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2008年07月15日
粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯
■ 書籍情報
【粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯】(#1272)
城山 三郎
価格: ¥470 (税込)
文藝春秋(1992/06)
本書は、タイトルである「粗にして野だが卑ではない」という「会心のライフ・スタイル」を貫いた第5代国鉄総裁石田禮助の評伝です。
序章では石田が、生前、「どうしてももらってもらえ」との池田総理の強い意向にもかかわらず、「おれはマンキーだよ。マンキーが勲章下げた姿見られるか。見られやせんよ、キミ」と受け付けず、ただし、ただのマンキーではなく、国鉄総裁になって、初めて国会へ呼ばれたときには、代議士たちを前に、「粗にして野だが卑ではないつもり」という心意気を示したと述べています。
第1章「若き兵士の如く」では、総理大臣池田勇人が、国鉄総裁への財界人起用に執念を燃やしていたが、小林一三が「何ひとつ権限のない仕事をやらせる気か」と初代総裁のポストをはねつけたように、「統率力の限界」を超えた従業員数46万人に加え、「政府の指揮監督、国会の監督と手枷足枷をはめられての仕事」であり、「経営サイドに当事者能力がまるで与えられていない」なかで、「加えて、巨大な労働組合の壁」があり、「これでは誰がなろうとうまく行くはずが」ないと考えられていたと述べています。
しかし、第4代総裁の十河と同じ国府津の住人であり、2期に渡って国鉄監査委員長をつとめたのち、諮問委員をしていた石田は、国鉄総裁就任の依頼に、「これでパスポート・フォア・ヘブン(天国への旅券)を与えられた」と語り、「商売に徹して生きた後は、『パブリック・サービス』。世の中のために尽くす。そこではじめて天国へ行ける」と考えていたと述べています。
また、初の記者会見で有名になった、「体に自信はある。気持ちはヤング・ソルジャーだ」と語ったことについて、「ソルジャー」という言葉には、「自分が犠牲になり、耐えて耐え抜く人」との意味を持っていたのではないかと述べています。
第2章「ひとつのロマン」では、三井物産の中で石田が頭角を現したのが、「大正5年、数え31歳でシアトルの支店長(正式には出張員主席)に起用されてからである」と述べ、また、シアトルに向う太平洋の半月あまりの船旅で同質となった第一生命の石坂泰三と気が合い、「生涯の親友」となったと述べています。
また、シアトル時代の証言として、「ミスター・イシダは本当に公平だった」という部下の女性の証言や、「きびしい人、自分にも厳しい人でした。仕事も早く、決断も早かった。たいへん威厳があり、笑顔など見たこともない」という部下の男性の証言を紹介しています。
第3章「動くものが好き」では、「石田が目をつける部下の条件」として、
(1)ヤング
(2)アグレッシブ
(3)イクスピアリアンスト
の3点を挙げ、大連時代にラグビーの試合での「トライの仕方」を見込まれた北原一造が、ニューヨークの金物部に呼び寄せられ、「きみ、運動やってるだろうな、やめちゃいかんよ」と言われたことを紹介しています。
さらに、「部下を評価する石田の言葉」として、「エイブル」という言葉を挙げています。
第5章「『非戦闘員』のクラブ」では、国府津に居を構えた石田の元に、「石坂泰三、加納久朗(後の千葉県知事)、安川雄之助ら戌年同士で集まることもあり、加納がわざわざ国府津まで犬を持ってきたりした」と述べています。
そして、昭和21年から10年間にわたる石田禮助の60歳代を、「石田は単なる『石田農園主』であって、公職を含むこれといった職に就いていない」と述べています。
第6章「ミスター鬼瓦」では、昭和31年に、「同じ国府津の住人である十河信二国鉄総裁に頼まれ、石田が国鉄監査委員、そして初代委員長になった」ことを述べ、6年間にわたる監査委員長の期間、国府津の石田家では、養子房之助に志寿子を娶り、「室町のライオン」とも言われた石田が、孫を得たとたん、「孫を抱いたり、揺り籠の子守りをしている」ことに、石田の妻つゆの友人たちが、「想像できない。ぜひ見せて」と言ってつゆを困らせたと述べています。
第7章「降りかかる火の粉」では、石田にとっての「人生の秋、颯爽の出番であった」国鉄総裁職への就任について、
「それまでの人生の中から、スタンスはすでに決まっていた。
粗にして野だが卑ではない。正々堂々とやる――。
私心といえば、そうすることで『天国への旅券(パスポート・フォア・ヘブン)』を得たいという願いだけ、こわいもの知らずでもあった」
と述べています。
そして、石田が、通勤対策については、
「地域の問題であり、政府や地方自治体が対策を考えるべきである。
国鉄はもともと全国を対象とし、地域と地域を結ぶなど国土の平均的開発に役立つのが使命である」
との考えを持っていたが、「朝の通勤ラッシュの新宿、赤羽、上野、さらに大阪の各駅ホーム」に立ったことで、「これまでのそうした考え方を『悔い改めた』」と語ったと述べています。
しかし、石田の"神よ、願わくは安全を守り給え"という祈りは神に届かず、昭和38年11月9日、死者161名を出した鶴見事故が起き、葬儀では「嗚咽して、用意した弔辞をろくに読めなかった」ことが述べられています。
第8章「人生の達人」では、鶴見事故後、「総裁職は金をもらってやるべきではない」との思いを強くした石田は、給与全額を受け取らぬことにし、「一年ブランデー一本頂戴出来レベ仕合ワセデス」と文書で申し出たと述べています。
また、国会答弁では、離れた席とマイクとの往復をする石田を見かねた田中角栄から、「空いている総理大臣席に坐るように」と進められ、「遠慮なく、そこに腰を下した」石田が、官房長官から「低姿勢、低姿勢」というメモを渡されたが、
「私は低姿勢はきらいだなあ。低姿勢をとる必要もないもんな。私の柄に合わないですよ。へんに威張るなんということはないけれども、なにも自分を卑下して下げなくてもいいところを下げるなんてことはできませんよ」
というスタンスであったと述べています。
さらに、昼夜なく「命を賭けて」働く運転士と専売公社の従業員の給与が変わらぬことを指摘し、「タバコ巻き」呼ばわりはけしからぬと講義してきた全専売労働組合に対しても総裁室のドアを開け放ったまま、
「だって、きみィ、タバコ巻いてるじゃないか」
「ぼくはヘビィ・スモーカーだったが、いまはやめてる。あんなに体に悪いものはない。きみらがつくったら、外国で売りたまえ。ぼくが売ってやるよ」
と抗議団を煙に巻いたと述べています。
そして、石田が、国会議員たちに対しても臆することなく、
「国会に行くことなんか、ぜんぜん苦にならんな。よろこんで行くよ。気を使うことなんかありゃせん。ワシは国会はおもしろいし、エンジョイすることすらあるよ」
とコメントしてることを紹介しています。
第12章「首を切られた気持ち」では、石田が、「総評傘下の巨大な戦闘集団」の順法闘争には激しい憤りを見せ、「指導した組合執行部に対して、解雇もふくめた厳しい処分」を打ち出したことに対し、組合員たちが総裁質に押しかけると、
「どうかねキミたち、首を切られた気持ちは?」
と語り、「これにはさすがの組合の猛者もグッとつまってひとこともなかった」と、その様子を紹介しています。
そして、昭和44年5月27日、「石田はまる6年にわたる国鉄総裁職を辞し」、「その離任は国鉄の内外から惜しまれた」と述べています。
第14章「毎日の遺言」では、病に倒れた石田が、「自分の葬儀のことを口にするように」なり、「思いついた、遺言だぞ」といって、
○死亡通知を出す必要はない。
○こちらは死んでしまったのに、第一線で働いている人がやってくる必要はない。気持はもう頂いている。
○物産や国鉄が社葬にしようと言ってくるかも知れぬが、おれは現職ではない。彼等の費用を使うなんて、もってのほか。葬式は家族だけで営め。
○香奠や花輪は一切断れ。
○祭壇は最高も最低もいやだ。下から二番目ぐらいにせよ。
○坊さんは一人でたくさんだ。
○戒名はなくてもいい。天国で戒名がないからといって差別されることもないだろう。
○葬式が終わった後、「内々で済ませました」との通知だけ出せ。
○ママは世間があるからと言うかも知れぬが、納骨以後もすべて家族だけだ。
○何回忌だからといって、親族を呼ぶな。通知をもらえば、先方は無理をする。
○それより、家族だけで寺へ行け。形見分けをするな。つゆが死んでも同じだ。
などの「遺言」を「毎日のように志寿子に指示して書取らせた」ことを紹介しています。
そして、「家族に見守られて、生まれた。死ぬときも、家族に見守られて死ぬ。それがおれの希望だ」と「くり返し言った」と述べています。
本書は、本当の意味での「パブリック」とは何かを考えさせてくれる一冊です。
■ 個人的な視点から
本書の表紙は、国府津駅のホームに立つ石田の写真があしらわれていますが、そう言えば、「一等車」「二等車」という呼び名を「グリーン車」「普通車」に変えさせたのは石田なのだそうです。国府津から東京までの通勤はたいへんそうですが、写真を見る感じでは、席を譲ったりすると、「年寄り扱いするな」と怒り出しそうな印象を受けます。とは言え、海外生活が長い合理主義者でもあったので、「リーズナブル」と思えばすんなり席に座りそうな気もしますが。
■ どんな人にオススメ?
・気持ちのよい年寄になりたい人。
■ 関連しそうな本
城山 三郎 『花失せては面白からず―山田教授の生き方・考え方』 2008年03月27日
城山 三郎 『もう、きみには頼まない―石坂泰三の世界』
城山 三郎 『落日燃ゆ』
城山 三郎 『男子の本懐』
城山 三郎 『雄気堂々〈上〉』
城山 三郎 『官僚たちの夏』
■ 百夜百マンガ
当時の小中学生なら誰しも、パンツをかぶって「フォオオオ!」と叫んだかどうかは定かではありません。
投稿者 tozaki : 2008年07月15日 21:00
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