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2008年06月27日
漁民の世界 「海洋性」で見る日本
■ 書籍情報
【漁民の世界 「海洋性」で見る日本】(#1254)
野地 恒有
価格: ¥1575 (税込)
講談社(2008/5/9)
本書は、「日本文化は海を核心とするという特質をとらえた言葉」、あるいは「海を核心として日本をとらえる社会や文化の見方を表す言葉」である「海洋性」について、解説しているものです。著者は、海洋性を、「海辺だけの問題ではなく、内陸を含めた日本列島全体の問題である」と述べています。
第1章「海洋性とは何か」では、「海や漁業と日本文化の『内面的連関』に対して『海洋性』と言ったのは渋沢が最初であろう」として、自宅で「アチックミューゼアムと称する私設研究所を主宰して、民具を集めたり、民俗調査をおこなって報告書を刊行したりして、多くの研究者を育成した」渋沢栄一の孫、渋沢敬三が、「民俗学や漁業史件急にも大きな功績を残した」と述べています。そして、「『魚類は衆庶の脳裏に深く浸み込んで』おり、『わが国民性と漁業との間に想像以上の内面的連関』があり、それは『日本人の生活と密接不離』である。『極めて日本的のものの一つ』となっている日本文化の『海洋性』という観点から『日本民族と水産』の関係を歴史的に検討しなければならない」と述べています。
また、「海からの移住者」が、「島が追々と主陸につながってきたように、人と土地の因縁も、常に内の方へばかり伸びていく』のが『習い』なのだ」として、「『内に向って平原の統一』に進む海島民族としての成長の方向は『島国の古今を一貫』している」として、「島の歴史である海島民族の成長は、同時に、島国に本の歴史なのである」と述べています。
そして、「日本人の多くが海に背を向けた生活を続けて来た。海辺には農村ともいうべき村のほうが多くみられる」が、「その一方で、祭りや祝い事などに海産物を供物や贈答品として用いたり、浄めとして塩や潮を用いる習慣は海辺だけでなく日本全体に広く見られる」として、「われわれの心のうちに『潮の濃さ』を感じ取ることができる」と述べ、「日本文化には海のものを不可欠とする『海洋性』の伝統が見出されるのである」と述べています。
さらに、「民俗学が生んだ最高のフィールドワーカー」である宮本常一が「話の聞き方を教えられた」と言わしめた相手である桜田勝徳が、西伊豆町仁科でであった盲目の老人から聞き取った話として、「明治時代に仁科から三重県熊野灘方面へ出漁していたとき、出漁先で滞在中のめんどうをみてくれた女性のこと」について、「その女性はヒメと呼ばれた。ヒメとは遊女のことである」と述べ、桜田の調査ノートから、「マグロ延縄漁の船方は出漁先で4ヶ月間、農家の一室を宿として借りて滞在した。船方は宿でヒメと生活した。ヒメになるのは、出漁先の土地に住んでいるふつうの女性だった。自分の家に娘がいないと養女をとってまでもヒメをやらせることもあった。ヒメは世話女房のようで情が深かった。ヒメとの間に子どもができてヒメの家の婿になる者もいた。ヒメは世帯にかかる金以外に金銭を要求することはなかった。帰郷するときにはお礼に少し金を与える程度で、不漁の年などは金はいらないというヒメもいた。それでも船方は残った金をおいて帰っていった」という話を紹介しています。
著者は、「海洋性の研究とは、内陸にも存在する海に由来し関係する民俗事象を海洋的要素として取り出して、それをならべていくことではない」として、「ボーリングという基礎作業によって出てきた具体的な事例群を通して、海洋性という特徴がどのような仕組みで維持され形成されているか、あるいはどのような社会や文化の形や論理が抽きだせるかを追求しなければならない」と述べています。
第2章「地先沿岸漁村という世界」では、著者が、「第二次世界大戦前の地先沿岸漁村の伝統的な生活をとらえるため」に、「毎年決められたように、村の近くの海に群れをなしてやってくる回遊魚」である、「寄り魚の漁に携わる人々とその村に注目した」と述べ、「地先沿岸漁村の伝統は、寄り魚漁の中で形成され、寄り魚漁の崩壊の中で再編され変化してきたといえる」と解説しています。
そして、「魚群がきたとなれば、何をしていても、すぐに村人たちが走り集まり、所定の持ち場につき、漁獲の体制に入った。これが寄り魚漁である。船・網・漁具の提供や管理の仕方、漁労組織や役割分担、命令指揮の伝達方法、漁獲物の分配方法、漁場の利用方法、行事や儀礼などが事細かに決められていた」として、「寄り魚漁のような集団的・組織的な漁業は江戸時代には完成し、その形は1940年代までみられた」と解説しています。
著者は、寄り魚漁の特徴として、
(1)村の経済を支える漁業であるということ。
(2)漁の運営が村落によって管理されていたということ。
(3)寄り魚漁の祭りが一部の漁業従事者の祭りではなく、村落を単位として行われていた。
の3点を挙げ、「半農半漁というのは、農業と漁業の割合が50パーセント・50パーセントということではなく、農業をしたり漁業をしたり、また他のことをしたりという意味」であり、「半農半漁の生活の社会的な中心となるなりわいが、農業、しかも稲作になるとは限らないのだ」と述べています。
また、漁村には、「よその土地から幼少年者をもらい受けてきて自分の家の漁師として養成すること」である「もらい子」という慣習があり、「村落で管理されていた共同漁(寄り魚漁)の場合、その構成メンバーは、漁業に労力を出す責任を負っている。共同漁に参加できる一人前の者を確保するために、また、共同の利益配当を受けるために、もらい子がおこなわれた」と解説しています。そして、「地先沿岸漁村は外来者を取り入れることにより維持される側面をもつ。漁村社会には外来者を取り込む柔軟性があるといえる」と述べ、「漁村に足を踏み入れたときに感ずる町のような雰囲気は、この外来者を取り込む柔軟性に由来するものであろう」と解説しています。
第3章「海を求めた日本人」では、「田植えに海の魚を食べた」理由として、「民俗学では、田植え魚は忌み明けのしるしという柳田国男の解釈がとられ、ほぼ定説化している」と述べたうえで、柳田が、「稲の祭りの中心に山から迎える田の神信仰を位置づけ」、「田植えの祭りで海の魚が用いられるのは、仏教を前提として副次的に形成されたもの」であるとしたのに対し、「民俗学を支える一つの柱を築いた人」である折口信夫が、「稲の祭りの中心に海の信仰を位置づけた」と述べています。
そして、「海の魚で祝うのは田植えのときだけでなく、年中行事の中でもっとも大切なときである正月や盆にも見られる」として、「折口論の延長でいえば、盆や正月の魚食も、禊ぎをついだしるしと解釈される」と述べています。
著者は、「正月や祝いに用いられる魚は、まず、海のものであることが大事であり、その種類まで拘束されることはなかったろう」として、「その地域に大量に供給される魚が、そのときのその地域の魚として決まってくる。やがて、その種類の魚でなくては祝ったような気がしなくなるまでになるのである」と解説しています。
第4章「地先沿岸漁村の交流のかたち」では、「土地の人と旅の人を対比的にあらわした言葉」として、「ハエツキ」(生え付き)と、「キタリド」(来り人)という言葉を取り上げ、「キタリドを、何かをもたらした者として説明のために登場させるのをやめなければならない。ハエツキだけから成る村があり、そこへキタリドが何かを持ってやってきて伝えるという交流のワンパターンなとらえ方を捨て去ろう」と述べ、「ハエツキとキタリドによってどのように生活が成り立っているかという交流のかたちこそ、第一の問題として設定しなければならない」と主張しています。
第5章「出漁漁民の移住集落という世界」では、「明治時代以降、日本沿岸で漁業活動を通じて行われた移住」として、「長崎県海域から朝鮮半島沿岸における底引き網漁や一本釣り漁の漁民の動き、太平洋沿岸におけるカツオ釣りやマグロ延縄漁の漁民の動き、北海道のニシン漁場における日本各地の漁民の動き、日本海沿岸漁民のイカ釣り漁による下北半島周辺海域への動き、沖縄糸満漁民の追い込み網漁による日本沿岸各地への動き」等を挙げ、「こういった移住地域で行われた許可漁業や自由漁業がどのような形で行われたのか、移住先で展開する漁業(移住漁業)をみていこう」としています。
そして、「漁撈技術を専一化させることによって年間の生計を立てられるということは、移住漁民が移住先の生活を支えていく漁業の形としては合理的である」とした上で、「専一性は移住地域で形成される漁業の形を示す特徴である」が、「それは同時に、ずっと済み続けていこうとする定住生活を断絶させる移住地域のもろさをあらわしている」として、「専一的に漁業を行うということは、移動を引き起こすことにもなる特徴である」と述べています。
また、移住漁民が、「移住先に出身地の生活を再現しようとするのではなく、また、現地にとけ込もうとはするが、移住先に同化されるのでもない。移住先の地元の人々との交流を通して、得意技を生かして、そこに自らのポジションを作り上げていく。それが移住先に作られる第二のふるさとにおける彼らの土着的でない、海洋的な姿である」と述べた上で、「定住とはずっとそこに住み続けるという意味だけではない。移住漁民に見られる定住の論理は、ずっと住み続けなければならないという堅固な定住の生き方とは異なる、住み続けて入るがひょっとするといつかは移動するかもしれないという、ゆるやかな定住の生き方である」と述べています。
終章「日本文化の基層としての『海洋性』」では、「海洋性とは、日本が豊かな海に囲まれ抱かれることによって、そしてそこに住む人々が海を意識することによって、歴史的に後天的に育まれてきた性格である」と述べ、海洋性は、「地域漁業の実態と海産物消費の習俗との相互関係によって作り出され支えられてきた特徴」であり、「海洋性とは海から来るものとのの交流や交換によって維持され活性化されてきた社会や文化の特徴であり、そこから抽きだされた仕組みや論理のことである」と述べています。
また、「海洋性から抽きだされたゆるやかな定住に共通する特徴」として、「漁撈技術の専一性」を挙げた上で、「日本列島社会は多様である。しかし、それは定住民と漂泊民からなるからではない。定住社会に本源的なゆるやかさが多様なのである。ゆるやかさをもたらす本質的な違いが、定住社会の内実を多元的にしているのである」と述べています。
本書は、「漁民の世界」というタイトルとは裏腹に、内陸も含めた日本社会がもつ多様性に、「海洋性」というキーワードで切り込んだ一冊です。
■ 個人的な視点から
実家が海のそばだったので、生活の中に海があるのは自然なことだと思っていましたが、それは海の近くに限らず、海から離れた内陸にあっても、海や塩、魚が重要な意味をもっている、というのは新鮮でした。
■ どんな人にオススメ?
・海を見ると安心する人。
■ 関連しそうな本
宮本 常一 『忘れられた日本人』 2006年06月25日
イザベラ バード (著), 高梨 健吉 (翻訳) 『日本奥地紀行』 2006年08月06日
宮本 常一 『旅の民俗学』 2008年03月02日
佐野 真一 『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』
宮本 常一 『日本の村・海をひらいた人々』
■ 百夜百マンガ
世の中には色々な地獄がありますが、メジャー誌でこの人の担当編集者っていうのも結構な地獄のような気がします。結構吹っ切れて面白いのかもしれませんが。
投稿者 tozaki : 2008年06月27日 06:00
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