤報の問題を、「犯罪報道を手始めに、情報操作によるミスリード、でっちあげなど、いくつかの誤報のパターンを実例をあげて分析・検証」しているものです。
第1章「犯罪報道の深み」では、1994年に発生した「松本サリン事件」に関して、「この事件をめぐって新聞、テレビ、週刊誌などマスコミは、誤報の大合唱といった様相を示し、深刻な人権侵害を引き起こした」と述べています。
そして、重大な誤報が反復される原因として、
(1)マスコミが、犯罪事件では捜査当局を最大で最重要の情報源にしていること。
(2)時間に追われ、確認が不十分なまま見切り発車式に報道してしまうため。
(3)他の新聞、テレビなどとの過剰な競争心理。
の3点を挙げています。
また、1952年に大分県で起こった「菅生事件」を例に、「警察によるフレームアップ」を、「粘り強い取材と通信社の協力で、警察ぐるみの隠ぺい工作を打ち破って見せた」例として紹介するとともに、1988年の「大

【おせん 】
【1・2のアッホ!! 】
【妖精事件 】
【まんがサイエンス 】
【スローニン 】