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2008年05月25日

だれが「本」を殺すのか

■ 書籍情報

だれが「本」を殺すのか   【だれが「本」を殺すのか】(#1221)

  佐野 眞一
  価格: ¥1890 (税込)
  プレジデント社(2001/02)

 本書は、「『本』のない生活は、色のない絵画や味のしない料理のようなもの」ほどの著者にとってもっとも身近な「本」の世界を、著者自身が手法にしてきたノンフィクションの形で表したものです。
 著者は、「『本』を取り巻く状況の変化を描くことを通して、われわれが今どんな地点に立っているのか」を記していくとしています。
 第1章「書店」では、「適正な市場規模をはるかに超えた新刊ラッシュとオーバーストア状況」が、「『本』の需給関係に決定的なアンバランスをもたらし、今日いわれる出版クラッシュを招く主因となった」と述べています。
 そして、旭屋書店社長の早嶋茂は、「これからは、欲しいものがどこにあるかわからない、というお客さんのサインをどうキャッチできるか」であるとして、「本屋は本来ソリューション(問題解決方法の提案、提示)ビジネス」ではないかと述べています。
 また、往来堂書店店長の安藤哲也は、本棚は「管理」するものではなく、「編集」するものであり、「朝、届いたダンボールを開けるまで何が入っているかわからない商売なんてほかにありません」と語っています。
 さらに、盛岡市の「さわや」店長の伊藤清彦は、「書店の店長の一番の仕事は、商品の内容分析」だと述べ、「本を読まない書店員は絶対だめです。うちでは、読まない人はすぐにやめてもらってます」と語っています。
 第2章「流通」では、ブックサービス社長で、元大和運輸の木村傑が、「ヤマトでは重たい荷物ばっかり担がされてきたから、本なんて軽い、軽い。出版会の方たちは頭がよすぎる人ばかりで……」と語っています。
 また、「書店に注文していくら待っていたとしても読者に本が」届かない理由として、現在では「5冊を最低単位として書店に発送している」ことを挙げ、「約20年前までは『経済重量』といって、最低20キロ、冊数で50~60冊にならないと発送しなかった」と述べています。
 そして、某書店人が「新刊ラッシュで埋もれた既刊の良書を売りたい」と雑誌のエッセイに書いたところ、大手版元の営業マンから、「書店は新刊だけ売っていたらいいんだ。お前みたいなことをいう店には今後新刊本を送らなくするぞ」という脅迫状を、「取次ぎの荷物と一緒に」送ってきたという逸話を紹介しています。
 さらに、イトーヨーカ堂社長/セブン-イレブン・ジャパンの会長の鈴木敏文が、イトーヨーカ堂の前に、東京出版販売(現・トーハン)に在籍していたことを紹介し、鈴木が、「まだ街の書店では朝10時にならないと店を開けないし、夜の6時か7時になると、もう店を閉めちゃう。その上、自分たちが発注して、自分が本を揃えるという発想がなく、取次から送られてくるものをただ並べている」と述べていることを紹介しています。
 著者は、鈴木へのインタビューの中で、「たいへんすぐれたマーケッターの裏に漂うかすかなルサンチマンのにおい」を嗅ぎ取ったとして、鈴木が、新聞記者への夢が破れて取り次ぎに就職したことを挙げ、「鈴木は出版流通のことを熱を込めて語りながら、こと『本』の内容となるとほとんど関心を持って」いないことは、「取次時代の息苦しい仕事と、どこか無意識の中でつながっているのではないか」と、自らは「妄想」であると逃げ道を作りながら語っています。
 また、紀伊国屋書店の松原会長は、ブックオフに対して、「そんなにお読みになった本があるはずはない」、「ほとんど万引きの品物が流れていっている」と述べ、ある大手書店の元店長は、「売れない書店の中にはブックオフから本を買ってきて平気で返品をしているところ」があると述べています。
 一方、ブックオフの坂本孝に対しては、原宿ラフォーレ前にオープンした旗艦店を、「外も内も本屋のオープンの雰囲気とはおよそほど遠く、アメ横の歳末セールか居酒屋チェーンの新装開店のようである」と揶揄し、「ピンク色のワイシャツに赤いネクタイ」の坂本に、ジョークのつもりで「今度出る『だれが「本」を殺すのか』のサイン会をここでやらせてもらえませんか」と言ったところ、「坂本はそれを真に受け、『マルです、マルです。二重丸』と大喜びで答えた」と見下して紹介しています。
 第3章「版元」では、中央公論社の読売新聞社への身売りが、「これまでムード的に語られてきた感のある出版不況というものを、現実のものとして白日の下にいやおうなくさらけだした」と述べたうえで、「中公の経営危機と読売による買収劇」が、「中公の知的ブランドという言葉に集約されているのかもしれない」と述べています。
 そして、出版社の経営陣が、「数字に明るくないことが、あたかも良い出版者の証だと信じてきたフシがある」として、ある大手出版社の元役員が、「決算が出ると、数字の桁がみなわからず、下から、一、十、百、千、万、と位どりするのが常に繰り返される風景だった」と語っていたことを紹介しています。
 また、社員について、「1940年体制を引きずった出版流通システムに加え、左翼運動を装いながら、その実労働貴族のモノ取り主義でしかない組合運動が横行する。そしてちょっとでも批判がましい声が出ようものなら、われわれは出版文化に寄与する良書をつくってるんだと夜郎自大にふんぞり返る」として、「左翼労働運動が出版流通の40年体制を補完した」と指摘して今すい。
 第4章「地方出版」では、「現在、本というものがどんな状況に置かれているかを物語る」エピソードとして、秋田の西木村という図書館のない小さな村の、村役場の若者たちが、「転勤や引越しなどで不要になった本をください」と東京に向けて呼びかけ、「朝日新聞がこれを美談仕立てにして大きく報じたところ、たちまち30万冊の本が集まった」が、『脳内革命』や『窓際のトットちゃん』、『気くばりのすすめ』なんかが数十冊ぐらいずつあり、「この3冊で図書館ができるくらい」だったこと、ほとんどすべての段ボール箱に手紙が入っていたが、「要するに善意の押し売り」であったことを紹介した上で、「日本人のメンタリティーの中に本というものが、かなり特別なものとして意識されていることの証」であると述べています。
 また、長野には、32も地方出版社があり、印刷製本所も多数あることについて、「さすが岩波、筑摩を生み出した出版王国だけのことはある」と述べ、その理由として、「戦時中、東京の印刷製本会社が長野に疎開してそのまま残ったこと」を挙げています。
 第5章「編集者」では、吉本隆明が、「物書きのほうから見える編集者」のタイプとして、
(1)自分も物書きであるか物書きの候補者の匂いを持ったもの
(2)自分が所属している出版社を背光にして文壇的にか政治的にか物書きを将棋の駒のように並べたり牛耳ったりしてやろうと意識的にあるいは無意識のうちに考えているもの
(3)ほかの職業と同じような意味で偶然、出版社に職を得ているといった薄ぼんやりしたもの
の3つのタイプを挙げていることを紹介しています。
 第6章「図書館」では、著者が参加した「本の学校」のシンポジウムで、「図書館関係者の分科会は、まるでお通夜のように精彩がなかった」と述べ、「進歩的文化人そのままの言説の洪水に、私はやれやれと思った。これでは『週刊金曜日』が出したベストセラー『買ってはいけない』の市民集会となんら変わらないではないか。分科会ははじめから終わりまで『善意』の押し売りに終始した」と指摘しています。
 また、ブックオフやブックサービスなどの「抜け目のない商売人たち」と比較し、「図書館業界ではそうした狡猾といってもいいような人物はほとんど見当たらなかった」と指摘し、「狡猾さ、といって悪ければ、したたかさを持って時代と斬り結ぶことができなければ、住民サービスという公務員本来の仕事を放棄することにもつながりかねない」と述べています。
 第7章「書評」では、「ダ・ヴィンチ」について、「現在の読書状況についてほとんど異議らしい異議が見当たらない姿勢が、一見健全に見える紙面とは裏腹に、『日本読書新聞』の左翼教養主義を裏返しただけの、現状安住の退廃と畸型性のようなものが垣間見えてならない」と指摘し、「このミステリーがすごい」や「ダ・ヴィンチ」の登場を、「書評世界における教養主義の終焉ということができる」と述べています。
 また、著者自身が書評する場合には、「その本が誰かに薦めるに値する本かどうかを最低限の基準」とし、「もってまわった表現で自分の芸をいやらしくひけらかしたり、身辺雑記をチラつかせることが書評の極意だと勘違いしているやからが、日本の書評界にはまだ後を立たないようだが、簡潔にその本の内容を紹介し、その本を読んでくださいと愚直に進めるのが書評の王道」であると述べています。
 さらに、「もっぱら一方的な『芸』の舞台として語られてきたきらいがある書評の世界」が、「ネット社会の登場によって、読者と読者を結びつける触媒の要素へ変貌しようとしている」と述べています。
 第8章「電子出版」では、「この本は活字で印刷されている」という意味のことを書いたが、「この本に限らず活字で印刷された本など、今や日本からほとんど消滅してしまった」と述べています。
 「エピローグ」では、「本」ばなれに拍車をかけていると指摘されている時間消費型の携帯電話の爆発的普及について、「携帯電話による際限のないおしゃべりは、他者とコミュニケーションしているように見えて、実は脱コミュニケーションの心性に支配されている」とした上で、「『本』は、たとえどんな種類の本であろうと、無数の『so what』に答える装置を内蔵している」と述べ、「他者とのコミュニケーションを鍛錬するには、やはり『本』との対話という打ち込みや素振りが、最も理想的な環境となる」と述べています。
 本書は、「本」をめぐるさまざまな人たちの思いを垣間見ることができる一冊です。


■ 個人的な視点から

 この人は結構硬派なノンフィクションを書く人だという気がしていたのですが、こと自分が大好きな「本」のことになってしまうと地が出てしまうのか、三流雑誌のライターのような書き振りというか、まったく理不尽というか、言いがかり的な「書き逃げ」が多いような気がします。就職試験で落ちたことを根に持っているから、ナベツネや鈴木敏文はこんなことをしたんだ、なんてトリビアルすぎるというか、余計なお世話ではないでしょうか。
 全然関係ないですが、自分の中では、著者の名前を「さのまいち」と認識してしまっています。もちろん正しい読み方は知っているのですが、どうしても頭の中では、「佐野 眞一」という文字を「さのまいち」に変換されてしまって困っています。


■ どんな人にオススメ?

・「本」は誰が殺しているのか気になっている人。


■ 関連しそうな本

 佐野 真一 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』
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 山田 淳夫 『消える本屋―出版流通に何が起きているか』 2007年10月19日
 田口 久美子 『書店風雲録』
 小林 一博 『出版大崩壊―いま起きていること、次に来るもの』
 江口 宏志, 北尾トロ, 中山 亜弓, 永江 朗, 幅 允孝, 林 香公子, 堀部 篤史, 安岡 洋一 (著) 『本屋さんの仕事』


■ 百夜百音

サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~【サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~】 アニメ主題歌 オリジナル盤発売: 2004

 そういえば、サイボーグ009は断片的に連載ものの途中とか、単行本の断片とかを読んだくらいで、通しできっちり読んだことがないです。いつかきちんと読みたいです。

投稿者 tozaki : 2008年05月25日 06:00

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