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2008年05月24日

戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡

■ 書籍情報

戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡   【戦後漫画のトップランナー横井福次郎―手塚治虫もひれ伏した天才漫画家の軌跡】(#1220)

  清水 勲
  価格: ¥2835 (税込)
  臨川書店(2008/01)

 本書は、「戦後漫画のトップランナーであり、『メトロポリス』『アトム』などの手塚作品にも影響を与えた天才漫画家横井福次郎の障害と作品を現代に紹介するもの」です。なお、横山隆一の「フクちゃん」は、「横井の名前にヒントを得た」キャラクターであると説明されています。
 第1章「プッチャーとターザン」では、昭和23年1月頃、手塚治虫が横井福次郎に会い、当時、手塚の「話題の書であり、売れ行きが良いために自信を持っていた」『新宝島』を横井に見せたが、「横井にはだいぶ物足りなく写った」と述べ、当時、「ふしぎな国のプッチャー」を連載中で、「その未来社会を漫画と魅力的な分掌で描く絵物語スタイルで人気を博していた」横井の、「SF小説の巨匠・海野十三の世界に影響を受けた内容と比べて『新宝島』は"こどもだまし"に近いと思われても仕方がなかったかもしれない」としています。
 そして、横井の「ふしぎな国のプッチャー」を、「百年後の未来社会のイメージを漫画で具体的に示した最初の作品」とした上で、横井から"子どもだまし"の作品だと言われた手塚が、「ふしぎな国のプッチャー」に「対抗するかのようなSF漫画『メトロポリス』を出版」するまで、10ヶ月をかけた「並々ならぬ苦労があったようだ」と述べています。
 さらに、手塚の「アトム」にも「ふしぎな国のプッチャー」からの影響が「明確に出ている」として、この作品に出てくるロボット少年「ペリー」が、「十万馬力」で「科学の子」と呼ばれ、「ペリーは、プッチャーの父であるベッチャー博士が、交通事故で息子をなくしたロロー婦人のために作ったロボット」であるという設定について、「手塚治虫は横井福次郎に敬意を表して、アトムをペリーと同様な理由で生み出されたロボットにしたのではないか」と述べています。
 第2章「子ども漫画の開拓者」では、昭和19年に横井が、小川哲男を引き継ぐ形で連載を続けた「火の玉カンチャン」について、「海を潜り、陸を走り、空を飛ぶことのできる情報収集・敵内部撹乱飛行体」である「火の玉」号に乗り込んだカンチャンと助手のタコ吉が米軍攻撃に出発するストーリーであり、「日本軍の敗色が濃くなった時期の連載だけに、形勢逆転を米軍を上回る科学兵器で達成しようと様々なアイデアが紹介される」と述べています。
 また、昭和23年に連載した「ボックリ坊や」について、「西洋を舞台に色刷で描くという新しい試みの作品」であり、「漫画家の中で西洋人を描かせたら横井の右に出るものはいなかっただろう」理由として、「西洋映画俳優専門のブロマイド屋で働き、翻訳小説の挿絵を描いてきた横井の特別の技術」であったと述べています。そして、「横井がもう十年に来ていたら漫画の世界は変わっていただろうと言われる」が、「少なくとも子ども漫画の世界はもっと多様なものになっていた」と述べています。
 第3章「大衆漫画の開拓者」では、「戦中から一般大衆向けストーリー漫画の分野でも活躍」してきた横井が、戦後、「オオ!市民諸君」「エミコの時計は何故進む」「家なき人々」などの作品で脚光を浴びたと述べています。
 そして、昭和21年11月から昭和23年5月までに連載された「オオ!市民諸君」を、「横井の大衆向けストーリー漫画の代表作」であり、映画化されたことについて、「まさにこの原作漫画が時代状況を巧みに諷刺し、大衆にアピールしていたことを物語っている」と述べています。著者は、この作品を、「占領時代の真っ只中に生きた横井の現実感と民主主義、自由主義社会の先行きを予感して描いた作品だろう」と述べ、「文章、コマ漫画、漫画漫文が入り混じったもので、これほど複雑、多様な表現を使った漫画作品は空前絶後と言ってよい」と評しています。
 第4章「戦前・戦中・戦後社会の記録者」では、横井が、「最初、ナンセンス漫画を描き出し、実力を認められて新漫画派集団に迎えられ」た後に、「次第に風俗漫画や子ども漫画に創造範囲を広げ、コマ漫画・連載漫画にも挑戦し」、「やがて挿絵画家としても通用するほどの表現力を身につけていく」と述べています。
 また、横井が、小学校卒という学歴だが、「絵も文章も天才的な才能を持っていた」ことについて、「絵は北沢楽天が主宰する絵画塾の教育を受けているが、文章はまったくの独学である」として、「その語彙の広さを考えると、かなりの読書家で江戸文学からSF小説までもかじっていたのだろう。様々な挿絵の仕事をしていた頃は大衆文学にひたっていたといってよい」と述べています。
 第5章「横井福次郎の生涯」では、昭和5年に、時事新報社活字鋳造部に入社した横井が、同紙の日曜付録『時事漫画』(北沢楽天主宰)を目にし、「漫画なら自分にも描けるかもしれない……」と、「小学校の頃からの絵の仕事への憧れ」から、ナンセンス漫画に挑戦したことが述べられています。
 そして、昭和9年から昭和13年にかけては、「漫画だけでなく挿絵の仕事にも積極的に関わった」として、「様々なジャンルの小説の挿絵を担当」する中で、「空想科学小説の作家として知られる海野十三」をいったことが、後の「火の玉カンチャン」「ふしぎな国のプッチャー」「冒険児プッチャー」などの冒険科学漫画・SF漫画の発想に影響したことが「十分考えられる」と解説しています。
 また、「新しい漫画雑誌あるいは漫画を重視する雑誌が登場」した昭和21年が、横井が、「生涯の代表作ともいうべき作品のほとんどを一気に"吐き"出す」年であったと述べ、「横井が秘めていたアイデアが一気に爆発し、漫画家として完全に開花した年となった。ストーリー・テラーとして、表現者としての才能が十分発揮できるようになったからである」と解説しています。
 昭和23年には、『冒険ターザン』をはじめ、単行本が出版され、「印税というまとまった収入」をもたらすようになり、念願の家を東京に手に入れることができたが、「月35本の連載をかかえた時もあった」ため、「締切を守るための徹夜の仕事が続き、それが彼の命を縮めていくことになる」として、昭和23年12月5日、36歳の若さで急逝したと述べています。
 著者は、横井福次郎の日本漫画死に果たした役割について、「横井が日本SF漫画の先駆者であり、岡本一平を継ぐ大衆向けストーリー漫画の開拓者であった」とした上で、「その精神は手塚治虫に継承されたことは疑いの余地がない」ことや、昭和24~25年にかけて次々と漫画雑誌が休廃刊し、戦後の第一次大衆漫画ブームが終わってしまうことについて、「漫画界が横井を失った影響は極めて大きい」と述べています。
 本書は、今ではほとんどその名を目にすることがない、戦後漫画をスタートさせた埋もれた第一人者を発掘した一冊です。


■ 個人的な視点から

 終戦直後の第一次大衆漫画ブームの中で、大人向けの風刺漫画から児童向け漫画まで、才能が幅広すぎるがゆえに燃え尽きてしまった、と考えると、当時の社会がいかに漫画を渇望していたか、ということの切実さを感じるような気がします。
 現在の、山のような雑誌が出版され、漫画もその予備軍も大量にいる中で、この中に本物はどれだけいるのか、と考えずにはいられません。


■ どんな人にオススメ?

・手塚治虫が漫画を創造した神様だと信じている人。


■ 関連しそうな本

 中野 晴行 『謎のマンガ家・酒井七馬伝―「新宝島」伝説の光と影』 2007年07月28日
 手塚 治虫 『ぼくはマンガ家―手塚治虫自伝』 2005年05月28日
 うしお そうじ 『手塚治虫とボク』 2007年10月06日
 大塚 英志, ササキバラ ゴウ 『教養としての〈まんが・アニメ〉』
 中野 晴行 『マンガ産業論』
 夏目 房之介, 宮本 大人, 鈴賀 れに, 瓜生 吉則, ヤマダトモコ 『マンガの居場所』


■ 百夜百音

The Nutcracker【The Nutcracker】 New York City Ballet Orchestra オリジナル盤発売: 2000

 娘に「くるみわり人形」のCD付き絵本を買ってあげて以来、我が家では「くるみわり人形」ブームです。それにしても一筋縄ではいかない原作は、ぜひきちんと読んでみたいものです。

『くるみ割り人形』くるみ割り人形


投稿者 tozaki : 2008年05月24日 06:00

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