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2008年05月06日
愛の空間
■ 書籍情報
【愛の空間】(#1202)
井上 章一
価格: ¥2100 (税込)
角川書店(1999/08)
本書は、日本人の男女の性愛空間が、どのように移り変わり、それに従い、ラブホテルなどの建築様式にどのような影響を与えてきたかを論じたものです。
第1章「森の恋人たち」でjは、「性行為の場所が屋内へ集約されだしたのは、わりあいに新しい現象なのである」として、「第二次世界大戦の敗戦後、20世紀なかごろ」には、「皇居前広場」は、「野外で性交をしあう男女の集まる場所」であり、「このころのひとびとは、皇居前広場と聞くだけで、そのことがピンときた」と述べています。
そして、「敗戦直後の皇居前広場で性愛にふけっていた男は、外国人であった」として、ここが、「堀をはさんで、占領軍の総司令部に面していた」ため、「占領軍の兵士たちが、集まりやすい場所だった」と指摘しています。
一方で、「屋外での性交は、対米戦争以前から、ごくふつうにおこなわれていた。日本の、とくに農山村漁村では、当たり前の慣行だったのである」ことを指摘し、皇居前広場の「密会」は、「近代ではなく、古い民俗の側にぞくする性愛だった」と述べ、「じっさいは古くからある民俗慣行を、そんなふうに誤解する。いわゆる『性の解放』を近代的だと考える偏見に、毒されていたというほかない」と述べています。
第2章「芸者たちと、待合と」では、「昔の待合には、ラブホテル的な機能があった」が、「それだけに用途が限定されていたわけではない」と述べ、「男たちの芸者買いをサポートするのが、待合にとっての常態であった。しろうとの恋人たちも、そういった場所を転用させてもらっていたのである」と述べています。
また、警察も、「賭博は御法度であるが、密売淫は差し支えない」ぐらいの気持ちで、待合に臨んでいたのではないかと述べています。
第3章「ソバ屋のできごと」では、「ソバ屋の二階と言えば、恋を語るには絶好の場所であったわけだ。席料をとる訳ではなし誂え物をしてそれを運んでくれば、今度は客の方から手を叩くまでは誰も二階へ上がっては来ないまことに粋なものであった」という言葉を紹介した上で、汁粉屋、鰻屋、お好み焼き屋、テンプラ屋などについての記録もあるとして、「けっきょく、飲食店には、おおむねそういう属性があったのだというしかない」と述べ、「酔客への接待を兼業する待合があったこと」を挙げ、「ここでも、食と性は未分化な面を持っていたのである」と述べています。著者は、「食と性は、ソバ屋あたりを媒介にして、江戸時代から接点を持っていた。それが、1930年代になって、互いに分離し始める。20世紀のなかごろまでは、かねあうこともあっただろう。しかし、昭和史が、そのつながりを徐々に弱める過程であったことは、まちがいない」と指摘しています。
第4章「円宿時代」では、「1910-20年代になると、新しい施設も、郊外へでき始める」として、「しろうとにもはいりやすい宿泊所が、ととのいだしてきた」と述べています。
そして、1930年代になると、「一人一円で、部屋を借りることができる」、「低料金の時間貸し、いわゆる『御休憩』用の空間が、市街地にも広がりだす」と述べています。
著者は、「1920年代は、女を店から連れ出す売買春が増えた時代」であり、「しろうとたちも、同じ頃に並行して屋内での性愛へ、傾斜しだしている」という二つの趨勢が、重なり合って、「性愛への空間提供産業を成長させていく」と解説しています。
第5章「鏡と風呂」では、敗戦後、「戦時中の空襲をのりこえてやけのこった建物」も、「しばしば性愛用に転用されている」として、「かつて富豪たちが持っていた邸宅」が、「戦後の諸改革などで、収入を減らされた没落階級が、こんな営業を始めていたらしい」と述べています。
また、「温泉マーク」と呼ばれるつれこみ宿について、「温泉マーク」にかわる新語として、「さかさくらげ」や「スリーS」という言い回しがなされたことについて、「性的なアイテムが、隠語を要請する度合いの強さを、あらためて認識するしだいである」と述べています。
第6章「ラブホテルの時代」では、「1960、70年代のラブホテルに和風の意匠が多い点」について、「戦前以来の待合=料亭が、和風の数奇屋づくりを維持していた」というテイストが、鉄筋コンクリートの時代にも、保たれていたのではないか、として、「ラブホテルの業者たちは、その多くが色街に出自を持っていた。そう仮定すれば、和風のホテルが登場したことも、うなずける。花柳界の演出が、ホテル建築のそれにも引き継がれたのだと考えれば、それですむ」と述べています。
また、「ラブホテルは、一般の男女が使うことをうたった施設」であるが、「古めかしい売買春の伝統を、ずいぶん引きずっていた。そして、そんな娼館が一般人へも門戸を開放していたということでは、なかったか」と述べ、「屋内は、伝統的にプロスティテュートの世界だったのである」として、「たとえ、ラブホテルの時代になっても、その構図は変わらなかったような気がする」と語っています。
第7章「意匠、風俗、そして警察」では、「ラブホテルのデザインが、1980年代に入り大きく変わりだした」ことについて、「ラブホテルが、私娼のよびだしをしなくなった」ことで、「娼館的な営業からは、以前より距離を置きだした」ために、「『アダルト』風の演出が、影をひそめていった」のではないかと述べています。
一方で、ジャズ・ピアニストのデューク・ジョーダンに「ラブホテル」という曲があるように、東京ディズニーランドができる前から、「日本的ディズニーランダゼイションを、展開していた」と延べ、「娼館色の濃い時代には、ラブホテルのディズニーランド風も、公共建築まで広がらない」が、「ラブホテルが娼館色をうすめてくる」と、「一般的な建築とラブホテルの境界はぼやけ、互いの滲透圧が高まった。そのために、図書館や学校建築へも、ラブホテル的な造形が顔を出したのだと考えたい」と述べています。
本書は、近代から現代にかけての「悪所」の使われ方を、わかりやすく切り取った一冊です。
■ 個人的な視点から
よく、「昔は男に夕食に誘われて付いて行くってのはOKも同然だった」という人がいますが、昔の飲食店が、性と未分化な状態で、言ってみれば隣の部屋には布団が敷いてあるようなものだったことを知らないと、ミスリーディングになるのではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・蕎麦屋に2階があることに気づかなかった人。
■ 関連しそうな本
井上 章一 『新版 霊柩車の誕生』
加藤 政洋 『花街 異空間の都市史』 2006年07月10日
加藤 政洋 『大阪のスラムと盛り場―近代都市と場所の系譜学』
紀田 順一郎 『東京の下層社会―明治から終戦まで』 2006年07月27日
横山 源之助 『日本の下層社会』 2006年08月11日
松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日
■ 百夜百音
【明日に向かって走れ ― 月夜の歌】 エレファントカシマシ オリジナル盤発売: 1997
ポップになったかと思ったとたんに「悲しみが止まらない」にそっくりになっちゃたりしたのは、無理がたたったのでしょうか。
『エレファントカシマシ SINGLES 1988-2001』
投稿者 tozaki : 2008年05月06日 21:00
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