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2008年08月31日

フー・アー・ユー?

■ 書籍情報

フー・アー・ユー?   【フー・アー・ユー?】(#1319)

  のり・たまみ
  価格: ¥840 (税込)
  扶桑社(2007/11/2)

 本書は、「みんなの代表者」である政治家の「おかしな『発言』を集めた」ものです。「おかしな発言」と言えば例のあの大統領も当然登場します。それも何度も。
 本書のタイトルになっている「フー・アー・ユー?」は、2000年5月にワシントンでの日米首脳会談で当時の森喜朗首相がクリントン大統領に向かっての一言と伝えられています。「もちろん、森元総理がクリントン大統領を知らなかったわけではなく」、「人と会ったときの挨拶として『ハウ・アー・ユー(お元気ですか?)』と言うように覚えていた」が、言い間違えて「フー・アー・ユー(あなたは誰?)」とやってしまったと解説されています。そして、クリントン大統領が、「ヒラリーの夫です」と機転を利かしたにもかかわらず、「私もです(ミー・トゥー)」とやらかした、という落ちまでついています。
 佐藤栄作元総理が、1964年に、「人気のある政治家・大野伴睦氏が『伴ちゃん』と呼ばれたことに対抗して」、「高圧的・官僚的」な自分のキャラクターをわきまえず、「栄ちゃんと呼ばれたい」と発言した事に関して、横山ノック議員が、ほんとうに「栄ちゃん」と呼びかけたときに、「とても不快そうに見下した」という逸話が残っており、「実際に呼ばれて嫌なら、最初からそんなこと言わなければいいのに」と述べています。
 本書の真の主人公とも言えるブッシュ・アメリカ大統領については、2001年7月19日のロンドン訪問の際に、子供から「ホワイトハウスはどんな所なんですか?」と質問され、「白いよ」と答えた、という代表的な「迷言」を取り上げています。
 そして、大統領就任前のカリフォルニア州知事時代には、「私の知能が足りないと思っている人間はその事実をまだ甘くみている」と発言し、その後の8年間をこの段階で予言してしまっています。
 海部俊樹元総理が、初めて衆議院議員に立候補した1960年のキャッチフレーズ「サイフは落としてもカイフは落とすな」は、それ以来16回の当選を重ね、現職では当選回数で最古参となっており、「第29回衆議院選挙にこのキャッチフレーズで初当選したのが29歳。そのため『第29回総選挙に29歳で初当選したから、29年後には総理大臣になる』と公言するように」なったところ、「本当に、初当選から29年後の1989年、内閣総理大臣に」なったことが紹介されています。
 「ヤジ将軍」のあだ名を持っていた元衆議院議員の三木武吉市は、1946年に他党の候補から「妾が4人もいる候補がいる」と攻撃された際に、「愛人は5人であります」と即答し、「もっともいずれの愛人も年をとって廃馬となり役に立ちませんが、これを捨て去るごとき不人情は三木武吉にはできませんから、みな養っております」と返したことで聴衆の拍手を浴びたことを紹介しています。
 現在は、事務所費問題で脚光を浴び、その直前には、食の安全について「消費者がやかましい」と発言して話題を振りまいた農林水産大臣を務めている太田誠一衆議院議員については、2003年6月26日に当時の「スーパーフリー事件」に絡めて、「集団レイプをする人は、まだ元気があっていいんじゃないですかね。正常に近い」と発言したことを伝えています。
 「小泉チルドレン」と呼ばれる議員の中でも子供っぽい「チルドレン」ぶりを伝えられることが多い杉村太蔵衆議院議員については、「『棚からぼた餅』という言葉は僕のためにあるような言葉」と余りにストレートに気持ちを発言して有名になったことを伝えています。ほかには、「料亭行ったことないですよ、行ってみたいですよ! 料亭!」「国会議員はJR全部タダですよ!」「大臣に選ばれちゃったらどーしよ! うひゃ!」など、秀逸です。
 本書には、これら耳を疑うような迷言とは逆に、政治家の立派さを示すような発言として、1957年に石橋湛山総理が発言した「皆さんから嫌がられることをする。ご機嫌もうかわない」という決意表明を紹介しています。しかし、この直後老人性肺炎になり、在任65日で総理を辞職してしまったことを伝えています。
 本書は、政治家がわれわれと同じ人間であることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 失言・迷言の類では、日本にも森喜朗元総理という第一人者がいますが、アメリカの現職にはかないません。この2人の首脳会談の内容というのも、関係者は相当ひやひやさせられたのではないでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・政治家は大変だと思う人。


■ 関連しそうな本

 のり・たまみ 『へんなほうりつ』
 盛田 則夫 『世界のとんでも法律集』
 村井 理子 『ブッシュ妄言録―ブッシュとおかしな仲間たち』
 西森 マリー 『警告!絶対にマネをしてはいけない「ブッシュ君」英語集―正しい英語例つき』
 大月 隆寛 『ニッポンの恥!』
 ルーシー・ケイヴ 『世界一おバカなセレブ語録』


■ 百夜百音

フー・アー・ユー【フー・アー・ユー】 ザ・フー オリジナル盤発売: 1978

 腕をぐるぐる振り回す「ウインドミル奏法」で有名なグループ。ギタリストのピート・タウンゼントは轟音がたたって難聴になってしまったそうです。


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2008年08月30日

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史

■ 書籍情報

世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史   【世界を変えた6つの飲み物 - ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、紅茶、コーラが語るもうひとつの歴史】(#1318)

  トム・スタンデージ
  価格: ¥2415 (税込)
  インターシフト(2007/05)

 本書は、「ビール、ワイン、蒸留酒、コーヒー、茶、コーラ」という「各時代の中心的存在だった飲み物によって世界を区分け」したもので、著者は、「飲み物は一般に考えられているよりも密接に歴史と結びつき、人類の発展に大きな影響を与えている」と述べています。
 第1章「石器時代の醸造物」では、ビールについて、「最初に栽培した作物、大麦と小麦を原料とするこの飲み物が黎明期の文明を支え、社会、宗教、経済生活において中心的役割を果たすことになる」と述べ、「紀元前4000年までには、近東一帯に普及していた」と述べています。
 そして、パンとビールについて、「醸造にパンを使うというメソポタミア人の手法」が、「考古学者の間で激しい議論の的になっている」とした上で、「両者はいわばコインの表と裏のようなもので、パンは固いビールであり、ビールは液体のパンだったのである」と述べています。
 第2章「文明化されたビール」では、「メソポタミア人もエジプト人も、ビールは古代に神から与えられた飲み物で、自らの存在の基盤であり、文化的および宗教的アイデンティティの一部を形成し、社会的に非常に重要な意味を持つものと考えていた」として、「ビールはまさに、最古の二大文明を特徴付ける飲み物だった」と述べています。
 第3章「ワインの喜び」では、「ギリシアでは、ワインは庶民的といえる飲み物だったが、それでもなお、ワインはある階層と別の階層とを区別する際の目安になった」と述べたうえで、「たとえ上質なワインでも、水を加えずに飲むことは野蛮な行為である、とギリシア人、とりわけアテナイの人々は考えた」と述べ、一方、「ワインをまったく飲まないのは、ワインをそのまま飲むのと同じくらい悪いこととされた」と述べています。
 第4章「帝国のブドウの木」では、「裕福なローマ人たちは最上級ワインを楽しみ、それほど豊かでない人々は質の劣るワインを飲んだ」として、「コンビビウムと呼ばれた晩餐会への出席者には、それぞれの社会的地位にふさわしいとされるワインが出された」と述べ、「古代ローマには、伝説的高級ワインのファレルヌムから最低ランクのローラまで、各階層向けのワインが存在した」と解説しています。
 著者は、「ギリシア人とローマ人のワインに対する態度は、もともと古代の近東文化の中でその基礎が作られたものだが、さまざまな形で現在まで受け継がれ、世界各地に広まっている」として、「現代においてもワインが富、権力、地位と密接な関係にある」と述べています。
 第5章「蒸留酒(スピリッツ)と公海」では、「成分を単離・精製するために、液体をいったん蒸発させてから再び凝結する」という「蒸留法」が、「誕生は古代にまでさかのぼる」とした上で、「ワインを蒸留する習慣を取り入れたのはアラブ世界が初めてだった」と述べ、「蒸留の知識は、アラビア人学者が守り、そして発展させた数ある古代の英知の一つだった」として、「alchol(アルコール)という単語は、蒸留酒の起源がアラビアの錬金術師の実験室にあることを表している」と解説しています。
 そして、アフリカの奴隷商人が奴隷との交換品として、「布地、貝殻、金属製の器、水差し、銅板など」をヨーロッパ人から受け取った中で、「一番ほしがったのは強いアルコール飲料だった」と述べています。
 また、バルバドスの入植者たちが、「砂糖作りでできる副産物を発酵させ、これを蒸留して強力なアルコール飲料を作る方法」をブラジルから手に入れ、バルバドスでは、改良により、「それまでは何の価値もない余り物とされていた糖蜜を使ったケイン・ブランデーの製造法を開発」し、この飲み物が「キル・デビル(悪魔殺し)」と呼ばれ、さらに、もともと「騒々しいけんか、暴力騒ぎ」を意味するイギリス南部の俗語である「ラムバリオン」と呼ばれ、まもなく「ラム」と呼ばれ、「まずはカリブ諸島全域に、続いて世界各地に広まる」と解説しています。
 第6章「アメリカを建国した飲み物」では、「ニューイングランドの酒造業者たちにイギリス領の砂糖業者から糖蜜を買わせること」を目的とした「糖蜜法」が、「遵守されず、その制定は入植者たちを憤慨させた」と述べ、「ラム酒と糖蜜に対する関税はアメリカ植民地のイギリスからの分離のきっかけになるとともに、ラム酒に強烈な革命の香りを加えた」と述べています。
 そして、ヨーロッパからアメリカにやってきた入植者たちが、「蒸留酒で奴隷を購入し、服従させ、管理しただけではなく、蒸留酒に対するアメリカ先住民の狂信的な態度を、彼らに対する支配手段として意図的に利用した」と述べ、この狂信的態度のルーツについて、「幻覚作用のある在来種の植物と同じく、蒸留酒は超自然的な力を備えており、これを飲む者は完全に酩酊して初めてその力に近づくことができる、というアメリカ先住民の思い込みがもとになっているようだ」と解説しています。
 著者は、「銃器および伝染病と並び、蒸留酒は旧世界の人々が新世界の支配者になる手助けをすることで、近代社会の形成に寄与した。蒸留酒は、数百万の人々の奴隷化および強制的移動、新しい国家の建国、土着文化の征服の一翼を担ったのである」と解説しています。
 第7章「覚醒をもたらす、素晴らしき飲み物」では、ガリレオやベーコンら先駆者につづく、「合理的探求の精神」が、西洋思想会の主流として広がったとして、「新合理主義のヨーロッパへの広まりと同時に、コーヒーという、明敏な思考を促す新種の飲み物も普及した」と述べ、コーヒーが、「飲むものを酩酊させる代わりに覚醒を促し、感覚を鈍らせて現実を覆い隠す代わりに知覚を鋭敏にする飲料」と考えられたと解説しています。
 また、フランス領だった西インド諸島にコーヒーを持ち込んだ、フランス海軍士官ガブリエル・マテュー・ド・クリューが、当時パリの王立植物園にあったルイ14世のコーヒーの木から王の主治医を介してコーヒーの切り枝を入手し、大西洋を渡る旅の間、「わずかな水を、大いなる希望の源であるコーヒーの切り枝と分け合わなければならなかった」と語っていることを紹介しています。
 第8章「コーヒーハウス・インターネット」では、17世紀のヨーロッパのビジネスマンが、最新の情報を入手したければ、「コーヒーハウスに行きさえすればよかった」と述べ、「ヨーロッパのコーヒーハウスは、科学者、ビジネスマン、作家、政治家たちの情報交換の場だった。現代のホームページと同じく、コーヒーハウスは最新の、そしてしばしば信用のならない情報の発信源であり、それぞれの店が専門の話題、または独自の政治的視点を持っているのが普通だった」と解説し、「ヨーロッパのコーヒーハウスは全体で、理性の時代のインターネットの役割を果たした」と述べています。
 そして、「国家と民間双方の金融に急速な革新が起きたこの時期、数々の株式会社の設立、株の売買、保険制度の発展、国債の公的融資など、あらゆる要素が絡み合い、ロンドンはついにアムステルダムに代わって世界金融の中心となった」と、「イギリスの金融革命」を解説し、この革命を、「肥沃な知的環境とコーヒーハウスの投機精神がこれを可能にした。スコットランドの経済学者アダム・スミスの『国富論』は、いわば『プリンキピア』の金融版」であると述べています。
 また、1789年のパリのコーヒーハウスでは、革命論者たちが、カフェ・ド・フォアの外のテーブルで、「武器を取れ! 民衆よ、さあ武器を取れ!」と叫んだことがバスティーユ牢獄の襲撃のきっかけとなったとして、「カフェ・ド・プロコープに続々と集まった人々は、その鋭い眼差しで、黒い飲み物の奥に革命の年の輝きを見たのだ」とするフランスの歴史家ジュール・ミシュルの言葉を紹介しています。
 第9章「茶の王国」では、「帝国主義の拡大と産業の拡大、その両者をつないだのが、茶という新しい飲み物だった」として、「ヨーロッパ人が東方交易を拡大した理由」が茶であり、労働者の飲み物として浸透した茶が、「新たに誕生した工場制機械工業の担い手のエネルギー源」となったと述べています。
 そして、「18世紀の初め、イギリスで茶を飲む者はだれもいなかったが、同世紀の終わりには、それこそ誰もが茶を飲んでいた。誇張ではない」と述べ、チャールズ2世王妃のキャサリン・オブ・プラガンサのお茶好きをきっかけに、「東インド諸島からイギリスへの独占輸入権を認められたイギリス東インド会社によって爆発的に拡大する」と述べています。
 著者は、「茶は世界で最も古い帝国から世界各地に広まり、最も新しい帝国の中心に根を下ろした」と述べています。
 第10章「茶の力」では、1773年の茶税法がアメリカ入植者たちの怒りを買い、1773年の「ボストン茶会事件」などを経て、「1775年の独立戦争の勃発を後押しする結果となった」と述べています。
 また、アヘン戦争と絡めて、「アメリカの独立と中国の没落はどちらも、茶がイギリスの帝国主義政策に、ひいては世界史の流れに与えた影響の名残なのである」と述べています。
 著者は、「茶の物語からは、革新と破壊いずれの意味においても、当時の大英帝国の強大な力をうかがい知ることができる」とした上で、「イギリス人の茶好きは変わっていない」と、「この帝国とそのエネルギー源だった茶が歴史に与えた衝撃の後もまた、今でも残っているのである」と述べています。
 第11章「ソーダからコーラへ」では、「アメリカの台頭と、20世紀における戦争、政治、公益、コミュニケーションのグローバル化は、コカ・コーラ──世界でもっとも価値の高い有名ブランドであり、アメリカとその価値観を体現している、と世界中の人々に思われている飲み物──画世界に普及していく動きと、ぴたりと符合している」と述べています。
 そして、1886年、コカ・コーラを開発したアトランタの薬剤師ジョン・ペンバートンについて、コカ・コーラ社の公式説明と異なり、「実際にはベテランの売薬製造業者だった」と述べ、当初のコカ・コーラが、「少量のコカ・エキスを含んでおり、そのため、微量のコカイン成分が含まれていた」と解説しています。
 また、プロモーションの方向性を、「あるといい続けてきた医学的効能に力点を置かなくなった」結果、それまで、「頭痛薬ないしは強壮剤を求める、働きすぎの多忙なビジネスマンを対象」にしていたが、「女性と子供を新たなターゲットにする」ことができたと述べています。
 第12章「瓶によるグローバル化」では、コカ・コーラ社CEOの、
「10億時間前、人類が地球上jに登場した
 10億分前、キリスト教が誕生した
 10億秒前、ビートルズが音楽を変えた
 10億本前のコーラは、昨日の朝に飲まれた」
という言葉を紹介しています。
 そして、第二次世界大戦中、コカ・コーラが兵士のモラル維持に役立つという理由で軍需品として認められ、米軍は、「基地内に瓶詰め工場とソーダ・ファウンテンを作り、コカ・コーラの現役だけを出荷させることにした」とともに、「工場の機械を設置、操作するためにコカ・コーラの社員が基地内に派遣」され、彼らが「技術顧問(T・O)」として特別待遇を受け、「コカ・コーラ大佐」とも呼ばれたと述べています。
 著者は、「コカ・コーラはアメリカを連想させる飲み物であると同時に、単一の世界市場化、つまりグローバル化へと向かう流れを代表する商品でもある」と述べ、反対派から、「文化と企業とブランドを使ってほかのあらゆる地域を侵略しようとしている」として、マイクロソフト、マクドナルドとともに槍玉に挙げられていると述べています。
 エピローグ「原点回帰」では、「太古の昔、人類に発展への第一歩を踏み出させた飲み物」である「水」について、合衆国で販売されている容器入り飲料水のうち」、「実に40パーセントが水道水」であると指摘しています。
 本書は、世界史に「飲み物」という新しい切り口を与えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 アヘン戦争もそうですが、歴史の重要な節目には嗜好品をめぐる争いがきっかけとなっているものが多いことを教えてくれます。タバコとか麻薬をめぐる世界の本も読んでみたくなります。

■ どんな人にオススメ?

・酒やお茶が歴史を変えるとは思えない人。


■ 関連しそうな本

 アントニー・ワイルド (著), 三角 和代 (翻訳) 『コーヒーの真実―世界中を虜にした嗜好品の歴史と現在』 
 エディット ユイグ, フランソワ‐ベルナール ユイグ (著), 藤野 邦夫 (翻訳) 『スパイスが変えた世界史―コショウ・アジア・海をめぐる物語』 
 磯淵 猛 『二人の紅茶王―リプトンとトワイニングと…』 
 中本 晋輔, 中橋 一朗 『コーラ白書 世界のコーラ編』 
 ジルベール・ガリエ (著), 八木 尚子 (翻訳) 『ワインの文化史』 
 アラン・マクファーレン, アイリス・マクファーレン (著), 鈴木 実佳 (翻訳) 『茶の帝国―アッサムと日本から歴史の謎を解く』 


■ 百夜百音

崖の上のポニョ【崖の上のポニョ】 藤岡藤巻と大橋のぞみ オリジナル盤発売: 2008

 この夏は、ついついこのサビのポニョポニョが頭の中をぐるぐるした人が多かったのではないかと思います。

『崖の上のポニョ サウンドトラック』崖の上のポニョ サウンドトラック

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2008年08月29日

こんなに使える経済学―肥満から出世まで

■ 書籍情報

こんなに使える経済学―肥満から出世まで   【こんなに使える経済学―肥満から出世まで】(#1317)

  大竹 文雄 (編さん)
  価格: ¥714 (税込)
  筑摩書房(2008/01)

 本書は、「現実のさまざまな社会問題を経済学の視点で一般の人にもわかるような記述方法で、紹介したもの」です。「経済学」に対する普通の人のイメージである、
・お金の儲け方を研究している。
・株価や景気の将来予測をしている。
などについて、「現実の経済とあまり関係なさそうな印象」があり、社会では、「経済学は役に立たない」と思われていることについて、「これは入門レベルの経済学の教育の仕方が悪かったのであって、経済学に責任があるわけではない」と述べた上で、「経済学の本質的な面白さは、社会の仕組みを考えることで、どうしたら人々が豊かになるかを考えること」だと述べています。
 そして、経済学は、「制度設計や政策をけってしなければならない時に、無視をしてはいけないポイントを教えてくれて、大きな間違いを防いでくれるという意味で役に立つ」と述べています。
 第1章「なぜあなたは太り、あの人はやせるのか」では、「肥満ややせ」が、「医学の問題として取り上げられるが、実は経済学の問題でもある」として、経済学では、「食べるのにかかるコスト(値段や時間)を、食べて得られる満足感から差し引いて考える必要」があり、「健康や容姿への悪影響といった肥満の不利益を、今のうちにどれだけ避けたいか」という「選好要因」も加わるとした上で、経済学では、「将来の1円を現在の1円に比べてどの程度割り引くか」を表す「時間割引率」で「せっかちさ」を図るが、「この値が高い、せっかちな人ほど、目先の満足感に対し肥満による将来の不利益を軽視するため、肥満度が上がるはず」だと述べ、実証調査でも裏付けられていると述べています。
 また、「たばこを吸う人は不幸である」として、その不幸の大きさは、「驚くべきことに年収がざっと200万円減ったのと同じくらいになる」と述べ、このような「中毒財」と「中学生の時、夏休みの宿題をいつごろやりましたか」という「後回し行動の程度」の間に、正の相関があると述べています。
 第2章「教師の質はなぜ低下したのか」では、教師の質の低下の原因として、「労働市場における男女平等の進展」を挙げ、労働市場に男女差別が根強く存在し、「一般のビジネスの世界では、女性は活躍できなかった」ため、「学業に優れた大卒女性は、教職についた」が、「男女差別が解消されてくると、優秀な女性は教師よりも給与が高い仕事、より魅力的な職種を選べるようになり、昔に比べて教師になる人は少なくなった」と解説しています。
 第3章「セット販売商品はお買い得か」では、「企業の限界費用(商品の生産を1個増やすのにかかるコスト)が非常に小さく、多く売るほど儲かるようなものの場合、バンドリングする商品を増やすほど企業が有利になる」として、「商品の数を増やせば増やすほど、消費者の支払い意思額のバラツキは収束し、平均に近づく」と述べています。
 また、「事故の利得を多少なりとも犠牲にして相手をさらに痛めつける『いじわる行動』」についての実験では、日本と上海、日米の比較では、「日本の被験者の方が『いじわる』であることを観測」したと述べ、「日本の多くの被験者はただ乗りをして相手に公共財を作らせようとするのだが、参加した被験者は、不参加者がいることを知ると、たとえ自己の利得が犠牲になろうとも、公共財の供給を控えようとする」ため、「相手はただ乗りの利得を得られない」が、「同じ実験を何度も繰り返す」と、「日本のほうがより多くの公共財を供給することになる」と述べ、「その背後には、『参加しなければ足を引っ張られる』という恐怖心が作用しているのかもしれない」と解説し、「従来の理論ではうまく説明できないアノマリー(変則)が数多く存在する」ことを指摘しています。
 さらに、人間が、「自由意志に基づいて『いつ生むか』を選択している」かどうかについて、「できちゃった結婚」で生まれた赤ちゃんと、そうでない結婚で生まれた赤ちゃんを比較し、「結婚から子供を作るまでに十分時間のある親は、年度末の3月ではなく、4月か5月を『選んで』子供を生んでいる、もしくは1月ではなく年末の12月を『選んで』いる」と述べ、12月生まれが多い理由として「扶養控除」を、4月生まれが多い理由として、3月生まれと4月生まれでは、「同じ学年なのにほぼ1年の成長の差が出てしまう」という「相対年齢効果」への親の配慮を挙げています。
 第4章「銀行はなぜ担保を取るのか」では、日本人が、「貯蓄好き(質素)」だといわれる主張について、「日本の家計貯蓄率は60~80年代半ばに限って15%を超えていただけで、日本人は必ずしも貯蓄好きとはいえない」と述べ、日本の貯蓄率の主たる決定要因として、「人口の年齢構成」を挙げています。
 また、銀行が融資に際して、担保を取る理由として、借り手と貸し手の間との「情報の非対称性」を挙げ、「情報の非対称性により、企業が本来の目的であるプロジェクトの収益最大化を怠る」ような「モラルハザード」を避けるため、担保を取ることで、「企業が借入金の一部を着服する誘引」を削ごうとする契約形態であると述べ、「このように個別の誘引と全体の効率性向上が一致する状況を、経済学では『誘引両立的(incentive compatible)』と呼ぶ」と解説しています。
 そして、グラミン銀行が無担保融資を行える理由として、貧しい村に拠点を作って借り手を発掘することで「情報の非対称性を最小化している」こと、「借り手の村人にグループを組ませ」、「村人同士が連帯責任を負えるだけの信用能力の高い相手を選ぶ『相互選抜』のメカニズムを働かせる」ことを挙げています。
 第5章「お金の節約が効率を悪化させる」では、「景気が悪くなると、公共事業を増やして景気を刺激すべきという主張が出てくる」が、「不況下の公共事業の意味はできた物の価値だけなのに、国民所得にそれ以上の波及効果があると信じられ、その大小が問題にされる理由」として、「失業手当は国内総生産に計上されないが、公共事業費なら計上される」という、「国民経済計算の意味が正しく理解されていない」ことを挙げ、「乗数効果を根拠に不況時に何でもいいからたくさん公共事業をやればいい、というのは誤りである」と述べ、「経済学は、公共事業によるバラマキを肯定はしないし、すべてが無駄だと切り捨ててもいない。乗数効果への幻想を乗り越え、公共事業の是非は金額や波及効果ではなく、できた物やサービスの中身で判断すべきというごく当たり前の結論をしてしている」と述べています。
 第6章「解雇規制は労働者を守ったのか」では、奈良県で話題になった「騒音おばさん」のケースを挙げ、「同じ問題を解決するのに、加害者がお金を支払う場合と被害者がお金を支払う場合が存在する」と述べ、その理由として、「事前に法的権利が確定していて、人々がコストなしに自由に交渉することができ、その取り決めをきちんと執行させることができれば、損害賠償に依存しなくてもパレート改善が達成できる」ことを示した「コースの定理」を挙げ、「コースの定理の面白さは、感情論に縛られず、最終目標を達成する方法を、私たちに考えさせてくれること」だと述べています。
 また、「既存正社員の解雇規制という既得権の強化」が、「既得権を持たない労働者の不安定雇用を増加させる」ことを実証データで示した上で、「労働者を代表する人々にも経済学が突きつけるシビアな現実から目をそらさず、解雇の柔軟性をどこまで認めるべきなのか、真剣に考えて欲しい」と述べています。
 本書は、誤解されがちな経済学のイメージを、身近の事例を取り上げながら変えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書の執筆陣は、大阪大学社会経済研究所関係者となっていますが、同じ経済学者でもそれぞれ拠って立つ学術的立場の違いを反映して、相互に矛盾しているというわけではないですが、トーンというかニュアンスの違いが出ていて面白いです。


■ どんな人にオススメ?

・経済学はお金儲けを学ぶことだと思う人。


■ 関連しそうな本

 大竹 文雄 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには』 2006年09月04日
 ゲーリー・S. ベッカー, リチャード・A. ポズナー (著), 鞍谷 雅敏, 遠藤 幸彦 (翻訳) 『ベッカー教授、ポズナー判事のブログで学ぶ経済学』 2007年02月05日
 スティーヴン・D・レヴィット/スティーヴン・J・ダブナー (著), 望月衛 (翻訳) 『ヤバい経済学』 2008年02月13日
 佐藤 雅彦, 竹中 平蔵 『経済ってそういうことだったのか会議』 2005年06月26日
 ティム・ハーフォード (著), 遠藤 真美 (翻訳) 『まっとうな経済学』 2008年02月15日
 ロス・M・ミラー (著), 川越 敏司 (監訳), 望月 衛 (翻訳) 『実験経済学入門~完璧な金融市場への挑戦』 2007年01月17日


■ 百夜百マンガ

喰いしん坊!【喰いしん坊! 】

 テレビのまねをした中学生が亡くなった事故か何かで、一時の早食いフードファイターブームは自粛されましたが、大食いタレントは相変わらずで、中には食べた皿の数を多くごまかす人も出てきたようです。普通なら少なめにごまかすものですが。


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2008年08月28日

政局から政策へ―日本政治の成熟と転換

■ 書籍情報

政局から政策へ―日本政治の成熟と転換   【政局から政策へ―日本政治の成熟と転換】(#1316)

  飯尾 潤
  価格: ¥2415 (税込)
  エヌティティ出版(2008/3/18)

 本書は、「現代日本を対象に、二十数年という近過去における日本政治の大きな流れを振り返ることで、日本政治の『現代』を検討し、日本の有権者が『いま』立っている地点を確認すること」を目指したもので、著者は、本書が、「日本政治の将来を見渡すための見取り図の一つとして使われることを目指している」としています。
 第1章「戦後政治の成熟」では、1986年衆参同日選挙で、自民党が大勝した理由として、「保守勢力に勢いがあるので、投票率が上がれば上がるほど自民党が選挙で有利になる」と考え、投票率を上げる工夫の一つとして、「参議院選挙に合わせて衆議院総選挙を行う衆参同日選挙を行うこと」にしたと述べ、このとき、「自民党の基盤も弱くなり始めていたにも関わらず、野党の基盤が急速に失われたため、相対的に強くなった自民党が大勝した」と述べ、「自民党の基盤が失われる兆候は、政権の業績によって投票する選挙民が多くなり始めていたところに現れていた」と解説しています。
 そして、中曽根首相が掲げた「戦後政治の総決算」が、総決算されるものとして、
(1)戦後の利益分配政治の方向性を変えるという課題。
(2)「戦後民主主義」の精算。
の2点を掲げたと述べたうえで、「中曽根首相は、民営化をはじめとする行政改革をやったというけれども、政治家だけで物事を決めたのではない。むしろ政治家は裏方に回り、財界人などが必死に汗をかいて改革案を作った」と述べています。
 また、「政治家同士の権力闘争が発動された状況」である「政局」という言葉について、当時の「常識」は、「政治家というのは政局をする動物であって、政策というのは官僚の領域だというように、分けて理解されている。そして日本政治というのは、『政局』を中心に理解されるべきもので、せいぜいそれに選挙が加わる」というものであったと述べ、「人間関係を軸に、長期多角決済のネットワークを息長く形成して、様々な利害を調整しようとする。そのようなことを繰り返し、貸し借り関係を積み上げてきて、首相になっていくのが、自民党の政治なのである」と解説しています。
 著者は、「自民党体制が完成した1980年代には、政策、選挙、政局という要素が別々に進行する仕組みができていた」として、「議院内閣制で通常みられる、政権交代をかけて、政策転換を有権者に訴え、その結果として政権を担当した政党が、有権者の付託を受けて政策を推進するというメカニズムが働かないようなっていた」と述べています。
 第2章「自民党体制の構造と背景」では、中曽根内閣・竹下内閣を一つの絶頂とする「自民党体制」が、「議院内閣制の運用という観点からみると、他の議院内閣制諸国と比べて、特徴的な運用が成されてきた」として、「自民党体制においては、政治の領域が非常に狭く、いわゆる『政局』と『選挙』『政策』がそれぞれ切り離されており、政治とは政局のことだと認識が広がっていたことがわかる」と述べています。
 そして、「政権交代なき政党政治において、政治は『政局』を中心に回っていて、『政策』は付け足しだということになる」として、「大政策というのはプラスアルファのところで、政治家がその才覚でやるもので、国民とは関係ないという仕組みがあった」と述べたうえで、「政権交代によって、政策問題の決着がつくところに大きな意味があるということを考えると、政権交代なき政党政治は大枠のところで政治の機能を制限していることになる」と述べています。
 また、「自民党体制を背景で支えた戦後日本の政策環境」について、
(1)国際環境:冷戦時代は、日本が東アジア冷戦の前線近くに位置することもあり、外交的選択はきわめて限られていた。
(2)経済構造:恵まれた国際環境と、日本社会が工業化に適した性質を持っていたこと、民間の努力に政策がうまく連動することによって、高度成長がもたらされ、高度成長期においては、政治はむしろ経済成長のひずみを是正するといった補完的な役割の方に重点を置いていた。
(3)社会意識:急速な経済発展に伴って、社会が大変動下のにも関わらず、伝統的な前近代的な秩序が、形を変えながらも強固に残っているという安心型の社会関係資本があったため、社会的不安が大きな政治問題にならなかった。
の3つの分野に分けて考察しています。
 第3章「政策環境の変化と新しい課題の出現」では、「自民党体制を根底の部分で支えていたのは、イエ・ムラという秩序モデルによって支えられた安心の体系であった」が、「そうした社会的紐帯が、急速に変化することによって、直接的には選挙における動員のあり方が大きく変わってきた」とともに、「社会の変化は、新たな政策課題を次々に生み出す」と解説しています。
 そして、人々のつながりの変化が、「政治的には、無党派層の増大という形で現れた」として、「新しい保守層」は、「そのときどきの選挙情勢によって、自民党に投票するすることもあれば、棄権することもあり、場合によっては雇う候補に投票することもあった」が、「これは伝統的な不動層とは違い」、「自分の考えに従って行動する」という「一定の判断基準を持っている特徴があった」と解説しています。
 第4章「政治改革の定着」では、海部内閣当時、「当時の権力構造の中核となっていた小沢一郎、あるいはその後ろ盾になっている金丸信が、政治改革に熱心だった」として、「とりわけ小沢には、このままではだめだという危機感が強かった」とともに、「若手議員の不満」という推進力があったと解説しています。
 また、村山自社さ内閣の成立によって政権奪還した自民党が、「政権を失うことがどんなに怖いかということが身にしみ、どんな手を使ってでも政権に復帰するという熱意を持っていた」と述べ、「ルールに従って選挙戦を堂々と戦い、うまくいけば勝つ、下手をすれば負けるという政権交代を想定するのが民主政治の原則」であるが、「自民党には、政権交代だけは絶対に避けたい。政策はどんなに妥協してでも政権は維持したいという癖がついてしまう」と述べています。
 そして、2000年6月25日の総選挙について、「日本の選挙としては初めて、選挙前に、あらかじめ『連立内閣を予定し、首相候補には現職を担ぐ』ことを明確にしたという点で、連立政権のルールに沿った動きが見られた」として、「本格的な連立の時代に入った」と述べています。
 さらに、2001年4月の自民党総裁選について、「党内の幹部は、森首相はマスコミにいじめられてやめざるを得なくなったんだ」という程度の危機感であったが、一般の自民党支持者は、「自民党をそのままにしておくと、自分たちまで政権から遠ざかってしまうという危機感」を持ち、「ここのギャップに気がついたのが小泉であった」と述べています。
 2005年総選挙における自民党の対象については、その理由として、
(1)郵政解散や対立候補擁立で、自民党は改革派になったというイメージを作って、都市部の無党派層を大きくひきつけた。
(2)自民党の古くからの堅い支持者は、自分たちが支持する自民党が野党になってしまうかもしれないという恐怖感にあおられて、選挙に力を入れた。
の2つの要素を挙げ、「自民党か民主党かが問われたという意味で、200年の総選挙は、政権選択選挙であった」と述べています。
 第5章「行政改革と政治主導」では、「細川非自民連立政権の成立と、自民党の下野」によって、「官僚内閣制と政府-与党二元体制の微妙なバランスが崩れた」として、
(1)自民党の下野によって、与党であることが当たり前であった自民党が政権の座を失うと、それを前提にしていた仕組みが動かなくなる。
(2)政治家が果たすべき機能が変化し、首相が自分で主導性を発揮しないと人気が保てなくなってきた。
の2つの要素を挙げています。
 そして、「選挙制度改革と並ぶ、近年の日本においてもっとも大きな政府の制度改革」となった、橋本内閣における行政改革について、「1996年の総選挙で自民党と新進党が行政改革を競ったこと」で、「橋本内閣は、有権者から大規模な行政改革を行うという負託を受けた形となった」と解説しています。
 また、橋本行革の中心的な成果である、「内閣機能の強化と省庁再編」について、「内閣機能強化という目的は、2つのまったく違った解釈が可能である」として、
(1)小選挙区制導入以降の執政部強化という形で、首相主導の明確な権力核のある政権を作り、それを有権者が実質的に選択することによって、首相と一体となった内閣が強化されるという解釈。
(2)官僚内閣制を前提にして、各省を束ねる内閣を強くしているだけだから、結局のところ省庁のコントロールの下にある内閣という骨格は守られる。
の2点を挙げています。
 さらに、「業務を機能別に再編成」することを眼目としたニュー・パブリック・マネジメント(NPM)改革が、「当初1997年春ごろに関係者が想定していたような大規模改革にはならなかった」理由として、
(1)各省庁が強すぎて、自分たちの仕事を本気で変えようとしなかった。
(2)多くの省庁で政策実施は地方自治体に委ねている部分が多く、自分でやっていないという問題があった。
の2点を挙げています。
 行政改革と並んで重要な国家構造の変革である地方分権については、分権推進委員会の西尾勝委員のような「行政学者として長年こうした問題を扱った委員が、自治官僚のバックアップを得て、各省庁と徹底的に議論をして、それを説得ということを始めた」結果、「とことんヒアリングしていると、官僚の説明を聞いている委員のほうに知恵がついてきて、官僚が負ける場面も出てきた」と述べています。
 そして、2002年以降、地方分権論議を席巻した「三位一体改革」については、「地方分権を進めたい総務省と、財政再建をしたいという財務省の意向が呉越同舟的に一致した」として、「交付税と補助金と税財源という分野と、財務省、総務省、現場官庁という、二重の三位一体なのである」と述べています。
 第6章「改革の折り返し点としての小泉内閣」では、「20年前の状況と比べると、政治の光景は様変わりした」として、「政治報道の質が、ずいぶん変化」したことを挙げ、「本書の表題である『政局から政策へ』というのは、この20年の政治の変化を象徴している」と述べています。
 そして、不良債権処理における政治の役割として、政治的な指導力の発揮が必要な理由として、
(1)断固とした姿勢をとることを示さなければならない点。
(2)過去の政策遺産を何らかの形で遮断するのに、政治的決断が必要となる点。
(3)不良債権処理と財政再建、デフレ問題など、相互に関連して、解きほぐすのが難しい複雑な問題群を扱うときには、総合的な視点が何よりも重要となる。
の3点を挙げています。
 また、小泉構造改革が、「第二臨調路線の完成という側面を持っている」として、「大胆なことは確かであるが、問題の規定の仕方など、1980年代以来の改革と大きな共通性」を持ち、「その根底には、戦後システムを、形を変えることで維持しようという傾向」があることを指摘し、「小泉構造改革における、政治的リーダーシップとは、政治制度のうえのほうに権力を一時的に集中することで、政策的な停滞を打破するものであり、合意調達方法に革新をもたらすものではなかった」と述べています。
 第7章「政党間競争と政策体系」では、「小泉内閣における日本政治の変革は印象的であったが、跡を継いだ安倍晋三内閣における迷走と崩壊は、小泉内閣によって変わったかに見えた日本政治が、実はあまり変化していなかったという可能性を示唆する」が、「日本政治の変化は長い時間をかけて準備されてきたのであって、内閣の交代によって、一挙に元に戻るような一時的な変化ではない」と述べています。
 また、「選挙において政党を選択することが、政策を選択することにつながる」理由として、「個別政策ではなく、政党が政策体系を提示することによって、政策体系を選ぶことで有権者は多数の政策を同時に選択できる」と解説しています。
 著者は、「選挙・政策体系・政局の三者を切り離して考える政治の枠組みを転換すべき」であるとして、「これらを別々に考える古い政治を前提に自体の打開策を考えてはいけない」と述べています。
 本書は、この20年の日本政治の大きな変化を、ザクッと解説してくれるわかりやすい一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書は、1986年以降の政治をまとめてあるのですが、自分が新聞やニュースで政治の話を読むようになって以降の話なので、何とかリアルタイム感を持って読むことができました。中曽根さん以前の鈴木善幸さんくらいまで遡ると、知らないわけではないけど、よくわからない、という感じでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・昭和60年代以降の政治の流れをまとめて理解したい人。


■ 関連しそうな本

 飯尾 潤 『日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ』 2008年03月25日
 飯尾 潤 『民営化の政治過程―臨調型改革の成果と限界』
 竹中 治堅 『首相支配-日本政治の変貌』 2006年12月26日
 星 浩 『自民党と戦後―政権党の50年』 2006年06月01日
 猪口 孝, 岩井 奉信 『「族議員」の研究―自民党政権を牛耳る主役たち』 2005年08月03日
 谷口 尚子 『現代日本の投票行動』 2005年05月25日


■ 百夜百マンガ

おろち【おろち 】

 蛇といえば毒蛇51匹と暮らしていて指を咬まれた男のニュースがありましたが、毒蛇よりも、作品自体の毒のほうが恐ろしいかも知れません。近々実写映画が公開予定。


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2008年08月27日

影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル

■ 書籍情報

影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル   【影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル】(#1315)

  デビッド L.ブラッドフォード, アラン R.コーエン (著), 高嶋 薫, 高嶋 成豪 (翻訳)
  価格: ¥2625 (税込)
  税務経理協会(2007/12/3)

 本書は、フラットになった組織において、権力など使わなくても人に動いてもらうことができる原理、「レシプロシティ」(互恵性)について解説したものです。
 第1章「なぜ影響力なのか――この本から得られること」では、本書で解説する影響力のモデルとして、
(1)影響力を発揮するとは、相手が価値を置くものを提供し、その代わりにこちらが得たいものを得る、つまり価値の交換である。
(2)人間関係は重要だ。周囲とよい関係を築いているほど、協力者は見つけやすい。
(3)職場で人を動かすには、準備が必要である。
(4)影響力を発揮するには、自分のためではなく仕事のために必要だから頼む、という姿勢が不可欠だ。
(5)残念だが、人を動かせないのは、本人に原因のあることが多い。
(6)どんな人にも、本人が思っているよりも、もっと人を動かす力がある。
の6つの法則を挙げています。
 また、「影響力のモデルが役に立つ」場合として、
・相手が非協力的なとき
・信頼関係ができていない相手に、負担をかける可能性があるとき
・相手との関係がよくないとき
・依頼に応えること自体が相手に大きな負担になるとき
・頼む機会が二度となさそうなとき
の5点を挙げています。
 第2章「影響力の法則――レシプロシティを活かす」では、「『レシプロシティ(互恵性)』は、ほとんどあらゆる文化に共通する社会通念のひとつである」と述べ、「一般的に、誰かのために何かをした場合、相手はこちらに対して恩を感じると考え、また同等の見返りがあると期待する」と述べています。
 そして、「さまざまな"人を動かす"状況の中で、共通する法則が働いている」として、
(1)味方になると考える
(2)目標を明確にする
(3)相手の世界を理解する
(4)カレンシーを見つける
(5)関係に配慮する
(6)目的を見失わない
の6つからなる「影響力の法則 コーエン&ブラッドフォードモデル」を解説しています。
 また、「まず自らの手で人を動かせなくなる状況」として、
(1)相手を否定的に考える
(2)目標があいまい
(3)相手の世界を理解していない――目標や懸念、ニーズは、組織の要請に左右される
(4)相手が何に動くかに気づかない
(5)相手が価値を置くものを認めない
(6)相手の求めに応じられる自分のリソースに気づいていない
(7)相手との人間関係の敬意に配慮しない・修復しない
(8)交換の仕方を決めない、働きかけない
の8つの「障壁」について解説しています。
 第3章「交換メカニズムで人は動く――何を交換するのか」では、「相手から行動を引き出す対価として提供される」リソースである「カレンシー(通貨)」について、「相手が関心を持つカレンシーと、自分が提供できるカレンシーがわかって、初めて価値の交換が成立する」として、
(1)気持ちの高揚や意欲を喚起するもの:ビジョン、卓越性、道徳的/倫理的な正しさ
(2)仕事そのものに役立つもの:新しいリソース、チャレンジ又は成長(学び)の手伝い、組織的な支援、すばやい対応、情報
(3)立場に関するもの:承認、ビジビリティ、評判、所属意識/重要性、接点
(4)人間関係に関するもの:理解、受容/一体感、私的な支援
(5)個人的なもの(その人自身に関すること):感謝、当事者意識/参画意識、自己意識、安楽さ
の5種類のカレンシーが、「様々な場面で使われている」と述べています。
 また、「否定的なカレンシー、人が否定的な価値を置くもの、避けようとするものも存在する」として、「状況によっては必要だったり、選択肢の一つにもなりうる」と述べ、
(1)建設的なカレンシーを出さない
(2)相手が嫌がるカレンシーを使う
の2点を挙げています。
 第4章「なにが人を動かすのか――相手の世界を知る」では、「相手が何に動くかわからないときにも相手との互恵的な関係を築き上げられるように、相手の世界をどう把握するか、そのプロセスに焦点を当てて解説」しています。
 そして、「影響力を損なう否定的なサイクルに陥らないためには、否定的なサイクルが起きるパターンを理解すること」だと述べ、「上司でも同僚でも、協力してくれない相手の性格が悪いと感じられるときは、それを警告だととらえ、もっと理解する必要があると自分を説得するのだ」と述べています。
 著者は、「相手の世界を理解しようと忍耐強く努力することによって、不可能とも思えた価値の交換が可能になり、相手から行動を引き出す突破口につながる」と述べています。
 第5章「使っていない力を活かす――目標、優先順位、リソース」では、「あなたには、自分で思っているよりも遥かに人を動かす力がある。あなたが使えるリソースには何があるかを把握しておけば、難しい場面でも人を動かせるようになるのだ」と述べています。
 そして、「自分にとって最も重要なことは何かを明確にする必要」があるとして、「もし、組織から自由で革新的であること」が最も重要であったら、上司とは対立するだろうと述べ、「多くの野心的な若者が、この落とし穴に落ちて上司をいらだたせている。そしてその結果、自分が思うように動けるチャンスを失い、新規の取引案件を見つけ出す時間を持てなくなっただろう」と述べています。
 また、個人的欲求の最大の問題は、「それが組織のための目標と区別できなくなることではなく、その人の影響力を高める能力を妨げてしまうこと」であると述べています。
 さらに、「相手の求めるカレンシーを把握することが、あなたのパワーの源になる」とした上で、「影響力の障壁」を自分で作ってしまう理由として、
・相手にはっきりと"貸しがある"と主張しない。
・自分が何をして欲しいかをはっきり言わない。
・相手に響くカレンシーを知っているが、使いたくない。
・相手に響くカレンシーを知っているが、相手を喜ばせたくない。
の4点を挙げています。
 第6章「人間関係を築く」では、帝国主義時代のイギリスの役人たちが、「植民地をつつがなく統治するために、女王と同じように考えることを訓練された」ことを紹介した上で、「現代は違う。協力し合わなければならない相手は、多種多様なバックグラウンドや価値観を持つため、うまくつきあうには努力が必要なのだ」と述べています。
 また、「仕事上の信頼関係を構築する際の注意点」として、
・必要に迫られるまで、相手との信頼関係作りに目を向けない。
・どのように相手に近づけばいいかわからないので、そのままにする。
・我慢しすぎて爆発する。
・自分が理解できない言動を否定的に解釈する。
などの点を挙げています。
 著者は、「目標は、相手と親友になることではない。問題のある関係であっても、仕事はやり遂げられる」が、優れた仕事の成功のためには、「人間関係を改善する努力をした方が得策なのだ。『影響力の法則』を実践すれば、改善は可能になる」と述べています。
 第7章「交換の戦略」では、時間をカレンシーとして使うときの戦略として、「タイミングは常に『すぐ』とは限らない」と述べ、
(1)すぐその場で:お返しとして、そこですぐにカレンシーを提供する。
(2)過去を活用:相手の信頼を勝ち得るために、過去の自分の努力を引き合いに出すことができる。
(3)将来に向けて:後でお返しすることを約束する。
の3つのタイミングについて解説しています。
 そして、「将来借りるか引き出すために、今あるリソースを投資するのには意味がある。こちらから頼み事をする前に、日頃から相手の要請に応えておくのだ。実際に交換する前から、将来に備えて積み上げておくというわけだ。将来への備えだといえる」と述べています。
 また、「価値を交換する場で対処すべき5つの課題」として、
(1)強く出るか、後退するか?
(2)率直に全部話すか、一部だけにするか?
(3)当初の予定通りに進めるか、その場にあわせるか?
(4)ウィン・ウィンで行くか、否定的な交換にするか?
(5)仕事中心で行くか、関係重視で行くか?
の5点を挙げています。
 さらに、「価値の交換時の5つの落とし穴」として、
・相手が気にかけていることを大切にしない
・その場の生きた証拠に触れても、過去の分析結果にしがみつく
・力がないのに、相手にしかける
・否定的な反応を恐れるあまり、自分が考え付いた方法を使わない
・この相手と再び会う可能性があるということを忘れ、自分だけひとり勝ちしようとする
の5点を挙げています。
 第8章「上司に影響を与える」では、上司を動かすためのアプローチ方法として、
(1)上司を信頼できるパートナーと考える。
(2)上司の世界をしっかりと理解する。
(3)あなたが使えるカレンシーを知る。
(4)相手が望む関わり方に注意を払う。
の4点を挙げています。
 そして、「自分の働きかけを受け付けない上司のことを、最悪でどうしようもないと決め付けている人は少なくない。彼らは、上司の性格を否定的に考え、重要な局面でさえ、上司との関わりを避けてしまう」ことを指摘させた上で、「自分が真のパートナーだと上司に理解させるのは簡単ではないが、それで一生の付き合いができる場合もある」と述べています。
 第9章「やっかいな部下を動かす」では、「部下を動かすふたつの形」として、
(1)次のステップのポジションで求められる能力要件は何か。
(2)事前に何を頼むか決める。
の2点を挙げています。
 また、「最後のアドバイス」として、「権限を振り回さないほうが、部下を動かせる。権限を使えば、一瞬は思い通りになるかもしれない。しかし、目に見えない抵抗に遭うとわかっていたら、無理な命令を下すことはない」と述べ、「部下に権限を委譲し、自分に対して影響力を発揮させることで、あなたの力は強まっていく」と解説しています。
 そして、「自分自身がパートナーとしてふるまうことを上司から求められたと想像して、自分もそうして欲しいのだと伝えよう」と述べています。
 本書は、組織において、権限以上に力を発揮することができる影響力のロジックを教えてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 本書で紹介されている、「外交官のルール」というのがあるのですが、
(1)うそは言わない
(2)本当のことのすべては言わない
(3)不確かなときはトイレに行く
(出典不詳)
というのは、外交官に限らず、普段、組織の中でも活用している人がいるような気がします。


■ どんな人にオススメ?

・権力がないと人を動かせないと思う人。


■ 関連しそうな本

 ロバート・B・チャルディーニ (著), 社会行動研究会 『影響力の武器―なぜ、人は動かされるのか』 2006年02月16日
 榊 博文 『説得と影響―交渉のための社会心理学』 2006年02月23日
 フランク・ベトガー (著), 土屋 健 『私はどうして販売外交に成功したか』 2006年11月17日
 印南 一路 『ビジネス交渉と意思決定―脱"あいまいさ"の戦略思考』 2005年6月28日
 鈴木 有香 (著), 八代 京子(監修) 『交渉とミディエーション―協調的問題解決のためのコミュニケーション』 2005年09月30日
 マックス H・ベイザーマン (著), マーガレット A・ニール (著), 奥村 哲史 『マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋』 2005年07月04日


■ 百夜百マンガ

赤ずきんチャチャ【赤ずきんチャチャ 】

 「魔法少女」といえば、女の子向けアニメの定番ですが、おもちゃが売れないとスポンサーがつかないのはいずこも同じようです。「ゲキレンジャー」でおもちゃが売れなかったので次の「ゴーオンジャー」では次から次へと新しいロボット(ちょっと違うけど)が出てきたり、「プリキュア」も作中のおもちゃの登場場面のほうがCMよりも長いほどだったりします。


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2008年08月26日

とんかつの誕生―明治洋食事始め

■ 書籍情報

とんかつの誕生―明治洋食事始め   【とんかつの誕生―明治洋食事始め】(#1314)

  岡田 哲
  価格: ¥1680 (税込)
  講談社(2000/03)

 本書は、「『料理維新』と称するのにふさわしい時代でもあった」明治期における、欧米の食文化の急速な浸透と「洋食」の誕生を描いたものです。
 著者は、「和洋折衷という新しい食である『洋食』をつくりあげていったのは、やはり、庶民の創意と工夫の積み重ねであった」として、
(1)庶民は、初体験の様式調理にはなかなかなじめず、
(2)やがて牛肉を、食べ慣れた和風の調味料(味噌・醤油)で仕立てて、牛鍋やすき焼きを作り上げ、
(3)さらに、様式調理の中から、折衷料理という独特な洋食を、家庭料理の中に取り込んでいった。
の3つのステップを挙げています。
 第1章「明治五年正月、明治天皇獣肉を食す」では、当時の指導者たちが、「見上げるような欧米人との体力差という現実」に直面し、「肉食を解禁し、西洋料理を普及させることで、体力的にも文化的にも、日本人の劣等感を払拭することが急務という結論を得た」と述べています。
 しかし、「肉食が解禁されたからといって、待ってましたとばかり、庶民が肉食へ飛びついたわけではない。これから後の長い時間をかけて、西洋料理という枠組みの中で、肉の調理法を習得し、日本人独特の折衷料理『洋食』を、つぎつぎにつくりだしていく」と述べています。
 そして、日本人の肉食忌避は律令国家以来のものであったが、「江戸中期から末期にかけて、大名たちの中に、これらの掟に従わず、密かな『薬喰い』を行う者が現れてくる」と述べています。
 第2章「牛肉を食わぬ奴は文明人ではない」では、肉鍋の調理形態が、「獣肉から牛肉へ、そして、味噌から醤油と佐藤へと移行していく。換言すれば、米飯に合うおかずとして発展し始める」が、「欧米の肉料理に共通する、香辛料の使用はまったく見られない」として、「日本人の食卓を欧風化した」のではなく、「洋風素材の牛肉を、和風鍋に取り込んだ』のだと解説しています。
 そして、庶民の間で牛鍋やすき焼きが定着した背景として、「政府や知識人による積極的な肉食奨励策』を挙げ、1972年(明治5)に、敦賀県下で、牛肉店の開店によくないうわさが飛び交った際には、敦賀県庁が、「牛肉は、健康の増進・活力の補強・強壮滋養によい食べ物である。今までの習慣にこだわって、牛肉を食べると心身がけがれると言いふらす不心得者がいる。これは文明開化の妨げであり、不届きである」とする異例の論告を出したことを紹介しています。
 また、「西洋料理」と「洋食」との違いについて、「パンと合うのが西洋料理であり、米飯と合うのが洋食」だとする著者の考えを述べています。
 第3章「珍妙な食べ物、奇妙なマナー」では、「西洋料理を食べるとき、ナイフとフォークを使うには、まさに決死的な勇気が必要であった」として、
・箸がないために使ったナイフとフォークで口の中を切り、血だらけになって悪戦苦闘する。
・スープの飲み方もわからない。平皿を手に持ち、味噌汁のように皿ごと吸ったところ、胸からひざにかけて熱いスープを浴びてしまう。
・ナイフに肉片を刺したまま口の中で法張り、ナイフを引き抜いたら、唇を切って血を流す。
などの珍事が起こったことを紹介しています。
 さらに、「珍妙な食べ物が、続々と登場した」として、
・卵黄を燻製にしたからすみ
・ひき蛙の焼き鳥
・ウサギの親子丼
・ヒンヒンのステーキ
・ワンワンのソーセージ
・豆の粉のおろしワサビ
などを紹介しています。
 第4章「あんパンが生まれた日」では、「明治維新になり、文明開化の進む中で、先人たちは、パンを不思議な形態に作り変えていく』として、「おやつ(間食)の機能を持たせた、和洋折衷型の『菓子パン』」を挙げ、「あんパン」の誕生は、「『とんかつ』と同じように、日本人が作り出した『洋食』なのである」と述べています。
 そして、「パンは、米飯に執着し続ける庶民には、なじみにくい異国の食べ物であった」が、「1874年(明治7)に、『あんパン』という食品が作られると、あっという間に日本全国を制覇し、天皇の食卓にまで上るようになる」と述べています。
 第5章「洋食の王者、とんかつ」では、「独特な和洋折衷料理=『洋食』」の誕生の中でも、「『とんかつ』がつくられる歴史は、一つのドラマを構成している」として、日本人好みのとんかつが出来上がった経緯として、
(1)牛肉から鶏肉そして豚肉への変遷、
(2)薄い肉から分厚い肉への変遷、
(3)ヨーロッパ式のさらさらした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷、
(4)炒め焼きからディープ・フライへの変遷、
(5)さらには、西洋野菜の生キャベツの千切りを添えて、
(6)あらかじめ包丁を入れて皿に盛り、
(7)日本式の独特なウスターソースをたっぷりかけて、
(8)ナイフやフォークではなく箸を使って、
(9)味噌汁(豚汁・しじみ汁)をすすりながら、
(10)米飯で楽しむ和食として完成する。
の10項目を挙げ、「これだけの食の変遷に、60年の歳月が費やされた」として、「外来の食べ物を、このような執念で吸収・同化していった食の文化は、他国ではあまり例がないであろう」と述べています。
 そして、明治初期に見よう見まねで作られたビーフカツレツはすき焼きのようには普及せず、後に現れる「ポークカツレツ」こそが「とんかつ」の前身となったと述べたうえで、池波正太郎が、ポークカツレツの美味しさを、「ソースをたっぷりとかけて、ナイフを入れると、ガリッとコロモがくずれて剥がれる。これがまた、よいのだ。コロモと肉とキャベツがソース漬のようになったやつを、熱い飯と共に食べる醍醐味を、旨くないという日本人は、おそらくあるまい」と記していることを紹介しています。
 また、「とんかつのうまさには、サクサクとした日本式パン粉の歯ざわりが貢献している」として、「ヨーロッパ式の細かい粒のパン粉」では、とんかつの歯ざわりは得られず、揚げ油が汚れやすく、適度の厚みのある衣に仕上がらない、食べた感じももの足りないと述べています。
 第6章「洋食と日本人」では、「明治新政府や知識人が積極的に奨励した肉食や西洋料理の普及」は、
(1)明治初期:西洋料理の崇拝期
(2)明治中期:西洋料理の吸収・同化期
(3)明治後期:和洋折衷料理の台頭期
(4)大正・昭和期:もっぱら庶民的な洋食が普及して、三大洋食が脚光を浴びる
の4つの流れがあると解説しています。
 そして、明治中期の「特筆すべき動き」として、
(1)本格的な西洋料理を社会が少しずつ受け入れていった。
(2)西洋料理の調理技術を、日本的にし編成しようとした先人たちの努力
の2点を挙げています。
 また、明治後期の和洋折衷料理(洋食)の台頭について、
(1)カツレツ・コロッケ・エビフライのように、フライ(揚げ物)と米飯の組合せ
(2)ライスカレー・ハヤシライス・チキンライス・オムライスのように、洋風を取り入れた米飯類
(3)ロールキャベツ・シチュー・オムレツのような洋風和食
などの、いくつかの系統があり、「これらの料理の共通点」として、「和食の洋風化ではなく、西洋料理の和食化である」と解説しています。
 本書は、私たちが当然のように食べている「洋食」が、日本の明治維新後、長い試行錯誤を経て完成した日本独自の文化であることを再認識させてくれる一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者は日清製粉に勤務する傍ら、食文化について研究を続け、食文化史研究家を名乗られています。単なる食通よりもこちらのほうがかっこいい気がするのはなぜでしょうか。


■ どんな人にオススメ?

・「とんかつは和食」といわれると抵抗がある人。


■ 関連しそうな本

 岡田 哲 『ラーメンの誕生』 2007年11月23日
 小菅 桂子 『カレーライスの誕生』 
 岡田 哲 『コムギ粉料理探究事典』 
 岡田 哲 『たべもの起源事典』 
 岡田 哲 『日本の味探究事典』 
 岡田 哲 『食文化入門―百問百答』 


■ 百夜百マンガ

DAI-HONYA【DAI-HONYA 】

 タキタ氏と言えばとり・みき作品では欠かせない登場人物ですが、こういうハードな作品の原案もしているとは。近未来作品なのに、すでに作中の時代に追いついてしまうと一抹の寂しさを感じます。


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2008年08月25日

階級社会―現代日本の格差を問う

■ 書籍情報

階級社会―現代日本の格差を問う   【階級社会―現代日本の格差を問う】(#1313)

  橋本 健二
  価格: ¥1575 (税込)
  講談社(2006/09)

 本書は、これまで「日本社会の目立たない舞台装置」だった「階級」が、「前面に躍り出ようとしている」ことを理解することなしには、「日本社会の現在を、そして将来を理解することはできない」として、「これを明らかにする」ことを目的としたものです。
 第1章「階級の死と再生」では、著者が大学院に入って階級研究を志したときに、「教員や大学院の先輩たちに、マルクス主義に関心があって、階級の研究をやりたい」と話すと、「いまどき何を考えているんだ」という顔をされ、「日本は9割が中流の平等な社会であり、西欧のような階級はなく、マルクス主義の階級理論は日本には当てはまらないというのが自明の前提とされていて、誰もそれについて実証が必要だとは考えていないようだった」と述べています。
 しかし、90年代後半以降、階級の存在が注目を集めるようになった最大の原因として、「いうまでもなく経済的格差の拡大」を挙げ、橘木俊詔の『日本の経済格差』は、「新聞の社説にも取り上げられるなど大きな注目を集めた」と述べています。
 そして、階級という言葉が、「世相を理解するための普通の言葉」として使われ始めていると指摘しています。
 また、「資本家階級と労働者階級に新旧2つの中間階級を加えた、少なくとも4つの階級が存在するとみなすのが、現代の階級理論の特徴である」として、「階級という言葉を『世相を理解するための普通の言葉』として使うならば、まずはこの四階級図式が出発点になるだろう」と述べています。
 第2章「階級へのまなざし──近代都市東京と『階級』」では、今和次郎の「孝現学」を取り上げ、「隅田川は東京にとって皮肉な川です。本所深川は東京の中枢部および山の手の人たちにとっては違う風俗の国なのです。現代文化人風俗の国ではないのです。実に現代細民風俗の国なのです」という結論を紹介しています。
 そして、現代の日本において、「今和次郎が見出したような地域差は、依然としてなくなっていない。それどころか、地域によって住む人々の階級が異なるということは、1980年代から盛んになった都市論・東京論の隠れた中心テーマだったといっても過言ではない」と述べています。
 著者は、「バブル経済とその崩壊、そしてその後の経済格差の拡大のなかで、下町と山の手の差はさらに大きくなったのだ」と指摘しています。
 第3章「庶民とヒーローの階級闘争──『下町の太陽』と梶原一騎」では、漫画原作者、梶原一騎を取り上げ、「戦後日本社会に梶原を位置づけるとき、忘れてはならないもうひとつの要素がある」として、「梶原こそが、常に階級にこだわり続け、上層階級を憎悪し、下層階級を擁護し、作品のなかではいつも下層階級とともに上層階級を打倒しようとし続けた稀有な書き手だった」と指摘しています。
 そして、梶原作品が、「類まれな能力を持つヒーローが活躍」し、その活躍が、「常に階級的な分断線の上で展開される」という特徴を指摘した上で、『巨人の星』が、
(1)労働者階級・・・星
(2)資本家階級・・・花形
(3)農民・・・左門
の「三階級の三つ巴の関係を中心に、物語は展開されていく」と解説しています。
 また、『あしたのジョー』のラストにおいて、資本家階級の白木葉子が、「すきなのよ矢吹くん あなたが!!」と告白することを、「ドヤ街の誇示であり都市下層だったジョーが、財閥令嬢に対して決定的な優位に立ち、資本家階級に勝利した瞬間である」と述べ、「このように愛を得ることによって資本家階級に勝利するというテーマは、次の『愛と誠』にも共通している」と解説しています。
 第4章「拡大する階級格差」では、「新中間階級と労働者階級の間には、かなりはっきりした違いが見られる」として、「所得水準は大きく異なり、生活や意識にも大きいな違いがある。そして両者の間の経済格差は、拡大しつつある」と述べ、「階級格差の拡大とは、まずもってこの2つの階級の間の格差の拡大なのである」と解説した上で、「同じ被雇用者でありながら、この両者を別々の階級とみなすことができる理由」として、
(1)地位や技能の違い
(2)両者の間の搾取関係の存在
の2点を挙げ、「新中間階級はいまや、労働者階級を搾取する最大の搾取階級である」と結論付けています。
 そして、「現代の日本で、労働者階級から階級闘争が発展する可能性はきわめて低い」として、「そもそも労働者階級は、政治に対する関心が低く、政治に関する知識が少なく、政治家や政治団体との接触も少ない。しかも一般的信頼感が低く、協力行動をとりにくい」ことを指摘しています。
 第5章「アンダークラス化する若者たち」では、「フリーター・無業者層の階級的性格」として、
(1)不安定性
(2)下層性
(3)不本意性と脱出困難性
(4)家族形成の困難
の4点を挙げています。
 第6章「女たちの階級選択」では、「日本の女性は全般的に地位が低く、このため男性に比べて新中間階級の比率が低く、労働者階級比率が高くなる」と指摘した上で、「女性たちがオフィスで働く労働者の下層部分に位置づけられた結果、男性たちは、地位や高収入を比較的容易に手に入れることができるようになった」と述べています。
 そして、「キューピッドの矢は遠くまで飛ばない」という言葉が、「階級間の距離についても当てはまる」として、「階級の壁は、男女にとって乗り越え不可能というほどではないとしても、依然として存在し続けているということができる」と述べています。
 第7章「『階級社会』のゆくえ」では、「今日の『格差社会』をめぐる議論の中で、『格差』のとらえ方には大きく分けて2つがある」として、
(1)所得などの格差そのものを問題にするもの
(2)社会移動の機会を問題にするもの
の2点を挙げたうえで、「格差拡大を問題にする場合には世代間移動に注目することが不可欠であり、これが格差是認・容認の主張に対抗するための有力な言説戦略となる」と指摘しています。
 著者は、「格差拡大が注目を浴び、『格差社会』『下流社会』などをテーマとした本屋、特集を組んだ雑誌が読まれるようになった」ことを、「ある意味では健全な傾向である」として、「このことは、本や雑誌の主な顧客である新中間階級が、格差が拡大する現状に居心地の悪さを感じていることを意味するからである」と述べています。
 本書は、「格差社会」の問題について、ストレートに「階級」という観点から迫った一冊です。


■ 個人的な視点から

 著者が学生時代に、「いまさらマルクス?」と周囲から冷たい目で見られたと語っていますが、どうしても大学にはマルクス様大好きな元学生運動家がウヨウヨしていたので、そういう目で見られたのではないかと思います。
 マルクス自体は面白いのかもしれませんが、私も『資本論』読んでいないのでなんともコメントできません。


■ どんな人にオススメ?

・日本が階級社会だと思う人。


■ 関連しそうな本

 橘木 俊詔 『日本の経済格差―所得と資産から考える』 2006年02月10日
 佐藤 俊樹 『不平等社会日本―さよなら総中流』 2005年03月22日
 橘木 俊詔, 斎藤 貴男, 苅谷 剛彦, 佐藤 俊樹 『封印される不平等』 2006年02月10日
 三浦 展 『下流社会 新たな階層集団の出現』 2007年11月14日
 山田 昌弘 『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』 2006年01月11日
 苅谷 剛彦 『階層化日本と教育危機―不平等再生産から意欲格差社会(インセンティブ・ディバイド)へ』 2006年02月14日


■ 百夜百マンガ

はいぱーぽりす【はいぱーぽりす 】

 世の中には「猫耳」マニアの人もいるようですが、いつも疑問に思っていたのは、頭に猫耳がついている場合、人間で言えば耳がついているところはどうなっているのか、ということです。この作品は、重複しているので「四つ耳」と呼ばれているそうです。


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2008年08月24日

読書の腕前

■ 書籍情報

読書の腕前   【読書の腕前】(#1312)

  岡崎 武志
  価格: ¥819 (税込)
  光文社(2007/03)

 本書は、「これからもずっと楽しみとして本を読んでゆきたい、できるだけ読書の時間を多くとりたい、いろんな作家のいろんな本に触れてみたいと考えているような人」のために書かれたもので、「読んでいる最中に、無性に別の本が読みたくなる」ことを目指したものです。
 著者は、「人がすることすべて上達というものがある。何度も繰り返し、上手になりたいと願い、学び、そして少しずつ『腕前』が上がる」ように、「読書だってまったく同じ。読めば読むほどいろんなことがわかってくるし、前にはわからなかったことが、突然見えてきたりする」と述べています。
 第1章「本は積んで、破って、歩きながら読むもの」では、読書のメリットとして、「本を読むことで、他人を知る手がかりは得ることができる。また、本は、実生活では知りえぬ、膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、思うがまま、自由にそのモデルと触れ合うことができる」ことを挙げています。
 また、昭和30年代初めまでは、朝日新聞社が、「写真や原稿の遠距離輸送に鳩を使っていた」ことを、森本哲郎の発言から知ったことを挙げ、「この『知る』ことの楽しみを知ってしまったからには、読書をやめろと言われても、いまでは遅すぎる~」と語っています。
 さらに、「本を読む時間がない」と言う人は多いが、「その気になれば、ちょっとした時間の隙間を利用して、いくらでも読めるものなのである」として、「2分、3分といった細切れ時間であっても、合計すれば1日20、30分にはなるはず」であり、「毎日30ページ近くは読める」、「新書程度の分量なら1週間に1冊は読了できる。要は、ほんとうに本が読みたいかどうか」であると語っています。
 そして、「ツン読」の効用について、「『買った本を全部読む』ということは、言い換えれば、『ぜんぶ読む本しか買わない』からであり、しかも本は一度読めばそれで用が済むと思っているからだ。おめでたいことこの上ない」と述べています。
 第2章「ベストセラーは十年後、二十年後に読んだほうがおもしろい」では、著者が、「書評家」の肩書きを名乗り、新聞や雑誌で書評を担当している中で、「書評を書いていて難しいと思うのは、まずはなんといっても字数の問題だ」と述べ、一番多い「800字では、その本が著者にとってどういう本であるかの位置づけ、あらすじ、読みどころ、ポイントとなる箇所の引用、締め(着地)を並べるだけで精一杯」だと述べています
 そして、いろいろなベストセラー本を読んできた結論として、「その8割方は読み通すのに苦労し、呼んで得たものもほとんどなかった。自分で買うかと言われればとんでもない。よく、みんなこんなものに金を出して、挙句に『感動した』だの『癒された』だの『生きる指針となった』などと言えるよな、とあきれるほどの代物だった』と述べたうえで、「ベストセラーは『売られている本』の代表なのである。『読まれている本』の代表なのである。だから、ベストセラーを見れば、日本の出版が見えてくる」とする長江朗の定義を紹介しています。
 第3章「年に三千冊増えていく本との戦い」では、古書店主から直木賞作家になった出久根達郎が、「本を処分する際に、読んでいない本を残して、読んだ本を売るのは間違いで、読んだ本こそ残すべきだ」と書いていたことを取り上げ、「一度読んだ本音場合、そこに何が書かれているかを知っている。読後しばらく経って、書いてあったことを再確認するときに既読の本は必要だ」と解説しています。
 第4章「私の『ブ』攻略法」では、著者が、ブログなどであまりひんぱんに「ブックオフ」と書くのが面倒になり、「ブ」とだけ標記するようになったところ、「まわりの友人も隠語として使うようになり、今では定着している』と述べています。
 第4章「旅もテレビも読書の栄養」では、書評の仕事を看板に掲げていると、「どんな本を読んだらいいか、お薦めの本はありますか」と訊かれることがあるが、「いつも返事に窮してしまう」と述べ、「書評家は、お薦め本の自動販売機ではないのだ」と語っています。
 そして、片岡義男が、「本を読むための旅」、すなわち、「なにかほかの目的がある旅行の合間に、というのではなく、本を読むだけのための旅行」を推奨していることを紹介しています。
 第6章「国語の教科書は文学のアンソロジー」では、読書だけは得意だった小学校3年生の著者が、物語を決められた時間内にどれだけ読めるか、というテストで、全部読み終わったにもかかわらず、担任教師から、「全部読んだ」のはウソだ、「(劣等生の)おまえなんかに、これが全部読めるわけがない」と言って、「おまえならこの程度だ」とプリントの半分のところに線を引かれた体験を、「おおげさでなく、刀で切りつけられたような痛みが走った」、「このときの無残な気持ち、屈辱は、死ぬまで忘れない。わすれようもない、生まれて初めての大きな傷をこのとき負ったのだ」、「私は彼をこの先も絶対に許さない」と語っています。
 また、小学生時代に住んでいたアパートの隣に、スクラップ回収会社があり、そこの倉庫に忍び込んでは、雑誌を読みふけった体験を、「砂糖壺に落ちたアリ」と表現し、「"本人間"としての私の基礎体力は、この倉庫と学校の図書室での読書体験によって作られていった」と語っています。
 さらに、高校時代に、「毎年新学年に進級する直前に、新しい現国の教科書に一通り目を通すのが常だった」として、「当時の私は、現国の教科書を文学作品のアンソロジーと受け取っていた」と述べています。
 第7章「蔵書のなかから『蔵出し』おすすめ本」では、著者の蔵書の「少なからぬ量」が、「本の本」、「本について書かれた本」であるとして、「書評集、出版史、古本についての本、読書論の類が、軽く本棚に本はあるだろうか」と述べ、「ときに、本それ自体を読むより、本について書かれた本のほうが面白いくらいだ。そこで紹介された本がまた読みたくなりあるいは著者が本を読む姿や仕種を追うことで、読書欲が刺激される。これは読書の永久運動だ」と語っています。
 本書は、読書好きなら共感できる読書の楽しさのあまり、読書自体を職業にしてしまった著者が語る、読書生活をまとめた一冊です。


■ 個人的な視点から

 いくら本が好きでも、年間3千冊もの本を買い続ける人はなかなかいないと思いますが、著者の言葉のなかでも、「ツン読」に関する言葉は身にしみました。
 ツン読をしないということは、読む分だけしか本を買わない、という愚かなことだ、という言葉には共感すると同時に、本の置き場や購入費を考えると、欲しい本を欲しいだけ買うわけにはいかず、どうしても図書館が中心になってしまいます。


■ どんな人にオススメ?

・本が好きで好きな人。


■ 関連しそうな本

 松岡 正剛 『ちょっと本気な千夜千冊虎の巻―読書術免許皆伝』 2007年12月09日
 モーティマー・J. アドラー, C.V. ドーレン (著), 外山 滋比古, 槇 未知子 (翻訳) 『本を読む本』 2006年07月02日
 ポール・R・シーリィ (著), 神田 昌典 (翻訳) 『あなたもいままでの10倍速く本が読める』 2006年01月15日
 松山 真之助 『マインドマップ読書術―自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ』 2005年05月01日
 立花 隆 『ぼくはこんな本を読んできた―立花式読書論、読書術、書斎論』 2006年07月29日
 加藤 周一 『読書術』 2006年07月23日


■ 百夜百音

ベストアルバム【ベストアルバム】 ずうとるび オリジナル盤発売: 2008

 「笑点」で座布団を運んでいる人が何者かを知りたい人は、このアルバムを聴いてください。一番確実な生き残り方なのかもしれません。

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2008年08月23日

美を脳から考える―芸術への生物学的探検

■ 書籍情報

美を脳から考える―芸術への生物学的探検   【美を脳から考える―芸術への生物学的探検】(#1311)

  インゴ レンチュラー, デイヴィッド エプスタイン, バーバラ ヘルツバーガー (編集), 野口 薫, 苧阪 直行 (翻訳)
  価格: ¥3465 (税込)
  新曜社(2000/6/15)

 本書は、「『美しさ』という、従来きわめて感性的にとらえられていた経験を脳という生物学の側面から見直し、それがどのように脳内で情報処理され身体的に創出されるのかを現代の脳科学、神経科学、生物学、文化人類学など、学際的な知見に基づいて述べた、きわめてユニークな書物」です。
 第1章「美の生物学的基礎」では、「私たちの近くは特定の方向にずれているので、すべてのものが同じように私たちの感覚や認知に働きかけるのではない」として、「このバイアスを探求することが美学研究の目的の一つである」と述べています。
 また、私たちの知覚が、
(1)周りの世界の中に秩序、規則性、パターンを求めるという非常に基礎的で一般的な水準。
(2)種特有のもので、系統発生的なルーツを持つ場合もあり、また、態度の普遍性のゆえに多様な文化に見出される場合もある。
の2つの水準でバイアスされている、と述べています。
 第2章「韻律詩、脳、そして時間」では、
(1)詩の韻律という古くからある一つのテーマ
(2)ここ2,30年の間の人間の脳に関する熱心な研究の成果から導かれた新しい知識
(3)国際時間研究学会によって発展を見た科学的パラダイム
という、これまで互いに結び付けて考えてこられなかった三者の統合を試みたいとしています。
 そして、人間の行う情報処理が、「個々のニューロンの水準ではプロクルステス式」であり、「外界から得る情報をニューロン自身のカテゴリーに切り詰め、現実がニューロン自身の設定する問いに応えるときだけ、それらの答を受け入れる」と述べています。
 また、「個々の事例において因果的順序や目的的順序が形成され認知されるには、その前に事象間の順序関係や反応関係の多くの事例が比較されねばならない」が、「比較が可能になるには、比較対照の経験がそれぞれ別個のまとまりになっていることが必要」であり、「比較されるまとまり自体が時間的性格のものなので、経験のまとまりは同じ時程内に存在していなければならない」と述べた上で、「この「経験のひとかたまり」が約3秒で、「3秒の時程とは人における現在の長さである」と述べ、「人が話すとき、ほぼ3秒おきくらいに数ミリ秒の休止を入れ、「その間に次の3秒の正確な統語法や語彙を決定するのであろう」と述べるとともに、「聴き手は、聴いた3秒間の話の間は休止や思い返しなしに集中し、それから聴いたものを統合し意味づけるために聴くのを止める」と述べています。
 そして、「10分の3秒はヒトが落とし劇に反応するのに十分な時間である」と述べ、「3秒のラインと3秒の『聴覚的現在』のあいだのきわめて正確な対応」として、「ラインあたりの平均音節数はおよそ10であり、詩の韻律は聴覚系における最も低次の周波数リズム2つを具現している」と述べています。 また、「聴覚的駆動は、左脳よりも右脳に対してはるかに強く影響することが知られている」として、「韻を持たない通常の散文は『モノラル』モードで伝わり、もっぱら左脳に影響するのに対し、韻をもつ言語は『ステレオ』モードでやってきて左脳の言語的資源と右脳のリズムに関わる潜在力を同時に呼び起こす」と述べています。
 さらに、「韻律詩の喜びは、まぎれもなく脳の自己報酬的能力を刺激するという力に由来している」として、「それは明らかに、詩が脳自身の動機づけシステムと関わっていることに関連している」と述べています。
 著者は、「記憶の状況結合性の理論も、詩が大変記憶しやすい理由を説明する」として、「もし韻律とその独特な変形が、それ自身の雰囲気、言い換えれば脳の状態のサインをもっているならば、詩を容易に想起できるのも驚くにはあたらない」と述べ、ホーマーが、「詩神は記憶の娘である」と語っていた意味はそういうことではないか、と述べています。
 第3章「音楽におけるテンポ比率」では、音楽におけるテンポが、「音楽を左右する最も強力な要素の一つ」でありながら、「音楽において最も可変性の大きい要素でもある」と述べています。
 そして、「音楽の演奏における速度とテンポには生物学的基礎があり、最も深いたぐいの心理的な効果を持っている」と述べたうえで、「様々な音楽の中でテンポが変化するとき、そのテンポは低次の整数比率で変化するという強い印象を受ける」と述べています。
 第5章「視覚的な美と生理的制約」では、「われわれの意識体験というものは、2つの大脳半球の機能分化した多くの神経サブシステムが相互に補完的にはたらきあう結果生まれると結論してもよいだろう」と述べています。
 また、「高次の処理領域では、顔刺激や顔の一部分の刺激に明確な偏好を示す視覚ニューロンが発見されている」として、「われ