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2008年07月18日

PR!―世論操作の社会史

■ 書籍情報

PR!―世論操作の社会史   【PR!―世論操作の社会史】(#1275)

  スチュアート ユーウェン (著), 平野 秀秋, 挟本 佳代, 左古 輝人 (翻訳)
  価格: ¥7245 (税込)
  法政大学出版局(2003/10)

 本書は、「現代人が、まるで空気のように呼吸させられている広告・広報という企ての誕生・成長・肥大の物語、その生理と病理の真相、人間と現代社会に対してこのことが及ぼしている影響」について、論じた大作(600ページ超!)です。
 第1章「エドワード・バーネーズを訪ねて」では、エドワード・バーネーズについて、「1910年代初めにアメリカの広告の最も有力な開拓者となった人」と述べた上で、ジグムント・フロイトの二重の甥に当たり、「近代的な宣伝技術の先見性に富む開拓者でもあり、1920年代初頭以来、大衆心理学諸理論と産業界・政界が必要とした大衆説得の方策との、運命的な結婚の仲人をつとめた」と述べています。
 そして、当時100歳のバーネーズの自宅を訪ねてのインタビューでは、「わたしたちはイメージを扱っているのではない……リアリティを扱っているのだ」という発言を引き出すとともに、「広告は古来からある目的のために発展してきた技術の、洗練されたもの」だという彼の考えを明らかにする一方で、「彼は自分の人生や関心領域が、ある特定の時代の刻印をもっているとは、ほとんど考えたことがないようだった」ことに、「少しがっかり」したと語っています。
 また、バーネーズが、彼が「むっつりジャック」と呼ぶ一人の運転手について、「このような運転手を雇う方が、こんにちくうこうまでのタクシー料金一回を払うよりまし」で「悪くない取引だった」が、「しかし、これもひとびとが社会意識を持つ前のことだった」と語ったことを紹介しています。
 第2章「リアリティの売買」では、バーネーズが、「その長い経歴を通じて、広告とは『状況を作り出す』科学であり、できごとを『ニュースに値する』ように計算して作り、しかもそれが作られたように見えないようにする科学だと主張し続けた」と述べています。
 そして、「広告とは、単にニュース報道を操作したり、世論に影響を与えたりする、価値とは無関係なテクニックのことだと、単純に理解するわけには行かない。わたしたちの世界における広告の成立とそれがもたらす結果は、まさに権力そのものの動機や仮定や歴史との関連で語られなければならない」と述べています。
 また、「デモクラシーの社会においては、権力者の利害と公衆の利害とは、しばしば矛盾対立する」として、「広告は、20世紀の全期間を通じて、制度化された既得権益が、その利益を公共の利益の名を借りて正当化する必要が生じた事実を雄弁に告白するものである」と述べています。
 第3章「真理は生成する」では、「20世紀の幕開けと前後して、不安のとりことなった中産階級の立場を代弁し、また彼等のために発言する著述家やジャーナリストのサークルが、拡大していった」として、「事実探求型のジャーナリズムが、批判的で問題提起的で改革志向の世論の奔流を形づくり、民衆生活における言論のあり方を形づくり始めた」と述べています。
 しかし、「力強く社会と噛み合おうとする公衆の存在を考えることが出来なくなった進歩派出版人たち」が、「曇りない事実の力と公衆の理性に対する自分たちの信仰を、疑い始めることとなった」として、「大衆ジャーナリズムと、原子化した不安な中産階級との、この運命的な交差点において、合理的な公衆の対話に基礎づけられた真理という概念の代わり」に、「個人の感情に対して、図式化して訴えかける真理概念」が現れることになった、と述べています。
 第4章「混沌のコントロール」では、「20世紀初期の改革派たちの第一世代にとっては、科学的な経験的データの収集、言い換えると社会調査こそ、社会改革の万能薬だと考えられた」が、傑出した進歩派知識人であったウォルター・リップマンたちにとっては、「社会科学の理性的な公衆を作り出す能力より、社会統制を実現する能力の方に、より魅力を感じるようになってきた」として、「グループ・ダイナミクス研究や、人々の主観的生活を背後から支える客観的土台の究明の試みが、しだいに社会分析の内容を形づくるようになっていた」として、この傾向の中心となっていたフランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンを取り上げています。
 そして、「アメリカ企業広告史の最初期を担うこととなったジャーナリスト」であるアイヴィー・リーが、ル・ボンを引用しつつ、「現代は民衆が支配する時代だ。王達の神権が多数者の神権に取って代わられたのだ」と結論付けたことについて、「この状況下では、企業家たちは彼等の利益と口うるさい民衆の利益との共同戦線をつくって群衆に対抗することがぜひとも必要だ」と主張したことを紹介しています。
 第5章「『民衆を教育せよ!』」では、AT&T社の広告部門を担当する重役に就任したセオドア・ニュートン・ヴェイルを取り上げ、「ヴェイルの広告戦略に基本要素を提供したのは、変化に神経質になっている民衆の姿であった」と述べ、「人々に進歩の方向にむかって進んでいるのだというイメージを与え、彼らを安心させることがヴェイルの広告の計算であった」と解説しています。
 著者は、「ヴェイルが見抜いた現代の民衆に独特の構造と、その構造を前提にした広告の重要性とは、現代の社会思想家、ジャーナリストなど、新しい消費者という生活様式の展開を認識できた位置にいたものたちの共通認識を反映していた」として、「ヴェイルがこの新たなパブリックの存在と、彼らが知識を獲得する手段について認識したとき、どうすればこの情報手段を操作できるかについても彼は認識した」と述べています。
 第6章「真理の館」では、1918年9月27日の夜8時に、メイン州ポートランドの映画館の休憩時間に、地元の地方銀行頭取ヴァージル・ウィリアムズが、約150人の地域住民に対して始めた短い演説について、「周到に計画され、全国各地で同時に実行された特殊任務の一環だった」として、「全米各地の映画館にいた何万ものひとびとが、同じ警告を聞かされていた」として、ウィリアムズが、「フォー・ミニットメン」という名で知られる、団員7万50000人を要する全国的民兵組織の支部長であり、「米国の第一次世界大戦参戦に際して、国内で臨戦態勢を作るために動員されたものたちであった」と述べ、「毎週15万回近いペースで、ウィリアムズのような団員たちが、アメリカの戦争努力の高邁さについて、反戦思想の誤りについて、それぞれの地域のひとびとに向けて説教していた」と解説しています。
 その上で、この活動は、「氷山の一角」にすぎず、「連邦広報委員会(CPI)の指揮の下に展開された、前代未聞の広告・広報作戦の一側面に過ぎなかった」として、CPIが、1917年4月、米国がドイツに宣戦布告してからちょうど一週間後にウィルソン大統領によって設立された巨大な宣伝機関であったと述べています。
 そして、「中産階級民衆の世論が極めて移ろいやすく、大衆の反逆の可能性があると考えた多くの著名な社会分析家たちが、ウィルソン大統領にロビー活動を開始し、戦争の大義を体系的に宣伝するイデオロギー装置を作ることを要求し始めた」結果、ウィルソン大統領が、1917年4月14日、「国内の防衛線を固める」ため、CPI(米国広報委員会)の設立を明治、「消息通の進歩派ジャーナリスト、ジョージ・クリールを文民CPI議長に任命した」と述べ、「クリールは全国の進歩派ジャーナスとたちと親交を保っていたので、ウィルソンは彼がこれらの潜在的な『オピニオン・リーダーたち』を取り込み、彼等のリベラルな理想と政府の戦争政策との間の橋渡し役になってくれることを期待した」として、「大局的に、ウィルソンのこの目論見は図に当たった」と述べています。
 著者は、「ある意味では、CPIは19世紀末から米国において進化し、進歩派の時代になって明確に姿を現した広告戦略を基盤にしてつくられたものである」と述べています。
 また、CPIのこの活動が、「どの週にも影響力ある人々が、同じ話題で全国中で一斉に規格化された演説と同じ話題を隣人に向かって演説し、熱狂に自発的に参加するように計算されていた」ものであり、その使命は、「映画の観衆が思想や話題をコミュニティ全体に持ち帰り、『広報』のある号の表現を借りると『会話の無限連鎖』を誘発するようにさせることにあった」と解説しています。
 さらに、クリールが否認したが、「『真理の館』は事実という基礎の上ではなく、感情という沼地の上に建造されていた」として、「CPIは、世論の製造の実験を行う巨大研究所として、初期の合理主義的な、主にジャーナリズムの中で形成された理性に働きかけようとするコミュにケーション戦略とは、まったく別の方向へと変化していった」と述べています。
 そして、「20年代にも批判的なインテリはいたが、広告思想のその後の発達を方向づけたのは、新思想を身につけたインテリたちであった」として、「彼等の視座を特徴づけたのは、民衆とは誰であり、その民衆に最も効果的に影響を与えるにはどうすればよいかという問題であった」と解説しています。
 著者は、「CPIの活動を通して得られた知識と、民衆の心の領域の管理にかんする教訓は、次に来る広告専門家たちによって受け継がれ、のちのアメリカ文化の輪郭に深い影響を与えることになった」と述べています。
 また、「全体として、20世紀に広告が発達する過程の中でCPIは、かつてなかった仕方でマスメディアを捉え、動員した。各部局の活動を織りあわせてみると、マスメディアを人々の近くを取り巻く環境として捉える思想が浮かび上がる。近くのありとあらゆる領域に戦争遂行のためのメッセージを植えつけることが、CPIの至上の目標であった」と述べています。
 第7章「社会心理学と民衆心理の探求」では、「戦争とCPIは、まぎれもなくアメリカのインテリ世代に対して説得における心理学的要素の重要性を強調した」として、「『民衆精神』というものは生来、理性的な訴えよりも感情的な哀願の方に影響されやすい」という思想が、インテリの思想の中に出現したと述べています。
 そして、「かつて『公衆』と『群衆』の間にもうけられた区別は、ほとんど感情のみによって駆り立てられる観客としての大衆という、すべてを包括する概念によって取って代わられた」と述べています。
 また、1920年代に、「民衆心理に内在する非合理性を誘導するために社会科学を道具として使用すべきだとする」傾向が広がった背景として、
(1)非合理性は人間性という最も一般的な存在を見るときにさえ習慣的に援用されるフィルターになっていた。
(2)民衆とは本能によって、駆り立てられるものだとする見方が、刺激的なシンボルが説得の手段として与えられる劇場こそ相応しいと考えた。
の2つの重大な変化を挙げています。
 第8章「姿なき技術者」では、「1920年代初頭までに、戦争がもたらした実際的な教訓と、広く普及し続ける社会心理学の知識が結合」して、アメリカのインテリたちを、
(1)合衆国のような大規模な近代社会は、世論の分析と管理を専門とする専門家集団による助けを必要としているという信条。
(2)これら「姿なき技術者」は、民衆の態度と思考に最も強い影響を及ぼすことができるコミュニケーション技術は何かを学習し、それに習熟しなければならないという信念。
の2つの結論へと誘導することになった、と述べています。
 そして、「広告専門家とは、個々のクライアントからの狭い要請にこたえるばかりでなく、『民衆の心を操縦する糸』を手繰ってプロパガンダを行うことを専門とする人間であった」として、バーネーズが、「広告・広報顧問を、擬似環境を想像する達人として記述した」と述べ、広告・広報の専門家が、「状況の創造者になる」ための訓練方法として、
(1)広告・広報専門家は、大多数の人間が世界全般について彼らなりの「構図」を体得するために通過するメディアや組織化されたコミュニケーション・ネットワークの、注意深い研究家でなければならない。
(2)世論形成に関わる人間は社会学や人類学を学ぶべきであり、世論が個人間でつくられることに影響する社会構造や文化的慣習について、詳しく学ぶ必要がある。
(3)広告・広報顧問は民衆心理の注意深い研究家でなければならない。
などの、「実用的な要綱を描き始めていた」と述べています。
 また、バーネーズが「民衆の本能を結集する広告専門家の才能」として、「民衆が進んで反応してくるシンボルを作り出す能力民衆がどのような反応を返してくるかを予知し分析する能力、好ましい反応を引き起こすであろう個人や団体のステレオタイプを見つける能力、聴衆にわかる言葉で話し好感を持って受け入れさせる能力、などにかかっている。本能と、誰にもある欲望への訴求こそ、彼が好む結果を引き出す基本的な方法である」と語っていることを紹介しています。
 第9章「近代の民衆説得パイプライン」では、「巨大な経済的発展と、それにともなう経済破綻をふくんでいた1920年代から1930年代という時代」に「広告・広報が、もっと広義には宣伝キャンペーン計画が、飛躍的に成長」し、「アメリカの社会構造に基本的変化が起きた」と述べています。
 そして、第一次世界大戦前に、「ビジネス分析家が、社会調査を商業的に友好的な手段と考えはじめ」、「20年代の末になると、民衆の態度研究は広告やマーケティングそれ自体の関心をこえて、企業思想により包括的な展望を与えようとするものに変化した」と述べています。
 また、著名なアメリカの社会学者、ロバート・リンドが、「世論調査そのものがニュースとして扱われることに、懸念を表明」し、「新聞紙上で報道されたりラジオで引用されたりする場合、世論調査あg党系による喝采のBGMとなって中立の立場のひとびとを群衆に巻き込む『宣伝のための効率よい操作手段』になっている」と指摘したことを紹介しています。
 第10章「視覚的な錯覚」では、社会調査ニュースクールの著名な社会心理学者のハリー・オーバーストリートが、「学生が通暁すべき2つのイメージ」として、
(1)模倣的映像:目に見える「リアリティ」が複製されたもの、もしくは複製しようとつくられたもの
(2)選択的映像:見ている人間の注意を、邪魔なものを排除しながらリアリティの特定の部分に焦点を合わさせることにより、見るものに特定の心理的経験を歓喜させることができるもの。
の2つを挙げたことを解説しています。
 第11章「銀の鎖と友好的な巨人たち」では、「1920年代後半までには、ビジネス社会は民衆の不信感という足かせを振り払ったという確信が広まった」として、「『友好的な巨人』としての企業というイメージが、多くの会社の広告活動の中心にすえられていた」と述べています。
 しかし、1929年10月の暴落によって、「何百万人にとって、反映のイメージはほぼ一瞬のうちに洗い流された。彼らは、もともと経済にずっと内在していたが効果的に視界から隠蔽されていたものを、力ずくで認識させられた」結果、「友好的な巨人たち」は、「一気に人食い鬼に戻った」と述べています。
 第12章「公益をめざして」では、ニューディール計画の立案者たちに影響したのは、ケインズ学派経済学者だけではなく、「進歩派時代の記憶によって描かれた、よりアメリカ的な思想にも刺激を受けていた」として、「消費志向の『よい生活』像が、新しいアメリカ人の生得権の核心として提案され、人々の希望を刺激しようとしていた」と述べています。
 そして、フランクリン・D・ルーズベルトが、ルイス・マックヘンリー・ハウの「専門知識を通して事実やできごとや状況からどのように『ニュース』と呼ばれるものが出現してゆくかにかんする、実際的な理解を獲得しつづけた」として、「知事の政策計画表を記者たちに公表するときはそれをひとつひとつ練って、数日から数週間かけて整理しやすいような形態で配付していった」として、「このテクニックは、政策を簡単に報道しやすくし、報道される期間を長くし、最も重要なことには読者がより簡単に理解できるものにした」と述べています。
 また、「ハウの指導が、『言葉』を通した広報家としてのルーズベルトを誕生させた鍵であったとすれば、ポリオに罹患するという生活史上の危機は、彼のイメージの作り手としての技量を鍛錬させるものであった」として、39歳のとき以来、闘病にもかかわらず、「両足は永久に麻痺した」が、「記者団から精力的な協力を得ることができた」ため、「彼が車に乗せられたり、運ばれたり、車椅子を押されたりする」映像を撮らないことは、「ホワイトハウスの写真記者団によっても守られる暗黙の掟」となり、「記者団の誰かが約束を破って写真を盗み撮りしようとすると……別の古参の記者の誰かが『偶然に』カメラを地面に叩き落したり、撮影の妨害をしたりした」として、この「自主的な検閲システムは滅多に破られること」はなかったと述べています。
 著者は、「およそ25年に及んで発揮された、活動的な人間というスペクタクルを作り上げることにかけてのルーズベルトの天才ぶりは、彼の政治的優越の本質をなし、不朽の個人的な強靭さの証明であった。自分の体力を万全に見せかける彼の能力は、身体の麻痺を重要ではない些細な問題にしてしまい、彼の政府を、ひいてはニューディール全体を広く特徴づける、はるかに有意義で包括的な政治的宣伝広報キャンペーンを彼が展開する道を開いた」と述べています。
 第13章「ニューディールと社会事業の広報」では、ニューディール政権が、「世論に直接影響を及ぼす時間外業務もこなす、精巧な広報機関の機能を備えていた」として、「その最も顕著なひとつ」は、「新たにラジオを利用すること」であり、「広報手段としては新聞より優る」とされ、「メッセージ伝達では範囲がはるかに広いし同時放送できる」とされたと述べています。
 そして、ルーズベルトのラジオ使用が、「慈愛にあふれたスタイルで聴衆とのスタイルで聴衆とのあいだに親密な関係を樹立させただけでなく、彼自身のジェファーソン主義の信念を裏付けるものでもあった」と述べています。
 また、ニューディールを、「単に一連の政策やこの目的に向う個人の集合であっただけでなく、規模において巨大であり、またはるかに効果的で、しかも支持された広報機関であった」と述べています。
 さらに、タグウィルとストライカーが「『記述的経済学』に使用した広報の手法」が、「アメリカの政治文化のあり方そのものに影響を及ぼし始めた」とした上で、「企業上層部の多くや政治的右派にとって、ニューディール政策の広報の複合的影響は恐るべきものであり、進歩派時代のその前兆異常に憂慮すべきものだった」と述べています。
 第14章「金にものをいわせる」では、「企業からなる顧客に大衆の心理をより良く理解させる目的で、それまでは小さな存在であった世論調査産業が発達しはじめ、やがてアメリカ人の生活を診断する装置であるかのような状態になりはじめた」と述べています。
 そして、「中産階級の企業に対する批判の成長を和らげるため、」に、全米製造業者協会(NAM)が広報活動でまず行ったこととして、「アメリカの企業社会と普通のアメリカ人大多数とのあいだには、利害関係の調和があるという宣伝」を挙げ、この中で、「『自由企業』という経済原則と『デモクラシー』という政治原則とが『たがいに関連し不可分だ』という観念連合を作り出し、広告テクニックを駆使して人々の中に心理的に固定させること」が鍵となったと述べています。
 また、「アメリカン・ウェーほどいい生活はない」「産業によいことはあなたによいこと」というテーマ・スローガンを掲げて展開されたNAMの全国的広告キャンペーンについて、「2つの点で示唆的なものだった」として、
(1)NAMの広告キャンペーンは、この協会だけの活動ではなく、さらに協会の各種業種別構成団体の中でも、協会を事実上取り仕切っていたのは、アメリカの巨大企業の指導者たちであった。
(2)キャンペーン活動が、大衆の意識を変化させることに成功したといえるかどうかには議論の余地があるとしても、この中で展開された企業中心主義の社会観が、第二次世界大戦後のアメリカで次第に拡大していった。
の2点を挙げています。
 第15章「公衆の究極決断」では、戦時の広告において、消費物資は戦時統制のために不足していたが、「企業は、会社がどれほど戦争努力に貢献しているかという『広報広告』を作成し、同時に戦争後のアメリカについて、ありとあらゆる素晴らしい新消費財(たとえばテレビ、皿洗い機、その他のモダンな機器類)を持つことがアメリカ人の生まれながらの権利であるかのような社会として描いていた」と述べています。
 また、「ビジネスマンにとって最も手強い政治上の障碍」として、ゼネラル・フード社長のハワード・チェースが、「恐慌の時代を通じて、民衆が社会的・経済的問題について次第に知識を持つようになった」と分析していることを紹介しています。
 第16章「世論操作の技術」では、「デモクラシーの価値を肯定することと、民衆の感情を捜査するといういまわしい思想の間にある緊張は、広告マンたちが視覚イメージを、大戦直後の時期にどのように扱ったかという問題にも、反映していた」として、FSA(農業安定局)の使用した写真などの、ニューディールの使用した文書が、「きわめて効果的」であったため、「企業の広告映像は、あたかもニューディールの手法を直接模倣しているかのようであった」と述べています。
 そして、広告専門家の中に、「テレビ戦略が、人を集める能力が必須の資格になる政治の世界で、とくに有効だと確信するものが出てきた」として、ジェームズ・ケラーが、「これからは政治家のプレゼンテーションは意図的に『全体にわたって概括的なイメージを作ることであり、特定の問題点を力説することではない』と公言した」ことについて、「すくなくとも一人の人物が、一連の専門家のチームに支えられながら、企業広告の中で造成されたケラーのいうような理論を現実政治において実行に移そうとしていた」とロナルド・レーガンを取り上げ、「レーガンの政治経歴は、1920年代から発展した企業広告の思想を体現したものであった」と述べています。
 著者は、「レーガンが政治の舞台に登場したことは、端的に彼の時代を象徴するものであった」として、「彼は、広告が不可欠になり、ますます普及し、権力の手段となった社会に固有の事件であった」と述べ、「デモクラシーと、その対立物である富裕なエリートによる公領域の支配とが、こうしてひとつの妥協へと融合した」と解説しています。
 終結「現代の公衆にとっての問題」では、「1990年秋にバーネーズを訪問したとき、わたしはに種類の異なった人物に出会った」として、「『公衆の領域』とは、意識が次第に高い水準になり、要求を主張するようになった批判的公衆が、その声を上げている現場」だと考えるバーネーズと、「公衆とはどのようにでも加工できる原形質の塊のようなものであり、熟練した世論捜査の手にかかれば思いのままに加工することができる原料にすぎない」とみるバーネーズの両方を挙げた上で、「こうした矛盾を、彼だけに特有の問題とするのは誤りである」として、この「分裂的な暗い不協和音は、20世紀を通じて広告史全体を特徴づけるものであった」と述べています。
 著者は、「他のあらゆる変化の前提条件として、われわれは社会統計的なアイデンティティの枠組みに疑義をさしはさむ必要がある」として、「社会統計という手段で武装したコンセンサスの製造屋が、公衆の行動計画支配し続けている」と述べ、「区別の意識が共通性の意識とバランスを取り戻さなければ、デモクラシーのための公衆は出現できないだろう。より大きな善が実現されるためには、われわれ自身がより大きな公衆であることを思うべきである」と主張しています。
 本書は、広告やPRという言葉が、単に商品の売り込みのためにあるものではなく、権力そのものの在り方であることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 PRというと、一般的な「売り込み」というイメージがありますが、それがいかに人間の心理や政治と深く関わり、確立されつつある科学であるということが、本書を読むとわかるのではないかと思います。それにしても何しろ厚いですが。


■ どんな人にオススメ?

・広告とは「売り込み」のことだと思う人。


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■ 百夜百マンガ

とめはねっ! 鈴里高校書道部【とめはねっ! 鈴里高校書道部 】

 柔道、競艇と、他の人が扱わない題材を使って、爽やかなドラマを創ってしまう達人。ヤングサンデー休刊ということですが、引越し先は決まったのでしょうか。

投稿者 tozaki : 2008年07月18日 23:00

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