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2008年07月08日
カラオケ化する世界
■ 書籍情報
【カラオケ化する世界】(#1265)
ジョウ・シュン, フランチェスカ・タロッコ (著), 松田 和也 (翻訳)
価格: ¥2520 (税込)
青土社(2007/12)
本書は、「カラオケの複雑性の記述の試み」であり、「戦後に日本におけるその誕生と発達から、現代世界への拡散、そしてグローバルな現象となっていく過程を」追ったものです。著者は、「カラオケというとどうしても日本特有の製品と考えられがち」だが、「一般に『グローバル』と称される多くの現象がそうであるように、カラオケもまた複雑な現象である」と述べ、「フィリピンの島々からカナダの高地まで、人々は絶えることなく自分たちの既存の文化伝統や生活様式の中にカラオケを採り入れ続けているのだ」と述べています。
第1章「誰がカラオケを発明したのか?」では、兵庫県西宮市に住む井上大祐を、「カラオケの『お祖父ちゃん』である」と述べ、1971年、「神戸のバーのバックバンドのキーボード/ヴィブラフォーン奏者としてあまりぱっとしない日々と送っていた」井上が、「どんな下手な歌に対しても音を合わせて演奏することができた」ために、「多くの素人歌手からは大人気」で、「常に引っ張りだこの人気者であった井上は、自分自身のクローンを創る必要に迫られた」と述べています。そして、客の一人から社員旅行への同行を依頼された井上が、「伴奏曲をテープに録音してその客に与えた」ことをきっかけに、「機械あったらラクできんのちゃうか思いましてん。まあゆうたら、ズボラで新曲憶えんのイヤやよって、何とかならんか、ちうて出来よったもんなんですわ!」と、「エレクトロニクスの専門家、指物師、塗り師」の3人の友人に相談し、「マイクとエコーのついた、より洗練された井上クローン」が出来上がった、と紹介しています。井上は、1999年には、『タイム』誌の「20世紀におけるもっとも影響力のあったアジア人の一人」に数えられ、「彼はそれまで声を出す術を知らなかった多くの人々の解放を促進した。毛沢東やモハンダス・ガンディがアジアの昼を変えたのと同様、井上はアジアの夜を変えたのである」と評されたことを紹介しています。
第2章「カラオケ・フィーヴァー――日本と韓国」では、日本で1982年には、「合衆国におけるガス器具の市場」を上回る売上げを記録した家庭用カラオケ・セットが、騒音問題によるトラブルの原因となったことから、「1980年代後半に日本の起業家たちは『カラオケ・ボックス』を創り出した」ことを紹介しています。
また、韓国では、「歌の部屋」を意味する「歌房」について、
(1)家族向けで、アルコールは厳禁。家族全員が「一緒になって流行のポップソングを合唱し、ティーンエイジャーはロマンティックなアイドルの最新の曲で盛り上がり、子供たちは韓国の子守唄を好き放題に改ざんする」。
(2)アルコールが供され、歌い手の「扁桃腺を滑らかにし、お気に入りのトム・ジョーンズやビートルズ、フランク・シナトラなどの名曲を歌うのに適切な状態にする」。
の2つのタイプがあることを解説しています。
第3章「カラオケ・ワンダーランド――東南アジア」では、「東南アジアではカラオケ・バーで女を『引っかける』ことはごく普通に行われている」として、「タイでは1000軒以上のカラオケ私設がセックスワーカーを雇っていた」と述べています。そして、バンコクには「自動カラオケ機」があり、「薄暗い照明のついた自動ブースで、大きさは2人用から6人用まで様々」であり、「たった10バーツで、この箱の中にオイルサーディンのように詰め込まれ、一緒に歌を歌う親密さを楽しむことができる」と解説しています。
また、「日本人はカラオケを発明したかもしれないが、フィリピン人はそれを支配している!」と自称するフィリピン人にとって、「カラオケは国家の威信である」と述べ、フィリピン政府が、「電気代節約のため、すべての刑務所において夜間のカラオケを禁じた」ことを取り上げ、「フィリピン人のカラオケを楽しむ権利を否定することは、その人の心臓を止めるに等しい」と述べています。そして、「マニラでは、カラオケは単に歌うことではない。それは日常生活に関する共有体験である」と述べています。
第4章「カラオケ宮殿のディズニーランド――中国」では、「今日の中国において完全に『ハズれてる』人間とは、KTV(カラオケTV) は単なる娯楽にすぎないと考えている者である。KTVは現代中国の人間的・文化的体験の不可欠の部分となっている」と述べ、「開放政策後の中国に、ディズニーランド化とカラオケ熱は手に手を携えてやってきた」と解説しています。
また、1980年代後半に最も人気のあった歌が、愛国的な「龍的傳人」であったが、1990年代以来、「人民の夢の歌」は、山口淑子/李香蘭によって1940年代に有名になった「夜来香」であり、「戦時中の上海の頽廃を反映した『夜来香』は皮肉にも、革命後の中国における最大の人気曲となった」と解説しています。
さらに、カラオケを「何百万という中国の家庭に導入」した、広西出身の陳秀宏について、「彼の機械は一夜にして大ヒットとなった。突如、カラオケ危機は何百万という中国家庭の必需品となった」ため、「大都市の家庭にとっては、KTV(カラオケTV)を保有しないことはほとんど恥辱と見なされ」、「辺鄙な内陸部の村人にとっては、巨大なカラオケ機器が生み出す魔法の音は『科学』と『近代』の象徴となった」と解説しています。
第5章「魂のカラオケ――カラオケと宗教」では、2004年にカンボジア政府によって放送禁止となった人気ラブソングとして、「女に恋して僧服を脱ぐ決意をした仏僧の歌」である「恋して還俗(シ・ホ・プロ・スネ)」を紹介し、「発売1ヵ月で大ヒットを飛ばしたが、仏教を蔑ろにするという非難も浴びた」と解説しています。
一方で、台湾の仏教団体である国際佛光会(BLIA)が製作・販売したカラオケ・ヴィデオを紹介し、「そこには中国語の日々の勤行の声明が一通り収められている」と述べています。
また、カラオケ・テクノロジーが、「保守的な英国聖公会の中にも取り込まれている」として、「ノッティンガムシャーの教会、賛美歌歌唱力向上のためにカラオケ機器を設置」という記事を取り上げ、この機器が、「おそらく、元来のオルガンが100年前にやっていたのと同じ形で聖ヨハネ教会の名を高らしめています」という関係者のコメントを紹介しています。
著者は、「社会一般においてカラオケがどのように行われているか」が、「カラオケに対する宗教団体の態度を決める決定的要因とは言わぬまでも、極めて重要なものであることは間違いない」と述べています。
第6章「『全裸カラオケ』とカウボーイ――北米」では、1990年代初頭に、「アジアからのカラオケ熱がトロントを直撃した」が、「それに対する反感はほとんどなく、むしろ地元の多くのミュージシャンはこれを気に入り、既存の音楽シーンに組み込んだ」として、「芽を出しつつある才能の『背中を押す』こと」ができると述べています。
そして、1996年、フロリダのタンパ地区で、「多くのヌーディストが地元のカラオケ施設の常連となり、ヌードでステージに上がって思いの丈を歌っている」と報じられたことについて、「彼らに言わせれば、カラオケはまさにヌーディストのためにあるようなもので、何故なら公衆の面前で自らをさらけ出すことに慣れている彼らは、ステージに上がるのに何の問題もないから」であると述べています。
著者は、「アジアのほとんどの国においてはカラオケは家族を結びつける紐帯であるが、アメリカではカラオケはホームパーティと同じ機能を果たし、友人や近隣住民と親しむ機会となっている」と述べています。
第7章「カラオケ人――英国」では、「カラオケ文化は現代社会全体の縮図である」として、デニス・ポッターが「彼の最後の戯曲のタイトルにこの隠喩を選んだこと」について、彼が、「私はそれをカラオケと呼ぶ。何故なら――嗚呼、御存知のように、歌も我々の人生の物語も、出来合いのものにすぎないのだ」と語っていることを紹介しています。
第8章「カラオケよ永遠に――ヨーロッパ」では、「フィンランドの凄まじい大会からTV番組、そしてサマー・キャンプまで、ヨーロッパのカラオケにはいくつかの、一見互いに矛盾するような顔がある」が、「さまざまな場所や活動においてカラオケが繁盛しているのは、ヨーロッパ人がカラオケを真に評価していることを示している」として、「ヨーロッパはカラオケを愛している」と述べています。
第9章「ブラジルのカラオケ――ニッケイジンの物語」では、「ブラジルにおいては、カラオケをはじめとする『日本的』活動は、日系ブラジル人にとって自らの民族的アイデンティティを確認する方法である」のに対し、「日本では対照的に、心を込めてブラジルの歌を歌う」のだと述べています。
第10章「カラオケ革命――カラオケのテクノロジー」では、「1970年代のエイトジュークの発明以来、技術革新は常にカラオケという減少の中心にあった」と述べています。
また、「カラオケ施設で歌う人々にとって、マイクは特別のオーラを発している」として、「殊に日本のカラオケ教祖は、マイク・エチケットに関するべし・べからず集を創りたがる」と述べています。
本書は、カラオケという娯楽を切り口に、世界の隣人との文化を切り取った貴重な一冊です。
■ 個人的な視点から
カラオケがアジアで人気なのは知っていましたが、アメリカやヨーロッパでも浸透しているということには驚きました。
しかし、歌を歌うことと、楽器を演奏することのハードルの高さの差を考えると、カラオケ自体は世界中に広がる余地があるアイデアではないかと思います。
■ どんな人にオススメ?
・カラオケは日本の文化だと思っている人。
■ 関連しそうな本
Zhou Xun, Francesca Tarocco 『Karaoke: The Global Phenomenon』
野口 恒 『カラオケ文化産業論 21世紀の「生きがい社会」をつくる』
中村 伊知哉, 小野打 恵 『日本のポップパワー―世界を変えるコンテンツの実像』 2006年11月29日
堀淵 清治 『萌えるアメリカ 米国人はいかにしてMANGAを読むようになったか』 2007年04月15日
杉山 知之 『クール・ジャパン 世界が買いたがる日本』 2007年08月19日
フレデリック・L. ショット (著), 樋口 あやこ (翻訳) 『ニッポンマンガ論―日本マンガにはまったアメリカ人の熱血マンガ論』 2006年04月29日
■ 百夜百マンガ
昔から少年マンガの世界ではスピリチュアルな世界というか霊の世界は重要な一ジャンルだったわけですが、そういう大きな目で見ると21世紀のマンガの世界も見えやすくなる気がします。
投稿者 tozaki : 2008年07月08日 22:00
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