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2008年05月04日
GHQ日本占領史 (17)出版の自由
■ 書籍情報
【GHQ日本占領史 (17)出版の自由】(#1200)
竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃
価格: ¥6090 (税込)
日本図書センター(1999/03)
本書は、GHQによる日本占領時の「出版の自由」に関する改革、特に報道に関する改革を記録したものです。
巻頭の「解説」では、古川純氏が、「占領軍当局は二重の責務を負った」として、
(1)軍国主義的・超国家主義的な思想を挫き、そのような思想を助長し、過去に民主主義的傾向を窒息させてきた公共的な情報メディアの統制措置を除去すること。
(2)情報メディアの中で及びそれを通じて民主主義的傾向の成長を奨励すること。
の2点を挙げています。
また、「検閲(censorship)は広い概念であり、占領軍による検閲と破たんに情報の自由な流れを公権力が事前に内容を審査して抑制する活動だけではなく、軍の作戦行動のための諜報(情報収集・分析・評価)活動をも含んで用いられた」と解説した上で、「占領軍の検閲をあまり言論統制の面からだけ見ないで、米太平洋陸軍としての占領軍が広く軍として有する諜報作戦の中で継続した民間検閲活動という位置づけのもとに総合的視野で考察する必要」を強調しています。
第1章「降伏時の状況」では、出版産業が、「戦争の間、日本の国民生活の他の部分と同様にひどい損害を受けた」と述べ、「政府の強制的戦時統合」によって、100以上あった日刊紙が55まで減らされるとともに、「戦前及び戦時の検閲と統制手段」によって、「すべての出版社に対して厳しい監視」が行なわれたと述べています。
第2章「プレスの自由のための青写真」では、最高司令官が、「日本のプレスを解放し、そして、民主勢力としてその発展を促す最高司令官の権限を基本政策指令に含まれた広範な指示から導き出した」として、
(1)市民的自由を確立し基本的人権を尊重すること。
(2)日本の人民に占領の目的、政策及び進捗状況を完全に知らしめること、そして、彼らを合衆国及びその他の民主主義諸国の歴史、制度、文化及び達成した成果に親しませること。
(3)日本の人民に、人民の困苦を引き起こすに当たって、軍国主義者、全体主義者及び超国家主義者が果たした役割を明らかにすること。
(4)軍事的安全保障と占領目的を達成するために必要最小限の統制のみを日本のプレスに課すこと。
(5)民主的な理念と原則を普及することによって思想の自由を促進すること。
の5点を挙げています。
また、「全国的な独占的ニュース収拾機関である同盟通信は、顕著な犯罪者であった」として、同盟が、「戦争の終結は、連合軍の軍事的優越よりも天皇の『大御心(慈悲)』によってもたらされたものであり、そして、占領しているアメリカ人はたんに天皇の『顧客』にすぎないとの立場」をとったと主張したことを指摘しています。
さらに、新聞の事前検閲に当たり、「公刊を意図したすべての版のゲラ刷りを2部提出することを要求」され、「校正刷りの1部は、許可された印が付けられ、もしくは削除部分のために印づけられて返却され」、「写しの一部は発行された新聞と比較するために検閲当局に保存された」と述べています。
第3章「出版者が直面した諸問題」では、「国民的新聞の最高レベルのオーバーホールのためのパターン」が、東京で「3大紙」によって築かれたとして、
・毎日新聞:1945年8月29日に奥村信太郎社長が辞職し、1946年2月16日には顧問からも退職。
・朝日新聞:村山長挙社長、上野清一会長及び従業員に受け入れられた5名を除くすべての取締役が1945年11月5日に辞職。
・読売新聞:正力松太郎社長が、SCAPが戦争犯罪容疑で彼の拘束を命じるまで、従業員の圧力に耐えたが、その後、正力と20人の読売役員ならびに取締役は辞職。
の3点を解説しています。
第4章「ニュースの収集」では、「政府の管理下にあり助成を受けている[新聞]組合通信社」である「同盟通信社」が、「占領開始時における日本ので唯一のニュース収集・配信組織」であったが、最高司令官の1945年9月24日の指令が、「同盟から独占的特権及び政府支援の両方を剥奪した」と述べています。
そして、「同盟解散の直前に、同盟の理事会と加盟新聞社は新たな組合通信社」である「共同通信」の計画を立案し、「多くの同盟従業員は共同で同じ地位を保った」と述べ、「共同への参加を断った若干の前同盟従業員」が、「時事通信社」と呼ばれる分離組織を作り、「共同と時事はライバル通信社として競争するよりも、共同は新聞社と日本放送協会にサービスを限定し、時事は個人購読者だけにニュースを売るという『紳士協定』を立案した」と述べ、時事通信社が、1945年に750名の従業員で操業を開始し、1950年には1444名になったと述べています。
また、第3の通信社であるラヂオ・プレスが、「英語を話す2世によって降伏後間もなくに設立された」ほか、「占領の最初の年が終わる前に、より小規模な50を超す通信社がこの分野に参入した」と述べています。
第5章「労働者とプレス」では、「政府のプレス統制を崩壊させる降伏勅書の直後に、日本の大新聞の当同社は多くは彼らが久しく課せられていたと感じた抑圧のくびきを、彼ら自身で取り除くための落ち着きのない運動を始めた」と述べたうえで、「占領中の最も重要な労働争議は、読売で起こった」として、「従業員の行動、結果としてのストおよび結果として生じた解決は、出版業界中で数年間、先例および雛形として位置づけられた」と述べています。
そして、1945年の読売争議において、「正力松太郎社長以下の読売首脳陣の退陣」と「経営陣と取締役の影響力を削減し、編集責任の大部分を従業員に引き渡す」という抜本的な経営改革を要求したが、正力は拒絶し、結局、1945年12月1日に正力が戦争犯罪容疑で逮捕されたことで、「読売首脳陣は労組の要求にほぼ全面的に同意した」と述べています。
また、朝日新聞の労働争議では、6人の従業員代表が、「村山長挙社長、上野清一会長、ならびい朝日の全取締役の辞職を求め」たのに対し、村山は、要求を拒否した上、6人の代表の辞職を求めるという報復に出たため、従業員グループは、村山の辞職を求めるビラを印刷・配付し、職場の重要ポストを占拠したと述べています。
第6章「戦後の刊行物」では、「1県1紙、東京で5紙、大阪で4誌という新聞発行の制限が撤廃されると、資本と新聞事業に近づく方法を有する企業者に広範な市場をもたらした」と述べ、「戦後の日刊紙のほとんどは、読者層を、既成新聞の読者層を侵すのではなく、拡張しつつある新聞市場の中で獲得した」と述べています。
そして、「新発行日刊紙の多数は夕刊紙であり、夕刊紙というのは、大新聞のほとんどが朝刊紙なのであまり立て込んでいない分野であった」が、1949年に起きた朝刊大新聞の夕刊発行によって、「夕刊旋風」を解き放ったと述べています。
また、「新聞に対する公衆の信頼を損なうような機能を果たし、戦後日本の出版会を撹乱した特徴」として、「普通は限定部数・不定期発行のタブロイド版」で、「ゆすりや恐喝のためにならず者に利用された」「ゴロツキ新聞」について言及し、「『ゴロツキ新聞』の発行者は、もし彼らの揺すり・たかりを警察に知らせた場合には肉体的な暴行を加えると脅すことによって、対象となる犠牲者を脅迫した」と述べています。
さらに、雑誌に関しては、「最も多く求められる5大婦人誌」として、「主婦の友」、「主婦と生活」、「婦人クラブ」、「婦人生活」、「ひまわり」を、総合雑誌としては、「世界」、「文藝春秋」、「中央公論」、「改造」を挙げています。
第7章「小新聞対全国的日刊紙」では、「戦時中に新聞を規制した無数の政府規則と影響力のあるSCAPの改革にもかかわらず、1つの際立った特徴が変わらずに残った」として、「全国的新聞の支配―東京の3大新聞」を挙げた上で、それが、「明治維新に引き続き日本で発展してきた政治的・文化的生活のすべての形態が極端に東京に集中したことの必然的な結果」であると解説しています。
第8章「プレスの改善」では、「戦前および戦時中に政府がプレスを統制するシステムの一部として利用した装置」である「記者クラブ」について、「SCAPが新聞協会に対して記者クラブ・システムの固有の害悪について印象づけた後に、力が弱まった」と述べています。
そして、「共産党員の排除」の結果、「東京の新聞および通信社では解雇者または退職者は183名を数えた」他、大阪の77名をはじめ、全国では500名のレベルを記録したと述べています。
また、「降伏後の初期において、プレスの自由に対し、民主的なプレスの発展を阻害する小さな、しかし時には影響のある制約があった」として、「すべての重要な政府機関のオフィスで機能した記者クラブという制度」を挙げています。
さらに、「読者が競争紙との間の報道合戦に巻き込まれ完全に混乱した」事件として、朝日新聞による「本庄事件」と、読売新聞による「銚子事件」を挙げ、前者では、「本庄について、警察組織を買収し法を公然と無視して住民を恐怖に陥れるような暴力団員・バクチ打ち・ゆすり集団の支配する『暴力の町』」と書き、後者では、銚子について、「高寅[タカトラ、高橋寅松]という名前の地元のバクチ打ちのボスが仲間の1人に銚子の小新聞『大衆日報』の記者であるコシカワ・イノスケを襲うよう命じた」と読売新聞が報じたと述べています。
第10章「書籍出版」では、書籍販売に関して、降伏後4年間は、「日本出版配給統制会社(通称『日配』)の事実上の独占であった」と述べた上で、1949年3月27日に、「閉鎖機関令」と「過度経済力集中排除法」の規定により、「閉鎖機関の指令を受けた」と述べています。
本書は、終戦直後の出版業界の有様と、現在のマスコミの姿のルーツを伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
マスコミっていうのも規制産業ですから、「なぜ現在のような状態になってしまったのか」を考える上で、「経路依存性」がありすぎるほどあるので、終戦直後に遡ったり、戦前に遡ったり、明治にまで遡らないとわからないことが山ほどあります。
その意味で本書は重要な資料なのではないかと思いますが、なにしろ、大昔でありながら登場メンバーの顔ぶれは現在とほとんど変わりませんから、読み物としても十分読める一冊だと思います。
■ どんな人にオススメ?
・現在の新聞社の素性を知りたい人。
■ 関連しそうな本
今西 光男 『占領期の朝日新聞と戦争責任 村山長挙と緒方竹虎』 2008年04月27日
今西 光男 『新聞 資本と経営の昭和史 朝日新聞筆政・緒方竹虎の苦悩』 2008年04月05日
崎川 洋光 『新聞社販売局担当員日誌』 2008年04月22日
河内 孝 『新聞社―破綻したビジネスモデル』 2008年04月08日
本郷 美則 『新聞があぶない』 2008年04月07日
河崎 吉紀 『制度化される新聞記者―その学歴・採用・資格』 2006年11月10日
■ 百夜百音
【GAME】 Perfume オリジナル盤発売: 2008
いまだにポリリズム売れてるみたいです。去年、カラオケでパフューム歌ったときは誰も知らなかったのが嘘みたいです。
ちなみに今日は館山に行って来て、地元の安房校の人のX-JAPAN話を聞いてきたので。
投稿者 tozaki : 2008年05月04日 22:00
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