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2008年07月29日

ブログがジャーナリズムを変える

■ 書籍情報

ブログがジャーナリズムを変える   【ブログがジャーナリズムを変える】(#1286)

  湯川 鶴章
  価格: ¥1785 (税込)
  NTT出版(2006/6/24)

 本書は、前著『ネットは新聞を殺すのか』の続編で、著者のブログ「ネットは新聞を殺すのかblog」をまとめたものです。
 第1章「未来からの予測」では、「放送と通信が融合した場合の究極のサービス形態」として、
(1)ビデオ・オン・デマンド:時間の制約からの解放
(2)モバイル:空間の制約からの解放
(3)参加型メディア:音楽やビデオの制作も流通も一般市民
の3点を挙げています。
 第5章「メディアの定義が変わる」では、「つながるための仕組み」である「融合メディアの近未来」が、「SNSの進化したもの」になると述べた上で、「つながりのメディアによって、ジャーナリズムは今、市民参加型になろうとしている」と述べています。
 第6章「ジャーナリズムとは」では、「今ネット上で起こっている事象の中には、ジャーナリズムとしか形容できないものがある」とした上で、「21世紀のジャーナリズムとは、社会をよくしよう、真実をつかもうとする言論活動のことである」と定義しています。
 第8章「ニュースビジネスの今」では、グーグルニュースについて、「一度離れた報道機関が、いずれはまたグーグルニュースに戻ってくる」と述べ、その理由として、
・グーグルが協力を拒否していた大手報道機関に配信料を支払うことにした。
・グーグルからリンクの見返りに何らかの恩恵を報道機関側が受けているという正式な説明を受けた。
などの、「いろいろな噂が耳に入ってきた」ことを紹介しています。
 第10章「二十一世紀の新しいジャーナリズムの形」では、著者が、米国で受けたジャーナリズム教育の中で、「記者として、してはならないこと十箇条」のうち、
・発表文を元に原稿を書いて、仕事をしている気になるな。
・明日発表される予定のものを、今日スクープして喜ぶな。
の2つだけを憶えていると述べています。
 また、参加型ジャーナリズムの課題、問題点として、「あらゆる情報がネット上に氾濫する中で、伝えるべき情報が伝わらない状況になっている」ことを指摘し、「多くの人にとって必要な情報を流す」という「マスメディア的な機能を残すカギ」は、「一般市民が社会の舵取りにどれだけ参加できるか、一般市民の側にどれだけパワーが移行するのか、にかかっている」と指摘しています。
 さらに、「信頼できる情報の発信という既存メディアの役割」について、
(1)今のところ既存メディアの方が平均点では上だが、今後、ブログなどを通じた優れた情報発信が増え、技術革新によって簡単にアクセスできるようになる。
(2)玉石混交の情報の中でこそメディアリテラシーが育つ。
(3)どれだけ個人の情報発信が盛んになっても、表に出てこない情報というのが存在し続ける。
の3点を挙げています。
 第11章「日本における参加型ジャーナリズムは」では、「日本の参加型ジャーナリズムの近未来像は、市民記者サイトといった一つのサイトの中でだけ盛り上がるという形はとらない」として、「どこかで誰かが発信した情報がネット上の口コミで広がり始め」、「ブログ検索エンジンなどのネット上の話題を見つけ出す仕組み」を通じて「伝播し始めた情報を、既存メディアや、マスメディア並みの影響力を持つブログやサイトが取り上げることによって、その情報はさらに広く伝播する」という形が、「参加型ジャーナリズムの情報伝播の基本的な形」ではないかと述べています。
 第12章「記者ブログ炎上」では、著者と交流のある記者のブログが、「時事問題に関してはっきりと自分の意見を主張していた」もので、これに対する反対意見のコメントに対し、「冷静であれば、誹謗中傷を無視するのか、削除するのか、謝罪すべきところは謝罪すべきなのか、判断できたはず」だったが、「気が動転してしまい、冷静さを失ってしまった」と紹介し、記者の「本名、住所などの個人情報」から、「運転免許証のコピーまでネット上に晒された」ことについて、「よくいえば、無数のネットユーザーが手分けして真実を探り出す分散型の市民ジャーナリズムだった。悪く言えば、ネットユーザーが暴徒と化した魔女狩りだった」と述べています。
 著者は、「マスコミ関係者向けの原稿や講演の中で、視聴者、読者との対話を始めることの重要性」を説いてきたと述べ、ニュースサイトをブログ化した神奈川新聞社の試みについて、「読者、視聴者ともっと対話しなければならないという思いは、マスコミ関係者の間に静かに広がりつつある」と述べています。
 第13章「既存メディアのビジネスモデルは」では、「新聞は牛丼のようなものである」という説を紹介し、「便利さ、サービスも含めて」牛丼であるように、「新聞も牛丼もサービスまで含めたパッケージに価値がある」と述べています。
 第14章「動き出した『恐竜』」では、「ネット全体、社会全体の情報の門番の役割はグーグルなどのネット企業に奪われる可能性が高いとしても、特定の情報ニーズに特化した情報ハブを形成することで多くの報道機関は生き延びることが可能だろう」と述べています。
 本書は、ネットを過大評価も過小評価もすることなく中立な目で見ることを心がけながら、既存メディアの行く末を論じた一冊です。


■ 個人的な視点から

 「ブログ」という言葉と「ジャーナリズム」という言葉が何となくうまく結びつかないのは、日本の新聞記事の多くが記者クラブへの記者発表を流している、単なる情報伝達手段に徹しているように見えるからでしょうか。
 一方で、週刊誌などの雑誌の記事は当たりはもちろんあるにしても、外れの記事があまりにも多く、「探偵ファイル」と大差ないもののように見えてしまうからなのかもしれません。むしろ、「サイバッチ」の方が、「ジャーナリズム」的な雰囲気を漂わせているような気さえしてしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・「ブログ」に「ジャーナリズム」を感じてしまう人。


■ 関連しそうな本

 ダン・ギルモア (著), 平 和博 (翻訳) 『ブログ 世界を変える個人メディア』 2006年06月22日 06:00
 湯川 鶴章 『爆発するソーシャルメディア セカンドライフからモバゲータウンまで グーグルを超えるウェブの新潮流』 2008年01月25日
 国際社会経済研究所, 青木 日照, 湯川 鶴章 (著) 『ネットは新聞を殺すのか-変貌するマスメディア』 2008年02月29日
 吉野 次郎 『テレビはインターネットがなぜ嫌いなのか』 2008年05月03日
 神田 敏晶 『YouTube革命 テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ』 2008年05月15日
 歌川 令三 『新聞がなくなる日』 2008年03月29日


■ 百夜百マンガ

お水の花道【お水の花道 】

 ドラマ化もされ、「夜の世界」をお茶の間に持ち込んだ作品。これを見て夜の世界に憧れてしまったために「聞いて極楽、見て地獄」を味わった人も少なくないのではないでしょうか。

投稿者 tozaki : 2008年07月29日 06:00

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