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2008年07月31日
論理と心理で攻める 人を動かす交渉術
■ 書籍情報
【論理と心理で攻める 人を動かす交渉術】(#1288)
荘司雅彦
価格: ¥735 (税込)
平凡社(2007/8/11)
本書は、交渉術について、著者が学んできた「理論」に、著者自身の「経験知」を融合させ、「それを誰にでも理解できるように、分かりやすく噛み砕いて説明したもの」です。
著者は、「交渉術」を、「究極的に社会全体の利益を高めることを目的としたスキルで、理論と実際の経験知の融合によって生み出されるスキルである」と定義しています。
第1章「相手の心をつかむ――交渉の心理学」では、交渉理論について、「1980年代にアメリカで一つの重要な学問分野となり、近年は経済的利益だけでなく、人間の感情や心理面にもスポットが当てられるようになってきた」と述べています。
そして、交渉に当たって重要なこととして、
(1)交渉相手は「常識を備えた対等な人間」であることを前提とすること
(2)相手の主張にはそれなりの意味があることを認識し、しっかり耳を傾けることで以下の効果が期待できる。
(a)ガス抜き効果
(b)自分が話を「聴く姿勢」をもっていることを、相手にはっきり示す
(c)相手の主張を全部聴いてしまって、「隠し球」や「後出し」を封じてしまう
(d)どんどん相手に話をしてもらうことは、相手を自発的に自分御側の情報を次々と開示していくことになる。
などの点を挙げています。
また、古典的な交渉テクニックとして、
(1)ドア・イン・ザ・フェース・テクニック:最初に大きな要求をして、譲歩という「貸し」をつくってから目的を果たす。
(2)フット・イン・ザ・ドア・テクニック:小さなコミットメントから始めて、大きな要求をしていく。
(3)権威のある材料:交渉のイニシアティブを握りやすくなる。
などの点を挙げています。
第2章「心を揺さぶる、感性の交渉――ストーリー理論」では、「パワーポイントでの数字や図表の羅列ではなく、優れたストーリーによってこそ人を説得できる」という「ストーリーテリング」について解説し、その最終目的は、「理屈抜きに、観る者、聴く者の『心情』や『感情』を大きく揺さぶることにある」と述べています。
そして、「交渉」の場において、「相手の『心情』に訴える『具体的事実の提示』は極めて有効」であると述べています。
第3章「落としどころを見極める――ゲーム理論」では、「交渉というものは、相手の戦略を予想して自分の戦略を立て、相対する形をとるものですから、『ゲーム理論』の理解なくして戦略立案はできない」と述べています。
また、交渉の落としどころとして、
(1)成立の落としどころ:双方の利益が重なり合う場合、その範囲内であれば必ず「落としどころ」がある。
(2)絶対に成立しない双方の利益が重なり合わない。
の2種類があると述べた上で、「『落としどころ』というのは、交渉の場合、双方が持っている情報を基準にして、どちらも完全な満足は得られないが、成立させないよりははるかにいい。と判断できる条件」であると解説しています。
さらに、「交渉の武器」となるものとして、
(1)代替的選択肢(BATNA: Best Alternative to a Negotiated Agreement)
(2)オプション:オプションをたくさん持っていることを相手に示すことは、相手をして一目置かせる効果がある。
(3)時間的コスト:合意にかかる時間価値が、他方より安いほうが交渉では有利
の3点を挙げています。
第4章「確実に攻めるためのツール――クリティカル・シンキング」では、クリティカル・シンキングについて、「論理を最重要としているのではなく、論理を使って検証するように物事を見る」ことであると解説しています。
そして、クリティカル・シンキングのツールである「演繹法」と「帰納法」について、「この2つのツールを用いることによって、最低限、筋の通った説明ができる」上、「論理的に破綻のない文書を書く基本」でもあると述べています。
また、帰納法が、「発見した『事象』の質や量、そして『結論』にいたるまでの因果関係が、主観に左右されやすいという欠点」を指摘しています。
さらに、「もれなく、ダブりなく」という「MECE」(Mutually Exclusive and Collective Exhaustive)について、「極論すれば、ピラミッド構造にならないような主張は、理由のない感情論か、論理破綻を来たした主張ということ」にあると指摘しています。
第5章「機先を制する交渉のスタイル」では、交渉のときの服装について、「交渉の場では、できるだけきちんとした服装が好ましい」ことについて、「『権威への服従』という心理学的な効果を相手に与える」と述べています。
また、「相手の情報はなるべくたくさん収集したほうがよい」として、「こちらの情報をまず出させることが大切」だと述べています。
本書は、交渉理論の基本をコンパクトにまとめた一冊です。
■ 個人的な視点から
「交渉術」というと労務交渉の専門家とかビジネス交渉の専門家とかが書いているイメージがありますが、日本の弁護士がこういう本を書いてくれること自体が価値があると思います。内容的には特に目新しいところはないのですが。
■ どんな人にオススメ?
・「交渉術」が実際の交渉で使われているか疑問がある人。
■ 関連しそうな本
マックス H・ベイザーマン (著), マーガレット A・ニール (著), 奥村 哲史 『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』 2005年07月04日
ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
フランク・ベトガー (著), 土屋 健 『私はどうして販売外交に成功したか』 2006年11月17日
印南 一路 『ビジネス交渉と意思決定―脱“あいまいさ”の戦略思考』 2005年6月28日
鈴木 有香 (著), 八代 京子(監修) 『交渉とミディエーション―協調的問題解決のためのコミュニケーション』 2005年09月30日
■ 百夜百マンガ
ラーメン王が関わっているからかリアリティのある作品というものになっていますが、ラーメンというものに対する日本人のこだわりの強さを感じる作品です。
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2008年07月30日
合コンの社会学
■ 書籍情報
【合コンの社会学】(#1287)
北村 文, 阿部 真大
価格: ¥735 (税込)
光文社(2007/12/13)
本書は、「合コンという、現代の私たちの出会いを語る上で欠かせない奇妙な装置」を社会学の視点から切り込んだものです。
第1章「出会いはもはや突然ではない――合コンの社会学・序」では、合コンの魅力の一つとして、「その確実性」を挙げ、個人の私的ネットワークに基づく「友縁」を「最大限に活用」使用と摺る合コンこそ、「現代の社会経済的事情にかなったかたちで創発した新たなシステムだと言えるだろう」と述べ、「そう考えるならが、親が合コンへ行けというのも上司が合コンをしろというのも、実はきわめて自然なこと」だと指摘しています。
そして、「合コンという場で、自発的な集まりの中で、誰からの干渉も受けずに、出逢おうとしたはずの私たちは、実は、決して自由ではない」として、「合コンでの出逢いにも、階層ファクターが介入する」ことを指摘し、
「私たちは、合コンを通して恋愛すべき相手と恋愛し、結婚すべき相手と結婚することで、社会構造の維持に貢献することになる。
合コンは、現代の私たちが出逢うために創りだした、そして今や私たちを取り込もうとする、まごうことなき『制度』である」
と述べています。
また、「合コンのいっそう複雑な矛盾」として、「突然に訪れるはずの出会いを、人為的につくりだしたうえで、さらにその『出逢い』というなまなましい目的を隠す、それも参加者全員で」という点を挙げています。
第2章「運命を演出するために――相互行為儀礼としての合コン」では、「酔ってばか笑いをしていたとしても、合コンは、規律に従って粛々となされる聖なる儀式だ」として、
(1)よく似たタイプを集める――ジェンダー間/内の均一性
(2)がっつかない、和を保つ――「自然な出逢い」の演出
(3)核心には触れない――階層性の隠蔽
(4)「合コン」よりも「飲み会」――偽装のためのレトリック
などの「基本ルール」を解説し、「合コンはこうして、みんなが楽しめる飲み会を、その中で運命の出逢いを、偽装する」と述べています。
第3章「運命の出会いは訪れない――合コンの矛盾」では、「合コンでは、目の前の相手に対して二つの異なるメッセージが送られる」として、
(1)「あなたが気に入っている」というメッセージ
(2)個人的な好みには関係なく、「私は合コンの場において適切に振舞える」というメッセージ
の2点を挙げています。
そして、「合コンにおいて必要な、特殊なコミュニケイション――初対面の男女が軽い話題で盛り上がる――が、特異な人もいれば苦手な人もいる」として、「儀礼はつねに、私たちを拘束するものでもある」と述べています。
第4章「運命の相手を射止めるために――女の戦術、男の戦略」では、「合コンは、男性が『男』を演じ、女性が『女』を演じる場だ。そしてこのジェンダー・パフォーマンスにおいてこそ、男女は魅力を発揮しようとする」と述べています。
著者は、「合コンがジェンダー・パフォーマンスの競演の場である以上、男女の出逢いは限りなく虚構に近い」ことを指摘しています。
第6章「それでも運命は訪れる――合コン時代の恋愛と結婚」では、「合コンで出会い結婚したという経緯」を現実的に捉える人もいるとして、「結婚してよかったのは、もう合コンっていう場にいかなくて済むっていうこと。それぐらい、合コンに疲れてた」という(女性・30代・会社員)の言葉を紹介しています。
著者は、「かつての村祭りがそうであったように、合コンは、若者がはめをはずして『ハレ(非日常)』を味わい、しかしその後おとなしく『ケ(日常)』に帰っていく、限定的な自由が許された場として機能している」として、「合コンで誰もが味わうあの緊張感や高揚感は、祝祭的なものに他ならない。合コンは、奔放でカオティックにも見えるけれど、実は村祭り同様しっかりと既存の秩序の中に位置づけられている。度が過ぎて秩序を崩壊させないように、囲い込まれた遊びの場だ」と述べています。
そして、合コンから「降りる」人たちのタイプとして、
(1)物語としての美しさを手放し、現実的に目的達成を果たそうとする人たち
(2)真実の運命の出逢いのため、という理想の物語に固執する人たち
の2つのタイプを挙げています。
第7章「偶然でなくても、突然でなくても――合コンの社会学・結び」では、「合コンの社会学」が、氾濫する「合コン必勝の法則」を疑い、「社会的経済的格差を超える『性愛の可能性』が発現する場であったはず」の合コンが、「可能にしたのは階層性の隠蔽であって階層性の無効化ではない」ことを指摘しています。
著者は、「合コンが何かを知ろう。その複雑な力学を、ミクロにマクロに絡まった構図を、わかっていれば飲み込まれることはない」として、「私たちの物語――自分探し――は、合コンの内部にとどまるものではなく、結婚で完結するものでもない」と述べています。
本書は、大人に縛られない「自由」な仕組みだと思われていた合コンが、社会に組み込まれた「制度」であることを明らかにしてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
「合コンの席で適切に振舞える男」っていうのがかっこいいのかどうか微妙な感じがしますが、かつての「村祭り」のような「囲い込まれた遊びの場」だとすると、「盆踊りで粋に太鼓を叩く」とか「山車の上で見事に踊る」とかに近いものなのかもしれません。
■ どんな人にオススメ?
・合コンの必勝法にかけている人。
■ 関連しそうな本
山田 昌弘, 白河 桃子 『「婚活」時代』
赤坂 真理 『モテたい理由』
白河 桃子 『「キャリモテ」の時代』
鈴木 由加里 『「モテ」の構造―若者は何をモテないと見ているのか』
樋口康彦 『崖っぷち高齢独身者』
土井 隆義 『友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル』
■ 百夜百マンガ
暴走族を題材にしたマンガの中でも古典の部類なのですが、問題が、「古典」と変わらないような作品が、このジャンルでは現在も再生産されていることでしょうか。もはや剣豪もののようです。
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2008年07月29日
ブログがジャーナリズムを変える
■ 書籍情報
【ブログがジャーナリズムを変える】(#1286)
湯川 鶴章
価格: ¥1785 (税込)
NTT出版(2006/6/24)
本書は、前著『ネットは新聞を殺すのか』の続編で、著者のブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」をまとめたものです。
第1章「未来からの予測」では、「放送と通信が融合した場合の究極のサービス形態」として、
(1)ビデオ・オン・デマンド:時間の制約からの解放
(2)モバイル:空間の制約からの解放
(3)参加型メディア:音楽やビデオの制作も流通も一般市民
の3点を挙げています。
第5章「メディアの定義が変わる」では、「つながるための仕組み」である「融合メディアの近未来」が、「SNSの進化したもの」になると述べた上で、「つながりのメディアによって、ジャーナリズムは今、市民参加型になろうとしている」と述べています。
第6章「ジャーナリズムとは」では、「今ネット上で起こっている事象の中には、ジャーナリズムとしか形容できないものがある」とした上で、「21世紀のジャーナリズムとは、社会をよくしよう、真実をつかもうとする言論活動のことである」と定義しています。
第8章「ニュースビジネスの今」では、グーグルニュースについて、「一度離れた報道機関が、いずれはまたグーグルニュースに戻ってくる」と述べ、その理由として、
・グーグルが協力を拒否していた大手報道機関に配信料を支払うことにした。
・グーグルからリンクの見返りに何らかの恩恵を報道機関側が受けているという正式な説明を受けた。
などの、「いろいろな噂が耳に入ってきた」ことを紹介しています。
第10章「二十一世紀の新しいジャーナリズムの形」では、著者が、米国で受けたジャーナリズム教育の中で、「記者として、してはならないこと十箇条」のうち、
・発表文を元に原稿を書いて、仕事をしている気になるな。
・明日発表される予定のものを、今日スクープして喜ぶな。
の2つだけを憶えていると述べています。
また、参加型ジャーナリズムの課題、問題点として、「あらゆる情報がネット上に氾濫する中で、伝えるべき情報が伝わらない状況になっている」ことを指摘し、「多くの人にとって必要な情報を流す」という「マスメディア的な機能を残すカギ」は、「一般市民が社会の舵取りにどれだけ参加できるか、一般市民の側にどれだけパワーが移行するのか、にかかっている」と指摘しています。
さらに、「信頼できる情報の発信という既存メディアの役割」について、
(1)今のところ既存メディアの方が平均点では上だが、今後、ブログなどを通じた優れた情報発信が増え、技術革新によって簡単にアクセスできるようになる。
(2)玉石混交の情報の中でこそメディアリテラシーが育つ。
(3)どれだけ個人の情報発信が盛んになっても、表に出てこない情報というのが存在し続ける。
の3点を挙げています。
第11章「日本における参加型ジャーナリズムは」では、「日本の参加型ジャーナリズムの近未来像は、市民記者サイトといった一つのサイトの中でだけ盛り上がるという形はとらない」として、「どこかで誰かが発信した情報がネット上の口コミで広がり始め」、「ブログ検索エンジンなどのネット上の話題を見つけ出す仕組み」を通じて「伝播し始めた情報を、既存メディアや、マスメディア並みの影響力を持つブログやサイトが取り上げることによって、その情報はさらに広く伝播する」という形が、「参加型ジャーナリズムの情報伝播の基本的な形」ではないかと述べています。
第12章「記者ブログ炎上」では、著者と交流のある記者のブログが、「時事問題に関してはっきりと自分の意見を主張していた」もので、これに対する反対意見のコメントに対し、「冷静であれば、誹謗中傷を無視するのか、削除するのか、謝罪すべきところは謝罪すべきなのか、判断できたはず」だったが、「気が動転してしまい、冷静さを失ってしまった」と紹介し、記者の「本名、住所などの個人情報」から、「運転免許証のコピーまでネット上に晒された」ことについて、「よくいえば、無数のネットユーザーが手分けして真実を探り出す分散型の市民ジャーナリズムだった。悪く言えば、ネットユーザーが暴徒と化した魔女狩りだった」と述べています。
著者は、「マスコミ関係者向けの原稿や講演の中で、視聴者、読者との対話を始めることの重要性」を説いてきたと述べ、ニュースサイトをブログ化した神奈川新聞社の試みについて、「読者、視聴者ともっと対話しなければならないという思いは、マスコミ関係者の間に静かに広がりつつある」と述べています。
第13章「既存メディアのビジネスモデルは」では、「新聞は牛丼のようなものである」という説を紹介し、「便利さ、サービスも含めて」牛丼であるように、「新聞も牛丼もサービスまで含めたパッケージに価値がある」と述べています。
第14章「動き出した『恐竜』」では、「ネット全体、社会全体の情報の門番の役割はグーグルなどのネット企業に奪われる可能性が高いとしても、特定の情報ニーズに特化した情報ハブを形成することで多くの報道機関は生き延びることが可能だろう」と述べています。
本書は、ネットを過大評価も過小評価もすることなく中立な目で見ることを心がけながら、既存メディアの行く末を論じた一冊です。
■ 個人的な視点から
「ブログ」という言葉と「ジャーナリズム」という言葉が何となくうまく結びつかないのは、日本の新聞記事の多くが記者クラブへの記者発表を流している、単なる情報伝達手段に徹しているように見えるからでしょうか。
一方で、週刊誌などの雑誌の記事は当たりはもちろんあるにしても、外れの記事があまりにも多く、「探偵ファイル」と大差ないもののように見えてしまうからなのかもしれません。むしろ、「サイバッチ」の方が、「ジャーナリズム」的な雰囲気を漂わせているような気さえしてしまいます。
■ どんな人にオススメ?
・「ブログ」に「ジャーナリズム」を感じてしまう人。
■ 関連しそうな本
ダン・ギルモア (著), 平 和博 (翻訳) 『ブログ 世界を変える個人メディア』 2006年06月22日 06:00
湯川 鶴章 『爆発するソーシャルメディア セカンドライフからモバゲータウンまで グーグルを超えるウェブの新潮流』 2008年01月25日
国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章 (著) 『ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア』 2008年02月29日
吉野 次郎 『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』 2008年05月03日
神田 敏晶 『YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ』 2008年05月15日
歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日
■ 百夜百マンガ
ドラマ化もされ、「夜の世界」をお茶の間に持ち込んだ作品。これを見て夜の世界に憧れてしまったために「聞いて極楽、見て地獄」を味わった人も少なくないのではないでしょうか。
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2008年07月28日
津波てんでんこ―近代日本の津波史
■ 書籍情報
【津波てんでんこ―近代日本の津波史】(#1285)
山下 文男
価格: ¥1,680 (税込)
新日本出版社(2008/01)
本書は、「明治以来の近代日本を襲った津波のうち、死者100人以上を数えた8つの津波被害について振り返り、それぞれの津波のときの社会背景と津波の概況、さらには津波防災上の、今日的な教訓」などを論じているものです。
タイトルの「てんでんこ」とは、明治三陸津波の体験から、「津波のときは、親でも子でも人のことなどは構わず、銘々ばらばらに一時も早く逃げなさい」という意味であると解説されています。
第1章「節句の賑わいを直撃した狂瀾怒涛」では、1896年6月15日の明治三陸大津波を取り上げ、岩手県の被害は「壊滅的」で、「全半壊流出を合わせて約6,000戸のうち、1人の生き残りもない全滅戸数が728個に上るなど、被災地人口の23.9%に当たる1万8158人が溺死する大惨事となったと述べ、その要因として、
(1)想像を絶するようなものすごい大津波、巨大津波であった綾里村の白浜では、38.2mの地点まで津波が駆け上がり(波高)、記録にある本州津波史上の最高波である。
(2)事前の地震の震度が2~3という弱震であったため、津波を予想したものがなく、しかも端午の節句の夜でにぎわっていたところを完全に不意打ちされた。
(3)当時の三陸沿岸の住民たちが、40年前の1856年にあった安政3年8月の津波の体験から、津波を割りと甘く考えていた。
の3点を挙げています。
また、当時の新聞、雑誌の記事などから、
・宮城県十五浜村の刑務所から解放された囚人が、逃げる途中、波に浚われて気息奄々としている娘を救助するなど、人命救助に活躍したものがおり「囚人また義気あり」と賞賛された。
・宮城県気仙沼市では、19歳の女性が入浴中に風呂桶のまま流され、翌日、潰れた我が家から2歳になる乳飲み子を、死んだものと諦め、死体を掘り出すために捜したところ、幸運にもみどり児は生存していた。
などの逸話を紹介しています。
そして、「津波てんでんこ」という言葉について、「凄まじいスピードと破壊力の塊である津波から逃れて助かるためには、薄情なようではあっても、親でも子でも兄弟でも、人のことなどは構わずに、てんでんばらばらに、分、秒を争うようにして素早く、しかも急いで早く逃げなさい、これがひとりでも多くの人が津波から身を守り、犠牲者を少なくする方法せす」という「哀しい教え」であると述べています。
第2章「海と山から津波攻めの相模湾岸」では、1923年9月1日の関東大地震津波を取り上げ、「東京や横浜での大火の恐怖と記録が繰り返して再現、再録され、年ごとに充実されていったのとは裏腹に、津波の記録は、神奈川、静岡、千葉などの『震災誌』に書き込まれただけで、ほとんど再録されることもなく、掘り起こす努力も全体としてなされてこなかった」ことを指摘しています。
また、山津波に関しては、根府川駅において、「停車中の列車と乗客らが、列車もろともが消したに転落したところへ海からの津波が押し寄せ、集落は山と海からの津波攻めに遭って、ここだけでも約300人が死亡したといわれている」と述べています。
第3章「被災地の息子たちは中国の最前線に」では、1933年3月3日の昭和三陸津波を取り上げ、午前3時ころの、氷点下4度から10度という極寒の夜明け前のことであり、「季節的にも時刻的にも、さらには農山漁村の疲弊と貧困の中での戦争突入という社会背景の上でも最悪のタイミングであった」と述べています。
また、「明治の津波で1800人あまりが溺死した田老村」の場合、「前の津波での死亡者があまりにも多く、生存者があまりにも少なかったために体験を語り継ぐべき人が少なかったこと」や「俗説の類に属する『語り継ぎ』なども被害を増幅させる要素の一つ」になっていると述べています。
第4章「大戦末期、極秘にされた被害情況」では、1944年12月7日の東南海地震津波について、「開戦記念日」の前日のことであり、厳しい報道管制の下、「被害の詳しい情況はほとんどなく、ただ断片的に『疎開学童は無事』『震害にめげず元気な疎開学童』『日頃の防空訓練の賜物で火事も消し止め』と、勇ましく伝えていた」が、実態は、5万7000戸以上の住宅が全半壊、流出し、1200余の人々が死亡行方不明になっていた」だけではなく、「日本航空産業の心臓部であった東海地方、特に愛知県では、飛行機工場の密集する名古屋の南部が大被害を受け、海軍の主力戦闘機、いわゆるゼロ戦を製作している三菱航空の道徳工場や、海軍の攻撃機などを製作していた半田市の中島飛行機山方工場などが倒壊し、動員されていた少年、少女たちが多数圧死する大惨事にもなっていた」と述べています。
一方で、「軍による報道管制は日本国民を欺いただけのこと」で、アメリカでは、地震観測網により、「日本の中部で大地震」「軍需工場に壊滅的打撃」などの記事がトップ扱いで報じられ、「震源が日本の遠州灘であることも、被害の中心が東海地方であることも、その被害が並大抵のものでないことも即座に判った」として、「実態は敵方にほぼ筒抜けだった」と述べています。
第5章「敗戦後の混乱と激震の最中に」では、1946年12月21日の南海地震津波を取り上げ、「太平洋戦争敗戦直後の混乱と激動の最中に襲ってきたこの大地震と大津波も、甚大な被害にもかかわらず、当時、あまり国民的な救援を得られなかった」と述べています。
第6章「地球の裏側から遙々と」では、1960年5月23~24日の昭和のチリ津波について、「世界の地震史上も最大級の巨大地震にともなって発生した大津波」であるとして、「ジェット機並みのスピードで走りきって日本列島の太平洋岸に襲い掛かった」と述べています。
そして、その押し寄せ方も、昭和三陸津波のときの引き潮は、あっという間のことであったが、チリ津波は「延々と1時間近くも、あるいは、それ以上物長時間に渡って引き潮が続いた」とともに、「波が押し寄せてくるとき」も、「初めは徐々に水かさがなしてくる程度だが、そのうちにむくむくと、急速に水面が盛り上がってくるような押し寄せ方」であったと述べ、さらにその周期も、三陸津波が「10分からせいぜい15分程度」で遭ったのに対し、「チリ津波の周期は40分ほど、あるいはそれ以上に長く、早朝から夕方まで、延々と引いたり押したりをくりかえした」と述べています。
第7章「激浪のなかに消えた学童たち」でjは、1983年5月26日の日本海中部地震津波を取り上げ、「被災地である日本海沿岸の人々の津波についての『認識不足』と心の『無防備』が、この津波被害を大きくした重大要因といわれた」と述べ、「土地の古老も、この歳になるまで津波なんてまったく知らなかったと話している」と伝えられたことを紹介しています。
第8章「際立った『震災弱者』の犠牲」では、1993年7月12日の北海道南西沖地震津波について、「一度は高台に逃げて助かったのに、とたんに欲が出て、金品などを持ち出すべく、避難場所から下がって家に戻るケース」が見受けられたことを指摘しています。
エピローグ「自分の命は自分で守る」では、「命より大切なものはこの世にない。津波のときの物欲は命の敵、自分自身の敵と心得よう」と述べています。
本書は、体験した人にしか骨身にしみてわからない津波の怖さを、伝えるべくまとめられた力作の一冊です。
■ 個人的な視点から
「TSUNAMI」という言葉は、世界的な言葉になったり、歌謡曲のタイトルになったりしましたが、実際の津波の怖さを知っている人は、「津波」という言葉自体に抱く嫌悪感が大きいかもしれません。
本書の著者も幼少時に体験した、昭和の三陸津波が、「津波への恨みと津波防災への執念として本書に結実したと語っています。
■ どんな人にオススメ?
・「津波」は過去の災害だと思っている人。
■ 関連しそうな本
山下 文男 『津波の恐怖―三陸津波伝承録』
戸石 四郎 『津波とたたかった人―浜口梧陵伝』
伊藤 和明 『津波防災を考える 「稲むらの火」が語るもの』
力武 常次 『新版 日本の危険地帯―地震と津波』
首藤 伸夫 『津波の事典』
■ 百夜百マンガ
自衛隊モノのマンガと言えば、『右向け左』などが有名ですが、女性ものは少なく、だからこそ映画化に取り上げられたのではないかと思います。
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2008年07月27日
日本の地籍―その歴史と展望
■ 書籍情報
【日本の地籍―その歴史と展望】(#1284)
鮫島 信行
価格: ¥2940 (税込)
古今書院(2004/05)
本書は、「一筆ごとの土地の所有者、地番、地目(土地の用途)、境界、面積を調査し、その結果を地籍簿と地籍図にまとめる作業」である「地籍調査」について、その「歴史と現状」を知ってもらうことで、「国民理解の一助となり、その促進に」貢献することを目的としたものです。
そして、「日本の地籍調査は平成14年度末でまだ45%しか進んでおらず、登記所に備え付けられている約600万枚の図面の半分近くは公図と呼ばれる、明治時代に遡るもの」であるとして、「公図のもつさまざまな問題を理解してもらい、地籍調査の促進が国土の利用保全や都市の再生にとって不可欠であることを知ってもらうこと」を、もう一つの目的としたものです。公図は、明治初期の地租改正の際に、「土地所有者が役人の指導を受けながら作った地引絵図」を基に作られたもので、「正確には現地と一致しない」と述べ、「明治政府は地租改正に当たり一間を六尺とする基準を定めたが、地方によっては太閤検地以来の六尺三寸や、さらに古い六尺五寸が使われたところがあり、また田の長さも畦(あぜ)の中心ではなく縁から図られたというようなこともあり、地籍(土地の面積)が実際よりも小さめに記録されることになった」として、これを「縄伸び(なわのび)」といって、「現在の調査で地籍を測りなおすと登記簿より増えることが多く、過去に行なわれた調査結果では、地籍調査完了地区で平均2割程度の縄伸びが報告されている」と述べています。
序章「検地の時代」では、江戸時代の検地において、
・1間を6尺、1反を300坪(歩)とし、検測は6寸(10分の1間)単位で行い、6寸未満の端数は切り捨て
・陰地は検測の際に差し引く
・検測は田の畦際(あぜぎわ)から1尺置いた位置から行う
・縄だるみ(縄のたるみを補正する目安)
・縄心(なわごころ、過酷な年貢に対する配慮で、検測あたりを割り引いて記録した慣例、一般的には長辺2割引、短辺1割引だった。割り引かれた数字は実測地の隣に朱書きされたため、この慣例を「朱間を切る」といった)
・四壁引き(屋敷地の広さに応じ四方の境から1尺~1間をおいて検測する慣習で、四方引きともいった)
などの旧例を紹介しています。
第1章「地租改正と地図」では、明治5年、明治政府が、「全ての私有地に地券を交付し、所有権の公証を行なうこと」を決め、これを「壬申地券」と呼び、「地券の交付のためには、土地の位置の明示と一筆ごとの反別(面積)、地目、地価及び所有者の確認が必要」であるとして、「地番の付与と土地調査が実施された」と述べています。
そして、改租作業について、「郡村の境界を更正し、土地の広狭を丈量し、其所有を定め、其名称を区別し、地価を定め、地券を渡す」ことであったと述べています。
また、丈量(測量)の基準として、地租改正事務局が、「1間を曲尺の6尺、1反を300歩とする基準」を定め、「調査に使用する間棹(けんざお)は6尺に砂摺(すなずり、摩擦シロのこと)1分(約3ミリ、両端に5厘ずつ)を加えた6尺1分棹とすることが規定された」が、この通達が遅れたため、
・太閤検地以来の中検(6尺3寸)
・古検(6尺5寸)
・1反を360歩とするような太閤検地以前の旧慣
が使用された府県もあったと述べています。
さらに、地籍編成事業について、地租改正事業とほぼ同時期の明治6年12月に、「土地に関する基礎資料を整備するための地籍編成事業を行う旨、各府県に布達した」が、「まさに改租事業の真っ只中」であったため、多くの府県で地籍編成事業は先送りされ、西南戦争の影響による中断などを経て、「10年以上の歳月をかけてもなお完成に至らず」、明治23年に「内務省地理局が廃止されるにおよび取り止めとなった」と解説しています。この地籍編成事業の目的は、「官民を問わず全国全ての土地の境界を正し、地籍・所有を詳細に明示し、外に対しては国境を括弧たるものとし、内に対しては百般の施策の基本となし、国民に対しては境界争いを防止するもの」とされ、「これは現在の地籍調査の目的に通ずる」と述べています。
また、区画整理事業について、「地籍の明確化という点で区画整理事業にまさる手法はない」が、「地籍の混乱が区画整理事業の実施を阻んでいるケースも多い」と述べています。
第2章「地籍調査の時代」では、昭和25年の国土調査法について、その「制定に最も熱心だったのは農林省だった。背景には昭和22年(1947)より開始された農地改革があった。農地改革では、国が農地を買い上げ小作人に譲渡したが、登記簿上の面積や土地台帳附属地図の位置表示が不正確だったことから配分に混乱が生じ、地籍の明確化が求められていた」と述べています。
そして、「法定外公共物」と呼ばれる、「法律上の管理の対象となっていない公共物の総称」について、「通常普通河川(青線)や里道(赤線)等と呼ばれ」、其起源は、「明治時代の地租改正で官有地(国有地)と民有地が区別されたことに遡る」と述べ、「法定外公共物の管理は公に土地法の二元管理となっていた上、機能管理について定めた法律がなく、経費の負担や管理責任が明確でないなど、数々の問題があるとされてきた」と述べています。
第3章「地籍調査の現状と課題」では、「一筆地調査で最も大事なこと」として、「修正主義の採用」を挙げ、「地籍調査はもともと存在した筆界を現地で再確認し明確化するもの」であり、「権利関係や現地の筆界を変えることなく、地図を修正する作業」であるのであって、「過去に確認された境界ではなく、現に存在する境界を新たな筆界として調査すること」を意味する「現況主義」を用いると「権利の侵害が生じる恐れがある」ことを指摘しています。
そして、昭和26年の開始以来、既に半世紀以上が経過した地籍調査事業が、平成14年度末の全国進捗率は45%にとどまり、「中でも都市部の進捗率は18%と送れば目立ち、とりわけ三大都市圏周辺部の遅れが著しい」ことを指摘しています。
また、一筆地調査では、「土地所有者の立会いが必須なため、相続登記が行われていなくても、調査実施者は相続人を追跡しなければならない。何代も相続登記が行われていないときは、一筆当たりの法定相続が数十人に上るようなケースも生じ、地籍調査にとって大きな障害となる」と述べています。
第4章「諸外国の地籍調査」では、「世界史的にみて、19世紀は地籍調査の時代だったといえる」として、フランスの「ナポレオン地籍」をはじめとして、ドイツ、オーストリアならびにイギリスの地籍図の現状を紹介しています。
そして、フランスにおいて、1808年から1850年に実施された地籍調査の成果を、ナポレオンの名をとって「ナポレオン地籍」と呼ばれていると述べています。
また、イギリスについて、厳密な意味では、「わが国や他のヨーロッパ諸国のような境界確認に基づいた地籍はない」が、「見方を変えると地図はあくまでも参考で、実際の境界は当事者が管理するという英国流見識の流れと見えないこともない」と述べています。
終章「地籍システムの構築に向けて」では、「国家座標(三角点網)に基づく測量によって作られたヨーロッパ諸国の地籍図と、農民自らが図って作った地引絵図では、策定目的は同じでも地図の有用性という点でまったく異なる」ことを指摘した上で、地籍調査事業が、「今のペースで行けば完了までにまだ100年以上を要する」と述べ、「関係各省庁・団体、地方自治体、国民が連携し、こうした地籍システムを一日も早く作り上げていくことがこの国のさらなる発展の礎となる」と述べています。
本書は、私たちの暮らしている土地が、意外ともろい基礎(明治時代の農民と村役場の役人による図面)の上にあることを教えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
GISとかいろいろ地図をめぐる技術は進んでいて行政の中にも取り入れられているのですが、その基礎となる境界をめぐる権利関係はGISとかを導入してそうな都市部の方が進んでいないというのは難しいところです。
学生時代に測量のバイトをしたことがありますが、ポールを真っ直ぐ(上部の丸の中から泡が収まるように)持っていなければならず、塀の上とかでは結構苦しかったような記憶があります。
■ どんな人にオススメ?
・土地の境界は決まっていると思う人。
■ 関連しそうな本
藤原 勇喜 『公図の研究』 2007年12月07日
佐藤 甚次郎 『公図 読図の基礎』 2007年06月18日
ジョン・ノーブル ウィルフォード (著), 鈴木 主税 (翻訳) 『地図を作った人びと―古代から観測衛星最前線にいたる地図製作の歴史』 2007年01月01日
今尾 恵介 『住所と地名の大研究』 2006年07月06日
今尾 恵介 『地図を楽しむなるほど事典』 2007年02月25日
滝島 功 『都市と地租改正』 2008年03月13日
■ 百夜百音
【エッセンシャル・ベスト リンリン・ランラン】 リンリン・ランラン オリジナル盤発売: 1974
右と左のどちらがリンリンかわかりますか?
香港出身で、インディアンにもインド人にもまったく縁はないですが、なんでこんなコンセプトが出てきたのでしょうか。
それはともかく、筒見サウンドはやはりよいわけです。
『筒美京平 ULTLA BEST TRACKS / SOUL & DISCO』
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2008年07月26日
治安はほんとうに悪化しているのか
■ 書籍情報
【治安はほんとうに悪化しているのか】(#1283)
久保 大
価格: ¥2520 (税込)
公人社(2006/06)
本書は、
(1)<治安>とは何なのか?
(2)「治安が悪い」ことの根拠として出されたデータは、どこまでそのことを説明できるのか?
(3)なぜ、最近になって、「治安が悪い」と熱心に語られるようになったのか?
の3つの疑問を元に、「<治安の悪化>という言説を生み出し、かくも広めることになった背景には何があったのか」について、
・ひとつには、警察の組織防衛本能に基づく行動(propaganda)があり、
・そして、あらゆる出来事をわかりやすい枠組みの中で語ろうとするマス・メディアの習性が、<治安の悪化>という既視(deja vu)の物語を呼び出してきたこと、
・さらには、受け手の側にいる人々も、自らが感じている社会不安の因ってくるところの何かを表象、つまりは形にして説明してくれるものを求めていたこと、
などの要素が結びついた構造を見出そうとしたものです。
第1章「『治安が悪化している』と皆がいう」では、「私たちの周囲でも、たくさんの人が、『凶悪犯罪が頻発し、今までになかったような犯罪も起こっている。日本の治安はどうかなってしまった』という不安を盛んに口にする」ようになったが、「治安の悪化」は、
(1)客観的な統計データを示すことによって
(2)人々の主観的な意識を表現すること、場合によってはそれを統計化することによって
の2種類の方法で語られていることを指摘しています。
著者は、これらから、「公式的な統計データと犯罪報道、それに漠然とした不安感の相乗効果として、人々の間に『治安の悪化』という言説が浸透するようになった」ことを指摘しています。
また、「治安」という言葉について、
(1)「治安」と「防犯」とはどう違うのか、同じ意味なのか?
(2)もし違うとしたら、なぜ最近になって、「防犯」という言葉に代わって、「治安」という言葉が一斉に使われるようになったのか?
の2点を考えるべきであると述べ、「『治安』という視点を適用することによって、人々の個人的な責任だけではない問題、もっと大きな力によって規制すべき対象として、<犯罪>が浮かび上がってきた」と指摘しています。
第2章「『治安』はどんなふうに悪化しているというのか」では、「(犯罪)認知件数」という用語に関して、
・まず犯罪について、被害に遭ったという届け出や告訴、あるいは殺人事件であれば死体の発見などの事実行為があること。
・これに対して警察が犯罪の発生として公式に認める行為があること。
の「2つが合わさったときに、認知件数としてカウント」されると解説しています。
そして、犯罪の認知件数の増加理由について、
(1)警察が信頼回復のために市民からの相談にきちんと乗るようになった結果、証拠不十分な事件も受理するようになった。
(2)自動車数の増加と保険の発達によって、車の盗難や破損、荷物の盗難などの被害を保険により処理するために、警察に届け出ることが多くなった。
の2点が挙げられることを紹介し、「一つは警察という企業の営業方針・営業戦略の変更であり、もう一つは顧客の側の意識や消費行動の変化ということ」であると述べています。
また、「犯罪の凶悪化=治安の悪化」をめぐる議論について、
(1)「凶悪犯」の認知件数の増加(率)が著しいという点に着目
(2)犯罪の手口の暴力化傾向に着目
(3)一般の人々や家庭が、無差別殺人や押し込み強盗などに遭遇する危険が増えていると主張
の3つのタイプに分類しています。
その上で、『犯罪白書(平成15年版)』に掲載された、約30年間の犯罪の認知件数の推移を元に、
(1)長期的に見れば、殺人事件の死亡者数は、20数年前と比べてほぼ半減に近い。
(2)平成8年以降、強盗事件による重軽傷者が顕著に増加しているが、死亡者は比例して伸びてはいない。
(3)平成14年の死亡者数1,368人のうち、殺人が662人、強盗殺人で71人となり、残りの600人余りは、ほぼ傷害致死事件に該当すると推測される。
の3点を指摘しています。
第3章「少年による犯罪は増加し、凶悪化し、低年齢化しているのか」では、少年の凶悪犯のうち「強盗」が増加している要因について、
(1)少年側の行動態様の変化・・・同じ「カツアゲ」であっても、加害者側に集団で、あるいは刃物をちらつかせるなどの傾向が生まれれば、恐喝ではなく、強盗のカテゴリーとして処断されやすくなる。
(2)取締り側の対応の変化・・・温情主義から厳罰主義へ、バイクによる引ったくりで被害者が怪我をした場合には窃盗+傷害ではなく強盗の名目で検挙するようになった。
の2点を挙げています。
著者は、「これまでも、およそ子供たちの粗暴な振る舞いが目につく時代には、繰り返しこうした『(少年による犯罪の)増加・凶暴化・低年齢化』が三点セットとして語られてきたのだが、そのふるまいが粗暴化して見えるということと、彼らによる犯罪が凶悪化しているということとは、別種の問題なのではないか」と述べています。
第4章「外国人犯罪は治安を脅かす主因か」では、外国人犯罪を問題にする場合には、
・人口が増えれば犯罪の絶対数も増加する可能性があることを前として認めた上で、単に外国人による犯罪が増加しているという事実を語りたいのか。
・日本人に比べて犯罪を行いやすい(あるいは、残忍な手口も厭わない)性向を持つ外国人というカテゴリーを設定して、身近にそうした外国人がいることの危険性を訴えようとしているのか。
を区別して考える必要性を指摘しています。
第5章「『治安の悪化』否定論はなぜ説得力をもたないのか」では、近年よく耳にするようになった「体感治安」という言葉について、「客観的状況というより、犯罪不安と同じ主観的な判断であるらしいのですが、被害の可能性にしてもずっと漠然としたものでもいいし、自分が現実に直面するかどうかですら無関係、どこかで誰かが被害に遭うかもしれないといった程度の可能性までも包含するものとして理解されている」と指摘しています。
そして、「『自分の周囲の環境に対する不安』と『日本全域にわたる漠然とした不安』とを『体感治安』という言葉で一括りにすることは、あまりにも粗雑な議論になってしまう」と述べています。
また、体感治安の性格に関して、「ある事件や出来事が、行政、マス・メディア、識者などによって、社会的な価値(道徳)や公共の利益に対する脅威、危機として描き出され、場合によっては対応策が講じられるに至る一連の過程」をさす、「モラル・パニック」の可能性を指摘しています。
著者は、「要するに、体感治安の悪化とは、実は、『人々が日頃感じている別の不安感の代替』『象徴としての不安』なのではないか」と述べています。
本書は、社会を語る際の枕詞として当然視されようとしている「治安の悪化」について、そこに隠されたさまざまな思惑や錯覚を指摘しようとした意欲的な一冊です。
■ 個人的な視点から
著者は、東京都の知事本局治安対策担当部長などを歴任された都庁OBの人ですが、当然視され、都民からの要望も強い「治安対策」に携わる中で、「治安」とはいったい何か、を深く考えた結論というか、疑問を提示しているのが本書なのではないかと思います。
自分の仕事を、所与のものと考えず、より深く考えていくことが本質的な問題解決に繋がるという姿勢を示した一冊と捉えることもできるのではないでしょうか。
■ どんな人にオススメ?
・「治安は悪化している」と信じている人。
■ 関連しそうな本
竹前 栄治, 中村 隆英, 天川 晃 『GHQ日本占領史 (15)警察改革と治安政策』 2007年02月01日
大日方 純夫 『近代日本の警察と地域社会』 2007年04月18日
青木 理 『日本の公安警察』 2007年05月04日
荻野 富士夫 『戦後治安体制の確立』 2007年05月28日
菅谷 明子 『メディア・リテラシー―世界の現場から』 2005年09月07日
パオロ・マッツァリーノ 『反社会学講座』 2006年03月11日
■ 百夜百音
【燃えよ ドラゴンズ!'99 優勝記念盤】 山本正之 ナレーション 久野誠 オリジナル盤発売: 1999
やっぱりこの人の出世作というかカラーが一番出た作品なのでしょうか。
歌ってて楽しそうなのが何よりです。
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2008年07月25日
コミュニティ鉄道論
■ 書籍情報
【コミュニティ鉄道論】(#1282)
佐藤 信之
価格: ¥2000 (税込)
交通新聞社(2007/12)
本書は、「コミュニティバス」のアナロジーとしての造語である「コミュニティ鉄道」について論じたもので、著者は、「コミュニティという言葉を、地方公共団体という形で狭く捉えるのではなく、住民組織や市民団体・NPOといった利益を共有する地域社会の自発的な組織まで拡大すると、コミュニティバスという概念も拡大され、むしろ現在の地域交通の実態にふさわしくなる」と述べ、「市民主体のコミュニティ鉄道論は現在進行中のこと」であり、「本書が新しい鉄道論の原点になれば」と述べています。
第1章「コミュニティ社会と鉄道」では、明治41年に千葉県知事として赴任した有吉忠一が、「千葉県では、当時道路の修繕に適した砂利が産出せず、輸送費のかかる割高な県外産の砂利を購入する必要があった」ため、「道路改築よりも割安な軌道・軽便鉄道に着目した」と述べています。
そして、「木更津~久留里間」が、明治44年7月18日に軽便鉄道法により免許、「大原~大多喜間」が、同月15日に軌道法により特許となったと述べています。
また、東葛人車鉄道について「明治40年に設立された全線単線の人車鉄道(軌道条例)である」として、
・第1期:中山村鬼越~鎌ヶ谷村間
・第2期:中山駅前~行徳川原間
の路線であったが、「大正7年には早くも廃止の憂き目に合い、ごく短命に終わってしまった」と述べ、運行中止は、「大正7年2月ごろというだけで、正確な日付もわからない」と述べています。
さらに、「茂原・長南間軌道運輸車両組合」について、「県が同区間に敷設した軌道設備を利用して運行された人車の押夫たちの組合」であり、「明治42年から大正14年まで存在した」と述べ、ピークの大正2年には、1年間に4万3508人の旅客(1日平均119人)を運んだとして、「かなりの盛況振りであったと察せられる」としています。
「千葉県営大原・大多喜人車軌道線」については、「千葉県が建設して運営した唯一の人車軌道である」とした上で、「大正10年に夷隅軌道に譲渡されるまでの10年間にわたって運行された」と述べています。
第2章「鉄道の中間経営形態」では、「第三セクターにおける上下分離の現状を紹介した上で、とくにと紙が多第三セクターに絞って経営問題となっている資本火の負担について整理し、建設費にかかる元利償還に対する公的主体による支援措置の状況ないし経営形態の変更をともなう再建策について検討を加える」としています。
著者は、イギリスでは公共部門主体の都市鉄道整備への民間活力導入手法として導入されたPPP方式が、「日本では逆に民間主体の分野への公共側からのアプローチとして意義がある」として、「もともと民間が主として整備に当たってきた大都市内における鉄道路線の増設や新設については、近年民間が単独で事業化することが難しくなっている。それに対して、政府は第三セクターを設立することで建設財源に公的資金を投入する枠組みを整備しているところである」と述べています。
第3章「都市鉄道」では、「都市型第三セクター鉄道の経営形態の変更」として、「千葉急行電鉄」を取り上げ、「もともと小湊鉄道が計画した千葉延伸線を京成電鉄が引き取り、新たに京成電鉄と小湊鉄道が出資して設立された」が、「平成6年度には次期繰越損失が30億円に達することになり、開業3年目で早くも債務超過に陥ることになった」として、平成10年6月3日、出資者による「第2回緊急対策会議」において、「京成電鉄への営業譲渡により自主廃業すること」が決定されたことを解説しています。
第4章「ローカル鉄道」では、1990年代に、「公共施設や商業施設が郊外に立地するようになって、地方での生活には自家用車がなくてはならない必需品となった」ほか、「見落とされがちだがさらに重要な動きがあった」として、「自転車の利用の増加」を挙げています。
そして、近年のローカル鉄道が、「既に多くが廃止されてしまい、現在廃止が検討されている路線も少なくない」が、「その社会的便益に着目し、公的な経営支援によって維持しようという動きが出てきたことは心強い」と述べ、その公的支援の根拠となる「費用効果分析」については、「現在まだ試行段階であり、確立されたものとはなっていない」などの課題を指摘しています。
また、「762mm軌間」について、「ヤード・ポンド法で2フィート6インチにあたることから『ニブロク』という愛称で呼ばれ、かつては全国各地で見られた規格である」として、「もともと地形が厳しい場合や、地域の資本力の乏しいケースで、建設費用が安く建設が容易なより軽便な鉄道システムとして選択された」と解説しています。
さらに、「えちぜん鉄道」の再建に関して、「運賃の引き下げを敢行」したことについて注目し、「売れない商品は値下げして売れ残りが出ないようにするのが製造業の常道であるが、鉄道サービスは貯蔵できないために売れ残りという感覚がなく、安売りしようという動機も生まれなかった」と述べ、「鉄道経営者には値引はかなり勇気のいる問題であった」が、「えちぜん鉄道の場合は、設備投資のすべてを県が負担することになっていたために減価償却費の計上が必要なく、その文、値引が可能になったという特殊事情もあった」と解説しています。
また、「富山ライトレール」が、「計画の発表から3年という驚異的な短期間で実現できた」背景には、「国のLRT整備に対する支援制度の創設、JR西日本の協力、公安委員会の協力、地元の人々の理解があった」として、「特に富山市による地元説明会では、市の担当者が拍手で迎えられるという光景が見られた」と述べています。
第6章「最近の鉄道問題への取り組み」について、平成17年11月28日に、千葉県知事と千葉市長が会談して大筋合意した「千葉都市モノレールの会社再建と路線延伸計画」について、「自治体からの負債を株式化して財務内容を健全化する一方、自治体に資産の一部を譲渡して単年度の損益をも健全化するという、全国における第三セクター再建策の集大成といった形となった」と述べています。
第6章「提言」では、「第三セクターが行政目的と密接に関連しているという理由で、自治体の影響力を保つために設立されるケースが多いこと」を指摘し、「採算ベースに乗るならば、むしろ民間の方が効率的に運営することが可能である」として、「独立採算が可能ならば公営企業のまま残す意味はなく、完全民営企業に経営形態を転換すればよい」と述べ、「このような問題は、結局は公共部門と民間部門の役割の所在が明確にされていないことに起因するのではないだろうか」と指摘しています。
また、ローカル鉄道の問題解決には、「さまざまな交通機関との連携も必要である」として、「本来連携して初めて大きな効果が生み出されるプロジェクトに対して、縦割り行政にしばられることなく、一元的に計画を策定して実施するための支援制度の確立が必要である」と述べ、県単位での「地域交通整備基金」を低減しています。
そして、「地域の公共交通のあり方についてコミュニティの合意形成を前提とし、鉄道を存続させる決定をした場合には将来にわたって安定した経営が可能となる仕組みを用意することが必要である」と述べています。
本書は、コミュニティを支える重要なインフラである鉄道のさまざまなあり方を論じた一冊です。
■ 個人的な視点から
ローカル線の廃線を惜しむのは、全国から集まる「鉄」な人たち、という印象がありますが、廃線による影響は、普段鉄道を使わない人を含めて、じわじわ効いてくるような気がします。
■ どんな人にオススメ?
・ローカル線は鉄ヲタの郷愁だと思っている人。
■ 関連しそうな本
吉田 一紀 (著), ビーコム (編集) 『モハようございます。 あの人はなぜ、鉄道にハマるのか?』 2008年07月06日
野田 隆 『テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅』 2008年03月08日
一坂 太郎 『東海道新幹線歴史散歩 カラー版―車窓から愉しむ歴史の宝庫』 2008年04月30日
青木 栄一 『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町』 2007年07月18日
原田 勝正 『鉄道と近代化』 2007年11月30日
三戸 祐子 『定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』 2005年10月10日
■ 百夜百マンガ
別に『ホームレス中学生』のネタ元というわけでもないようですが、ある意味で、家出物っていうのも子どもたちの憧れのストーリーのような気もします。『家なき子』とか。
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2008年07月24日
自治体格差が国を滅ぼす
■ 書籍情報
【自治体格差が国を滅ぼす】(#1281)
田村 秀
価格: ¥735 (税込)
集英社(2007/12/14)
本書は、「中央と地方のあり方、その中でも地方自治体の現状と課題について、具体的な事例を数多く挙げて問題提起を行ったもの」です。著者は、執筆の動機を、「地方自治体の関係者はもとより、これまで地方自治体とのかかわりをあまり持っていなかった方々にも、地域や地方自治体のこと、そして中央と地方の関係などについて、身近な事柄としても関心を持ってもらえれば」と語っています。
第1章「拡大を続ける地域間格差」では、「大都市と地方」という対立軸以外に、「新たな対立軸」として、
(1)人口増加自治体と人口減少自治体
(2)豊かな自治体と貧しい自治体
(3)その自治体の住民の経済状況
などの対立字句を見出すことができると述べ、「それだけに地域の問題は深刻化している」と解説しています。
また、「人口が減少し、大規模災害の危険性も指摘される状況下では、地域と地域が助け合う、共助の精神を持つことが必要だ」と述べています。
第2章「勝ち組自治体?」では、千葉県浦安市について、「東京に隣接する小さな漁村」であったが、1958年の本州製紙江戸川工場の悪水放流に対して、浦安の漁民が同工場に乱入するという事件が起きたように、東京湾岸の海域汚染が進み、漁民の漁業の先行きに対する不安は高まり、浦安の漁業は衰退し始めた」ところに、「ある企業から浦安町に対し、海の一部を埋立て、東洋一の遊園地を造りたい」という申し出があり、町が千葉県に埋立て事業の促進を要望した結果、
・住宅地の造成
・大規模遊園地の誘致
・鉄鋼流通基地の形成
の3点を基本方針として、県の事業として埋立て事業が実施されることとなった経緯を解説しています。
そして、埋立て前には、面積が4.43平方キロメートルだった町の面積が、1981年には16.98平方キロメートルと、約4倍にまで拡張されたと述べています。
また、浦安市の公共施設の中でも有名な図書館について、「同規模の都市の中では日本一充実しているという評判」だとして、蔵書数は、同規模の市の平均の45万冊の倍以上である100万冊を超え、市民一人当たりの年間貸出冊数も、動機思しの平均値の倍以上である約12冊、市は年間7億円以上の経費をかけていることも、「全国的に見てもトップクラスの豊かな財政だからこそ」であると述べています。
さらに、愛知県豊田市について、その税収は、2005年度には1000億円を超え、人口100万人未満の県はもちろん、宮崎県よりも多く、人口121万人をかかえる山形県の税収に匹敵すると解説しています。
第3章「負け組自治体?」では、夕張市の財政が破綻した責任について、地方分権時代のキーワードである「自己決定・自己責任」に照らせば、決算を偽装する「自転車操業」を続けて来た夕張市に最大の責任があり、「それをしっかりとチェックできなかった夕張市議会の責任もきわめて大きい」としながらも、「夕張市の財政破綻のきっかけは炭鉱の閉山である」として、「国のエネルギー政策の転換という意味では、国自身にまったく責任がないとするのはちょっと無理がある」と述べるとともに、「国と同様に北海道の責任というのも忘れてはならない。市町村の地方債の許可権限は都道府県」にあり、「市町村財政に関しては長年北海道が指導を行ってきた」と述べています。
また、千葉県木更津市については、「木更津市ほど、地価の乱高下に踊らされた自治体もない」として、「1987年に1平米当たり82万円だったのが、ピークの1991年には385万円とわずか4年で4.7倍に資産価値が膨れ上がった」にもかかわらず、「バブルの崩壊と足並みをそろえるかのごとく、毎年20%前後地価を下げ続け、2006年には11万4000円とピーク時のわずか3%の額にまで下落してしまった」と述べています。
さらに、大阪市西成区について、「格差社会の縮図の街」であるとして、全国平均よりも6歳以上と「飛びぬけて男性の平均寿命が短い地域」であると紹介した上で、大阪市の生活保護率の高さについて、「離婚率や失業率、特に日雇い労働者の割合が保護率の格差に与える影響が大きい」として、1996年から2003年にかけて、生活保護世帯数は、「あいりん地域だけに限ると4倍を超えている。また、市全体の国民年金の未納率は5割を超えている」と述べています。
第4章「模索する自治体」では、群馬県大泉町について、「外国人の割合が群を抜いて、全国一大会ことで知られている」と述べた上で、その原因は、「不足する単純労働者を補うために町と中小企業が積極的に働きかけた結果である」と述べています。
また、三重県亀山市について、シャープ亀山工場の誘致成功のポイントとして、「総額135億円という国内では破格の補助金」を大きな要因の1つと挙げた上で、
(1)三重県の熱心な支援・協力体制
(2)三重県に地の利があったこと
(3)世紀の変わり目のさまざまな変化を絶好の時期と捉えて、異例ともいえる巨額の補助金交付を迅速に決定した北川前知事の行政手腕
の3点を挙げています。
さらに、徳島県上勝町について、高齢化率48.5%と「限界自治体の仲間入りをもうすぐしてしまいそうな小さな山間の町」であるが、「いろどり事業」と名付けられた「いわゆる葉っぱビジネスの成功によって、全国の自治体から注目され、マスコミでも再三取り上げられるようになった」と述べ、その成功の秘訣として、「何と言っても、高齢者パワーの活用」を挙げ、「"つまもの"の生産に携わる農家の平均年齢は67歳、それも女性が中心であるが、この人たちがまさに元気印なのである」として、「今では、月に100万円を稼ぐお年よりも珍しくなく、中には年間で1000万円以上稼ぐ人も出てきた」と述べています。
第5章「新潟から見た格差」では、「明治の初期は新潟県が一番人口の多い県だった」が、現在までに、日本全体で人口が3倍以上となっているのに、新潟県では1.5倍程度にとどまっていることを指摘しています。
そして、2014年問題として、「北陸新幹線の開通によって上越新幹線のポテンシャルが低下し、場合によってはローカル線化し、結果として新潟県経済が地盤沈下してしまうのではないか」という指摘を取り上げています。
また、新潟県で以前から課題となっていた、大学進学率の低さについて、1990年代以降、こうせつ民営の大学が相次いで設立された結果、それまで最下位付近であった進学率が、全国で36番目にまで順位を上げたが、「大学進学率が低いのは、新潟が専門学校王国ということの裏返しとも言える」と述べています。
第6章「中央と地方、対立か、それとも共存か」では、「地方あっての中央」であるとして、
・電気はどこからくるのか:首都圏の生活は新潟や福島県にある東京電力の原子力発電所に支えられている。
・水はどこからくるのか:利根川水系の水源の多くは群馬県の山々によって守られている。
・食べ物はどこからくるのか:東京都の自給率はわずかに1%にとどまる。
などの点を指摘しています。
そして、として、「中央と地方の関係は人間の血管にたとえるとわかりやすい」として、「中央のエネルギーの源は、地方によって供給される水や電力、空気や食べ物、そして若い人材だ」と、「これらは地方から中央への動脈の流れのようだ」と述べる一方で、「中央から地方へと産業廃棄物が大型トラックなどによってあたかも静脈のように運ばれていく」と述べています。
著者は、「自治体生き残りのための十ヵ条」として、
(1)情報公開を徹底させること
(2)国際化、高齢化を素直に受け入れること
(3)地域の素材で勝負すること
(4)国頼み、都道府県頼みから脱却すること
(5)官も民も、総力戦で地域の生き残りを模索すること
(6)安全、安心の地域社会を構築すること
(7)中央と地方のつながりを深めること
(8)公共事業頼りから環境保全、国土保全に力を注ぐこと
(9)住民自治の仕組みを充実させること
(10)共助の地域社会を構築すること
の10点を挙げています。
本書は、一口に「自治体」という言葉では括りきれない多様性を持つ、全国のさまざまな地域を紹介してくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
営業戦略上ということもあってか、「格差」が、「国を滅ぼす」と銘打たれてはいるものの特徴的な自治体のさまざまな境遇を解説してはいるものの、なぜそれが「国
を滅ぼす」のかはよく分かりませんでした。
まあ、キャッチコピーだから、と言われてしまえばそれまでですが。
■ どんな人にオススメ?
・自治体間の格差は問題だと思っている人。
■ 関連しそうな本
日本経済新聞社 『地方崩壊再生の道はあるか』 2007年10月09日
松本 武洋 『自治体連続破綻の時代』 2007年01月04日
三浦 展 『下流社会 新たな階層集団の出現』 2007年11月14日
山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日
橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日
■ 百夜百マンガ
ドラマとしては『ショムニ』の後番組だったというのも不思議な縁ですが、仲人さんはポニョポニョの宮崎師匠なのだそうです。
そう言えば『働きマン』の主題歌はユニコーンでしたが、作者自身が『ヒゲとボイン』を描いている人の姪に当たるというのは偶然なのでしょうか。
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2008年07月23日
情報検索の考え方
■ 書籍情報
【情報検索の考え方】(#1280)
緑川 信之
価格: ¥1890 (税込)
勉誠出版(1999/10)
本書は、著者の「情報検索の考え方」を考察したものです。著者は、「情報検索」では、「それを見ることによって、情報の発生を促進したり、特定の情報の発生を選択的に侵攻させるもの」を意味する著者の造語である「情報触媒」を検索していると述べています。
第1章「検索とは何か」では、「検索」について、「検索とは、ある観点に基づいて分類されたいくつかのグループの中から、特定のグループを取り出す行為である」と定義しています。
また、「検索を容易にする準備」として、
(1)あらかじめ分類しておく。
(2)分類されてできるグループに見出しをつける。
(3)各グループを一定の順序に並べる。
(4)グループの性質が確認できるようにしておく。
の4点を挙げた上で、「このような準備をしておくとかえって困ることもある」として、「分類する人と検索する人が異なる場合には、注目する性質を判断基準に関する認識を一致させるように工夫する必要がある」と述べています。
さらに、「他の人が行った準備(分類など)に頼らずに、自分で行いながら検索すること」を、「拾い読みする」という意味の「ブラウジング」と呼ぶことを紹介しています。
第2章「情報検索は『情報』の検索か」では、「もとの知識状態が異なれば、同じものを見ても知識状態の変化の仕方が床なり、それが反応の違いとなる」と述べたうえで、情報の定義を、「情報とは、知識状態が変化したときの、変化分のことである」と述べています。
そして、文字を見ても、
(1)何が書かれているか理解できない
(2)書かれていることをすでに知っている
(3)書かれていることに関心がない
のいずれかの場合には、「こそから情報を得ない」と述べています。
また、「情報の定義」を、
「定義1:情報とは、知識状態が変化したときの、変化分である
定義2:情報とは、知識状態を変化させるものである」
として、「『知識状態を変化させるもの』としての情報は文字の中に存在し、それを得ることによって知識状態に変化が引き起こされる」と述べています。
さらに、「文字が文字として役立つのは、それを書く人と読む人が同じ規約を共有している場合である」として、
「文字の書き手が読み手(の頭の中)に発生させようとした情報と、読み手が文字を見て(頭の中に)発生させた情報とが一致するのは、文字(背景となる慣習や文化も含む)に関わる規約が両者の間で一致している場合である。文字は規約がある程度一致しなければ理解できないので、文字を理解できる人が見た場合は、情報についても一致することが多い」
と述べています。
著者は、「化学反応の進行が可能である物質系に、比較的少量を添加して反応を促進させ、あるいはいくつかの可能な反応のうちで特定のものを選択的に進行させる物質」である科学用語の「触媒」を借用し、「それを見ることによって、情報の発生を促進したり、特定の情報の発生を選択的に進行させるが、自分自身は変化しないもの」を意味する「情報触媒」という言葉を導入しています。
そして、これらの定義から、「情報検索は、『情報』の検索ではなく、『情報触媒』の検索である」という結論を示しています。
第3章「情報検索システムの課題」では、情報検索システムの「効率」について、
・再現率:データベース中の適合文献のうち、検索されて出てくる適合文献の割合
・制度:検索されて出てきた文献のうち、適合文献の割合
の「2種類の意味で使われる」と述べています。
また、「検索者に代わって検索を行う、あるいは適切な検索の方法を考える」検索代行者が、「検索者の検索要求を把握しなければならない」ため、その家庭を「プレサーチ・インタビュー」と呼ぶとして、「医者の問診に似ているように思われる」と述べています。その上で、「検索代行者にとって最も重要なことは、ただ検索者に代行して検索をすればよいという」のではなく、「検索者の知識状態を変えるもの、つまり、情報触媒を検索しなければならない」と述べています。
さらに、「論文の一部分だけをデータベース中で探すためには、論文が構造化されていなければならない」と述べ、構造化は、「索引語の重み付けにも役立てることができる」と述べています。
本書は、日頃何気なく使っている「検索」を論理立てて解説した一冊です。
■ 個人的な視点から
「検索」というとインターネットの検索サイトがまず頭に浮かびますが、日々さまざまな情報の中に暮らす私たちにとって、オフラインでも「情報触媒」という考え方は有用なのではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・「検索」はネット上のものだと思っている人。
■ 関連しそうな本
嶋田 淑之, 中村 元一 『Google―なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか』 2005年08月18日
梅田 望夫 『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』
ジョン・バッテル (著), 中谷 和男 (翻訳) 『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』 2006年06月20日
佐々木 俊尚 『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する』 2007年11月20日
ピーター モービル (著), 浅野 紀予 (翻訳) 『アンビエント・ファインダビリティ―ウェブ、検索、そしてコミュニケーションをめぐる旅』 2007年11月26日
■ 百夜百マンガ
不良、というより犯罪者を集めて警察の特殊部隊を作ってしまう、という設定は、なんとなく「特攻野郎Aチーム」を彷彿とさせます。
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2008年07月22日
舞台ウラの選挙―"人の心"を最後に動かす決め手とは!
■ 書籍情報
【舞台ウラの選挙―"人の心"を最後に動かす決め手とは!】(#1279)
三浦 博史
価格: ¥767 (税込)
青春出版社(2007/06)
本書は、選挙プランナーである著者が、「現実の選挙で繰り広げられているウラ・オモテの攻防戦を通して垣間見える、"人を動かす"ことの本質を浮かび上がらせ」たものです。
第1章「選挙にはいくらかかるのか?―選挙の収支決算ウラ・オモテ」では、「誰でも政治家になれば金儲けができる」というのは幻想であると述べた上で、「地方議員の選挙では、お金がないならないなりにやっていけることもあるということだが、いずれにしても地方議員の場合でも、選挙費用はピンからキリまである」と述べています。
そして、選挙プランナーとしての経験から、「どの選挙のレベルでも、選挙費用は法定費用の2倍以上が平均相場」だと述べています。
第2章「票はこうして集まる~小選挙区制で変わった当選事情」では、「参議院比例で後援会名簿を100万人分集めても、実際の得票は8万、9万で落選という候補者がザラにいる」として、「その候補者の組織が後援会名簿をフル活用できるほどには動かなかった」ケースを挙げています。
第3章「そのお金は"誰が"出す?~選挙とお金と利権の相関関係」では、よくある例として、「県の副知事や幹部、中央官僚出身者などが知事選に担ぎ出される」場合に、「有力な支持者から、運動員や資金面まで全面的に面倒を見てもらう」こともあるが、「どうしても借りができる」ことを指摘しています。
また、「金持ち議員とたくさんのお金を使う議員とは必ずしも一致しない」として、「金権政治家と言われた田中角栄氏は多くのお金を集めたが、他人に対しても多くのお金を使った」として、「要は収入源と資金使途、どう集め、何に使ったかが重要」だと述べています。
さらに、いわゆる「選挙ブローカー」がいなくなった要因として、「候補者が選挙にかけるお金は少なくてすむようになってきた」こと、「世代交代が進んだこと」などを挙げています。
第4章「PR上手が心をつかむ~イメージ戦略とメディア」では、商業PRが「売れるもの」を売るためのものであるのに対して、政治PR・宗教PRは、「必要としていない人にも必要と思わせる」点が異なると述べ、商業PRの発想によるやりかたを「迎合型選挙」と呼ぶ一方で、食べたことのない人にニンニクを食べさせるやり方を「啓蒙型選挙」と呼ぶと述べています。
そして、「イメージ選挙」について、「その人(候補者)がもっている魅力的な部分を最大公約数的に、特定の有権者層をターゲットに抽出して、選挙運動に用いること」だと述べています。
また、候補者の発言のブレについて、男性は多少のブレにも比較的鷹揚だが、女性は、「ブレる人が大嫌いなのだ。なぜ発言がブレたのかを理解する前に、ブレたこと自体に嫌悪感を持つ人が多い」と述べています。
さらに、「ディベート」と「ディスカッション(討論)」は違うとして、「『ディベート』は議論で相手に勝たなければならないが、『ディスカッション』はどちらの候補者が観客に好感度を与えるかが重要」だと述べています。
この他、インターネットが選挙運動に解禁された場合に変化として、
(1)政策を伝えるための量的制限がなくなる。
(2)選挙関係の情報の告知が楽になる。
(3)異なる複数の場所をつないでリアルタイムに双方向の交流ができる。
(4)イシュー(関心事)ごとのサイトが開設され、そこで同じイシューに興味をもっている人同士が交流できる。
(5)インターネット版の怪文書が出てくる。
の5点を挙げています。
第5章「人を動かす決め手とは~人を巻き込む熱エネルギーの起こし方」では、選挙プランナーである著者が、「この選挙区には○○という特殊事情があるんですよ」といわれたときに、「違う点を10いってみてください。私は似てる点を11いいますから」と切り返すとして、「選挙の手法というものはどこでもそう変わらない」と述べています。
そして、「人や集団を動かす基本は1つしかない。古今東西を問わず"熱伝導"だ」と述べ、「事実に基づいた心温まるエピソードでしか伝わっていかない」として、浜田幸一元衆議院議員が、「選挙期間中は車の中にピカピカに磨いた革靴が何足も置いて」あり、「農村を回るときは、そのピカピカの革靴で車を降り、どんどん田んぼの中に入っていく」、「農作業の人たちはその姿を見て驚くとともに、いたく感動する」と述べ、土下座をし、涙を流しながら「お母さんの歌」を熱唱するという「泥臭いことに心を動かされるものなのだ」と述べています。
第6章「こんな人が最後に勝つ~時代とともに変わるもの、変わらないもの」では、田中角栄氏のすごいところとして、「越山会会員や会員以外でも田中氏に投票している人たちが、自分の言葉で『田中先生のここが好き! ここがすごい!』と具体的にはなせること」を挙げています。
そして、著者が、全米1位の選挙コンサルタントから、「勝算率1位の秘訣」として、「運がよくて当選しそうな人しかクライアントにしない」ことを教えられ、著者の考えでは、、
(1)初めて会ったときの第一印象でオーラを感じる人
(2)熱伝導の熱源を持っている人
の2つのポイントを満たしていなければならないと述べています。
また、著者自身が「直接選挙に直接関わった」中で、「運がよくて当選しそうな人」として、「青春の巨匠」森田健作氏を挙げ、「会った第一印象でオーラを感じる人」であり、話をしてみると、「熱伝導の熱源を持っている人」であり「運がよくて当選しそうな人」であったと述べています。
さらに、そのまんま東(東国原英夫)氏について、「最大の勝因の一つは『郷土愛』」であったと述べ、「宮崎命というメッセージが、県民にきちんと伝わった結果である」と述べています。
著者は、「イメージ選挙といわれるが、何といっても候補者の熱い思いが一番」だとして、「選挙キャンペーンの手法もその真価が問われる時代に突入した」と述べています。
本書は、怪しげなイメージを持つ人もいる「選挙プランナー」の役割と選挙の面白さを伝えてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
「選挙プランナー」という肩書きには、著者なりの思い入れが相当あることも伝わってきましたが、やはり、どこか陰で糸を操る「黒幕」的なイメージが浮かんでしまいます。とは言え、「選挙コンサルタント」、「選挙アドバイザー」、「選挙請負人」、「選挙仕事人」などの他の呼び方もピンとこないのですが。
■ どんな人にオススメ?
・選挙は怪しげだと思う人。
■ 関連しそうな本
三浦 博史 『最新選挙立候補マニュアル―選挙参謀はいりません』
三浦 博史 『洗脳選挙』
三浦 博史, 前田 和男 『選挙の裏側ってこんなに面白いんだ!スペシャル』
井上 和子 『選挙裏物語―「当選確率80%」スゴ腕選挙コーディネーターが明かす選挙のすべて』 2007年10月30日
季武 嘉也 『選挙違反の歴史―ウラからみた日本の100年』 2007年10月02日
藤谷 治 『いなかのせんきょ』 2006年10月28日
■ 百夜百マンガ
この作品を読んでいないと、『トップをねらえ』を見ても面白さが半減する?かどうかは分かりませんが、女子スポ根ものの定番中の定番です。
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2008年07月21日
迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか
■ 書籍情報
【迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか】(#1278)
シャロン・モアレム, ジョナサン・プリンス (著), 矢野 真千子 (翻訳)
価格: ¥1890 (税込)
日本放送出版協会(2007/8/25)
本書は、著者の祖父と著者自身が「体の中に鉄が蓄積してしまう」珍しい病気である「ヘモクロマトーシス」をきっかけに生物学の道に進んだ著者が、「なぜこんな、体によくない病気の遺伝子がこれほど多くの人に受け継がれてしまったんだろう?」という疑問に対して、「そもそもなぜこんな病気が起こり、それが広がってきたのかを、進化のカーテンの裏側から」店得てくれるものです。
第1章「血中の鉄分は多いほうがいい?」では、「つねに鉄が足りないと思い込み、吸収し続ける」ことで、「体中に広がり、関節や主要な臓器を傷つけ、体全体の化学反応を狂わせる」ヘモクロマトーシスが、「西ヨーロッパ系の人々によくある変異」で、3人に1人か4人に1人の割合で「ヘモクロマトーシス遺伝子の少なくとも1つを保有している」ことを述べた上で、「ヘモクロマトーシスの変異を受け継いだ人は、鉄を含まないマクロファージのおかげでペストを生き延び、子を作るため、変異遺伝子を次世代に伝えることができた」と述べています。
その上で、この「新しい発見」が、「地を抜く療法」である瀉血と、「貧血予防を目的とした鉄剤投与療法という2種類の治療を、「関係者たちに考え直させるきっかけとなった」と述べています。そして、「瀉血は床屋でおこなわれていた」ため、「現代でも床屋の看板である縞模様のポールは、瀉血の行為を象徴している」として、「赤と白の螺旋ストライプは、洗い終わった包帯を木の棒に引っ掛けて乾かすという中世時代の習慣が由来となっている」と解説しています。
第2章「糖尿病は氷河期の生き残り?
【ラーメン発見伝 】
【たいまんぶるうす 】
【お水の花道 】
【守ってあげたい 】
【僕といっしょ 】
【ハッピーマニア 】
【ワイルド7 】
【エースをねらえ! 】