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2008年06月26日

新版 霊柩車の誕生

■ 書籍情報

新版 霊柩車の誕生   【新版 霊柩車の誕生】(#1253)

  井上 章一
  価格: ¥1260 (税込)
  朝日新聞社新版 (1990/05)

 本書は、霊柩車について、
(1)霊柩車はいつごろどこで使用されるようになったのか。
(2)どのような経緯と背景のもとに霊柩車が生み出されていったのか。
(3)そのそもなぜあのようなデザインの車がつくりだされたのか。
の3点を解き明かそうとしたものです。
 第1章「キッチュの意匠」では、「日本で霊柩自動車が初めて運転されたのは、大正時代の前半期である」として、大坂では大正4年に、葬儀業者の鈴木勇太郎によって考案されたことなどを解説しています。
 そして、その種類は、現代では、
(1)バス型:バスを改造して霊柩を安置できるようにした車。
(2)寝台型:乗用寝台自動車を遺体輸送用に転用したもの。
(3)宮型:荷台部分が伝統的な和風建築のスタイルで形作られ、屋根には唐破風がかけられている。
の3種類の大別できるとしています。
 また、宮型霊柩車が、「なぜあのような格好をしているのか、どうして神社仏閣を連想させるようなスタイルになっているのか」という点について、「輿(こし)がそのまま自動車に転用されて現在の宮型霊柩車の原型になった、と考えるのが自然なように思われる」と述べ、「一度使用すればそれっきりの道具」であった輿に比べ、「何度も使う」ため、「装飾模様や彫刻類に精をこらすことができた。何年も使用することで、工芸面に贅をつくすことが可能となった」のではないかと述べています。
 著者は、宮型霊柩車が、「文化のエリートたちには嫌われていたが、大衆の目にはこのうえなくすばらしいものとうつった」として、「エリートが反感を示し、大衆が喜ぶ」という「二極構造を持っていた」と解説しています。
 そして、「宮型霊柩車はキッチュの造形である。寄せ集めのデザインである。形態の扱いに自覚的な操作意識はない。いわゆる芸術上のオリジナリティも欠如している」として、「芸術誌叙述の対象になりうるものではない」と述べ、同じくキッチュである「擬洋風建築は高く評価されるのに、宮型霊柩車はなぜ黙殺されるのか」という問題について、
・擬洋風建築がすでに滅んでしまったということ。
・「無名の市井の人々」が支えた意匠を、「一握りのエリート建築家」たちが圧殺してしまったというエリートたちの反省。
等の点を挙げています。
 第2章「明治時代の葬送」では、山本有三の小説『路傍の石』のなかに、「都市の葬送風俗を考えるうえで、大変参考になる場面が出てくる」として、「おともらいのおきよ」という「おともらいかせぎの老婆」を取り上げ、「このころには、葬式にたかるだけで生活ができた」と述べています。
 そして、「葬送にむらがるひとたちの要求をいれ『引きもの』を与えることは、喪主にとってかなりの負担だった」として、「貧民たちがむらがる葬送は、たいへん高くついた」と述べています。
 また、「葬儀屋の変化が、葬列を大きく変えていった」として、「葬儀の一切を請け負うサーヴィス業」が、明治20年ごろに成立したと述べ、「このときを境に、葬儀サーヴィス業の体質が変わった」として、「昔の棺屋は発達して葬儀社とな」り、「葬具類を安く貸し始めたので、今までと同じ費用でより多くの葬具類を借りることができる」になったため、「葬儀を盛にし易く」、「豪華を衒う風」も「盛とな」ったと解説しています。
 さらに、「旧幕時代の大名行列と維新後の葬列の間には、密接なつながりがある」として、葬儀社が「大名行列の奴たちを吸収した」ことで、「大名行列という伝統芸能は、明治以後も生き延びることができた」として、「『奴の行列』という特殊な芸能は、葬列の中に保存された」と解説し、現在でも、「大坂の神社には、祭礼に大名行列をくりだすところがある」として、「葬儀社は、現在に至るまでこの伝統芸能を保存しているということになる」と述べています。
 そして、「肥大した葬列は、『ゴロゴロ』して暮らす人夫たちの生活を支えることができた。また、『煙草屋、八百屋』などの生業をいとなむひとびとも、ここからの収入をあてにすることができた。つまり、葬列の執行者たちは、それだけぶんの雇用賃金を支払っているのである。巨大な消費といわねばならないだろう」と述べています。
 しかし、「大正時代に入れば、葬列のありようは一変する。明治に特徴的な葬送風景は一掃される」と述べています。
 第3章「霊柩車の誕生」では、大正時代になると、「葬列を廃止するケース、あるいは、夜間の密葬にするケースがふえてくる」様子を解説しています。
 そして、人力車、乗合馬車、鉄道馬車などの交通機関が、「時代がさがるにつれて路上に大きく進出するように」なり、「しだいに歩行者を圧迫しだし、路上がたくさん混雑するようになってきた」結果、「葬列などの行列は、道路上では行いにくくなってきた。ものものしい葬列は、混雑しだした路上では迷惑な存在になっていたのである」と述べています。そのうえ、「交通機関の近代化は、葬列行列を寸断させただけではない。徒歩の人々に便利な足をあたえ、葬列そのものを消滅させていった」と述べています。
 また、「まだまだ自動車は高級品」であったこのころ、「霊柩車も最初は上層階級の人々が使い出したのではないか、と想像されがち」だが、「事実はそうではない。霊柩自動車は、基本的には『経費の節約』を目指したものであった。葬列を組んで練り歩くより、自動車の方がはるかに安くついた」と解説しています。
 さらに、「葬列への未練が、かなりあとまで残っていた」として、「葬送は自動車で行う。しかし、旧来の葬列にも未練がある。だから『旧式を新式とを、混合』した葬送をのぞむ。遺体は霊柩自動車で運ぶが、途中はしずしずと葬列のように『徐行』する。そして『旗、提灯、樒(しきみ)、杯」などを配し、葬列風に火葬場までいくというのである。葬列への執着心は明らかである」と述べています。
 また、「明治時代の葬列には、数多くの野道具が連なった」が、自動車の出現によって、その存在が宙に浮いてしまったとして、「こうして宙にただよいだした野道具が、自動車の周りに吸い寄せられたのではないか。持ち場をはなれ浮遊しだした野道具が、自動車の周囲に集まっていったのではないか」と述べ、「宮型霊柩車の意匠は、以上のような経過をたどって形成されたものと思われる」と解説しています。
 本書は、霊柩車を入口に、明治の葬列の姿を現代に伝えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 なぜだか、霊柩車を見たら親指を隠せ、とか、朝霊柩車を見ると縁起がいい、とかいう話を聞いたことがありますが、こういう迷信の類も、そのルーツである葬列にたどり着いたりできるのでしょうか。調べたら面白そうです。


■ どんな人にオススメ?

・霊柩車の不思議な意匠に惹かれる人。


■ 関連しそうな本

 井上 章一 『愛の空間』 2008年05月06日
 井上 章一 『つくられた桂離宮神話』
 井上 章一 『パンツが見える。―羞恥心の現代史』
 井上 章一 『美人論』
 井上 章一 『関西人の正体』
 松原 岩五郎 『最暗黒の東京』 2006年07月31日


■ 百夜百マンガ

忍たま乱太郎【忍たま乱太郎 】

 そういえば16号沿いに「にんたまラーメン」の看板を見かけますが、この作品とはきっと関係ないのではないかと思います。

投稿者 tozaki : 2008年06月26日 06:00

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